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58話 祝いと呪いは紙一重なのです


 ――王族の結婚相手は、貴族以上に政略が絡む。

 ゆえに、他国の姫や王子、有力な貴族を招き、あるいは送り、婚姻を結ぶのが常道であった。

 

 しかし、ここエルドナークは事情が異なる。王家の王配は、自国の侯爵家から選ばれるのが常なのだ。

 二百年前は六つであった家門は、現在叙爵を経て八つを数えている。現女王の王配も、この八大侯爵家の一つから迎え入れ、血を後世に繋いでいた。


 それは、古より続く盟約が如く、代々に渡り受け継がれてきた『伝統』であった――

 

 

「お日様もポカポカして、とっても良いお天気ですねぇ、フローラ様!」


 侯爵家のテラス。暖かな日差しに目を細めながら、マリーベルは少女に語り掛けた。

 

「そう、です、ね……マリー、ベル、さん……」


 そんな陽気な話し掛けに対し、相変わらずのボソボソ喋りで、フローラ・デュクセンは答えた。

 

 そのやり取りだけを見れば、如何にも彼女は陰気に見えるが、実際の所はそうではない。

 何故ならフローラ嬢は、満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに頬を緩めているからである。

 

(おぉ、可愛らしい……! イセリナ様とはまた違った愛らしさ!)


 臆病な猫が自分だけに懐き、笑顔を見せてくれたアレに近い。

 

 どちらかといえば小顔であろうが、その顔立ちは美しく整っている。長いまつ毛から覗く新緑の瞳は、見る物を引き寄せるような、不思議な魅力があった。


 ルビーのように紅い髪をなびかせ、小首を傾げた様は、まさに深窓のご令嬢と言って差し支えあるまい。

 

 猫かぶりの参考にしたいと、マリーベルは大いに頷いた。

 

 ――こうしてデュクセン侯爵家を訪問し、お茶を楽しむのがここ最近のマリーベルの日課であった。


 フローラも最初は緊張したそぶりを見せていたが、今ではこうして気さくに話してくれる。それが、とても喜ばしいとマリーベルは思うのだ。


 何せ、新米奥さまにとっても、同年代・同性の『選定者』と会うのは、はこの侯爵令嬢さまが初めて。


 つまるところの同胞意識だろうか。

 となると、身分差などさておき、女子会じみた話が始まるのは世の常であった。


「わた、し……マリーベル、さんと、はなすの、たの、しくて……声、きこえ、にくいから――」


 『同胞』と話せるのが、嬉しくて嬉しくてたまらない。そんな風にフローラは頷き、紅茶を口に含んだ。

 その背には、ふりふりと動く尻尾が見えるかのようである。

 

 そも、彼女とて、好きで無口を貫いているわけではない。

 全ては、そう。侯爵令嬢の持つ『祝福』に起因する。

 


「聞こえるんです、むかしから、ずっと。聞きたくないもの、いっぱい……なのに、止められない、止まら、ない――」


 フローラ嬢は疲れたようにそう笑い、肩を落とした。

 

「お父様、お母様……わたしを、みると、いつも緊張する、の……『神に愛された素晴らしい力』と、口でも心でも、そう言ってはいるけど、その奥の奥、心のどこかどこかで――『疲れる』『気味が悪い』って――」

「フローラ様……」


 ――彼女の『祝福』はかの『美食伯』と同じ。

 常時発動型の、呪いめいた力なのであった。

 

「こうやって向かい合うほどの、近い、きょり――でないと、きこえない、けど……調子の良い、悪い、あって――」


 日によって、相手によって、聞こえる声の量は上下する。

 蛇口から流れる水のようだと、彼女は言った。

 少ない時はちょろちょろ、多い時はドバッと。

 奔流のようにぶちまけられた時は、目が眩むように気分も悪くなるのだとか。

 

(私の『祝福』って、実は結構恵まれていたんだなぁ……)


 フローラのそれは、物心付いた時からのもの。もう慣れたとは口にしているが、流石にそれは、どうなのだろう。他人の思考が常に垂れ流しになる生活など、マリーベルには想像も付かない。どうしても、気の毒に思ってしまう。


 だがしかし、考えようによっては、相手の思考が読めるというのは、この上なく強力な力だ。

 常時発動という事は、特定の条件を満たさなくてもよいのだろうと推測も付く。

 これは、なんとしても『同盟』側に渡してはならないものだ。


(……でも、これで一つ、ハッキリした。彼女がここまで全て真実を述べているのだとすれば、やはり『祝福』は――)


 マリーベルは軽く息を吸い、己の考えを述べた。


「『祝福』持ち同士は、互いのそれが効きにくい……?」

「恐ら、く……わたしは、レーベンガルド、閣下の、心を……よめ、ません、でした……」


(――私やアンの上位互換が来た!)


