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5話 金づる宣言


「嫁が怖くて家に帰りたくない」

「阿呆ですか貴方は」


 社内引きこもり宣言を告げるアーノルドを、にべもない言葉が撥ね付けた。

 出来上がったばかりの商会長室。真新しい仕立ての壁に、その声は良く反響する。

 

 豪奢で座りの悪い、商会長の椅子に腰掛け頬杖を付くアーノルドに対し、男は冷ややかな視線を向けるばかり。

 氷点下の鋭い目つきをした黒髪の青年は、今日もエルドナーク仕立ての紳士服を隙なくキッチリと着込んでいる。

 『彼』はトレードマークの銀縁眼鏡の手入れをしつつ、面倒くさそうにため息を吐いた。

 

「新婚早々、バカな事を言う物ではありませんよ商会長。サッサと帰って奥さんのご機嫌取りでもしてくることですね」


 シッシッ、と。

 まるで犬でも追い払うかのような仕草で、青年は手を振った。

 

「ちげぇよ、怒らせたわけじゃねえ! アイツの機嫌は良い。すこぶる良い。大好き、愛してる! とまで言われたんだぜ?」

「良い事じゃないですか。貴方にそんな甲斐性があったとは知りませんでしたよ。花束でも買いつけて、僕も愛してるんだマリーベル! とでも言って来たらどうです?」

「おいディック、真面目に聞いてくれ。俺は真剣なんだぜ?」


 アーノルドの訴えに、眼鏡の男――ディック・マディスンは、いかにも嫌そうな表情で首を竦めた。

 

「良いですか商会長。貴方は一週間、休みを取ったのです。ここに居る筈の無い男なのですよ? ただでさえ仕事仕事で視野狭窄。倒れるまで無茶と無謀を繰り返すような性質なんですから。仕事熱心なのは良いですが、それが下に伝わったらどうします」


 分かりますか? と、ディックは眼鏡を頬で押し上げ、いかにもな渋面を作り出す。

 

「この国の連中は、上から下まで伝統を重んじるんです。型破りな所が貴方の強さではありますが、それも度が過ぎれば毒ですよ。ええ、ばっちくて汚らしい毒です。近寄らないで頂きたい。それが感染うつって妻に嫌われたら訴えますよ?」

「そこまで言うか!? おい、鼻をハンカチで摘まむな!」


 にわか貴族気取りを仕掛ける陰険眼鏡を怒鳴りつけ、ハンカチを奪い取る。

 大方、男爵令嬢を娶ったアーノルドに対する皮肉だろう。

 この男は金勘定に煩い冷血漢で、アーノルドが頼りにする右腕ではあるのだが、妙な所でロマンチストだ。

 上流階級では普通のことらしいとはいえ、まだ十代の娘と政略結婚した商会長に対し、思う所があるに違いなかった。

 

「何です、その目は? 言っておきますが、私は一度反対しましたよ。それを押し通したのは貴方でしょうに。似合わない事をしようとするから、こうなるんですよ」


 やれやれ、と。ディックは大仰に、あからさまな仕草でため息を吐いた。


「全く、ロマンに身を焦がしたのはどちらだか。確かに私は結婚に愛を求める性格ですが、商会長のプライベートにまで干渉するほど野暮ではありませんよ」

「ぐ……!」


 こいつに口では勝てない。長年の付き合いからそれは良く知っていた。


「ああ、嘆かわしい。妻が怖くて家に帰れないなど、恥です恥。ねぇ、レティもそう思うでしょう?」


 気障ったらしい仕草で懐から写真を取り出し、ディックはそれに口付ける。

 その目はうっとりと潤み、恋と愛の熱情にこれでもかと浮かされていた。


 ――また始まった。アーノルドはげんなりとした顔になる。

 そう、この男は大の愛妻家なのだ。

 既に結婚六年目になるというのに、その惚気は収まるどころか、年を追うごとに強まっていく一方である。

 

「くそっ、俺も嫁を迎えれば対抗できるかと思ったのに……!」

「奥方を魔除けの呪文代わりにしないで頂きたいですね。そんなにその娘と相性が合わなかったのですか?」

「それ以前の問題だ」


 頭を抱えつつ、アーノルドは事情を話す。

 出会いから初夜、今朝の騒動に至るまで。包み隠さず、全てを全部。

 

