41話 開催! チャリティー・ティー!
上流・中流階級の女主人がすべき美徳とされるもの。
それが『慈善事業』である。
富める者は、貧しい者たちに施すべし。
それは、このエルドナークの伝統的文化のひとつでもあった。
ひとくちに慈善活動といっても、その方法は千差万別。
教会の活動を補助したり寄付したり、救貧院を訪問したり、貧しい家庭や病人の居る労働者階級層を見舞ったり……
それを、さも当然のごとくこなすのが、恵まれたもの達の務め。そう、ある意味では社会義務とも言えた。
そして、懐に余裕があり、人脈を持った中産階級層の上層達が好んで行う、地域密着型慈善活動が――「チャリティー・ティー」なのである。
「うんうん、中々に大盛況! どうやら成功しそうですねぇ」
雑多に賑わう人の群れ。そこから聞こえてくる陽気な笑い声を聞いて、マリーベルは満足そうに息を吐く。
王都の東地区にある通りの一部を貸し切り、軽食やお茶を提供するティー・パーティー。もちろん、物品から何から、用立てたのはゲルンボルク商会だ。従業員の一部も人手として、催し物の開催に駆り出されている。
「まさか、この短い期間でここまでもっていくとは、ね。正直、貴女を甘く見ていたわ。本当に良く頑張ったわね」
マリーベルの隣で、レティシアが感心したように頷いてくれた。
どうやら、先生もこの結果にはご満悦の様だった。それがマリーベルはとても嬉しく感じる。
「レティシアさんのお蔭ですよ。それに、ほら……」
マリーベルがそっと促したその先では、何人かのご婦人方が、優雅な足取りでサーブをして回っている。
このチャリティーは協賛の形を取っている。中流階級層の奥様たちにも資金と名前、人員を借り受け、大々的に行ったのだ。
これでマリーベルと、その夫の名は更に売れる。これだけの縁を手繰る力があると、周知出来るのだ。
「はい、どうぞ坊や。熱いですから気を付けてね。ふふ、急いで飲まないの。まだおかわりもありますからね」
その中の一人。子供達に囲まれて、優しげな微笑みを振りまいているのは、あのリレー夫人だ。
「ニーナ、あぁ……君は、なんて、あぁ……もう、言葉にならないよ……」
どうやら今日は、旦那様も随伴しているらしい。彼が妻を見る視線は熱が籠りに籠っている。
見ているこっちが火傷しそうなほどであった。愛しさという言葉が洪水を起こしている。
「良く仕込んだものね。感心したわ。まさか、あのリレー夫人があそこまで……ねえ?」
「あら、レティシアさんもそれを期待していたのでは?」
「……さあね。人が破滅する姿なんて、見ていて気持ちが良いもんじゃないと、そう思っていたくらいさ」
レティシアの口調が、穏やかな賢夫人のものから、蓮っ葉な姐御肌のそれに変化する。
こういう時、彼女は真実を、本音を語っているのだ。
「あちらの旦那様も、奥様を見直したんでしょうね。見て下さい、あのお顔。なんて愛おしげに妻を見るんだか。甘ったる過ぎて、お砂糖を吐きそうですよ。まぁ、あそこは夫婦の年が離れていますからね。余計に奥さんが可愛くて可愛くて、仕方が無いんでしょうけど」
「あれま、知らないのかい?」
「何がです?」
レティシアが、意地悪気な顔でにんまり笑う。
「アーノルドがアンタを見る目も、あんなんだよ」
「――えっ?」
「うちの旦那からも良く聞かされるんだけどね。最近さ、仕事の合間とかに装飾店とか露店なんかに寄って、奥様用のお土産を見繕っては嬉しそうに笑うんだと。『これ、アイツに似合うかな。喜んでくれるかな』ってさ! その時のアーノルドの顔ったら、もう! ディックが見たことも無い程に優しげで、愛おしげで――」
「わわ、わ……!? え、え……?」
いきなりの不意打ちに、マリーベルは顔から火が出そうになる。
――そういえば最近、前以上にお土産を良く買ってきてくれると、そう思ってはいたけれど……!
