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42話 チャリティーの裏側で



「いやぁ、もう本当にありがとうございます! 奥様には、どれだけ感謝しても足りませんよ……!」

「いえいえ、お役に立てたようで何より。妻も喜んでおりますよ」


 目の前で感涙に咽び泣く男を宥めながら、アーノルドは内心で舌を巻いていた。

 

(いやはや、猫かぶりが得意技って言ってはいたが、社交の場でも評判の『失敗夫人』とやらを、ああも変えちまうか。我が妻ながら、恐ろしい……!)


 満ち足りた笑顔で、慈善活動に励む少女を遠目から眺め、アーノルドは戦慄する。

 手品のタネを聞いてはいるが、それにしたって、並の令嬢に出来る事ではあるまい。

 例え表面上のこととはいえ、あんな短期間でそれを繕う事など、果たして可能なのかどうか。

 

 普段、アーノルドと二人で居る時の、ワハハ笑いの奥様とは、まるで別人の如き社交技能。

 その情熱と知識の深さに、感服する他は無かった。

 後で、思い切り褒めてやらねば。何かご褒美を買ってあげるのも良いだろう。

 

 妻の好みも、この数か月で大体把握している。

 彼女は基本、お高い物が好きなのだが、それはそれとして安っぽい菓子などにも目が無い。

 バラエティに富んだ贈り物にすれば、きっと喜んでくれるだろう。

 

 妻の笑顔を思い出し、アーノルドも知らず、口元をほころばせた。

 

 そんな、こちらの内心を露とも知らず、彼――ウィル・リレーは安堵のため息を吐く。

 

「何も出来ない。失敗ばかり。どうして良いのかわからない。心労からか、日に日にやせ細っていき、見る影も無く憔悴する妻を、私はどうしてあげる事も出来ませんでした……」

「心中、お察ししますよ」

「出納帳の読み方すら分からず、しまいには苛立ちからか、家政本に落書きまでしてしまう始末。私も愚かな事に、日々の疲れからか、つい声を荒げてしまう事もあり……あのままでは、きっと私達はお終いでした」


 愛があれば、全ては叶うと思ったのに。

 ウィルはそう、自嘲気味の笑いを零す。

 

「それが、今ではどうだ! 家政や社交もつつがなくこなし、苦手な計算だって前向きに学んでいる! なによりも妻の顔に、あの頃のような、笑顔が戻って……! 私は、私、は――」


 あとは、言葉にならなかった。彼は顔を覆って、嗚咽を零す。

 その背をさすってやりながら、アーノルドはただ黙って漏れ出す声を聞き続けた。

 

「わ、私がすべて、すべて、いけなかったんだ……! お嬢さま育ちの彼女が、初めから上手く行くわけはないと、思っていたのに……何もかもを押し付けて――」


 そこで、彼は顔を上げる。涙に濡れた視線は一心に、愛しい妻の元へと投げかけられていた。

 

「昨日も、あんな風に、笑って……『これで、貴方に相応しい奥様になれるわ』って、言ってくれ、て……! 私は、あぁなんと愚かだったのか! 恥ずべき男だ!」


 だというのに、と。ウィルは幸せそうに笑った。

 

「妻が、愛おしくて愛おしくて、仕方が無いのです……」

「私も幼妻を持つ身ですから、お気持ちは良く分かりますよ」


 アーノルドも、これは本心から答えた。

 マリーベルが同様の状態になったら、と考えただけでゾッとする。あの天真爛漫な少女が憔悴しきった姿など見たら、自分はきっと、どうにかなってしまうのではないか。

 

「あの健気な姿、凛とした美しく可憐な微笑み。あぁ……私はなんと幸せ者なのでしょう」

「分かります、分かりますとも」


 うんうんと頷き、同意を示す。

 この、だらしなく蕩けた顔をした男は、しかしこう見えて名うての法廷弁護士なのだ。

 

 彼はあの、ガヅラリー社の案件に携わっていた経験もある。法曹界にも広く顔が利くのだ。

 恩を売れて、こちら側に引きこむきっかけとなれたのは、アーノルドとしても願ってもない話。

 まさにマリーベル様々であった。

 

 それに、個人的にも同じ年頃の少女を妻に持つ身として、色々と語り合える仲間は大切だった。

 公私に於いて、今後ともお付き合いを続けたい相手である。

 

 ディックから受け取った紅茶のカップを渡しつつ、アーノルドはしばし、妻談義に夢中になるのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「いやはや、大盛況ってやつか。ほんと、大したもんだぜ」


 妻の傍に居たいというウィル・リレー氏と別れた後、アーノルドとディックは通りを散策していた。

 

