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62話 王太子妃(候補)様のお悩みです


「ふぇぇ……しんどかった……」


 重たい足を引きずりつつも、何とかフローラの部屋まで舞い戻ると、マリーベルはそこでようやく息を吐き出した。

 

「お疲れ様……マリー……」


 フローラが、水差しからカップへ中身を注ぎ、マリーベルに差し出してくれる。


「ありがとうございます……うう、生き返る……」


 水を一気に飲み干し、マリーベルは口元をハンカチで拭った。


 一応、既に水差しの中身は確認済みである。

 マリーベルの祝福、身体強化は五感にも及ぶ。

 嗅覚と味覚を最大限に強化し、違和感があるか無いかの、その程度なら判別が出来る。

 ついでに内臓もある程度強化しておけば、万が一に毒を盛られた時も、生き延びる事は可能であろう。

 

 気休め程度ではあるが、この宮殿に居る際は油断は出来ない。


「ふぅ……ようやく一息つけました……」

「どう、だった? 彼女の、様子は……?」

「まぁ、真面目なご令嬢ですね。詰め込まれるだけ詰め込まれましたが、そこはそれ。教え方に悪意は欠片もありませんし、こちらを見下すような事も無し。勿論、露骨に媚びを売ることもしてきません」


 マリーベルは、こめかみをトントンと軽くたたく。

 祝福をフルに活用し、脳の回転を速めることで、受けた講義の理解度を格段に深めたのだ。

 かつて、令嬢教育や花嫁教育の際も使用した、『祝福』の有効利用法である。

 

 ――代償として、疲労度がまあ、それなりに『くる』のだが、それは享受する他無い。

 

「幾つか質問をして情報を引き出そうとしてみましたが、そっちは失敗ですね。今は関係ない話だと、一刀両断されてしまいました。こう、バッサリと」

「とぼけている、か、どうか……判断が、難しい、わ……」

「ええ、全くです。ともあれ、フローラ様の仰る通り、今のところは敵とは思い難いですね。デュクセン侯爵家の息が掛かっているとは言ってましたけど、彼女をこちらに付けるように手配を整えたのは誰なのでしょう?」

「普通は、女王陛下。もしくは、王太子殿下――アルファード様。そこから連絡が降り、宮殿の女官長の差配で、行われる、はず……」


 フローラは、しばし悩むように目を伏せた後、そう答えた。

 

「女官長ですか。フローラ様はお会いしたことは?」

「もちろん、ある、わ。彼女は祝福を、持って、いない……心も、読めた、もの。デュクセン侯爵家とも、繋がりが、ふかい、人……心に、秘したものは、ない、わ……」


 この前に会った時はね。そう、フローラは補足してくれた。

 ならば、一応は安心というものか。油断は出来ないが、気を張り過ぎるのもまずい。

 ミュウとの付き合いは、今後のやり取りの中で深めていくべきだろう。

 マリーベルは、そう結論付けた。

 

「明日からは、王太子妃教育のおさらいと、その仕上げに入るんですよね?」

「ええ……場合によっては、殿下の、公務に、同行する、ことも……」

「王族の公務というと――『宮廷外交』』ですか。そこに連れて行かれるということは、対外的にも王太子妃とほぼ認識されているような状況ですよね」


 普通に考えれば、フローラの地位は揺るぎない。

 後は、王太子が何を考えているのか。その一点だけだ。

 

(ややこしい事にならなきゃいいけど……)


 マリーベルは嫌な予感をひしひしと感じつつ、そう祈るのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――翌朝。

 マリーベルはミュウと共に、フローラのドレス着用の補助に回る。

 エルドナークにおいて、衣服の更新は日常的に行われる。

 日に二度も三度も着替えることなど、珍しくもなんともない。

 

 今は、午前の――朝食の装いだ。

 マリーベルも一時期、養母付きのメイドとして務めた事もある。

 その際は、色々と『ヤンチャ』をして彼女を怒らせたものだが、普通にやろうと思えば普通にこなせる。

 

 ミュウからの事前教育のお蔭もあり、難なく着替えを済ませると、マリーベル達は食堂へと向かった。

 

 ここが普通の貴族屋敷であったなら、女主人と一緒に中へまでは入らない。

 そこから先は別の役割の者が担うのが常だ。

 けれど、エルドナークの宮廷作法に於いては、傍付きの侍女の同行は認められている。


 マリーベルはフローラやミュウと共に、そのままだだっ広い会食室へと足を踏み入れた。

 

(おぉ、これは見事! 流石は王家御用達の食卓! 美麗かつ荘厳! ちょっと威圧感はあって堅苦しそうだけど、これはこれで良さげだなぁ)


 お高い物大好き奥様の血が騒ぐ。

 だが、そちらに気を取られつつも、マリーベルの耳はフローラが零した、微かなため息を聞き逃しはしなかった。

 

 理由は明白。

 本来、同席すべき者――王太子の姿が、ここにも見えないのだ。

 

(何やってんのさ王子様! 朝食も共に出来ない程に忙しいってわけじゃないでしょうに!)


