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34話 挑戦! 初めての社交!

 

 旦那様との初デートから、はや数日。マリーベルはついに、『その日』を迎えようとしていた。


 心のふれあいを通じて英気を十二分に養ったお陰か、奥さまは朝から大張り切り。アンの手を借り、入念に身づくろいを整える。

 

 何事も最初が肝心。特に、これから向かう戦場は、ほんの少しの気の緩みが命取りとなるのだ。

 女の装いと気品は、鎧と盾。弁舌は剣であり、槍である。

 マリーベルは決闘に赴く女騎士の如く、心に熱い闘志を燃やしていた。

 

(旦那様の為にも、私のより良い金づる生活の為にも! 負けられない!)

 

 そう、いよいよ本日より、女主人の本懐。

 社交生活がスタートするのであった。


「奥様、とてもお綺麗ですわ。そのお姿は、まさしく貴婦人の鑑。お美しゅうございます」

「ありがとう、アン。貴女のお蔭よ」


 姿見から目を離さず、マリーべルは有能なメイドに礼を言う。

 とはいえ夫人としての装いは、ごくスタンダードなものだ。

 

 体の線にぴたりと沿った細身を強調するようなライディング・ジャケット。襟元には上品なスカーフを飾る。

 そして下半身もまた、お尻の部分をバッスルによって膨らませた、装飾も少ないタイトなスカート。

 いわゆる女性用の乗馬服に近いもの。近年の中産階級の流行服であった。

 

 髪は緩やかに後部で纏め、前つば付きのボンネットをひっ被る。大きな花と鳥の羽を、下品にならない程度にそこへ飾って完成だ。

 

 マリーベルが纏う装いは、高級紳士服店であつらえたものとはいえ、恐ろしくお高い生地を使っている訳でもなく、ドレスに宝石を散らしてることもない。



『中流階級層は、『上』からの風潮に弱くて敏感だわ。近年、質実剛健さが流行り始めたのもそう。貴族的な物に憧れながらも、節度と貞淑さが求められるの』


 

 レティシアの言葉が蘇る。

 華美な服装は好まれない。これみよがしに贅を見せびらかす行為は、この上なく下品だと嫌われるのだ。

 

 養母から受けた花嫁教育の中で、それとなく聞いてはいたが、やはり経験者の言葉は実感が籠っている。

 近年、産業の改革が目覚ましいエルドナークに於いて、衣服発展の恩恵を最も受けたのは、上流階級では無い。その『下の』階級であるという。

 

 ミシンの発明や安価な既製服の販売。古着屋で買い漁らなくとも、そこそこのお値段で良品が手に入る。

 そうして花開いたのが、中流階級層を主軸としたファッション・ブームだ。

 

 そうして常に最先端の流行を求める彼らの、その内に秘められた物は一概ではまとめられない。

 上に対する劣等感と羨望、下に対する優越感と侮蔑。

 それは更に、同階級の中でも上層か下層かで細かく分かれるという。

 

(……なので、私の場合は色々と『配慮』が必要だ、と)


 上流階級出身者としての美的感覚と、中流階級の妻としての節度。

 その両方が同時に求められるのだ。


 正直、面倒くさいの極みであるが、贅沢は言えない。

 というか、贅沢をこれからも享受するためにやるのだ。

 

「じゃあ、アン。旦那様の事はお願いね。何かあったら、すぐに退かせて頂戴」

「お任せ下さい、奥様。ご武運を祈っております」


 時代がかったようなメイドの激励に、マリーベルはそっと頷いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  


 ――さて、本来の場合。

 新婚夫婦のご近所付き合い、地域へのご挨拶というものは『先方から』新郎新婦の新居に訪れるものである。

 そうして返礼として新妻が訪問者の家に赴き、そこから互いの交わりが開始されるのが常識。

 仲介者を経て紹介状を出して貰っても良いし、披露宴などで知己を得て、そこから自宅へさりげなく招待するのも良い。


 『訪れる価値がある』と、そうみなされる事は非常に大事。地域の住民たちに認められ、受け入れられた証でもあるのだ。

 

 しかし、マリーベルの場合は少々常とは勝手が違う。

 花嫁は元がどうあれ、貴族令嬢である。それも男爵家とはいえ、古くからの名門。

 加えて、屋敷に纏わる『噂』だ。郊外の森にぽつんと建てられた幽霊屋敷。もとより、ご近所付き合いも何もあったものじゃなかった。

 

 これでは流石に訪問客は二の足を踏むであろう、と。レティシア先生は仰った。

 そこで、型破りではあるものの、こちらから挨拶に向かう旨の文を送り、了解を受けた上で変則的な社交を開始したのである。

 

 マリーベルが最初の訪問先として選んだのは、、夫の取引先のひとつ。

 平民院でも強い発言力を持ったイーギス・ラクンダ氏のご自宅である。

 時刻は丁度、昼下がり。晴れやかな天気といい、絶交の社交日和であった。

 

(おぉ……これは見事なフロントガーデン!)


