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20話 その後のお話です

何かの不具合により、昨日投稿した第19話部分が目次に反映されず、非表示になっていたようです。

大変失礼いたしました!


対応しましたので、もしまだ前話(19話)をご覧になっていない方は、そちらからお読みくださいませ!



「ほんと、どこも調子が良いなぁ。掌返しってこういう事を言うんだねぇ」


 良く晴れた、休日の昼下がり。

 自室の椅子(お高い)に腰掛け、マリーベルは呆れたように呟いた。


 テーブルの上に広がっているのは、幾つもの新聞紙。その見出しはどれも、似たような物。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの製薬会社の凋落と、それを告発したアーノルドの記事で埋め尽くされている。



『疑惑の悪徳会社に正義の剣が切り込んだ!? 若き商会長が語る展望とは』


『違法麻薬の製造元!? 富の裏で栄えた悪徳!』


『ガヅラリー社の社長の正体は、二百年前の亡霊!? 暗黒組織に繋がる秘密!』


 真偽がはなはだ怪しいものもあるが、それらは先の記者会見を経て書かれたもの。

 どちらに正義があるか、勝ち馬は誰か。それを見極めて世論に乗ったのだから、彼らも大したものである。

 あれからもう十日ばかりが経つが、未だにその熱は治まろうとしていない。

 

「街でも大騒ぎだよ。知らずにアレを使っていた連中が訴えてやるって息巻いてた。少し前までは便利だ便利だ言って、喜んで買ってたつうのにね」


 黒いお仕着せに身を包んだ少年が、そう言いながらマリーベルのカップに紅茶を注ぐ。

 香ばしい匂いがマリーベルの鼻をくすぐる。中々の腕前である。旦那様ではこうはいかない。

 奥様は満足気に紅茶を口に含み、香りと味を楽しんだ。

 

「まぁ、仕方ないですよ。騙された!ってなるのは無理も無い事です。私も思いましたし。主に旦那様に」


 悪食刑事とアーノルドが密かに協定を結んでいたあの一件。マリーベルは、まだちょっと納得していない。あれだけ心配した自分が馬鹿みたいではないか。


「まぁ、十分にその効果はあったと思うよ。マリーがあんだけ騒いだお蔭で、悪食のオッサンと旦那が裏でつるんでいた!とか誰も思わなかっただろうし」

「外では奥様と呼びなさいね――まぁ、分かってますよ、えぇ分かってますとも」


 心を落ち着かせるように、紅茶をまた口に寄せる。美味しい。

 ティムが屋敷に入ってくれて良かったと、そう思う。自分で淹れるお茶も良いが、他人に給仕してもらうのも、それはそれで『奥様』っぽくて素敵だ。マリーベルはご満悦な気分になる。

 

「良いですね、良いですねぇ……。美味しいお茶を飲むと、心が落ち着きます。ティム君は本当に良い腕前してますよ」

「一応、親父に仕込まれていたからなぁ。 やれ茶の葉の量がどうの、湯の熱さがどうのと一々煩かったけど、役に立ったみたいで良かったよ。何でも経験しとくもんだね」


 それはマリーベルも同意する。

経験に勝る知識なし。実際に手を動かさなきゃ分からない事は山ほどあるのだ。

 

「ま、その親父も賭け事と酒で身を持ち崩して、どっかに消えちゃったんだけどね。呆気ないもんさ」


 やれやれ、とティムがため息を吐く。とんだ因業親父である。

 だが、この国ではそういった例は珍しくない。女王陛下が直々に呼びかける、度々の飲酒節制にも応じる事無く、酒場は盛況であるし、そこに集う人々も枚挙に暇がない。人が一か所に集まれば、賭けが始まるのがエルドナークの常だ。ハインツ男爵家の何代か前の当主も、程度の差こそあれ似たような経緯で身代を切り崩したという。

 

 マリーベルは敢えてその話題には触れず、惚けた振りをしてティムの服装に目を向けた。

 

「そのお仕着せ、良く似合ってますよ。実家のお古でしたが、サイズも丁度よかったみたいですね。仕立てが出来上がるまでは、それで凌いでくださいな」

「これでも十分だけどね。ほんと、オイラ専用の服とか仕立てて貰えるなんて、夢みたいだよ。寝食付きで、しかも給金も工場勤めよりずっと上だし。最初はどうなるものかと思ったけどさ、この幽霊屋敷に雇われて良かったと思う」

「やっぱりその噂、広がってるんですね……」


 マリーベルはげんなりとする。愛着の沸いた屋敷を皆が怖がるのは、少し悲しい。

 