「……これはまた、強烈な娘が来ましたね。一度、顔を合わせておきたいものです。見定めたくなってきました」

「おい、変な気を起こすなよ。破天荒な娘とはいえ、こっちの都合で嫁がせたばかりの令嬢だ。嫌な気分にさせたくはねえ」

「本当に、貴方は妙な所で甘いのですから。だったら脅しつけるような真似なんて、しなきゃ良かったでしょうに。そんなだから、変な噂を流されるんですよ」


 その件に関しては、全く持って相棒の言う通りだった。グウの音も出やしない。

 あまりにもあの娘が常識外れ過ぎて、何か企んでるか閨の場で見極めようととしたが、その結果はどうだ。少女に恥を晒させる事にしかならなかった。アーノルドの負い目は深い。出来るなら、時間を遡って昨夜の自分を殴りつけてやりたい気分である。

 だから、妻となった娘が贅沢を望むならそれで、度が過ぎなければ好きなようにさせてやりたかった。


「全く、後悔するくらいならやるなと言うのに。何処まで利用するつもりか知りませんが、付け込まれないように気を付けてください」

「ああ……わかってる」


 ディックの言葉に、生返事を返す。

 心情を打ち明けたわけではないのに、この態度。アーノルドの気持ちなんぞ、百も承知なのだろう。 

 全く、気心が知れているのも考え物だ。下手に嘘も吐けやしない。

 

「しかし、そうですか。貴族との間に生まれたご落胤で、貧民街育ちの男爵令嬢……ねえ」

「おい、何が言いたいんだ?」

「出来過ぎだと思ったのですよ。母親を亡くしている所までそっくりじゃないですか。偶然ならば、尚の事におめでたい。憧れてたんでしょ、『アレ』に」

「……さあ、どうだかな」


 それ以上は何も言わない、聞いてこない。

 流石は相棒。引くべき時を弁えている。アーノルドは苦笑して、コートを手に席を立つ。

 

「急ぎの案件は入っていないな?」

「貴方に伝えていないということは、そういう意味ですよ」

「確認だ、確認! 一々混ぜっ返すな!」


 歯を剥き出して唸ってやると、ディックは薄く微笑んだ。


(……ったく、この陰険眼鏡野郎め!)

 

 何だかんだで、アーノルドの気が晴れたのは間違いない。

 それを計算でやってのけるから、この男は鬱陶しいのだ。

 

「今の時間なら、二番通りに花売りが出ているでしょう。気取った店の物より、そういった花の方が好まれるのでは?」

「……礼は言わねえからな」


 わざとぶっきらぼうな捨て台詞を言ってのけ、アーノルドは大股で部屋を出る。

 ……背に感じる、生暖かい視線を振り切るようにして。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「あぁ、ここでいい。ご苦労だったな」


 嫌そうな顔をする御者へチップを弾むと、花束を片手に馬車から降りる。

 アーノルドが地面に降りるとほぼ同時。

 鞭打つ音と共に馬のいななきが響き、黒塗りの車体はたちまちのうちに見えなくなった。

 

「やれやれ、嫌われたもんだな。この屋敷の『噂』とやらはまだまだ有効らしいぜ」


 肩を竦めて、そう独り言ちる。それでも、生活のために仕事はこなさねばならない。御者の態度はアレだが、文句も言わずに運んでくれるだけありがたいというものだ。


 近頃は蒸気自動車の発達により、従来の馬車は苦戦を強いられていた。伝統を重んじる我が国だからこそ、まだ職を保っていられるものの、それだっていつまで続くものやら。水は低きに流れるのだ。新しく便利な物に人はいつまでも抗えない。


(ーーさて、あのじゃじゃ馬娘は大人しくしているかね?)


 無理だろう。自分自身にそう突っ込みを入れつつ、アーノルドは我が家へ向かう。

 道すがらに見上げると、陽が大分高くなっていた。懐中時計を見れば、時刻はそろそろ正午を過ぎる。


 今朝、商会に向かう途中で馴染みの食料品店マーケットに食料の配達を頼んでおいたが、どうだろうか。

 夕食分も合わせて注文したが、下手をしたらもうそれらすべてが嫁の腹に収まっているかもしれない。

 

(いったい、あの小さな体の何処に入るんだ? 謎だ……謎すぎる……)


 パイプをくゆらす名探偵でも、そのクエスチョンに答えは出せまい。アーノルドは告発される犯罪者の気分で屋敷への道をのろのろと歩む。


 鬱蒼とした雑木林の奥へ奥へと進むうち、見覚えのあるシルエットが浮かび上がった。


 しかし、ようやくの体で入り口に辿り着いたアーノルドは、そこで見たものにあんぐりと口を開いた。

 