 彼女の評価を、更に一段改める。

 つまり、彼女が傍に寄り、思考が読めない者は『祝福』使い――『選定者』だ。

 

 すなわち、全自動探知令嬢の完璧版が、目の前に居た。 


 逸る気持ちを抑え、マリーベルは侯爵令嬢に問いかける。

 

「そう、ですか。では、王太子殿下の時も……?」

「あの方、は――」


 そこで、フローラは唇を噛んだ。

 迷うような素振り。言えないと、言ってはならないと、言葉を選ぶような仕草。

 

 マリーベルは、何となく閃くものがあった。


(もしや……王太子殿下も、『選定者』――?)


 マリーベルがそれを思い浮かべた瞬間。

 微かに、ほんの微かに――フローラが、悲しそうな顔をした。

 

 ――違う、のか?

 

「『祝福』は……」


 フローラが、何処か遠い目をして呟く。

 

「かつて、よりも……幾分、弱った、と……聞いて、おります……」

「……弱った?」

「え、え。はるか、昔は……それこそ、天地の理を、覆すほどの、恐ろしい『祝福』の使い手が、居た、と……聞いて、おります」


 しかし時を経て、人の技術が発展し、神の声さえ薄れるほどの『文明開化』が世を席巻し始めた今日。

 次第に、神秘の力は人々から遠ざかり始めたのだと、フローラは話す。

 

「それで、も……純度を、保ち、続けた、のが――『王家』です」


 それは、明かしても良い話なのか。

 マリーベルは話の内容よりも、フローラの口の軽さの方が心配になる――が。

 すぐに、それは杞憂であると知った。

 

 フローラの目は、気弱な表情とは裏腹に、真剣な光が宿っていた。

 ここまでの話は全て、敢えてこちらに悟らせたものだと、マリーベルは気付く。

 

 そうだ、舐めてはいけない。彼女は八大家門の一つに数えられる、侯爵家の愛娘。生粋の貴族なのだ。

 

「王太子殿下――アルファード様の伴侶、その第一候補が私で、在る理由……それが、この『祝福』です……」

「王家は、貴女の祝福の内容を熟知している、と?」


 フローラは曖昧に頷く。

 

「かつて、神の声が、近かった時代……貴き血の者は、授かりし力を……王家に告げる義務があった――と」


 確かに、それは当然だろう。

 偶発的に発生する『祝福』だ。

 ある程度の管理をせねば、反逆を企まれる恐れがある。

 

「時が下り、『祝福』の発現者が激減した頃から、次第にその義務も忘れ去られていった、そう、です……」


 ふむ、と。マリーベルは頷く。久しぶりに推理小説脳が回転し始める。


(そも、通告義務があったって、黙っていれば分からないよね。通常の『祝福』は、使用さえしなければ、同じ『選定者』にもバレないし。ということは――)


 ――あるのだ。

 『選定者』を見分ける術が。

 王家か、それに近しい者に。

 

(……あれ? 私って大丈夫なの?)


 その辺りを踏まえて考えると、自分は思い切り力を秘匿していた事になる。

 冷や汗が、マリーベルの背を流れた。

 もしや、アーノルドはこの可能性も踏まえていたのだろうか。

 

 だから、この機会で敢えて周知させ、デュクセン侯爵家を味方に付けようと、した?

 

「そうか、もしかして、その役割を担ったのは……」


 何故、伝統的に侯爵家の中にしか王家の花嫁が選ばれないのか。

 そして、フローラが王太子妃の第一候補とされた、その理由。

 それは、もしや――

 

「八大侯爵家に発現する『祝福』は、他者を見極めるモノが多い……?」

「ご明察、です……」


 以前、養母から聞いた事がある。

 ここ五百年ほどの間、侯爵位に叙爵されたのは、僅かに二家。

 その二つも、侯爵家の血筋の家系から新たに派生したとされる。

 

 そも、エルドナークは他国に比べ、貴族の絶対性、その比重が非常に大きい。例えばアストリアでは数万人規模の貴族を名乗る者が居るのに対し、エルドナークは僅かに百九十二家。ゆえに侯爵家がたったの八家しか存在しないのも、納得がいく話だと、マリーベルも今までそう思っていたのだが……

 

「さきほど、『祝福』は通告の、義務が、あると言いました……その中でも、『それ』が発現したら、必ず王家が知らねばならない、もの。現代においても、継がれた唯一の対象、それが――私の能力に類する『祝福』なの、です」