 見渡す限りに溢れる人の群れ。

 アーノルドも資金援助や段取りに携わったとはいえ、中流階級の有力者達に協力を取り付けたのは他ならぬマリーベルだ。


 旦那様としては、妻が誇らしくてしょうがないのである。



「ええ、これには私も見事と『兜を脱ぎ』ますよ。奥様は素晴らしい御方ですね。そしてそれを支えて導いたレティ。やはり彼女は女神の化身……!」

「言ってろ」


 相変わらず、この眼鏡は妻を讃えるのに余念が無い。

 

 しかし、そう言うアーノルド自身も、最近はその気持ちが分かりかけていた。

 頑張る妻を褒めたい、称えたい、自慢したい。

 うちの奥様は凄いのだぞ! と胸を張りたくなるのだ。

 

(ったく、ガキじゃあるまいし。何を考てるんだ、俺は――)


 ゆるゆると頭を振り、アーノルドは気を落ち着けようとする。

 ここの所少し、気が緩み過ぎているようだ。

 あのラウル・ルスバーグとやり合った反動か。腑抜けた気持ちで社交界に挑むわけにはいかない。


「まぁ、お前の場合は言うまでもないだろうが、レティシアのことを良く見ておけよ。アイツも、何かと無茶をしがちだからな」

「まさに愚問――と言いたいですが、仰る通り。我らが麗しきご夫人たちは、前のめりに突き進む性分ですからね」

「焦る事はねぇ。下手に手を出して火傷するより、臆病な方がよっぽどマシってもんだ」

「まさに、まさに。さすが、実際に火傷しかかって、奥様に折檻を受けた方の言い分は違いますね」


 ちくりと刺してくる秘書の言葉が痛い。心なしか、眼鏡の奥に見える瞳が冷たく光ってる気すらした。

 アーノルドは誤魔化すように顔を背け、周囲を見渡す。

 

 通りは人で溢れている。老若男女の区切り無く、みな笑顔で軽食や茶を楽しんでいるように見えた。

 

「……どうだ、アン?」



『反応はございません。ひとまずは、安心なさってよろしいかと』



 胸元から響くその声に、アーノルドは微かに肩の力を抜いた。

 仕事の合間を縫って、こちらの視察にやってきたのは、妻の『成果』を見届けるだけが目的ではない。

 

 不特定多数の群集が雑多に入り混じる、この『チャリティー・ティー』。敵が何かを仕掛けてくるとも限らないのだ。

 無論、それは妻たちも承知の上。対策は色々と講じてはいるが、万が一はある。

 アーノルドとディックは、彼女達とはまた別方向からの視点として、警戒に当たっていた。


(……ん?)


 ふと、何か妙な胸騒ぎを覚え、アーノルドは立ち止まる。


「商会長?」

「なぁ、ディック? 妙な匂いがしなかったか?」

「匂い、ですか? いえ――」


 訝しげに、ディックは周囲を見回す。

 どうやら、彼は何も嗅ぎ取ってはいないようだ。


「アン?」


『――言われてみれば、確かに残り香のようなものが……いえ、駄目ですね』


 胸元から、首を振るような気配を感じる。


『申し訳ございません。お屋敷から離れすぎたせいでしょうか。この程度では、判別が付かず……。少なくとも、『祝福』を使ったような気配は感じられないのですが……』


「いや、いい。可能性はあるってこったな」


 それだけで、見回りに来た甲斐があったというものだ。

 アーノルドはディックと共に、油断ない足取りで通りを歩んでゆく。


(……さて。奴さんが来たとして。相手は『人形使い』か? だが、『人形』を潜ませれば、すぐにこちらにバレる。それくらい、予想は付くだろう。まさか、素顔でノコノコと姿を現すとも思えねぇが――)

 

『――あ』


「何だ、どうした!?」


 突如、アンが驚いたように息を呑む。

 その気配を察したアーノルドは、ディックに目配せし、素早く周囲を見回した。

 ディックもまた懐に手を入れ、油断なくその背に張りつく。

 

『あそこに、居るのは――』


「何処だ? 何処に――って、なに?」


 懐中時計から伸びた白い指先が示す、その方向に目を向け――アーノルドは、言葉を失った。

 

 軽食を提供する露店の前。そこには黒い外套に身を包み、山高帽を小粋に被った老紳士の姿がある。

 一見して、中流階級層の装いのように思えるが、その顔にアーノルドは見覚えがあった。

 

(まさか、こんな所に……?)


 そっとディックの方を伺うと、彼もまた驚いたように目を瞬かせている。

 どうやら、人違いではなさそうだった。

 思わず立ちすくんでいると、その様子に気が付いたか、老紳士がステッキを片手にこちらへ近寄って来た。

 

「おや! これはこれは、ミスター・ゲルンボルクではないか。いつぞやの披露宴以来だね。楽しませて貰っているよ」

「シュ、シュトラウス閣下……?」

「おっと、今日の私はお忍びって奴でね。その名で呼ぶのは止しておくれ」


 かの『御三家』がひとり、第六十二代シュトラウス伯爵は、そう言って茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。

 

 

 

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