「有名だかんね。まぁ、オイラはあんまり気にしないけど。幽霊よりメシを喰えない方が辛いし、怖い。だから、旦那が『無罪』になってくれたのは嬉しいよ。親方も無事だったみたいだし、全部が良い方に転がってくれてホッとした」

「……まぁ、そうですね」


 波乱の記者会見の翌日、工場長レズナーは無事な姿で発見された。検査結果待ちではあるが、その心身に異常は無いという。

 ただし、彼はこの数週間の記憶を失っていた。誰に、どうやって拉致されたかも覚えていないという。

 彼が『本物』であるということは、『祝福』の気配がしない事で分かる。真実を自動的に暴く、探偵令嬢みたいでマリーベルは誇らしげな気持ちになる。エッヘン、であった。


 しかし、良い事ばかりでは無い。あの場に居たベンの部下のうち、二人は重傷を負って現在も絶対安静であるし、黒幕と繋がっていたらしき警察官は、心身の衰弱が激しく錯乱状態。とてもではないが、それ以上の有用な証言は得られそうになかった。


 密売人がこの様では、アーノルドの裁判は難航するかとも思われたが、中央裁判所での判決結果はなんと、見事に無罪!

 

 エルドナークの現行法では、一度無罪が確定した者は、同罪で訴えられる事は無い。略式だけの簡易裁判とはいえ、記録には残る。ベン警部が裏で手を回したのか、それともザ・ヤードが恥部を広げるのを嫌がったか、はたまた別の理由がそこにあったか。上告はされず、アーノルド・ゲルンボルクの容疑はあっさりと晴れた。清い身の上になったのである。

 

 陪審員が定まってから法廷が開催されて審議が決するまで、異様なまでの速さ。

 詳しい事は聞かなかったが、旦那様が色々裏で手を回したようだ。そういう人間としての黒さは素晴らしいと、マリーベルは思う。


 清いだけでは世の中を渡っていけないのだ。法に反しなければ、それなりに邪悪であってくれて構わない。

 意気揚々とそう言ったら、アーノルドは何とも言い難い顔で黙り込んでしまった。お腹でも痛かったのだろうか。

 

「ガヅラリー社も、新王国の方の『本社』を旦那が買い上げちまったんだろ? 何をどうしたか分からないけど、すげぇよな。やり手ってのは嘘じゃなかったんだねぇ」


 ティムが感心したように口笛を吹く。

 

 そう、アーノルドが度々と電報を打っていたのはこれだったのだ。

 こちらに注目を惹きつけておいて、向こうの本陣を攻め落とす。追いつめられる振りをして、その陰で密かに交渉を進め、麻薬摘発の言が出たあたりで、急落した株を買い占める。そうして、ガヅラリー社やその傘下の工場を、丸々手中に収めてしまったのだ。

 

「これで、少なくとも『魔薬』の製造・流通元は潰せました。今後は商会の管理下で、医療用の例の麻酔薬を量産するそうですよ。国内で出回った分はまだ数も少ないそうですし、そっちの方は悪食警部に頑張ってもらおうって言ってました」

「抜け目ないよな。一挙両得ってモンじゃないぜ。こっちとしちゃ、頼りになる雇用主で有難いけどね」


 人には色んな顔が、側面がある。

 山賊顔の癖に時々情けなく、子供みたいに愛へ理想を抱くあの人も、例外では無い。

 他に、彼はどんな顔を持っているのだろう。出来る事ならば、それを余すことなく見てみたいと、マリーベルは思う。

 


 そして、叶う事なら。誰にも見せないその部分を引き出して、自分が独り占めできれば――



(……って、何を考えてるんだろ。私、ちょっと変だな) 


 妙な方向に考えが行ってしまいそうになる。自重せねばと思い直し、マリーベルは紅茶を飲みほした。

 

「さ、そろそろ行きましょうか。少し早いけど、旦那様の支度が出来たか、見てきてください」

「ん、わかった! ちょっと待ってて!」


 足早に立ち去っていく少年の背を見送りながら、マリーベルはこっそりと息を吐いた。

 どうも、いけない。ここのところ、調子がおかしいのだ。

 気が付けばアーノルドの背中を目で追っているし、彼が傍に居ないと、何となく落ち着かない。


(疲れてるのかな……ここのところ忙しかったし)


 アーノルドの裁判と並行して、王都内のゲルンボルク商会の工場や取引先に、視察や挨拶と称してマリーベルも夫に同行した。もちろん、レズナー工場長のように『為り変わられてる』者が居ないか、探るためだ。