 邸宅の前に広がる庭園の美麗さに、マリーベルはため息を零しそうになった。

 良い庭師を雇っているのだろう。雑草はきっちりと刈り揃えられ、季節の花々が風に揺れてたなびいている。

 庭の中央で傘のように広がるツツジの木がまた、素晴らしい。淡いピンクの花弁が控えめに存在を顕わし、見る者の心を和ませてくれる。


「ひゃあ、これ、凄いね……! なんつうか見事の一言だよ」


 小姓として付き添うティムも、目を丸くしている。

 

 邸宅の外見も、庭の風景と調和を合わせたものだろう。

 出窓から覗くカーテンや小物類なども、見栄え良く配置されている。これはもう、流石の一言であった。

 

 庭師令嬢としての血が騒ぐ。自宅もこんな風に繕いたい。参考になる。

 奥様の興味は幅広いのだ。

 

(まずは、玄関で呼び鈴を――っと)


 ベルを鳴らし、待つことしばし。

 現れた使用人に、名前を名乗って目通りを乞う。

 すると彼は恭しく礼をし、マリーベルを中へと招いてくれた。

 その所作の丁寧さと、向かう先がドローイングルームであろう事から、マリーベルはにんまりと確信する。

 どうやら自分は、きちんと扱ってもらえそうだ。

 

 だが、ここで油断してはならない。まだ社交のリングは、ゴングが鳴ってすらいないのだ。

 

 マリーベルは優雅な微笑みを湛えたまま、上品な仕草でスカーフを外す。

 しかし、ここで帽子やストールは取らない。第一のトラップはここに潜んでいるのだ。

 今回はお茶会で来たのではない。あくまでご挨拶。長居をほのめかすような真似はご法度。

 

 マリーベルが部屋に着くと、既にそこには、家主が待ち構えていた。

 薄い紫を基調とした、品の良いドレス姿のご婦人。年の頃は四十かそこいらか。

 彼女が、ラクンダ夫人であろう。

 

 彼女と目線が合い、マリーベルは淑女の礼を取った。


「まぁ、まぁ! 良くぞお越しくださいました! ジョアンナ・ラクンダと申します。さぁ、どうぞ。お座り下さいませ、ゲルンボルク夫人」


 語呂の良さそうなお名前であった。

 マリーベルも自身の改めて挨拶の言葉を述べると握手を交わし、さっと椅子に腰かけた。

 

 それを見た夫人の眼差しは、何処かうっとりとしている。

 

『余程に変なこと――そう、貴女が普段、アーノルドにしているような事ね――をしでかさないかぎり、恐らく殆どの女主人は、そう悪くない態度を取るはず。そこに付け込みなさい』


 流石はレティシア先生。ご慧眼であった。


「ありがとうございます、ラクンダ夫人(ミセス・ラクンダ)。わたくし、年若くして嫁いだために、未だ皆様とのお付き合いも疎く、不慣れでして。初めてのご友人として、長く親しんで頂けたら嬉しいですわ」


 マリーベルの言葉に、夫人の鼻の穴が僅かに広がった。

 その目元は紅潮し、体も僅かに震えているように見える。

 

 マリーベルの言葉の意味を、正しく理解してくれたのだろう。

 

「こ、光栄ですわ……! 私、これでも広く名前が通っていまして。奥様の華やかな晴れ舞台に際しては、お力添えになれるかと存じます」

「まぁ、それは力強い。よろしくお願いいたしますわ」

 

 マリーベルが小首を傾げて微笑むと、夫人の顔がぱぁっと輝く。

 なるほどこれか、と。マリーベルは心中で頷く。

 レティシアの言っていた中流階級――それもその上澄みに位置する彼女らの切望を今、新米奥様は肌身で感じていた。

 

 社会的に成功を収めた者達が、次に望むのが確固たる地位と名誉。すなわち上流階級への仲間入りだ。

 しかして貴族たち――特に伝統派と呼ばれる層は、成り上がりを蔑視し、上へ来るのを拒む。

 それは、披露宴でのアーノルドへの対応を見ても明らかだった。

 