「……なんじゃこりゃ」


 格子の門扉から覗く庭園は、朝とは全く様変わりしていた。

 

 一応の見栄えだけ整えておいた草むらは、すっかりと切り取られて涼しげに風に揺られている。

 重すぎて放置されていた石(人の顔に見える)も庭の片隅に移動させられており、何やら花の冠めいた物を被らされていた。

 

 たった数時間の間に、どうしてこうなった。やはりうちの嫁は人間では無いのだろうか。

 アーノルドが神秘の存在に想いを馳せていると、草むらの中で蠢くピンクの塊に目が留まった。

 

「マリー、ベルか……? おい、そこで何をやってるんだ? つうか何だ、その格好……!?」

「あ、旦那様お帰りなさいませ! 早かったですねぇ!」


 顔を上げた新妻は、薄汚れた布を顔に巻きハキハキと声を出す。その身に纏っているのは、つぎはぎの上着とスカート。頭には布切れを巻き付けている。まるで、農婦が身に着けるような格好だ。

 

「お庭仕事は汚れますからねえ。お洗濯の手間を考えると、こっちの方が使い勝手が良いんですよぉ!」

「いやいや、庭仕事ってお前……」


 旦那様の戸惑いにも構わず、マリーベルはニコニコと笑う。しかし、その手の動きは止まらない。

 鎌が鋭い輝きと共にひらめき、雑草が根こそぎ狩られていく。手元を見ようともしない。熟練の業だ。怖い。

 

「じゃあ、お昼ごはんにしましょうか! いっぱい食料品も届きましたし! ディナーじゃないんですよね? ランチですよね! 夕食はもっと豪華にしても良いんですよね!?」

「わかった! わかったから人に鎌を向けるな、振り回すな! 俺の首を狩るつもりかテメエ!?」


 煉瓦の門で遮られているとはいえ、油断は出来ない。この娘なら風圧で敵を切り裂きそうだ。不用意に間合いに踏み込む事は、死を意味する。

 

「いや、流石にそんな人外じみた事は出来ませんよ? もう旦那様ったらぁ。ちょっぴり、はしゃいじゃっただけですってぇ」

「お前なら何があってもおかしくねぇからな! 鎌を置け、そうだ。ゆっくりと後ろに下がるんだ……。両手は組んだまま頭の上にあげろよ? よし、よぉし……」


 素直に言う通りにする妻に安心し、夫はようやく門をくぐる。

 マリーベルは苦笑しながら、服の前掛けで顔を拭っていた。陽の光に晒された汗が煌めき、舞い散る。

 あまりにも手慣れたその仕草は、とても貴族の令嬢には見えなかった。



『――何処まで利用するつもりか知りませんが、付け込まれないように気を付けてくださいよ』


 

 相棒の言葉が蘇る。この態度も見せかけのブラフだとすれば、大した役者だ。けれど、例え形式上であろうとも、妻は妻。娶った以上は誠意を見せねばならない。

 

「あー……マリーベル。お前、贅沢をしたいんだっけか?」

「はい! したいです! うんとしたい! いっぱいしたい!!」

「近い近い近い! 分かったから離れろ!」


 ずずいと押し寄せてくるその顔を押しのけ、アーノルドはため息を吐く。

 

「昨夜も言ったが、これは政略結婚だ。お前を嫁に迎えることで俺が得られる物は大きい。貴族との伝手やコネ、それに後ろ盾」


 ハインツ男爵家は王国最古の名門だ。当主の放蕩が過ぎたか、時代に追いつけなかったか。今では没落しかかっているとはいえ、その名には価値がある。


 そして、何よりも――

 

「――お前の知識だ。生まれがどうとか知ったことか。言ったろう、何処で育ち教育を受けたかが重要だと」

「知識……ですか?」

「結局の所、にわか仕込みのそれじゃあ役に立たん。上に通用するマナーとかエチケットとか、さっぱり分からねえ。未知の世界だ。そんな所で躓くわけにはいかねえんだよ」


 ーー本当のところは、もうひとつ。彼女を娶るにあたって重要な恩恵がある。だが、それを明かすにはまだ時期尚早だろうとアーノルドは判断した。


「……旦那様は」


 マリーベルが小首を傾げる。無駄に愛らしいその仕草に、アーノルドの心がざわついた。

 

