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46話 疑惑が満載、社交界!


「――私の開催する、交流会に入りなさい。きっと、悪いようにはしないわ……」


 優美な微笑みを崩さず、侯爵夫人はそう告げる。

 絶対的強者の放つ、大上段からの一撃。

 間隙を縫うかのように滑り込まされた刃は、完全にマリーベルの不意を打った。


 ――さて、どうするか?

 

 まさか、ここでこう来るとは夢にも思わず。驚愕が表情に零れ出なかっただけでも僥倖と言えた。

  

 『訪問』が最終盤に差し掛かり、マリーベルの集中が途切れかけた隙を狙っての誘い。

 そこにどんな意図が隠されているのか、しかし探る為の舌戦を仕掛ける時間はもう、残されてはいなかった。

 

 強制的に突きつけられる、是か否か。これは簡単に答えて良いような、単純なものではないだろう。

 ひとつ間違えれば、その先に『破滅』の光さえ瞬く、難問だ。

 

 マリーベルは軽く息を吸い込み、脳に意識を集中。思考を高速で回転させる。

 

(引き受けた場合、私と――旦那様は侯爵家の派閥に入る。恐らく、近日中に『仲間』にお披露目をする形となるでしょうね。上流階級社会の手ほどきを受けながら、最短で駆け上がるにはまたとない機会。そして、『私達』が知りたがっている情報も内部から探る事が出来る。一見、良い事尽くめだけれど――)



 ――そこに、罠が仕掛けられている可能性は高い。

 

 成り上がりを見世物として招き、皆の玩具として弄ぶだけなら、まだ良い。

 知らぬうちに、大それた企みに巻き込まれ、責任だけ押し付けられ切り捨てられる事すら視野に入れねばならない。

 その疑いを持つだけの理由が、レーベンガルド侯爵家には存在するのだ。

 

 また、マリーベルの派閥入りは、御三家の力の天秤を崩す事にも繋がりかねない。

 良くも悪くも、アーノルドは世間の話題の中心だ。飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け上がり続ける、新興の大商人。

 マリーベル自身も、中流階級層で瞬く間に頭角を現し、地盤を築き上げた女傑のように、新聞でも描かれている。

 

 それを丸ごと取り込む事で、他の家を出し抜こうと考える――等という事もあり得るのだ。

 そうすれば、他家の……まだ親交すらろくに結んで居ない家と、下手をしたら敵対関係になる可能性も出てくる。

 

(で、断った場合――それは、彼女の面目を潰す形になる)


 親切で手を差し伸べたのに、無下に振り払われたと喧伝する事も可能なのだ。

 そこまで下品な真似はせずとも、攻撃の糸口には十分になり得る。

 

 ひとたび断れば、次の機会はまず巡っては来ない。

 彼女はこう言っているのだ『入りなさい』と。

 『入らないか?』という問い掛けですらない。

 

 つまりこの毒蛇女は、敵になるか味方になるか、今ここで選べと言っているのだ。

 

 

(確かに、お養母様の言う通り! 関わり合いになりたくない相手の、筆頭だよ!)


 どちらを選んでも角が立つ。

 そしてそのつまずきは、この先の社交へ大いに影響してくるだろう。

 

(なら――)


 ここまでの会話で得た情報。それらを脳内で巡らせ、一つの答えに至る。

 

「……光栄ですわ。かのレーベンガルド卿夫人にお誘いの御言葉を頂けるとは」


 マリーベルは、にっこりと微笑む。

 

「では――」

「ええ。養母にしかとお伝えいたします」


 ぴくり、と。そこで初めて、夫人の眉が動いた。

 

「夫人とはとても、とても近しいご関係であったと存じておりますわ。養母も社交界から遠ざかりかけていた身。旧知の御方からの誘いとあらば、さぞかし喜ぶことでしょう」


 微かに、扇を持つ手に力が込められたように見えた。

 ここが勝負所と、マリーベルもまた声を張り上げる。

 

「今日の私は、男爵家の名代として訪れております。爵位は弟に継がれたとはいえ、彼が妻を得るまではまだ、養母がハインツ家の女主人――『男爵夫人』である事に変わりありませんもの。だとすれば、このお話もまた私を通じて母に至るもの」


 首を微かに傾げ、マリーベルは惚けたように頬へ手を当てる。

 

