36話 対峙
「……で? 君は何をしに来たのかな?」
ソファに腰掛け、テーブルを挟んだ向かい側。
金髪の青年はアーノルドへ、そう問いかけた。
その表情は落ち着きを取り戻しているように見えるが、何処となく不満げな空気が漂っている。
披露宴での言葉を覆されたのが、そんなに面白くないのだろうか。子供みたいな男だ。
アーノルドはラウルの質問に惚けた振りして、わざとらしく周囲を見回した。
整然と並べられた棚には、書類らしきものがきっちり収められている。壁にはそこそこ値が張るだろう絵画があるが、特筆すべきなのはそれくらいだ。あとは観葉植物が隅にあるくらいで、華美な装飾はそこに無い。
「意外とごちゃごちゃ飾り立ててねぇんだな? 公爵家のお坊ちゃまだったらこう、もっと高級品とかを並べていると思ったぜ」
「下品な真似はしない主義だ。そんじょそこらの成金と一緒にしないでくれたまえ」
揶揄するような眼差しを向けられるが、アーノルドは首を竦めるばかり。
「へいへい。んで、茶とか出ねえの? 一応、俺は客だぜ?」
「君みたいな野蛮な獣の舌には、茶は熱すぎると思ってね。外に出て、水溜まりのそれでも舐めてたらどうだい?」
「生憎、俺の腹は上品なんでね。いやぁ、お貴族様の平民イビリはエゲツねえや。次は、雑巾の絞り汁でも勧めるのかな?」
一瞬の、間。
公爵次男の口元が、凄絶に歪む。
「――君は、面白いことを言うねぇ」
「――いえ、貴方には負けますよ」
にこやかに笑みを交わしつつ、視線で火花を散らす。
これも、いつかの再現。第二ラウンドの火ぶたが切って落とされるかと思った、まさにそのとき。
「鬱陶しい笑い方はおやめ頂けますか。下品極まりないので。聞くに堪えません」
メイドさんの氷点下の眼差しと声をぶっ掛けられ、二人の青年は身を縮こまらせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……アンタの所の使用人、当たりが強くない? 視線だけで射殺されるかと思ったぜ」
「失敬だな、君は。あの眼差しの冷たさが瑠璃の魅力だと言うのに。いやね、確かにあの黒い瞳に見つめられると、胸が抉られるような気持ちを覚えるし、動悸も激しく、気が落ち着かない。やっぱり、これって恋かなぁ。君はどう思う?」
「知るか。医者に行け」
酷い男だなんだと、ラウルはぶつくさ呟く。
その様子に、アーノルドは内心で舌を巻いた。
どうにも、掴み切れない男だ。こうして面と向かっていても、今一つ得体が知れない。
嫌悪では無い。むしろ、その逆。
話に惹きこまれそうになるのだ。警戒心が、この男の前では薄れていく。
(使用人に、あんな態度を許すのもそうだ。計算か? こちらの気を緩めさせるための芝居――)
瑠璃、と呼ばれた少女を見る。
彼女はこちらの視線に気付いたか、スッと頭を下げた。
「……申し訳ありません。茶葉を今、切らしておりまして。主人が節操なしに飲むもので……」
「内情を敵にバラさないでくれ! 仕方ないだろ、良い茶を嗜むのはエルドナーク紳士の嗜みだ!」
「アンタ、もしかして金が無いのか?」
次男とはいえ、公爵家の御曹司だろうに。
まさか、とアーノルドは思い出す。
客を無碍に扱えないと言い切ったメイドの台詞。あれは、もしや――
顔を向けると、ラウルはサッと目を逸らした。アーノルドも良くやる、アレである。
「社交に必要なお金は、閣下が十分に過ぎるほど出してくださるのですが、それ以外となりますと……」
「……そうなんだよ。兄上はね、探偵事務所なんぞ開くなら、運営の資金は自分で出せと。それが嫌なら軍に戻るなり、法廷弁護士を目指せって言うんだ。兄なら、もっと弟を甘やかすべきだと思うのだが、どうか?」
「どうかも何も。アンタ、もっと真面目に生きた方がいいんじゃねぇかなぁ。いや、貴族に言うのも何だけど」
ほんのチラッと見かけただけだが、しかめっ面をした公爵閣下の姿は記憶に新しい。
ご苦労をなされているのだろうと、アーノルドは話したことも無い彼に対し、そんな思いを抱く。
「君まで、兄上みたいなことを言わないでくれたまえ! 貴族って元来、そういうものさ! いや、公爵家は結構特殊だけどね。僕は会った事無いけど、ひいおじい様とかそれはもう、口煩かったらしい」
