49話 御三家、揃い踏みです!?
――御三家。
それは、ルスバーグ公爵家を筆頭とする、エルドナークでも最も高名な三つの家門だ。
かの『恋愛伝説』のみならず、麻薬撲滅に力を尽くした、ルスバーグ公爵家。
『美食伯』を輩出した、元も古き貴族の一つ、シュトラウス伯爵家。
かつては宰相をも歴任したという名家、レーベンガルド侯爵家。
かねてより著名であったこの三家は、『大悪災』を食い止めた英雄として、国外にも広く名が知られるようになったという。
(んで、その『全て』が今、この会場に集まってるんだよな……)
自分達で仕組んだことながら、胃の重たくなりそうな光景であった。
アーノルドは内心の渋面をひた隠しつつ、こちらを睥睨する侯爵に向き直った。
(寄騎となる貴族達を取り込んで、各々が派閥を形成しているような大貴族達だ。油断は出来ねえやな)
逆に言えば、味方に付ければこれ以上に無い程、頼もしい存在となるのだが。
「レーベンガルド閣下、ご足労をお掛けいたしました。お気に召しては頂けませんでしたか?」
「ふん、虚飾だよミスター。やれ新技術だ、新しき世の到来だ、などと。低俗な輩どもはアストリアの革命を気取って書きたておる。伝統の上に成り立ってこそ、我がエルドナークだ。それを軽んじてなんとするか」
『如何にもな』傲慢を装い、レーベンガルド侯爵はせせら笑った。
見事な銀の髪がなびき、顔に刻まれた皺が深く歪む。
「伝統を重んじるのは必要であるが、新しき物から目を背けるのも感心せんな。あの『人形』を見よ。我らが技術の上を行く作品だ。ああいった物が、これからは続々と出現するぞ」
「だからこそ、我らは心棒というものを持たねば。浮ついた足取りで時代を渡ろう等と、笑止千万ではありませんかな」
ルスバーグ公の言葉に反論しつつも、侯爵の目線は変わらずアーノルドに向けられている。
「身の程を知って貰いたいものだ。金さえあれば上流の仲間入りが出来る等と、勘違いする輩は後を絶たぬ。古来より、傲慢は身の破滅を呼ぶもの。そうではないかね、君?」
その言葉を体現するかのような態度。あからさまな挑発だ。
これくらいは想定内。当たり前のことだ。
――だから、後ろで殺気を放つのは止めろと言いたい。
アーノルドの腕に添えられた、しなやかな指先。
そこから夫の二の腕を握り潰さんほどの圧が、迸っている。怖い。恐ろしい。
「閣下、私は――」
「おぉ、まだこんな所におったのか! 何をしているのだ、はやくせい!」
アーノルドが口を開こうとしたまさにその瞬間、またもや別方向から言葉が飛び込んで来る。
それも、聞き覚えのある声だ。
「シュトラウス卿――」
「ん、なんだなんだ、大の男が顔を並べて突っ立ちおって。おい、ミスター。主催が来ねば杯を掲げられんではないか。今日は珍しい料理を食せると聞いて、楽しみにしてきたのだ! だというに、勿体付けて人を待たせるとは、けしからんね!」
ステッキを振り回しながら現れたのは、誰であろう六十二代目シュトラウス伯爵。
美食に目が無い老紳士は、随分とお冠のようであった。
(御三家が、揃っちまったよ……)
しかも、こんな形で。
さしものアーノルドも天を仰ぎそうになる。
しかし、こちらの事情など露知らぬとばかりに、伯爵はアーノルドの背を突きながら、会場へと追い立て始めた。
「ほれ、行け行け。もう待てぬ、堪え切れんぞ。さっさと行って、案内したまえ!」
「わかりました、わかりましたよ! 公爵閣下、そしてレーベンガルド閣下、ここは――」
「あぁ、分かっているよ。待たせてすまないね、シュトラウス卿」
苦笑しながら、ルスバーグ公は頷く。
そんな彼とは対照的に、レーベンガルド侯は忌々しげに顎をしゃくって見せた。
「……ふん、随分と肩入れをするものだな、老シュトラウス」
