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22話 死が二人を分かつまで――ですよ!


「――離縁するか、だ。マリーベル」

 

 夫の宣言を聞いて、しかしマリーベルは動じなかった。

 なんとなく、予感はしていたからだ。

 彼の甘さとも言えるお人好しっぷりから見て、少女を遠ざけるだろうことも予測の範囲内。

 

 むしろ強制させず、選ばせる自由を持たせてくれたその誠実さを、マリーベルは好ましいと思った。

 

 だから、奥様はこう言うのだ。

 

「え、嫌です」

「って、おい! 少しは悩めや!!」


 夫の突っ込みが愛おしく感じる。

そうそうこうでなくては、と。マリーベルはにんまり笑う。

 

「あの屋敷を手放せと? 出て行け、とおっしゃいますの? ぜーったい嫌です! 私はもう、『アンソニー二世』から離れません!」

「え、既に名前を付けてんのか……? というか、なんで二世なんだそれ」

「昔、可愛がってた鶏から取りました。彼は私の大切な栄養となってくれましたが、あの屋敷はお腹では無く心を満たしてくれるのです。幽霊とかもう怖くないですし、あの声だってきっと気のせいですし、私から彼を取らないで!」

「擬人化するなや! というか、喰ったのか!? 可愛がってた鶏、喰っちゃったの!?」


 何者も、飢えには勝てぬ。仕方の無いことなのだ。

 弱肉強食はこの世の必然であった。そう言うと、アーノルドの体が恐怖で震え出す。

 まぁ、この夫は多分、自分が飢え死にしようともそういった行為が出来そうにはない。

 

 先ほど選択肢を突きつけてきた際、妙に間が空いたのも、どうせゴチャゴチャ余計な事を考えていたんだろう。

 アーノルドの事だ。自分の都合に巻き込んだ妻がどうたら、くらい悩んでいてもおかしくない。

 本当にしょうがない旦那様だ。そんなに対人関係が甘々でどうするのか。奥様は呆れてしまう。

 

 ――だから、マリーベルが傍に着いていないと、心配なのだ。

 

「お前と話していると、真面目ぶるのが馬鹿らしくなってくるな……」


 脱力しきった顔で、アーノルドが苦笑する。


「それでこそ、私達でしょう。今さら、格好つけても始まりませんよ。ほらほら、上流階級層に食い込みたいんでしょ? だったら私を存分に利用しないと。他に条件の良い令嬢とか居ないですし、居ても邪魔します。浮気死すべし、慈悲はありません」

「ほんと、すげぇなお前は!」


 アーノルドだって、本当は理解していたのだと、マリーベルはそう思う。

 妻となった少女が、『そう答える』だろう事を。

 

 その証拠に、アーノルドの表情から険が取れている。

 肩から力が抜けたように見えて、マリーベルはホッとした。

 

 彼もまた、マリーベルの気持ちを悟ったのだろうか。妻を見るその眼差しは、優しげな光を纏っていた。


「――俺はな、家族を死なせた後、即座に商人を目指して国外に出たんだ。力を付け、再び戻って来ると、そう誓って」

「旦那様……?」


 夫が、ぽつりとそう呟く。


 初めて、かもしれない。彼が自分の事を語ったのは。

 家族を死なせた、という言い方に引っ掛かるものがあるが、そこに触れても良いものだろうか。


「目的があったからだ。俺には何ともしても叶えねばならん『夢』があった。それがどれ程に難しい事だとしても、俺は止まるわけにはいかねえ。例え、何を犠牲にしても――」

 

 迷ううちに、マリーベルは機会を逃してしまったらしい。

 アーノルドは、再びマリーベルに背を向けて、窓の外へと目を移している。

 それきり、言葉を発さない。

 

 ――これ以上は、無理か。

 

 そう判断し、マリーベルもまた引き下がろうとする。

 自分の決意を知ってもらっただけでも、十分だろう。

 

 夫に淑女の礼を向けると、そのままドアへと向かおうとして――

 

 

「――背後に居るのは、貴族だ」




 聞こえてきたその言葉に、マリーベルは弾かれたように振り向く。アーノルドは、こちらに背を向けたままだ。


「ガヅラリー社の件に、一枚噛んでいる奴等が居る。あの強壮薬をこちらで販売するのに、ゴリ押ししてきた奴等が居るようだ。新王国の絡みじゃねぇ、このエルドナークの『上』の連中に、それは潜んでやがる」

「それは、あの『祝福持ち』連中と関係が……?」 


 夫の推測が正しければ、ガヅラリー社とこちらを潰し合わせようと仕向けたのは、あの『人形遣い』達だ。

 では『麻薬』を密売し、売りだそうとした黒幕は誰だ? 『それら』とは別に居る? 


(あ、それとも。麻薬とはそもそも関係なくて、ガヅラリー社とつるんでいた人たちも利益を貪るのが目的で――成分も怪しい薬を売りだそうとした、だけ?) 


