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3話 初夜を遂行せよ!


 案内された部屋は、意外なほどに小奇麗なものであった。

 部屋の中央には体を洗うための大きめの浴槽があり、なんと既に暖かい湯が張られている。

 その光景に、マリーベルはちょっと驚く。上層中流階級アッパーミドルでしかあり得ないだろう、『浴室』が存在する、というだけでなく。

 わざわざ沸かした水を妻(予定)の為にせっせと浴槽まで運び入れた事が、だ。湯沸かし釜を使ったのだろうが、それでも結構な重労働であろう。

 普通、こんなものは召使いにやらせる。一家の主人がすることではないのに。


 浴室の籠に置かれた石鹸を手に取り、肌に擦り付ける。ふわりと香るハーブの匂いが心地良い。清潔感漂うそれは、最近流行の健康志向の一品か。

 これも当然高級品だろう。お湯に付けなくても泡立ちそうな所が素晴らしい。

 お高い物は大好きである。お金持ちの家に嫁いだのだという実感が沸いてきた!丹念に体を磨き上げながら、マリーベルはここまでの事を思い出す。


 屋敷の門を潜り、屋内に入った時は驚いたものだった。


(調度品は高そうなんだけど、お金持ちのお屋敷とは思えないほど、どこもかしこも薄汚れていたし。ハウスメイドとか入れてないのかなあ)


 移動中、こっそり階段の手すりに指を這わせてみたら、埃がうっすらと拭える始末。

 だから、浴室も酷いものだろうと覚悟はしていたけれど、良い意味で予想は裏切られた。

 自分の体を洗う場所くらい綺麗にしておきたかったのか、はたまた初夜を迎える前に身を清めたい妻を気遣ったのか。

 マリーベルとしては後者の方が嬉しい。

この後のことも、少しは心安らぐと思うからだ。恐らく失望されるのだろうが、多少は優しい夫であってくれればありがたい。


 マリーベルは、自らの薄い胸に指を這わせ、『それ』をそっとなぞる。

 途端、そこにピリッと痛みが走った気がして、何ともいえない思いに駆られる。あれからもう何年も経つ。そんな感覚が残っている筈が無いのに。柄でも無く、緊張しているのか。

 ふうっとため息をつくが、もうこれは仕方がない。あるがままに受け入れて貰うしかなかった。


「お待たせしました、旦那様!」


 バン、とドアを開き、マリーベルは寝室へと足を踏み込む。瞬間、ほのかに香る花の匂いが鼻腔を擽った。

 マリーベルは少なくない驚きに目を見開くが、薄暗がりの中に立ちあがる人影を見て、思わず胸元を手で覆ってしまう。


「喧しい女と思ったが、年相応の恥じらいはあるのか。良くわからん奴だな。ほれ、こっちに来い」


 アーノルドの手招きに応じ、そそくさと中に入る。手と足が一緒に動いてる気がする。緊張なんて自分には無縁だと思っていたが、やはりそうではなかったらしい。

 ベッドの縁まで辿り着くと、マリーベルは自分の夫となる男性と向かい合う。


「やぼったい格好だな。貴族の女は寝る時にそんな服を着るのか? まぁ、男を誘うような夜着を用意されても始末に困るし、良いっちゃ良いんだが……」


 アーノルドの指摘を受け、マリーベルは視線を下ろした。

 今、自分が身に着けているのは厚手のガウンだ。

 実家のクローゼット、そこから発掘した一品である。未使用だから、マリーベルが着るに抵抗は無い。

 男用のそれは、当然少女の痩身には大きい。大きすぎる。羽織った、というより被った、という方が正確であろう。

 服に着られているような状態だ。

 

「男とのアレ、やり方は知ってんだろうな? いいか、変なことをしたら大声出すぞ。分かったな?」

「それ、旦那様の方が言うんです? 閨の作法なら、一応収めておりますので安心してくださいな」


 そもそも、叫び声を上げたところで、誰かが通りがかる筈もない。この二階建てのお屋敷には、マリーベルとアーノルドしか居ないのである。逃げ場などない、覚悟して貰おう。


「お、おう。ならいいんだ、うん。まぁ、若い娘ってのは肌の吸い付き具合が違うからな。出る所が出てないお前みたいなちんちくりんでも、価値はある」

「おおー、好色そうな笑み! いいですね、いいですね! まさに私、下賤な獣に蹂躙される乙女って感じで! いやぁもう、雰囲気出てますよ、旦那様!」

「よし、黙れ。余計なことを喋るな。お前が一つ言葉を囀るたびに、気持ちもアレも萎えちまう。口を閉じたまま、ベッドの上で横になれ」


 言葉で男をそそり立てようとしていたマリーベル。出鼻を挫かれた気分である。

 渋々ベッドの上にあがり、ちょこんと座り込む。アーノルドの瞳が、怪訝そうに揺れるのが見えた。

 