 マリーベルは少々立腹しそうになるも、表情には出さない。

 教えられた作法通りにフローラの着席を補助すると、壁の花と化し、そのまま直立姿勢で彼女を見守る。

 押し寄せるわんぱくな空腹感に抗いつつ、マリーベルは前途多難の予兆を感じ取るのであった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 朝食が終わると、しばしの休憩を挟み、王太子妃様御一行は教育の為の部屋へと通される。

 本来であれば、この国に於いては女王か、王配――すなわち王妃がその心構えを教え込む場合が多い。

 けれど、この王宮にいる貴き身分の女性は女王陛下ただ一人。しかも彼女は病で臥せっているとくれば、それを代行する人間に教えを乞うのが次善の策。

 

 というわけで、初老の女官長や学者が立ち代り入れ替わり、フローラへ教育を施してゆく。

 マリーベルとミュウもまた、当然の如く同席だ。色々と興味深い話も聞けて、これはこれで勉強になった。

 どうも、王家の闇的な機密情報とか、代々の王妃が受け継ぐべき秘密が! とか、そういうのは無いようだった。

 

 それとも、正式に妃と決定したら伝えられるのだろうか。

 その辺りは今のところ、想像する他に方法は無かった。

 

 講義がやがて一段落すると、フローラは気晴らしという名目で庭園へと出る。

 無論、マリーベル&ミュウも一緒だ。

 余計なお喋りは一切せず、影の如く侯爵令嬢の後を追い、付いて回る。

 

 お屋敷アーノルドに居た時とは、考えられない『静』の生活。

 少々体が疼くが、我慢の我慢であった。

 

 ――と、その時だ。

 

「あ……」


 フローラが、息を呑んだように立ち止まる。

 何事かと思ってマリーベルが目を凝らすと、前方にある開けた空間。美しい白い花に囲まれたその場所に、二つの人影が見えた。

 身なりの整った若い男女。男の方が一回りほど年上だろうか。銀の髪が日差しを受けて煌めき、美しい輝きを散らしている。

 

「アルファードさ、ま……」


 フローラが零したその声に、マリーベルは青年の正体を悟る。

 彼が、この国の王太子。次期国王となるべき、アルファード・エルドナーク殿下だ!

 端整な顔立ちと、長身長躯の風体。夫と同じ美しい蒼い瞳は、かつてマリーベルが見た海を思わせるような深い輝きに満ちていた。


(と、すると。その隣に居る令嬢は――)


 こちらもまた、鮮やかな銀の髪。王太子に比べると、ややくすんでいるようには見える。

 年の頃はマリーベルと同じくらいか、やや下。

 だというのに、切れ長の瞳は妖艶なまでに輝いており、仄かな色気さえ感じさせるほどである。

 

 何処となく、色街の姐さん達を思い出させるような、そんな雰囲気を漂わせていた。

 

 しかし、それよりも。マリーベルには気に掛かる事があった。

 

 目の前で、フローラがスカートの布地を一度だけ強く引き、離す。同時に、マリーベルの鼻腔を、何かの香りが掠めた。

 

 とたん、背筋がぞわりと泡立ち、得体のしれない悪寒が全身を包み込む。


「……レディ・クレア・レーベンガルド」


 ぽつり、と。フローラがその名を呟く。

 レーベンガルド。そうか、彼女が、そうなのか。


「……レディ・ゲルンボルク。はしたないですよ」


 横合いから、窘言が届く。

 どうやら、知らずのうちに体が臨戦態勢を取りかけていたらしい。

 こちらを横目でじろりと見るミュウに謝辞し、マリーベルは姿勢を正す。

 

「……戻りましょう。お邪魔のようですから」


 フローラは、切なげにまつ毛を揺らし、そっと頭を振る。

 視線の先に居る王太子らは、こちらの存在に気付いている筈。

 だというのに、婚約者候補に対して彼は一瞥をくれるだけで、存在を無視してしまっている。

 

 傍から見ても、気の毒な光景に、マリーベルは何とも言えず、その場を去る主の、その後を追いかけた。

 

 

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  

  

「昼間のあれが、レーベンガルド侯爵令嬢、ですか」

 