 じゃあ、麻薬を密造云々したのは誰だ。誰なのだ。

 

 もう、ちんぷんかんぷんだ! 

 わけがわからないにも程がある!


 マリーベルは混乱しかけてしまった。まだ顔も見えないというのに、登場しつつある人物が多すぎる。

 

「分からねえ。誰がパトロンなのか、そこまでは遡れなかった。だが、各新聞社に圧力を掛けた事といい、警察内部への影響力といい、ほぼ間違いはない。裏も取れちまった」


 あの『記者会見』の直前、ディックと交わした会話を思い出す。あれは、そういう意味だったのか。

 とすると、まさしくアーノルドの言った通り、霧の中の手探りだ。王国を取り巻く悪意が垣間見えた気がして、マリーベルはゾッとする。

 

「だとしても、俺の方針は変わらん。社交場に出て、上流階級層と関わりを持つ。誰が敵で、誰が味方かを見極めなきゃならねぇ」

「旦那様。どうして――どうして、そこまでするんです。危険があると承知のうえで、どうして……?」


 ――上昇気質を持つのは、中流階級層、その中でも『成り上がり』と呼ばれる者達の常ではある。

 莫大な財産を手にし、地位と名誉を得る。それがこの国での最高のステータスだからだ。

 しかし、アーノルドはどうだろう。マリーベルの疑問は尽きない。彼が求める物は、その中に無いような気がするのだ。

 

 家族を死なせたと、やらねばならんと先ほど語ったこと。それに、関係があるのだろうか。

 

「あの時、記者に言った事は真実だ。俺の本当の気持ちだよ、マリーベル。物の価値も分からず知識も無い、広告の内容を頼るしかない連中を喰い物にする奴等が居る。出鱈目な薬効と書き連ね、成分など一つも記載しない、やらない。それは何故か?」


 アーノルドがマリーベルの方を振り向く。その目は、はっきりとした憎悪に彩られていた。激情の炎が、蒼い瞳の中で揺らめいている。それをどうしてか、美しいとマリーベルは思ってしまった。心が丸ごと吸い寄せられてしまいそうで、くらくらする。

 

「法律に定められていないからさ。その隙を突いてやりたい放題だ。それを悪手だと認めながらも、伝統だからと上は動こうともしない。だから、俺がやるのさ」

「……旦那様。それではやはり、貴方のやろうとしていることって――」

「そうだ。俺は法を変える」


 あの宣言を聞いた時から、マリーベルの胸に燻っていた謎に回答がもたらされる。

 少なくない驚きが、体を貫いた。いかに大金持ちとはいえ、それは一介の商人が出来うるものでは無い。


「かつて出された法案から取って、『薬事協定法』とでも名付けようか。薬の販売ルートを絞り、劇薬を一般人が購入できないようにする。成分と副作用を合わせて記載し、それを説明せねば処方も出来ないよう強制させる。ゆくゆくは、国民が一定の保障の元に医療を受けられる枠組みも作りたい」


 淡々と、ただ事実を並べるようにアーノルドは語る。


「理解を示してくれる者達は、市井にも居る。あのベン警部もこちら側だ」

「……信頼、出来るんですか? いかにも胡散臭いですよ、あの悪食警部」


 ベン警部とアーノルドが何時から関係を持ったのかは分からない。けれど、『こういった』事案が起こる事を、旦那様は危惧していたようだ。


 もしもの時。最悪の事態が起こる前に、それを防ぐ。二人の間で密やかな協定がむすばれていた、らしい。 


 そして、それは確かに守られた。

 警察内部で、アーノルドに違法麻薬製造の疑いが掛けられそうになったのを警部は察知。

 『逮捕礼状』が降りる前に略式逮捕でアーノルドの身柄を拘束し、その管理下で保護したのだ。


 鮮やかな手口だとは思う。悪食警部自身も危ない橋を渡ったろうに、そうまでする理由は何か。

 彼に、どんな見返りがあったのだろう。

 あの後、ヤードの上層部の方で汚職がどうのこうの、でゴタゴタがあったようだが、マリーベルは詳しくは知らない。


「あいつの意図は不明な所もあるが、少なくともある程度の腹は割ってくれた。信頼は出来ねえかもだが、信用はする」

「綱渡りですよぅ。あの時の報道陣だって、何人かは協力者だって聞きましたが、それでも上手くいったのは運も大きいでしょうに」


 いかにもなわざとらしい合いの手をくれたのも、そうであったと後から聞かされた。

 新聞社に圧力が掛けられたのを密かにディックを通して伝えてくれたのも、彼らであったらしい。

 

「これは正義じゃねぇ。そんなお綺麗なもんじゃないさ。ある種の復讐だ。俺に協力を約束してくれた連中も、大半がそうだ」


 家族を、大切な人をそれで失った。

 そういう、事なのだろうか。

 

「庶民院の議席を温めている奴等の中にも、それは居る。それなりの年月を掛けて培ったモンだ。土台は出来ている。後は、上院――貴族院に伝手さえ出来れば、骨組みの出来上がりだ」