「アンタが、可愛くて仕方がないんだろうねぇ。よっぽど大切で大事で、愛おしいんだろうさ」
「え、あ……む、向こうに見回りに行かなきゃ! ほ、ほら! 行きますよレティシアさん!」
「へいへい」
くくく、と。愉快そうに笑う声が、耳に痛い。
(旦那様ったら、もう!)
何に憤っているのか、自分でも良く分からない。
恥ずかしくて、もどかしくて――でも、決して不快な気持ちでは無かった。
胸がとくとくと鐘を鳴らす、妙なる音色を聞きながら、マリーベルは淑やかに足を速めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「わぁい! 女王様のサンドイッチだー!」
「あたしもたべる、あたしも!」
「あまい! おいしい!」
子供たちの嬉しそうな笑い声が、周囲に木霊する。
その手に持っているのは、フィンガーサイズに切られたスポンジ・ケーキ。
チャリティー・ティーに於いて欠かせない一品、『女王陛下のサンドイッチ』だ。
四角い焼き型を使い、バターをふんだんに用いて作られたこのケーキは、かの女王陛下がこよなく愛したとされ、あらゆる階級に人気なお菓子であった。
女王陛下が病に伏しがちになり、国民の元に中々顔を見せなくなった昨今。その姿は見えずとも、彼女の慈愛の心を近く感じたいとして、チャリティー・ティーでは彼女の名を冠したサンドイッチを食するのが習わしとなっていた。
「子供は良いわね……」
いつもの、ほんわかとした口調に戻ったレティシアが、ケーキに群がる子等を見ながらそう呟いた。
マリーベルとしては、小さい狼の群れが牙を剥きだしている光景に見えるので、同意はし難い。
良く子供は天使として称されるが、元来天使とは、剣を持って戦う者であると言う。
下町の子等は、とにかく逞しい。でなければ、生きていけないからだ。
それが分からないレティシアでは無いだろうとマリーベルは思うが、その瞳がどこか、憧憬を含んだもので在ることに気付き、口を噤んでしまう。
――ディックとレティシアの間には、子供が居ない。
あれ程に仲睦まじい夫婦であるのに、子宝に恵まれないていないようなのだ。
マリーベルの養母の例を見ても分かるように、子供は授かりもの。
十一従属神・啓示神の気まぐれな加護により、受胎するとされている。
だから、それは決して珍しいことではない。ないのだが――
(思えば、レティシアさんも不思議な人だよね)
彼女の過去を、マリーベルは聞いていない。
知っているのは、新王国の方の出身であろうということと年齢、それから人となりくらいである。
(只者じゃないのは確かなんだけどねぇ……だって、この人、足音を消して歩く癖があるし)
マリーベルも負けじと足音を消した事で、ティムから恐れ戦かれた事を思い出す。
後ろに居る御婦人方が、揃って足音一つせずに付いて来るのは、下手な怪奇小説より恐怖だと。
自分のそれは、祝福の応用みたいなもの。誰に教わらずとも、自然に身に付けた本能的な動作。
しかし、レティシアの場合は違うだろうと、踏んでいる。
体系化され、学んだ技術。マリーベルの社交と同じだ。
一定の経験と知識の元に修得したものだろう。
「……マリィは」
レティシアが、こちらを見ずに、ぽつりと言った。
「何も、聞かないのね」
近頃、彼女は二人きりの時、マリーベルの事をそう呼ぶようになった。
そう呼ばれるのは何だかくすぐったくて、未だにむず痒く感じるが、親しみを感じられて好ましいとマリーベルは思う。
「聞く必要はありませんから。貴女は頼りになって、愛嬌もたっぷりあって、体型も出るとこ出てるし、私が目指す目標です」
特に胸だ。あの脂肪がもうちょっとこう、欲しい。
火傷の跡が目立ってしまうかもしれないが、旦那様を繋ぎとめる視覚的手段としては大きいだろう。
(男の人って、お胸の大きい女性に惹かれるっていうし)
それは、マリーベルが色街の姐さん達から学んだ知識である。
「レティシアさんは私にとって、尊敬すべきお姉さんみたいな人です。それ以外は知りませんし、どうでも良いと思います」
「貴女って――」
レティシアが苦笑する。