 ゆえに、八大侯爵家に生まれた赤子は、全て王宮に召し上げられ、物心が付くまで、親元から引き離されるのだと。


「私たちの代は……私が生まれる数年前に、王家に不幸が、続い、て……その混乱のせいか、義務が、果たせなくて。私の『祝福』の概要を確信し、王家に届けたのは、ずいぶん、あとで、したが……その前までは、そう、してーー」


 王家の血に取り込み、その『祝福』が発現すれば、しめたもの。なので、確率を上げる為にも、八大侯爵家の人間が、伝統的に花嫁、あるいは婿に選ばれるーー

 

(そら、最有力候補にもなるよ! ていうか、もう決まりじゃない? 彼女が王太子妃に決定だよぅ!)


 アーノルドの嗅覚はどうなっているのだ。

 ある筋からは確かに、デュクセン侯爵家の令嬢に『祝福』が発現したらしいことは聞いた。

 でも、まさか。これ程の大当たりを引いた、だなんて……


(……待って、待って。という事は、あれ? 彼女がもし、不慮の事故とかで亡くなったら――)


 

『……王太子殿下と娘の仲が、冷え始めている。レーベンガルドめが、何らかの手を打ったのか。彼の侯爵家の娘と接近しているようなのだ』



 ――デュクセン侯爵の言葉が、脳裏に蘇る。


 嫌な予感を覚えてフローラを見る。

 その、不穏な思考を僅かに感じ取ったのだろう。

 彼女は、そっと目を伏せた。


「ここ、最近は急に減った、のです、が……二ヶ月、くらいまえから、でしょうか。私の身の回り、変なこと、起きる、ようになって……」


 その言葉に、マリーベルの背筋が総毛立つ。

 

 二ヶ月前。

 それは、ちょうど。あの、記者会見の――


(あぁ、そうだ。思い返せば、次々と心当たりがあるものばかりだ)

 

 ――何故、レーベンガルド侯爵夫人は、初対面でいきなり、マリーベルを取り込もうとした?

 ――『天敵』である養母の名を出した途端、申し出をひっこめたのは?

 ――そして、その夫である侯爵が、アーノルドをわざわざクラブに呼び寄せ、手駒に加えようとしたのは?

 

(う、うわ……? うわ、ぁ……?) 


 そも、デュクセン侯爵はどうして、あぁもあっさり娘の『祝福』を明かした?

 敵か味方かも分からない、『成り上がり』の妻に助力を乞い願った、その訳は――

 

 

「命を、ねらわれて、る……?」



 フローラが、微かに頷いた。

 

 ――危なかった、危なかった!

 マリーベルは今度こそ、冷や汗を隠しきれない。

 

 もし、ほんの少しでも『展覧会』を開くのが遅ければ。

 メレナリス男爵夫妻と知り合う事が無ければ。

 デュクセン侯爵家を『招待会』の最初の訪問先に選ばなければ。

 

 いや、そもそも――

 ごくり、と。マリーベルは唾を飲み込む。


(『対戦相手』って、そう言う事……? 旦那様は言ってた。レーベンガルドは己の破滅さえも愉しむ相手だって!)


 ここ最近、急に妙なことが減ったと、フローラは言った。


 もし、もしも。あそこで、アーノルドが。

 レーベンガルド侯爵に『勝負』を挑んで、いな、ければ……

 

(『決行』、されて、いた……?)


 相手は複数人の『祝福』を持つ『同盟』だ。

 おまけに、アンの言葉が正しければ、レーベンガルド侯爵家は未来を見通す『祝福』の家系!

 

(ひ、ひぇぇぇっ! なにそれ! こ、怖ぁ……っ!)


 うちの旦那様、素敵! 素晴らしい!

 マリーベルは、夫に心から感謝の気持ちを捧げた。


(あぁ! そういえば旦那様、ラウル・ルスバーグの所へ会いに行ったとき、こう言ってたっけ……)


 

『喧嘩というものは、相手に先手を取らせては駄目だ。手綱を握らせたままリングに上がるのなんざ、御免こうむる』



 正しく、夫の言う通りだった。

 先んじて先んじて、最善手を選んでいなければ、フローラ・デュクセンに出会う未来に辿り着けなかった!

 

 自分達は、相当に危ない橋を、細い細い綱を渡っていたのだと、マリーベルは悟った。


「おねがい、します……たすけて、くだ、さい……」

「えぇ、勿論です。貴女の命は、私達が――」

「いえ、ちがう、のです。わたし、より、も――」


 うら若き王太子妃候補は、悲痛な決意と共に、マリーベルに頭を下げた。

 

「――殿下を。アルファード王太子殿下を、おたすけ、ください……」

 

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