 ディックの愛車を走らせ、西に東に大奔走。何というか、目まぐるしい日々であった。


 今の所、他に怪しい者は居ない。だが、油断は出来ない。

 今後も定期的に視察は続けなければならないだろう。ディックがその辺の対策も練っているらしいので、効果を期待したい所ではある。


「よぉ、待たせたな」


 欠伸をしながら入って来たのは、アーノルドだ。大分眠そうである。

 無理も無い。マリーベル以上に忙しい身だ。体に支障が出ないか心配であった。


「大丈夫ですか? 顔色が良くないですよ? あ、襟が曲がってます。また、ジャケット着たまま寝たでしょう。まだ寒いんだから、せめて毛布はちゃんと羽織って――」

「お前は俺のお母さんか」


 妻である。


「お前、世話焼き具合に拍車が掛かったよなぁ。そんだけ苦労を掛けてるって事だが」

「そう思うなら、こんな問題はチャチャっと片付けて、何処か旅行でも行きましょうよぅ。療養は必要ですし、私、海水浴とか行きたいです! もう候補地もリストアップしていてですね……!」

「ん、あぁ……」


 いつものようにそう捲し立てるが、どうも旦那様の歯切れが悪い。

 ここの所、彼の様子も少しおかしい。マリーベルを見ながら、難しい顔をする事が増えた。


「なぁ、マリーベル。お前は――」

「はい?」

「――いや、何でもねぇ。ティムの奴の用意も出来たみたいだし、行くか」


 頭を掻きながら、アーノルドは妻に背を向ける。

 何だか、その背中が少し寂しそうに見えて、マリーベルはたまらない気持ちになってしまう。


「――あぁ、いいですわね。もどかしげに、じれったく進む二人の関係……! ようやく、ここまで来ましたか! たまりませんわ、興奮しますわ、大好物ですわ!」

「いや、そんな感慨深げに言われても。私はただ、旦那様のお体が心配で――」


 ――あれ? マリーベルは首を傾げた。

 視線の先では、アーノルドが目をぱちくりさせながら、肩ごしにこちらを見ている。


「旦那様、いつからご令嬢のお言葉遣いをするようになったのです?」

「いや、何がだ。お前こそ、誰と会話してたんだよ。大丈夫か? 熱でもあるんじゃねえだろうな」


 アーノルドが眉を寄せ、心配げに近寄って来る。

 そしてそのまま、マリーベルの額に大きな手のひらを載せた。


「ひぇっ!!」

「いてぇ!?」


 ――しまった。思わず弾いちゃった。

 手をひらひらさせている旦那様を、マリーベルは呆然と見つめる。


「あ、あの。旦那様――」

「わーってる、わーってるって。つい触っちまった。悪い癖だよな、気を付けるさ」

「旦那様なら、別にいくら触っても……」

「――は?」


 信じられないモノを見るかのような目で、アーノルドがマリーベルを凝視する。

 信じられなかったのは、少女も同じだ。咄嗟に口元を抑えて、首をぷるぷると振った。

 

 なんてことを口走ってしまったのだ。

 マリーベルは愕然とする。顔が熱くてたまらない。

 そんな妻の様子を見て、アーノルドはますます不審げに目を光らせた。


「お前、疲れているな? 疲れてるだろ? 事務所に行くのは取りやめだ。とにかく休め!」

「い、いえ! ぜんっぜん大丈夫ですから! ほら、行きましょ! 時間は有限、立ち止まってたらお金が無くなりますよぅ!」

「押すなって! お前、最近ディックの奴に言うこと似てきたな……?」


 失敬な。一緒にしないで頂きたい。ほんの少しの憤慨を胸に、マリーベルはぐいぐいと旦那様を押し出していく。


「――あれ?」

「何だ、今度はどうした?」

「いえ……気のせいですね。うん、気のせいです!」


 やはり疲れているのだろう。

 今度、うんと買い物でもして、それから美味しいものでも食べて、気を紛らわせなくては。


 そう、疲れているせいだ。絶対にそう。そうに決まっている。

 嫌な感じは、まるでしない。『祝福』使いが何かを仕掛けてきた、というわけではないのだ。

 だから、これは錯覚。そうだとしか、思えない!


 マリーベルは冷や汗を流しながら、旦那様の背から腕へと手を回し、先陣を切って歩き出す。


 ――耳元で聞こえた、艶やかな笑い声を振り切るように、して。


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