「申し訳ありません、私、夫人の仰る通りまだ若輩者ゆえ、作法に行き届かない所がございまして。何か、お間違いがあったでしょうか?」


 夫人の笑みが、様相を変える。

 表面上の形こそ変わらないが、瞳が鋭き光を帯び、凄絶なまでの圧が押し寄せて来た。

 

 しかし、マリーベルはそれを敢えて受け止め、こゆるぎもしない。

 『こっち』の迫力なら、養母のそれで慣れっこである。

 背筋に冷たいものは走るが、それだけだ。顔には決して出さない。

 

 ひりついたような空気が流れ、僅かな沈黙の後、夫人が重たい口を開いた。

 

「……考えて、おきましょう」


 それは、ひとまずの終息を示す言葉だった。

 

「ありがとうございます。寛大なお心に感謝を。『先に述べた話』もお考えいただけると嬉しいですわ」


 謝辞を告げ、マリーベルはゆっくりと席を立つ。 

 こちらのその姿を睥睨しつつ、夫人は唇を歪めた。

 笑みのような、威嚇のような、牙を剥きだすかのような、その表情。

 

「次は、貴女自身の名でいらっしゃい。ここか、それとも別の場か。また会うのを楽しみにしているわ」


 それは、決して負け惜しみではないだろう。

 マリーベルは返答の言葉を口にせず、侯爵夫人の微笑みに、淑女の礼で応えるのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「つっかれたぁ……! もう、何あれ、何あれ!」


 周囲に人の目の無い事を確認し、マリーベルは大きく息を吐く。

 侯爵家を辞した後、しずしずと通りまで歩き抜いた所で、気が抜けてしまったようだ。

 疲れた、疲れすぎた。今まで感じた事の無い疲労感が全身を包み込む。

 

「お疲れ様です、奥様。もうじき馬車が参ります。こちらでもお飲みになって、もう少々お待ちを」


 恭しい仕草で差し出されたカップを受け取り、マリーベルは喉を潤した。

 

「ありがと、ティムくん……あぁ、美味しい……うう、生きてるって素晴らしいなぁ……」

「それは何より――って、そんなに? 今回は部屋まで付いていけなかったら、何があったか知らないけど」


 慄いたように、少年はマリーベルを見つめる。


「マリーがそんなになるなんて、よっぽどだったんだね……」


 そう言ってティムが顔をひきつらせ、身震いする。

 そう、大変だったのだ。言葉では言い表せない程に。

 

「少し、舐めていましたね。流石は御三家・レーベンガルドの女主人。相当な毒蛇ですよ、ありゃ」

「悪食警部みたいなもん?」

「下手に権力と財力を持っている分、アレより性質が悪いですね……」


 黒ずくめの名物警部を思い出し、マリーベルは苦笑する。

 一応の目的を果たせたとはいえ、今回の『訪問』は別にマリーベルの勝利でもなんでもない。

 

 養母の名を出したのも、ある意味では諸刃の剣。

 一つ間違えれば、侮られる理由にも繋がりかねないからだ。

 

 苦し紛れの即興案を、クソ度胸で誤魔化したに過ぎない。

 アーノルドが良く使う、アレである。


 自分の未熟さを思い知ったようで、苦々しさが胸に残ってしまう。 


「でもまぁ、良い経験になりましたし、知りたい事も少しは得れました」

「お、なに? なに?」

「養母との因縁は思ったよりも深いという事と……あの人は、私の『敵』になり得る、ということですね」


 侯爵夫人から漂う、微かな悪意。

 見事に隠されながらも、敵意の籠った視線と口調を終始に渡って仄めかされた。

 

 あれは、こちらがそれに気付くかどうか、試すかのような舌戦であった。

 

 あの誘いに是とは答えにくかった理由の一つが、それだ。

 

「御三家だっけ? その一つが敵に回るとか、考えたくないね……」

「まったくですよ。それで、そっちはどうでした?」

「まぁ、上々……かな。何とか向こうの使用人と話が出来たよ。レティシア姐さんの情報は正確だね。元救貧院出身者が確かに居たし」


 ニヤリと笑う、悪戯坊主。

 貴婦人が連れる、従者の扱いは訪問する家門によって異なる。

 今回の場合、養母やレティシアの情報から、彼の侯爵家では訪問客と従者は分けられ、専用の部屋で隔離されると知っていた。

 