 ふむむ、とマリーベルは腕を組む。

 ちらりと窓の外を見ると、仄かに月の光が差し込んでくる。


 あいだあいだに挟まれる仕上げという名の王太子妃教育に、入れ替わり立ち代わり現れる、女官長や大臣たちとの挨拶。それらがようやく終わり、自室に戻って自由に会話が許されるようになったのは、もう真夜中に差し掛かろうという頃合いであった。

 

「ええ。あの距離で、は……思考の色さえ、よめ、ませんでした……ただでさえ、彼女の心は殆ど聞こえないというのに……」


 しょんぼりと肩を落とすフローラ。

 

「どうもやはり、何らかの『祝福』を使っているのは間違いありませんね。以前の『選定者』から感じたのとは、また少し違う香りが鼻を突きました。本能に訴えかけるような、あれはやはり――」

「そう、でしょうね。私も、マリーほどではありませんが、感じ、ました……」


 フローラはそこまで話すと、悔しそうにドレスの布地を握りしめた。

 

「出来れば、声を、掛けたかったの、ですが……殿下が、アルファード様が、拒絶、なさって、いました、から……」


 あの一瞥は、そういう事だったのだろうか。

 だとしたら、ふざけた話だと、そう思う。

 まだ婚約者候補どまりとはいえ、一時期は監禁だ何だと溺愛していた女性。それを安全の為だか何だかしらないが、ああも身勝手に扱うとは何事か。いくら王太子と云えども、していいことと悪い事があろう。

 

 何をするにせよ、その辺の筋は通せと言いたい。声を大にして言いたい。

 

 マリーベルがそう憤慨していると、フローラは唇を噛みしめて俯いてしまった。

 その背が、微かに震え出す。

 

「フローラ様……」


 たまらず、声を掛けた、その時だ。

 

「……もう、がまん、できま、せん……」


 フローラが顔を上げる。その瞳は涙に濡れ――ては、いなかった。

 それどころか、怒りの色さえ見える。表情は強張り、目は吊り上がり、肩を思い切りいからせている。

 つまるところ、激おこされていらっしゃるようだ。

 

「直談判、しま、す……!」

「……え?」


 フローラは椅子から立ち上がると、すたすたとベッドに向かって歩き出した。

 天蓋付の、大型かつ豪奢な寝具。鮮やかな意匠が施されたそれを、令嬢が指差す。

 

「マリー……これ、退かせられます、か? 出来れば、音を立てず」

「まぁ、これくらいなら」


 軽く息を吸うと、その場にしゃがみ込み、ベッドをひょいっと持ち上げる。

 ご注文通り、音も無い。そのまま遊具でも扱うように軽々と後方へ置き、マリーベルはベッドが鎮座していたその場所へ目を移し――あんぐりと口を開けた。

 

「え、何ですこれ、扉……?」

「は、い……アルファード様の自室から、こちらへと繋がる、道、です……」

「何やってんの王子様!?」


 まさかの直通回廊だ。更にベッドの下という所が意味深に過ぎる。これにはもう、マリーベルもどん引きを通り越して証拠を滅却したい気分になった。

 

「元々、緊急時の、経路の、ひとつ、だったそう、で……」

「いやいやいや、それが繋がってる部屋を自分のお妃候補の自室に選ぶの、どうなんです?」

「愛ゆえに、と……アルファード様は、おっしゃって、ました……」


 愛は愛でも偏愛とか妄執とか、そういう類の危ない愛だ!

 マリーベルの頬を、冷や汗が伝う。

 

「最後に殿下とお会いした、時……あの方は、この扉はもう開けないようにと、ご命じになられたのですが……」


 もうそんな『ご下命』は捨ててしまう。

 きっぱりと言い切るフローラ。その瞳は、怒りに燃えていた。

 

「行きましょう、マリー……。こうなれば、ちょくせつ、とい、ただします……!」


 このお嬢様、少し暴走されていらっしゃる。

 マリーベルは静かにそう断じた。

 

 王族の許可も無しに寝室に忍ぶとか、重い罪に問われてもおかしくない所業。

 普通なら諌めるべき。普通なら止めるべきだ。


 ――けれど、マリーベルは普通では無かった。

 

「ディックさん曰くの、『乗り掛かった舟』! 色々色々、不満も溜まりに溜まっていた所です!」


 むしろ上等だぜ! とばかりにマリーベルは腕まくりをする。

 ここの所、謀略だ何だと、頭と神経を使うようなアレコレが多すぎて、いい加減に我慢の限界が来ていたのだ。

 ストッパーになるべき夫もここには居ない。だとすれば、マリーベルを止める存在は居やしない。

 つまり、やりたい放題である。奥様もまた、冷静さを欠いていた。


「やりましょう、フローラ様! 女をないがしろにする王子様に、ガツンと一発! お見舞いするんです!」

  


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