「いや、知らんが。公爵家のご事情とか聞かされても、はいそうですか、としか言えねぇよ」
嘆くように顔を伏せるラウルの愚痴を、アーノルドは撥ね付ける。
すると、どうだろう。恨めしげに眉を寄せたかと思うと、彼は同意を求めるように手のひらを差し出して来た。
そう――
「……そこの『ご婦人』もそう思わないかい? そこに居る、そのお方さ。彼女――うん、『彼女』なんだろ?」
――アーノルドの、胸元へと向けて。
『ご主人様……』
聞こえてきた囁き声に、胸をさすって応える。
これくらいの腹芸は、承知の上だ。
「凄いな。君――君たちは、奥方以外にも『選定者』を味方に付けたのか」
「さぁ、どうだろうな? ご自分で解き明かしてみてはどうだい、名探偵?」
――そうか『祝福持ち』を、こいつ等は『選定者』と呼ぶのか。
流石は探偵だ。話しているだけで謎が解けてゆく。
アーノルドは、そっと片手をポケットの中に入れ、にこやかに笑った。
「小馬鹿にしているだろう? まぁ、僕の専門は色恋沙汰の方でね。荒事は向いてないんだよ、これが」
「良く言うぜ。あの時、すげぇ勢いで飛び込んで来たの、お前だろ? あんな真似をしておいて、どの口がそう言うんだ」
「あぁ、そうそれ! あの眼鏡の秘書クンと、警部さんは大丈夫だったかい? 怪我でもしたらどうしようかと、ヒヤヒヤしてたんだ! あの力、意外と融通が利かなくてね! 距離が離れるほど、操作が難しくなるんだよ!」
いかにも申し訳なさそうに眉根を寄せ、ラウル・ルスバーグはそう訪ねてくる。
(何だ、こいつ? マジで言ってやがんのか?)
どうにも人物像が掴めない。
今まで相対したどの連中とも違う、道化めいたその人格に、アーノルドの方が戸惑いを覚えてしまう。
(強いて言えば、アンナミラ――今はセリーヌだったか? あの女に通じるものがある、くらいか)
つまるところの狐か狸か。近頃広まっている東洋の童話では、そいつ等は人を化かすと評判だった。
だが、古来より。この国で化けて人を喰うのは、狼と相場が決まっている。
この男も、見えぬ所で牙を隠し持っているやもしれない。決して油断は出来なかった。
「そういえば、肩が痛いって言ってたな。公爵家に治療費を請求してもいいのかい?」
「止してくれ! 兄上に殺される! 多分、次辺りはライフルを持ち出してくると思うんだ!」
「アンタ、いつも何をやらかしているんだ?」
公爵閣下に同情を禁じ得ない。
「まぁ、そういうわけで。そのポケットの中のモノは、取り出さないでくれたまえよ。物騒なのは嫌いなんだ、苦手なんだ。物理で訴えてくるのは野蛮人の証拠だよ、ミスター」
「……そうかい」
ポケットからゆっくりと手を引き抜き、ひらひらと振る。
それを見て、ラウルはいかにもホッとしたように息を吐いた。
――やはり、単なるお坊ちゃまじゃねぇな
こちらの気が抜けた瞬間を狙って、切り込んで来る。
ただの放蕩貴族ではあるまい。曲がりなりにも軍人として、最前線で死線を潜り抜けた男だ。
油断は、決してしてはならない、
「それで? 君は僕の喉笛へ喰いつきに来たのかい? 秘書クンの仇を討とうと言うのかな」
「いいや、最初に言ったろ? 俺は客だって。依頼をしにきたのさ」
アーノルドは、脇に置いた鞄から書類を取り出す。
「依頼ねえ……お金持ちの君から持ち掛けられるのは有難いけど、知ってるかい? この事務所は――」
「ああ、聞いてるよ。恋だか愛だかに纏わる案件、つまりは色恋沙汰専門の探偵なんだろ、お前」
「良くご存知で」
嬉しそうに、ラウルが微笑む。
情愛に絡んだアレコレは、人間が生きる上で避けられないものだ。
ロマンス、といえば格好が付くが、要はドロっとした沼のような人間関係のもつれ。
それは、どの階級であっても変わらない。
『美食伯』を始めとする先人の苦労の結果、飢える者達が少なくなり、全体的に生活の質が向上し始めた。
衣食住が足りれば、後は娯楽を求めるのが人間というものだ。
豊かさは、心に余裕を生み、それらは時として思いもよらぬ事件を招く。
(……それを解決するのがコイツだって言う話だが。さて、その腕と職業倫理はどの程度のものか)
「安心しな、アンタ好みの話だと思うぜ。今から話すこれは、道ならぬ幼き恋をした少年少女の物語だ」