「お貴族様の義務って奴だっけ。貧しき者にも慈悲を――素晴らしい事だね、うん」


 とん、とん、と。こめかみを叩き、そこに刻み込んだ名と姿を思い起こすように、ティムは言う。

 

「お休みの日も聞き出せたから、ご馳走がてら『勉強』させて貰えるようにお願い出来たよ。いやぁ、持つべきはお金持ちの主人だね。オイラも鼻が高いよ」

「流すべき話も選んでくださいね。どうせ、それとなく『上』に伝わるようになってるでしょうから」

「分かってるさ。任せといてよ」


 この少年の持つ、はしっこさは大きな武器だ。

 本当に自分は仲間に恵まれていると、マリーベルはそう思う。 

 

(貴族社会では、私なんてまだまだ未熟者の小娘に過ぎない。誰が信用できて、誰が敵であるか。判断は付かない)


 あのシュトラウス伯爵だって、そう。心情的には、味方であって欲しい。凄く欲しい。そうであって頂きたい。

 だが、彼とてどこまで信用できるか、しれたものではなかった。

 まだ、マリーベルは伯爵夫妻と一度話しただけ。

 それで底を見せるほど、彼らは浅い人間ではあるまい。

 

 憧れた人物すら疑いの目で見る事を余儀なくされる、社交の世界。

 だからこそ、信頼できる仲間は大切な宝なのだ。

 

「さて、正直疲れてたまりませんが、今日はもう一軒『訪問』しなきゃ。次はえっと、グレイブランド子爵家に――」

 

 この先の『訪問』の、その計画表を頭の中で描き出そうとした、その時だった。

 

「おやおやおや、このような所でお見かけするとは奇遇ですね、レディ!」

「え……?」


 朗らかな声と共に近付いて来たのは、丸眼鏡の職業婦人。


 旦那様を『坊や』呼ばわりした、セシリアとかいう女記者だ。


「いやぁ、これは幸先良い! 調和の神の天秤に感謝せねば!」 


 相変わらず、礼儀もへったくれもなく話し掛けてくる。

 押しの強さで知られるマリーベルだが、彼女のそれはまた別の力強さがあった。

 

「察するに、レーベンガルド侯爵夫人の所にお邪魔したのでしょうか?」

「まぁ、それを尋ねるのは野暮というものですわ」


 にっこりと笑い、質問を遠ざける。

 しかし、相手もさるもの。目を輝かせながら纏わりついて来る。

 

「ふふふ、これは手厳しい! ですがまぁ、社交期の今、この場に貴女がいらっしゃるというのは、そういう事でしょう」

「ご想像にお任せしますわ」


 そう言いながらも、マリーベルは心中で一つの考えを固めるに至る。

 

(この人が、ここにこうして居るということは……やはり、レーベンガルド侯爵家には、怪しむべき所がある――か)


 奥様の推理小説脳が、ギュインギュインと回転する。

 

(……ウィンダリア子爵家の没落。それに侯爵家が関わっていたというのは、真実なのね) 


 ディックやレティシアが調べ上げた情報、マリーベルはそれを脳内で紐解いてゆく。

 

 二十五年前、違法麻薬流通の疑惑を得て拘束された、かの子爵家。

 その罪を暴き弾劾したのは、当時のウィンダリア子爵の弟と――御三家の一つ、レーベンガルド侯爵であるという。

 

(何か、胡散臭い話だよね。正義が為されたって、当時は評判だったみたいだけどさ)


 麻薬とレーベンガルド侯爵家。

 一見して関わりの無さそうな両者であるが、並べて考えると、妙にしっくりとくるようにマリーベルは思う。

 根拠は無い。勘だ。本能めいた警鐘。

 

「それで、夫人の印象はどうでした? 何か、気にかかる事はありませんでしたか?」

「まぁ、記者の方と言うのは想像力が逞しくいらっしゃるのですね」


 マリーベルがそう考える間にも、女記者の追及は続く。

 いい加減にしつこい。この場を強制的に辞するかと、そう思い始めていると――

 

「タダとは申しませんよ。貴女に差し上げたい物もございます」

「生憎、主人は物持ちですから。大抵の物は揃っておりますの。記者の方に頂くような事は、何も――」

「アーノルド坊やが十代の頃の写真とか、欲しくありません?」

「えっ」


 ――なにそれ、欲しい。欲しいが過ぎる。

 マリーベルは、おのずとゴクリ、唾を呑む。

 