「そうか――だから、ですね。旦那様が貴族との婚姻を望んだ理由、その一つはそういう事でしたか」


 貴族の当主を引き継げば、自動的に貴族院の議席が一つ譲渡される。ハインツ男爵家の跡取りは幼い。一定の条件を満たせば、『身内』からの後見も認められるのである。

 男爵家にはもう、マリーベルの養母と弟以外、血縁者も親類縁者も存在しない。


 ただ一人、男爵令嬢たる少女の配偶者を除けば。

 

「言ったろ、俺はズルイ大人なのさ。軽蔑してくれて構わんぜ」

「そうやって悪ぶるの、ぜんっぜん似合わないです!」

「ぐ……っ」


 痛い所を突かれたように、アーノルドが顔を歪める。どうやら、気にはしていたらしい。

 

「どうせ、うちの男爵家に後は無かったんですから。滅ぶか利用されるかの違いなら、後者の方がマシってもんです。弟にとっても、きっとそれが一番良いですよ」

「お前は、なんつうか現実主義者だよな……」

「今更なんですか。この世はお金があれば、それで大抵幸せになれます」


 その過程で他者を蹴落とすのは良いが、踏み躙るのは駄目だ。

 道を外れなければ、まぁ何をしても良いだろうとマリーベルは思っている。

 

「だから、貴方がどう言おうと売込みは止めません。私の利用価値を、まだまだ思う存分知ってもらいますからね!」

「……意味が分かっているのか?」

「旦那様は変な所でお人好しなんですから。でも、貴方に言われた通り、私は現実主義者なんです。勝てる確率は上げないといけません」


 黒幕は貴族。そして奴等か、もしくはその関係者にはマリーベルと同様の異能――『祝福』持ちが居る。

 その詳細、自分の知っている限りの全ては彼に伝えた。だから、判断したのだろう。

 これ以上共に進めば、アーノルドは今まで以上にマリーベルを『利用』する事になる、と。

 

 そんな段階は既に過ぎている。もうとっくにマリーベルは納得しているというのに。

 でも、そんな彼だからこそ。マリーベルはこの旦那様を見捨てられやしないのだ。

 

「社交界に出て、敵を探り出すんです。『祝福』が使われたら分かりますから、自動探知用令嬢としてご活用くださいな」

「条件は相手も同じだ。いや、向こうは既にお前の事を知っているんだぞ。身の安全は――」

「旦那様」


 いい加減、話がくどい。マリーベルは、持って回った言い方は大嫌いなのだ。面倒くさいし。

 つかつかと歩み寄り、机の上にバンっと手を置く。びくりと震える旦那様がちょっぴり可愛いと思った。

 

「私が言って欲しい言葉は、それじゃないです。前に契約したじゃないですか。ほら、あれ。まだ有効だと思いますよ?」

「……ったく、どうなってもしらねぇからな!」


 苦虫を噛み潰したような顔をしているが、マリーベルは見逃さない。

 ほんの少しだけ、彼が口元を緩めたのを。その事実が何だかうれしくて、マリーベルは微笑んだ。

 

 思い返せば、契機となったのはあの日だ。

 

 

『――約束してやるよ、マリーベル』


 

 大輪の花束と共に、彼はその言葉を贈ってくれた。

 少女の金づるになる、と誓ってくれたのだ。

 

 そして、その手を取ったのはマリーベル。

 共に歩むとそう宣言した。

 既に、あの日。選択は下されていたのである。

 

 ――死が、二人を分かつまで。

 もはや自分達は運命共同体の『夫婦』なのだ。

 

「ついて来い、マリーベル! 社交界に殴り込みだ。それにはお前の知恵と知識、そして能力が必要だ。その代価は――」

「ええ、勿論。貴方が私の金づるで居てくれる限り、協力は惜しみません」

 

 脳裏にちらつく、痩せ細った母の姿。過去はもう変えられないが、未来に希望は託せる。

 これは、マリーベルにとっても復讐なのだ。もう、アーノルドだけの戦いでは無い。

 何より、彼の言葉が嬉しい。自分を必要だと、そう言ってくれた夫の想いが素直に心に染みた。

 

 スカートを摘まみ、マリーベルはゆっくりと一礼する。

 

「――私の全ては、貴方に預けました。病める時も健やかなる時も、共に参りましょう旦那様」


 挑むは、長きにわたって目を背けられてきた、この国の暗部。霧の中に潜む悪意たち。

 社交界という煌びやかな輝きの、その背後に蠢く昏き影。

 

 二人の想いは、それを打ち払う剣と化すか。はたまた惨めに散って屍を晒すか。

 

 ゲルンボルク夫妻の一世一代の大勝負が、今ここに始まりを告げた。


 

これにて第一章終了!

ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます!


幕間をひとつ挟み、新章『社交界編』がスタートします。

良ければ、ブクマや↓の★からご評価など、応援頂けたら嬉しいです!

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