「ほぉ?」
アーノルドが口にした言葉に、ラウルは覿面に反応する。
面白いくらいに眉を跳ねさせ、彼は話を促して来た。
「その男は、かつて庭師見習いとして子爵家に務めていたらしい。だが、ある時。その家の令嬢に強く心を惹かれたそうな。平民の子供と貴族の少女。身分違いの恋――ってやつかな」
「ほう!」
『ほう!』
声が二重に唱和する。何でお前まで喰い付くんだ。
そういえばこの幽霊メイドは、色恋沙汰に目が無かった事を思い出す。
アーノルドはこめかみを押さえながらも、言葉を止めない。
「幼い少年と少女のふれ合いは、欲望とは無縁な、純粋なものであったそうだ。麦畑で待ち合わせ、一緒にはしゃぎまわったり、花で小さな指輪を作って交換したり。 可愛らしいもんだろ? その光景が目に浮かぶようだぜ」
「うん、うん……! いいね、いい。凄く良いな!」
身を乗り出してきたラウルを押しとどめる。
アーノルドも、思わずちょっと引くほどの喰い付きっぷりだった。
『ご主人様、続き! 続きを……お早く! 二人はどうなってしまうんですの!?』
――前言撤回。大分引いた。
(どいつもこいつも。そんなに他人の恋愛沙汰が気になるモノなのか……?)
そんな風に毒吐きつつも、アーノルドは話す口を止めない。というか、今更止められない。
「だが、ある日。云われなき罪が二人を引き裂いた。云われなき冤罪が降りかかったんだ。必死に抗弁するも叶わず、彼女は家族と共に塔へと幽閉された。当然、少年とも離れ離れだ。泣き叫ぶ少女を留めようとするも、それすら叶わず叩きのめされ、少年はひとり地に伏せた――」
「おぉ、何という……!」
『悲劇……!』
お前等、ちょっと気が合い過ぎじゃない?
アーノルドは内心でげんなりしつつも、言葉を紡ぎ続ける。
「少年は今まで貯めた給金を使い、荘園屋敷を離れて、彼女が幽閉された塔へ向かった。何としてでも、彼女に一目遭いたい。叶うなら、その手を取って逃げ出したい。命すら掛ける覚悟を決めて、彼はそこに辿り着き――そして、『それ』を見てしまった」
そこで言葉を切って、ラウルに視線を向ける。
興奮の極みに達したか、彼のその目は爛々と輝いていた。とても演技には見えない。
本気で、この話に夢中になっている。
「な、何をだね……!? 焦らさないでくれたまえよ、君!」
『そうですわ、ご主人様! 何? 何を見てしまいましたの!?』
「……崩れ去った、塔だ。落雷にでも討たれたかのように無惨に崩れ、煙を上げるそれを見て、少年は崩れ落ちたそうだ」
ラウルが、ハッとして目を瞬かせる。
――あぁ、やはり。コイツは、知っているな。
「子爵家一家は全員が死亡。少年は失意の内に故郷を離れた。それから二十五年。心の傷も言えぬまま、彼は燻るように生きてきたそうだ。しかし、ここ最近。奇妙な噂を耳にするようになった。子爵家には、生き残りが居る。死体がひとつ足りない。そして、死んだ筈の令嬢の姿を見た者がいる――と」
ラウルの眼差しが露骨に変化する。
アーノルドはある種の確信を込め、その瞳を真正面から見据えた。
「アンタに頼むのは、この家の調査だ。ウィンダリア子爵家の生き残り――と言われる令嬢について。知れる限りを調べ、教えてくれ」
「……君は、何処まで突きとめているのかな?」
公爵次男の口元から、笑みが消える。
それは、アーノルドの賭けが的中した事を示していた。
(ある種の思い付きだったが、当たりだったか。マリーベルを利用した事は気に喰わんが、あの女に、一応は感謝しておくか)
ラウルから向けられる、探るような視線。
アーノルドは物言うような眼差しをしかし、逸らさずに受け止める。
「さぁな。俺も、前に依頼された事があるだけだ。ここまでは話して良いと、そいつに言われてな。後の事情を聞かせられるかどうかは、アンタ次第だ」
「依頼人の名前は、明かせないのか?」
「守秘義務ってやつだ。便利な言葉だよな」
再び、視線が交差する。今度は、氷のメイドも止めに入らない。
虚空に散った火花は、確実に熱を帯び始める。
「ウィンダリア子爵夫人は」
無言の舌戦を制するように、アーノルドが口火を切った。
「元はアストリアの出身だった、そうだな。革命から逃れ、亡命してきた貴族の末裔。その家系は――」