「ほんと、アーノルドに良く似てる。そういうところ、そっくり。似た者夫婦って、あんたらみたいなのを言うんだろうね」
羨ましそうにそう言われ、アンやティムにもそんな風に評されたのを思い出す。
そんなに似ているだろうか。マリーベルは、自分では良く分からない。
それでも、そう評される事は嬉しい。あの人に近付けたような気がする。
そう言ってくれる皆が、レティシアが。マリーベルは大好きだ。
だから、彼女が次に呟いたその一言を、少女はしっかりと耳で受け止めた。
「――私は、子供が産めないの」
なんとなく、予想していた言葉。
だからマリーベルも衝撃は受けない。
ただ黙り、先を促すだけだ。
「ちょっとね、特殊な育ち方をしていてね。そういう器官は閉じちゃったの。邪魔になるからって」
「邪魔にって……」
「恋も愛も知らない、必要ない。淡々と『お仕事』をこなすだけ。そんな時にね、あの人に――ディックに出会ったんだ」
レティシアの頬は薔薇のごとく色づき、その瞳はまるで少女のようにうっとりと、燃えるような情熱を孕んでいた。
「幸せよ、私は。今がとても幸せ。だから、その日々をくれたあの人を――何があっても守りたい」
「……分かります。よく、分かります」
大切な人の夢と祈りを叶えたい。
その人にも、幸せであってほしい。
それは、マリーベルがアーノルドに向ける気持ちと同じであった。
「男はね、すぐに無茶をするから。あの人たちは特にそう。出会った頃から変わんない、やんちゃ坊主みたいな野郎共」
「分かります、すっごく良く分かります」
つい先日も、無茶無謀をやらかしたばかりなのだ。
目を離したら、何をするか分かったもんじゃなかった。
「おっきな子供なのよ、あの二人。時々、こっちが嫉妬するくらいに仲が良くて、何でも分かってるって風に通じ合ってて。向こうは私らを良く心配するけどね、どの口がそう言うんだか。ほんと、こっちの身にもなってみなさいっての!」
「分かり過ぎて辛い……!」
男同士にしか分からない世界とか、そんな雰囲気を自然に出しやがるのだ。
それがマリーベルは羨ましい。羨ましくて仕方が無い。
「だから、頑張りましょ。あの男どもが出来ない事を、私達がしてあげるの。せいぜい愛やお金を貢がせて、良い気持ちにさせてあげましょう。それがきっと、お互いの為になる」
「……そうですね。旦那様は私の、大切で大事な――金づるさん、ですもの」
妻たちは顔を見合わせ、ニッコリと笑う。
ついでに拳を打ち合わせ、そのまま握手を交わす。
「同盟ですね、奥様同盟! 選定者とかいう、あんな胡散臭い連中の『同盟』には負けません!」
「その意気だよ、マリィ。ほら、向こうで貴女を待っている人たちが居る。応えてあげましょう、ゲルンボルク夫人」
「はい!」
マリーベルは淑女の笑顔を讃え、集まってきた人々と握手を交わす。幼い子供や商人、白髪の生えたお婆さんまで、その数は膨大だ。
(……『気配』は感じない。ここに、『選定者』は来ていない――かな?)
だが、油断は出来ない。祝福を使っていないだけかもしれないのだ。
いざという時に備え、手袋も二重に。針も通さない特別製の仕掛けをあつらえている。
(ん? 今――)
鼻先を掠めた、微かな匂い。甘やかでありながら、何処かすえた香りがする。
マリーベルは、そっと周囲を見回した。
通りは、雑多に賑わう人々で溢れている。
レティシアの方を伺うが、彼女も特に気にした様子は無い。
マリーベルは意識を集中するが、駄目だ。
今日は匂いが入り混じり過ぎていて、嗅ぎ分ける事が困難。
それでは、と。『祝福』の気配を感じないか、そちらに念を傾けるが、それも空振りだ。
(やっぱり、何も、感じない……気の、せい?)
だが、少しの違和感も見逃せない。あとで、旦那様達に報告しておくべきだろう。相手は未知の、『祝福持ち』だ。どこに落とし穴があるか、分かったものではない。
彼の足を引っ張るような真似だけは、死んでもしたくはなかった。
(……貴方の夢は、きっと私の夢。頑張りましょう、旦那様)
心の中で夫へとそう告げて、マリーベルは微笑んだ。