「おい、横になれって言ったろ。座るんじゃない。お前、そんなことも理解でき――って、おい?」

 

 バスローブに自ら手をかけ、そっとまくる。その下にはシュミーズもコルセットも身に着けていない。

 はしたない女と思われただろうか。けれど、これは事に及ぶ前に明かしておかねばならなかった。

 息を呑んで固まるアーノルドを前に、マリーベルは艶やかに微笑んで見せた。


「お前……なんだ? それは火傷、か?」


 ひでぇ、という言葉がひげもじゃの口から洩れ、マリーベルの心がささくれ立つ。

 右の乳房から腰の辺りまで袈裟懸けに広がる醜い傷痕。これが、少女が政略結婚の道具にすらなれなかった証。

 貴族令嬢としては致命的な炎のしるしであった。


「今から、二年くらい前ですかねー。悪戯坊主な弟が、燭台を倒してしまいまして。咄嗟に庇った私の上にブワッと炎が降り注ぎ! 気付いたら、こんなんになっちゃいました」


 てへへ、と頭を掻く。顔を顰めた夫の表情が、マリーベルには微かに歪んで見えた。


「あ、でも今は完治してますから! 痛みも無いですし、動くのに支障はございません。当時は生死の境を彷徨ったものですが、生命力には自信あるんで!」

「……それを見せたくないから、そんなモンを被ってたのか?

「ああ、いえ。これは、旦那様が不快な気分になるかと思いまして。殿方って、そういうのを目に入れたら萎えちゃうんでしょ?」


 色んな伝手から得た情報である。姐さん方に、養母や父もそう言っていた。


「でも、ほら。黙ってるのは不誠実ですし。これから養って頂く旦那様に、あまり隠し事はしたくなかったんで」

「だから自分で見せたってのか? お前、それは――」

「ああ、ああ! すみません、やっぱり汚いですよねえ、これ。見るに堪えませんよねえ。失礼しました!」

 

 パッとローブの結び目を合わせ、それを覆い隠す。


「なので着たままで、っということでお願いできますか? 駄目です?」

「い、いや、駄目っつうか。出来ん事はねえけどよ」

「あ、萎えちゃいました? でも安心です、お任せあれ!」

「おぎゃああああああ!? ななな、何してんだお前!?」


 絹を裂くような悲鳴をあげる旦那様。変なことをしたら云々というのは本気だったらしい。乙女か。


「や、やめろ! おい! ズボンから手を離せ! 引っ張るな、脱がすな! つうか、何だこの馬鹿力!? 体が動かねえ!?」

「いいではないですか、いいではないですか! 減るもんじゃないでしょぉ?」


 息をすうっと止めると、暴れる旦那様を押し倒し、肌着をまくる。

 ひゅう、とマリーベルは口笛を吹いた。中々に引き締まった身体だ。年の割には不摂生をしていないのか。男の肌を間近で見るのは初めてな少女をして、不恰好では無いと断言できた。


「あ、でも。少しお肉が余ってますね。お顔の色も良くないですし、ちゃんとしたお食事とってます?」

「摘まむな、擽るな! ほんと、なんなんだ! なんなんだお前!?」

「安心してくださいね、旦那様。こんな時に備えて手や口を使ったご奉仕のやり方を学んでおります。色街の姐さん達、直伝なんですよー」

 

 ぺろり、と。自身の上唇を舐め上げる。何だか楽しくなってきた。先ほどの緊張はどこへやら。

 ペースを握ったと思えば調子に乗るのがマリーベルだ。

 アーノルドの顔が段々と青ざめていくように見えるが、きっと気のせいだろう。


(――さて、旦那様の旦那様を拝ませてもらおっかな♪)