「……あるんですか?」

「あ、喰い付いてきましたね。いやぁ、半ば冗談で言ってたのだけれど。坊や、愛されてるなぁ……」

「あるの、ないの!? はっきりして!」

「あります、はい。あります」


 カクカクと、自動人形の如く女記者は頷く。


 そうして、慌てたようにその懐から取り出される一枚の写真。

 それに、マリーベルの目が釘付けになった。

 

「あの頃、ちょうど新式の感光乳剤が発明され、乾板が誕生したんです。それで、丁度伝手もあったから、輸入されたカメラを使って向こうで撮影を――」

「能書きはいいので! 早く、早く! 旦那様の写真! 少年時代の旦那様!」

「マリー、落ち着いて! 地が出てるし! その血走った目を止めなって! この人、めっちゃ引いてるよ!」


 ティムが間に入る事で、マリーベルの気がようやく収まる。

 いけない。侯爵夫人戦で精神力を消耗し過ぎていたようだ。

 予期せぬ『お宝』に目が眩んでしまった。

 

 こほん、と息を吐き、淑女的微笑みを取り戻すマリーベル。

 それを見ていた女記者の顔が、盛大に引き攣った。

                                  

「え、『あの』坊やにそこまで熱を入れてるの……? Je pouvais(あぁ、うそ)pas rêver(でしょ最高)mieux(だわ) !」


 後半に呟かれた言葉に、微かに引っかかる物を覚える。

 それは、明らかにこのエルドナークの言語では無い。

 だが、そんな疑問も謎も、全てを吹き飛ばすかのようにマリーベルの目は『それ』を捉えて離さない。

 

「旦那様の、旦那様の、旦那様の……」

「いけない、また目つきが飢えた狼に変わり始めた! そこのアンタ、写真を! 早くしないと、戻れなくなる!」

「彼女は、ウェアウルフか何かなの……?」


 おそるおそると差し出された写真を、奥様は喜色満面のお顔で手に取る。

 

(きゃあ!! かわいい!!)


 写真に写っているのは、まだ赤ら顔の少年の姿。

 察するに、十五歳前後だろうか。この頃から目つきは悪いようだが、それもまた大人ぶってて愛らしい。

 いかにも嫌そうな顔をしているのが、たまらない。いつまででも見てられる。

 

「わぁ……わぁ……わぁぁぁ……!」

「そ、そこまで喜んでくれるのね……? いや、驚いた。うん、驚いたよ。良かったなぁ、坊や……」


 意外なほどに優しい声で、女記者は感慨深そうに言葉を紡ぐ。

 微かな驚きと共に顔を上げると、彼女は帽子を取って胸元に掲げると、恭しい仕草で頭を下げた。

 

「ふふ、これは降参だ。気勢がそがれてしまいましたよ、可愛らしいレディ。その写真は差し上げます。取材も、今日の所は結構。もっと良い話を聞けましたからね」

「え……?」


 女記者――セシリアの顔は、何処か晴れやかなものだった。

 何故だろう、嬉しくて嬉しくてたまらないと、そう――今にも踊り出しそうな表情だ。

 

「また次にお会いした時に、お話を伺えたら幸いです。それでは、また」

「あ、ちょ――」


 しかし、マリーベルが引き留める間も無く、女記者は以前に会った時と同様に、裾を翻して風の如く去ってしまう。

 

 後に残されたのは、マリーベルとティム。そして一枚の写真だけ。

 

「なんだったんだろうね、あの人……」

「さぁ、良く分かりません。でも、悪い人じゃなさそうですね」


 何より、こんな良いものをくれたのだ。素晴らしい、慈愛に溢れた尊敬すべきご婦人だ! 

 

「おっと、馬車も来たみたいですね。さぁ、行きますよティム君! 疲れた体に、この一枚がすうっと染みました! 気合も十分です!」

「おぉ、燃えてる……燃え盛ってる……。これで、何で自覚しないんだろ……」


 ティムが何やらブツブツ言っているが、奥様の耳には入らない。

 色々と気にかかるものはあったが、それでも今は目の前の事に集中! なのである。

 

「さぁ、もうへこたれてなんていられません! 頑張りますよ!」


 写真を大切そうに手の中に包み込み、マリーベルは颯爽と微笑むのだった。


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