幕間・2
「なんかさ、急にガランとしちゃったみたいで、落ち着かないねえ」
ティムは、女主人の居なくなった廊下を眺めつつ、ため息を吐いた。
いつもなら、朝のこの時間は、『彼女』が鼻歌交じりに箒を振るいに振るっていたというのに。
(あの、妙なおばさんの歌。聞いてる時は不憫で仕方ないと思ってたけど、いざ耳にしなくなると、どうだい。何ともしっくりこねえや)
『奥様は、このお屋敷における、お日様のような方でしたからね……』
窓を拭きながら、幽霊メイドのアンがそう言った。
お日様。そうだ。云い得て妙かもしれない。
だから、この屋敷がこんなに暗く淀んで見えるのか。
「なんつうか、落ち込む旦那の気持ち、良く分かるよ」
『帰りを待ってくれている方が居るということ。それは、とても素晴らしいものですから。ご主人様は、アレで寂しがり屋様ですもの』
あの山賊顔の商売人を形容するには、とても似合わない言葉。
だが、ティムは何となく納得してしまった。
「あぁ、そうだ。いつもみたいに、大量にメシを作らなくてもいいんだっけ。レンジの火も――どうしようか」
『入れましょう、いつも通りに。奥様がお帰りあそばれたとき、すぐにいつもの日常に戻れるように……』
「そうだね。アンの言う通りだ」
ティムは、うんと伸びをする。
「たったの一週間だもんな。旅行に行くようなもんさ。掃除をサボったりしていたら、マリーにどやされちまうか」
『ええ、そうですとも。奥様ならきっと、大丈夫。あの子の事も、奥様ならお願いできますもの』
「……『あの子』?」
あら、と。アンは首を傾げた。
『わたくし、また記憶がよみがえったのでしょうか。ううん、ううん……?』
うんうんと唸るが、それ以上は何も思い出せないようだった。
このメイドは、本当に不思議な存在だと、ティムは思う。
六年ほど前から屋敷に居ついていたらしい、幽霊同様の女性。
うら若い容姿にも関わらず、時折ひどく、年よりじみた事も言う。
(本当の年齢は、幾つなんだろ?)
前に一度尋ねてみようとしたが、『女性に聞く質問には相応しくありませんわ』とやんわり退けられてしまった。
まぁ、彼女自身、覚えてもいないのだろうが。
アンと話していると、死んだ母親を思い出す。
どうも、ティムの主であるマリーベルも同様のようだった。
溢れる母性。彼女のそれは、ティムやマリーベルのみならず、ありとあらゆる人々に向けられているような、そんな気さえした。
『ティムさんは、このお屋敷で執事を目指すおつもりなのですか?』
「ん? まぁ、そうだねぇ。それが第一目標、かなぁ」
あの親父と同じ道をゆくことにいささかの抵抗はあるが、習い覚えた技能を生かさぬ道は無い。
そも、職を選べるほど、自分は恵まれた身分では無いのだ。
『――ティムさんなら、きっと立派な執事になれますわ。どうぞ、あの方々の支えになってくださいましね』
「オイラの力なんて要らないんじゃないかと思うけど……あ、でも。あの二人、どっか抜けてるからなぁ」
似たもの夫婦だと、ティムは笑う。
皮肉屋で強面の成金旦那と、元気爆発・贅沢大好き奥様。
一見して共通点のないように思える二人だが、その実、根がお人好しな所がそっくりだ。
「なんでさぁ、要らない苦労を背負おうとするかなぁ。もっと楽に生きればいいのにね」
『贖罪、なのかもしれませんね』
「贖罪? なにが?」
『あの方々は、きっと過去に大切な人達を失ってきたのでしょう。そして、無力だった自分達を心の何処かで許せなくお思いなのかと。だから、幸せになるのを怖がってるんですよ、二人ともね』
そんな殊勝な性格かねえ。
そう思いつつも、ティムは反論を飲み込んだ。
「ま、それじゃあ、精々あの二人が気持ちよく過ごしてもらえるよう、頑張ろっか。それが使用人の鑑ってやつだよね」
『ええ……お願いいたしますわ。ティムさんになら、安心して任せられますもの』
「アン……?」
ふと、不安を感じて、ティムは同僚を見上げた。
相変わらず、今日も彼女は綺麗だ。実体が無いとは思えない程、その表情には生気が満ちている――が。
(……何だろ? 少し、揺らいでる、ような――)
得体の知れない感覚が、ティムの背を這いあがってゆく。
彼女の眼差しは、遠く。何処か遠くを一心に見つめているかのようだった。
(そうだよ、最近のアンは良くこんな目をするようになった)
何を見ているのだろう。何を感じているのだろう。
「……アンはさ、何かを知ってるの? ほら、マリーが会いに行ったフローラとかいうご令嬢様。あの人が『祝福』を持っているらしいって、そう言ったのは――」
そこで、ティムは口を噤んだ。
何故だろう。それ以上を言えば、ティムが母のように慕う、この優しいメイドが――
「アン……」
――溶けて、消えていってしまうように、思えたのだ。
次章の準備を行うため、来月の投稿はお休みとさせてくださいませ。第3章の投下は4月1日からとなります。
4月からは、また毎日投稿に戻りますので、宜しくお願いいたします!