「何のことかね? 私は平民イビリをする暇が無いだけさ。何せ、老い先短い命だ。生きている内に、うんと美味い物を食さねばならん!」
「――美食狂いが」
「お褒めに預かり、恐悦至極」
ステッキをくるりと回し、シュトラウス伯爵は笑う。
(なるほど。どうやら、寝ぼけ花殿は、俺達の手助けに来てくれたみてぇだな)
パチッと片目を開閉させ、こちらに合図を送る老伯爵に、アーノルドはそっと礼を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「全く、あの弟には、ほどほど手を焼かされていて、だね……」
「な、成るほど……」
軽食会が始まって、程なくして。
ルスバーグ公は、アーノルドを相手に管を巻いていた。
「これからの貴族は、浮ついてばかりではいかんのだ。伝統は良い、父祖から継ぐそれは素晴らしきことだとも。だが、時代は変わるのだ。適応せねば、滅ぶのはこちらの方だぞ」
当て付けのように吐かれた言葉に、何と答えて良いやら。
二席離れたテーブルから放たれる、殺気めいた圧に、アーノルドの胃が刺激されてゆく。
(大貴族様に挟まれる身にもなってくれ! ったく、こういう苦痛は慣れねえなぁ……)
図らずも、御三家の天秤を傾かせるような結果になってしまった。
伝統と格式の上に散らされる、社交という名の火花。
アーノルドとて、海千山千の商人たちと鎬を削って来た身だ。
腹の探り合いにはなれているが、これはまた質が違う。
(こいつは、こんな厄介なモンに晒されながら、わたり合って来たのか……ほんと、尊敬するぜ)
アーノルドの傍らで、にこやかに微笑む妻が、眩しく見えた。
「やれやれ、愚痴ばかり吐きおって。ますますエヴィン殿に似て来たな」
伯爵と公爵、そこにある身分差というものを感じさせないが如く、シュトラウス老は気安く笑う。
「曾祖父様は私の目指すべき目標ですよ。ならば光栄というもの」
ワインを煽り、ルスバーグ公は嬉しげに頷いた。
「『美食伯』と曽祖父は、実に仲の良い二人だったとか。生涯を通じた友。まさしく得難き存在です。あいつにも、そういった友人の一人でも居ればよいというに。メイドに現を抜かしてばかりで――」
どんな話からでも最後は弟語りに行き着く。
このお兄ちゃん、相当の心配性の様であった。
アーノルドはそっと周囲を見渡した。
アストリア形式の、立食会。広い会場内にはテーブルが等間隔で並び、その周囲で貴族たちが歓談している。
それらから、少し離れた位置に集まっているのは中流階級層。アーノルドのご同輩達だ。
二つの階層から向けられる視線は、自ずとアーノルド達の方へと収束する。
「注目されているね、ミスター。中々の人気者ではないか」
「おふた方のご威光に照らされているだけですよ」
首を竦めるアーノルドに、ルスバーグ公が笑う。
「謙遜する事は無い。中々に鮮やかな手並みだ。我々貴族の目の惹き方、そしてその気構えを熟知していねば出来ん。奥方の知恵かな?」
「ええ、勿論。妻あっての私です」
アーノルドは、謙遜でなく、本心から頷いた。
「先ほど、生涯の友を得難き存在とたとえられましたが、私にとってのそれは我が賢妻。唯一無二の女性です」
「あ、あなた……」
アーノルドの口調から出る熱を感じ取ったのだろう、マリーベルの頬に赤みが差す。
その可愛らしさに背を押されるようにして、舌が滑らかに言葉を綴ってゆく。
「複雑な出生に翻弄されながらも、健気に尽くしてくれるそのいじらしさといったら、もう! 可憐で愛らしい外見とは裏腹に、心の強い娘なのです! そうそう、この前も――」
「だんなさま、だんなさま……!」
ちょいちょいと袖を引きながら、マリーベルが小声で呟く。
ハッと気づいて見ると、御三家の二人は、ぽかんとした表情でこちらを眺めている。
――いかん、我を忘れてしまった!