 ゆえに、これはマリーベルにとってもラクンダ夫人にとっても有益なつながりなのだ。

 

(とはいえ、ちょろいなんて思っちゃいけないよね。その綻びは態度に出る。油断はしない)


 所詮、自分は十八の小娘なのだ。社会の荒波を渡り切り、脂が乗った百戦錬磨の女主人たちに比べるべくもない。 ディック曰くの『下駄を履かせてもらった』状態。勘違いして思い上がりをしたら、痛い目を見るのはマリーベル。

 

 ――そして、旦那様なのだ。


 夫人と歓談をしながら、少女はそっと拳を握りしめるのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 和やかに『ご挨拶』が済み、その帰り際のこと。

 マリーベルは出口へと歩を進めながら、玄関ホールへ目を移す。

 そこにはコートや帽子掛け、鏡と一体になったホール・テーブル等が置いてある。

 

 マリーベルは爪先をそちらに向け、しずしずと歩み寄る。

 

 ホールテーブルの上には、細工物の綺麗な箱がちょんと在った。

 その表面には、流麗な文字で『カード受け』を示すプレートが刻まれている。

 

 恐らくこれが『訪問カード』を入れる箱であろう。

 自身の名や爵位を示して書き記したそれは、社交の必須となるもの。

 

 マリーベルは夫のカードを二枚取り出す。

 そうして、ホール・テーブルの隣に鎮座する、()()()()()()()()()()()()()()()()、さりげなく置いた。

 

 背後で、ほうっ、と。感嘆のため息が零れた。

 それが誰のものだか、分からぬ筈も無い。

 わざわざ彼女自身が見送りに来たのも、そういう事だろう。

 

 

(知らなければ箱の中に入れちゃうよね! ったく、誰が考えたんだか、性格の悪い……!)


 これが第二のトラップ。『カード入れの中にカードを入れる』のはマナー違反なのだ。

 

 何を言っているのか、分からない。多分、コレを初めて知った人は皆そう思うだろう。

 マリーベルもそうだった。当たり前である。では何で置かれてるのだ、これ。

 

 付け加えて言うなら、カードを置くテーブルも玄関前のそれに限られる。

 先ほどマリーベルが滞在していた、応接用の客間に置いてくるのは許されない。

 

 こうやって、エチケットやマナーを知らない者達を弾き、時には笑い者にするのだろう。

 あまりにも自然に配置されているそれらの罠に、マリーベルの背筋がゾッとする。

 

『社交は女主人にとっての愉しみであり、油断の出来ない戦いの場。相手が自分が付き合うに相応しいかどうか、常に見定められていると思う事ね』


 成るほど、確かにここは戦場だ。

 レティシア先生の言葉が、はっきりと理解出来た。 


 最後までエチケット通りに挨拶を交わし、マリーベルは邸宅の外に出る。

 途端に、息が零れそうになった。中々に緊張感がある。


「お疲れ様です、奥様――どうにか、初戦は無事に終わったね」

「ですねぇ。肩が凝りましたよ、もう!」


 マリーベルはこっそりと自身の首筋を揉みほぐす。

 こんな面倒くさい事を、これから生涯に渡って続けていかねばならないのだ。

 

 でも、それは承知済。全て了解した上で、マリーベルは受け入れた。

 

 (この努力が、明日の贅沢に繋がるなら、我慢のガマン!)


 マリーベルの欲は果てしない。美味しいご飯をもっともーっと食べたいし、綺麗な宝石を並べて愛でたい。流行のファッションはいち早く取り入れたいし、自慢もしたい。要は俗物なのである。それは胸を張って、えへんと言える。奥様は自分に正直なのだ。


 夫とは既に一蓮托生。落ちても這い上がれば良いとは思うが、それでも落ちぬに越した事は無い。

 それに、個人的にも。夫の夢と祈りは叶えてあげたい。

 マリーベルに幸せをくれたあの人を、幸せにしてあげたい。


 夕日に溶けて、消えてしまいそうだった、あの笑顔を思い出す。

 

 胸の内で疼く微かな痛みから目を逸らし、マリーベルは深呼吸をする。

 さぁ、まだ日は高い。今日の約束は、あと二軒。

 気を抜くには早すぎる。


(――私はこの戦いを、必ず乗り切ってみせる)


 気合十分、闘志も満ちている。


「さぁ、行きますよティム君! 次なる戦場へ!」

「はい、奥様。頑張りましょう!」


 ティムと顔を合わせ、そっと拳を打ち鳴らす。

 そうして主従は意気揚々と、次なる社交の場へと向かうのだった。

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