アーノルドの脳裏に、ひと月前の、あの光景が蘇る。
尋常ならざる膂力を振るって、暴れ回ったモノ。
人の形をしながら、人に非ざるモノ。
「――『人形遣い』に遡る」
ラウルの表情が如実に変化する。
無表情のそれから――歓びの、顔へ。
公爵家次男の口元は緩み、彼は再び笑みを取り戻していた。
「情報源が何処か、は知らないけれど。大したものだね、ミスター・ゲルンボルク。この短い期間で、良くぞそこまで辿り着いたものだ。いや、感心したよ。心からそう思う」
「俺の周りにゃ、お節介が多いのさ」
「何となく分かるよ。君は長生き出来ないように見えるから、ね」
生き急いでいる、と言われるのはいつもの事だ。
それでも、アーノルドはその生き方を止められない。
止める術を、知らない。
だから、『やり手』と揶揄される強面の商人は、続けてこう問うのだ。
「アンタの――アンタ等の目的は何だ? そも、ラウル・ルスバーグ。王家に連なる公爵家、その次男坊であるアンタが、何故『霧の悪魔』なんぞに加担する?」
「別に、『彼』に加担している訳じゃないさ。やっている事は野蛮の極みだしね。止めれるもんなら止めてるよ。ただ、この王都の霧は深く、闇は濃い。それこそ、二百年の昔からそうさ」
(――霧の悪魔は、やはり祝福持ち……いや、『選定者』、か)
確信を深めたアーノルドに対し、ラウルの口調は滑らかだ。何ら躊躇いも無い。
生徒を諭す教師のように、いっそ優雅とも思える口ぶりで、言葉を紡ぐ。
「それを覆すなら、分かるだろ? 相応の代償と覚悟が必要だ。そして、僕にも目的がある。絶対に知りたい事が、ね」
「目的、ねぇ」
「そう、その為に、まぁ……同盟みたいなものを組んでる。互いにちょっとした事を手伝い合ったり、情報を共有したりするんだ。そうだね、要はクラブさ」
「人が何人も犠牲になってるってのにか?」
「……そうだね」
ラウルの表情に陰が落ちる。
それは今までとは違い、あまりにも真に迫っていて、とても演技とは思えない。
「知りたい事があるんだ。絶対に、確信を持ちたい事がある。許されるとは思っていないよ。でもね、貴族ってのは本来、我儘で傲慢なモノなのさ。心に留めて置くといい。その心を動かすのは金や宝石、目に見える物では無い、と」
そう言うと、ラウルは虚空へ視線を彷徨わせる。
縋るような、思いつめたようなそれは、まるで迷子のような目だ。
そう、アーノルドは思う。
「失った者は取り戻せない。時間は戻らない。後悔は消えない。だから、僕は永遠があると知りたい」
「言葉遊びか?」
「そうじゃないさ、性分でね。芝居がかった言い方も大概にしろと、良く怒られたよ」
それは、誰にか。ラウルは主語を明かさない。
「そうかい、まぁ良く分かったよ。勉強させてもらった。それじゃあ、一応聞いておこうか。さっきの問答の、返事だ」
「……そうだね。やれやれ全く、もどかしいことだ。こんなに面白い話を持ってくるなんて、思ってもみなかったよ」
困ったように眉根を顰めるラウルに、アーノルドはようやく、彼のその人となりが垣間見えたように思う。
(コイツは、あの時に言った。真実の愛、永遠の愛がこの世にあるか、知りたい――と)
レティシアが調べたところによると、この男はこと恋愛が絡んだ――それも純粋な愛情の――モノに目が無いという。
そうした依頼を、『名探偵』は見境なく受ける。
依頼人が誰であれ、どんな境遇であれ。
――それが例え、相対しうる敵で、あれ。
ラウルが、苦悶の息を吐く。
しかし、その顔は。何処か愉快そうな、楽しげなものであった。
「君は、アレだ。ズルい男だな」
「ああ、良く言われるよ」
背後で、身じろぎする気配がする。
当て擦りをしたわけではないのだが、そう取られてしまったか。
女性を不快にさせるようでは、紳士失格だな。
心の中で軽く詫び、アーノルドは最高位の貴族、その令息と瞳を合わせる。
既に、彼がどう言葉を返すかは、想像が付く。
だが、敢えてアーノルドはその返答を促すように、丁重な仕草で礼の形を取った。
「――さて、お答えは如何に? ラウル・ルスバーグ閣下」
沈黙が、場を支配する。痛いほどの静寂の中、微かな息遣いが木霊する。
ややあって。ラウルは、重い口を開いた――