心なしか、向こうに居るレーベンガルド侯爵すら呆れたような顔になっているように思える。
アーノルドの背を、冷たいものが流れた。これではディックの事を笑えない。
「クク、ク……愉快な男だね、君は。そうか、そんなにも奥方が愛しいか」
「あ、いえ、その――」
何故だろうか。ルスバーグ公の瞳が、ひどく優しげな色を帯び始めた。
「成るほどな。弟の言った通りか。これは、夢物語と笑えんな」
「閣下……?」
「いや、失礼。そうだな……うん、運命的な物を感じただけだ」
そう言うと、公爵閣下は、ちらりと瞳を逸らす。
それを合図にしたように、何人かの貴族たちが近寄ってきた。
「失礼、ルスバーグ公爵閣下。中々に熱の入ったお話をされていたようだ。ご紹介を頂いても?」
「あぁ、いいとも。我らで独り占めをしていては失礼というもの」
ルスバーグ公は、にこやかに手を差し伸べた。
「ゲルンボルク夫妻だ――デュクセン卿。馴染みにしてくれると、嬉しいね」
それを皮切りに、続々と貴族たちが握手を求めてやってくる。
殆どのそれは物見遊山だろう。決してまだ、アーノルド達を認めたわけではない。
その証拠に、彼らがこちらを見る目は、見世物の道化か珍獣を眺めるようなものばかり。
だが、今はまだそれで良い。せいぜい衆目を集め、のし上がるきっかけにしてやる。
アーノルドがマリーベルの手を、さり気なく離す。
夫の意向を得た少女夫人は、そっと目配せをして、中流階級層の夫人やその配偶者を招き寄せた。
そうして、始まる社交の挨拶。
アーノルド達は貴族の意向を確認し、了承が得れれば『紹介』を繰り返す。
その中には、養母と義弟・リチャードの姿もあった。
今日のこの軽食会は、顔を繋ぐ良い機会と思い、アーノルドが招待したのだ。
少年領主はそつなく、見事な態度で来賓客と挨拶を交わしている。
(やるな、坊主。どっから見ても立派な男爵様だぜ)
弟の勇姿が余程に嬉しいのだろう。マリーベルの顔には朗らかな笑みが浮かぶ。
それは、中々に上々の滑り出しだった。
公爵と伯爵、二人の後ろ盾があったのも大きいが、展覧会の名物たちも十二分に貴族達の琴線に引っ掛かったようだった。
まず、大成功と言って良い。素晴らしく充実した時間が過ぎてゆく。
ただひとつ、懸念があるとすれば――
(……野郎め、何を考えていやがる?)
少し離れた位置で、こちらを睥睨するレーベンガルド侯爵の姿だ。
その顔には悔しげな色は無く、むしろ余裕さえ漂っているように見えた。
不気味な男だ。先の傲慢そのものの態度も、何かのブラフである可能性も高い。
意識を決して外さぬまま、アーノルドとマリーベルは『挨拶』と『紹介』を繰り返す。
やがて、それも終盤に差し掛かろうとした、その時だ。
「……私も、私達も、挨拶をさせてはくださいませんか?」
人の波が薄れたその時を図ったように、声が掛かる。
アーノルドがそちらを見ると、いつの間にか一組の男女が近くに立っていた。
寄り添いあうように、身を震わせるようにして在るその姿に、微かな違和感を抱く。
「メレナリス卿――あぁ、そうか。そうだったな。良いとも、勿論だ」
公爵が頷き、二人を招き寄せる。
何故だろうか、その夫妻――特に夫人がこちらを見て、目に涙をにじませている……?
戸惑うアーノルドの耳に頬を寄せ、マリーベルが囁く。
「あの紋章は、メレナリス男爵家のものです。貴族の中でも、特に穏健派で知られる――」
その名には、聞き覚えがあった。
確か――そう、そうだ。披露宴の目録には名を乗せられなかった貴族。
先代のハインツ男爵と折り合いが悪く、仇敵かのように仲たがいをしていたと聞く。
「あぁ、なんということ! 確かに、面影があるわ! あぁ、サリア――」
「――え?」
感極まったような夫人の言葉に、マリーベルが驚きの声をあげた。
(サリア、だと? それは確か……)
「ミスター。不躾な願いだが、聞いてはくれませんか。どうか、貴方たちご夫妻を我が家に招待したいのです」
「招待、ですか? それは家庭内招待会――」
いや、と。彼らは首を振る。
「――昼食会です。ぜひ、私的なランチの席を、貴方たちと共にしたい」
思ってもみないその申し出に、アーノルドとマリーベルは、思わず顔を見合わせるのだった。