「上流階級層に食い込みたいんですか?」

「ああ、そうだ。分かってるじゃねえか。俺にはしたい事と、やらねばならねぇ事がある」


 ひゅう、と口笛を吹いて指を立てる。この娘は馬鹿かもしれないが、飲み込みは早い。

 

「取引だ、マリーベル。ドレスも宝石も美味いメシも、何でも買ってやる。食事がすんだら、服を仕立てるぞ。何だったか、ケツを膨らましたスカートが欲しいんだろ?」

「ほほほ、本当ですか!? 嘘じゃないですよね!?」


 ピンク髪の元男爵令嬢は、涎を垂らさんばかりに相好を崩す。その目は『金』の色にぎらついていた。


「その代り、お前の持てる知恵や知識を貸してもらう」

「もちろん、もっちろん! 私も完璧令嬢――というわけではないですが、これでも貴族の教育は受けてます! 炊事に洗濯お掃除に、必ずお役に立ちますよぉ!」


 それは貴族令嬢関係ない。突っ込みたくなる気持ちをアーノルドはグッと抑えた。早まっただろうか。

 何にせよ、既にチップは賭けた(ベット)。アーノルドの、一世一代の勝負は、もうとっくに始まっているのだ。

 それに今更、別の女を娶ろうとも思わないし、その気もない。

 

「家事は……まぁ、その。なんだ。今は人を入れたくねえんでな。今日みたいにせんでもいいが、出来る範囲でしてくれると確かにありがたくはある……が、いいのか?」


 貴族のご婦人のように踏ん反り返って人にあれこれ命令する方が楽だし、贅沢の証であろう。

 しかし、そんなアーノルドの疑問をマリーベルは笑い飛ばした。

 

「誰に命令されることもなく、好きに働けるなら文句ないです! 適度に動かないと、ご飯も美味しくありませんから! 綺麗なドレスにキラキラしたおっきな宝石、それにやり甲斐のある労働! なにここ、楽園じゃないです?」


 やったー! と両手を上げてはしゃぐマリーベル。

 奥様がご満悦のようで何より。疲れはするが、何だかこのやり取りも少し慣れてきた。

 騒がしいのは、嫌いじゃない。かつて、弟や妹達もこうして大騒ぎしながら自分に纏わりついてきたものだ。


 胸を掻き毟るような懐かしさを振り払うようにして、アーノルドは背に隠した『それ』を差し出した。

 

「……えっ」

「約束してやるよ、マリーベル」


 似合わないことをしている自覚はあった。それでも少女の目と己の目を合わせ、アーノルドは宣言する。

 

「利害の関係一致。それを違えねえ限り、俺はお前の金づるになってやるさ」


 目の前に広がる色とりどりの花束を見て、マリーベルは目をぱちくりさせている。

 高い花じゃない。それでも、この娘に合うだろう物をそれなりの時間を掛けて選んだものだ。

 あまりに反応が薄いと心配になってしまう。

 

(……しまったな。気障が過ぎたか? らしくねぇとまたぞろ、叫びを――)

 

「あー、マリーベル? その、なんだ――」

「……男の人に、お花を貰ったの。初めて、です」


 怖々と、マリーベルが花束を受け取った。

 風に揺られ、ストロベリーブロンドの髪がふわりと広がる。 

 壊れ物を扱うように、少女はそれをそっと抱きしめ、匂いを確かめるように顔を埋めた。


「……嬉しい」


 陽の光の中で、大輪の花が咲く。

 幸せそうに微笑む花嫁の姿は、まるで名画の情景のように美しく、可憐だった。

 

「これから、よろしくお願いしますね! 末永く共に歩いていきましょう! 死が二人を分かつまで……ってやつです!」


 気合を入れるように、マリーベルが片手を天に突き出す。

 今の今までの美少女っぷりは何処へやら。

 花瓶に生けよう、お水を差さなきゃ、と。きゃあきゃあ騒いで喧しい。

 

 それを眺めているうちに、何だかおかしくなってきた。腹の底から笑いが込み上げてくる。

 こんな気持ちになったのは、いつ以来だろうか?

 縁と偶然が繋いだ政略結婚。だが、それも。悪く無いものかもしれない。


 アーノルドは、苦笑しながら妻へと手を差し出す。

 

「こっちこそ、よろしくな。期待してるぜ、マリーベル」

「はい! お任せを!」


 小さな手がアーノルドのそれに重ねられる。

 その温かな感触が、何故だか心地良い。


 やり手の商会長と恐れられたその男は、これから始まるであろう騒がしい日々に想いを馳せるのだった。

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