 好奇心の赴くまま、そっと下ばきに手を掛け――


「あいったぁぁぁぁ!?」


 ごちん、と。頭に拳が振り下ろされた。


「はあ、はあ……っ! 冗談じゃねえ! こんなアホ娘に押し倒されたとか、笑い話にもなんねえぞ!」


 鈍痛に身悶えしているうちに、体を押しのけられてしまう。  

 

「いいか、余計な事をするんじゃねえ! 次やったら追い出すぞ! 寝室に鍵を掛けるからな! わかったか!」

「何で一々、やる事が乙女なんです?」


 しかし、困った。拒否されてしまったらどうにもならない。マリーベルは途方に暮れてしまった。

下町の姐さん達に技術は習ったものの、それを使うのはある程度慣れてからにした方が良いと言われていたのを思い出す。

 すっかり忘れて先走ってしまった。となると、頼れるのは養母が貸してくれた閨の作法の本だけれど……。

 

 書物には、基本的に男性に任せろと書かれてあった。気持ちを高ぶらせる方法は幾つか記されていたが、と夫の顔を見る。

 昂ぶっているには昂ぶっているが、これは欲情というより憤怒であろう。激おこされていらっしゃる。


「やっぱり、これ脱ぎますか? あ、何だったら私、麻の袋とか被りますんで。突っ込む場所だけ切り抜いて、処理してもらえたら……」

「何の儀式だそれは。俺にそんな趣味はねえ! ああ、もう! やめ、やめだ!」

「わぷっ!?」

 

 強引に寝ころばされたかと思うと、シーツがマリーベルの上から降って来る。

 突然の事態に驚きもがいていると、肩を押さえつけられた。


「寝ろ。もういい、初夜は無しだ。口を閉じて黙ってそのまま大人しく目をつむれ」

「え、でも……」

「でも、じゃねえ。口答えするな。この状況からお前を抱くのは至難の業だ。想像しただけで眩暈がする」


 俺の精神衛生に気遣ってくれるなら、大人しく寝てくれ。

 そう言うと、肩から手が離れた。こつこつ、と音を立て、気配が遠ざかっていく。


「旦那様、どこへ……?」

「ソファーで寝る。お前と一緒に寝転がるのは駄目だ、無理だ。正直、ゾッとする」

「ええー、そんなぁ。それじゃあ妻の役目が果たせませんよぅ。美味しいご飯やドレス、贅沢三昧が遠く泡と消えて行く……! 待ってぇ!」

 「別に、ヤることだけが妻の役目じゃねえだろ。お前には他の事をしてもらう。贅沢がしたいならさせてやっから、大人しく寝てくれ……頼む」

 

 え、とマリーベルは耳を疑った。

 そんな夢物語があっていいのだろうか。少女の中でアーノルドへの好感度が急激に上昇してゆく。

 それはもうグングンと鰻登りだ。実母と弟に次いで第三位に躍り出る。ベストスリーだ!


「素敵ですぅ……旦那様ぁ……♪」

「蕩けるような声を出すなよう……今の台詞の何処にときめく要素があるんだ……もうわからない、お前がわからない……」

 

 切なそうな声が聞こえてくるが、マリーベルの耳には入らない。

 少女は感動していた。噂とは違って、素晴らしい旦那様だ。

 外見とすぐ手が出る所以外は、理想的といってもいいんじゃないか。

 マリーベルは両の手を組んで、調和の神に祈りを捧げた。

 

(――決めたわ、閨が駄目なら。明日から『別の方法で』旦那様のお役に立ちましょう!)


 そうと決まれば、すぐに寝よう。朝は早く起きねばならない。やらねばならない事はたくさんありそうだ。

 こんな風にわくわくしてくるなんて、久しぶりかもしれない。

 

 心地良い興奮に包まれながら、マリーベルが目を瞑ると、やがて眠気が頭を霞ませていく。

 そうして、意識を手放そうとした刹那。


「――――悪かったな」


 そんな、ぶっきらぼうな声が。マリーベルの耳に届いた。  

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― 新着の感想 ―
[良い点] 似合いの夫婦ですね!この先が楽しみです! [一言] 麻の袋…実際それでやってた歴史上のエピソード読んだ時、常識は時代と場所で違うのだと実感しました。
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