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2話 それなりに波乱の人生でした


 マリーベル・ハインツの出自はちょっぴり複雑である。

 というのも、彼女の父こそ下級とはいえ貴族なのに対し、生母は平民であった。

 

 母は、元々はハインツ男爵家で働く下女であったが、その可憐な顔立ちを見初められ、男爵のお手付きとなったのだ。

 良くある話だ。取り立てて珍しいことでもない。ゆえに子を孕んでしまった後の処分もまた、ありふれたもので。

 身重の体だというのに着の身着のまま、僅かな金を握らされて放り出された。

 そんな女の行く末は愉快な物では無い。娼婦になれるなら恩の字、下手をすればやや子を抱えたまま儚くなる事だってあり得る。

 しかし、マリーベルの母はその愛らしい容姿とは真逆に逞しい女傑であった。


 貴族に弄ばれた哀れな娘として涙ながらに切々と語り、人々の同情を集めた。あれよあれよという間に住む家を確保すると、貴族屋敷で得た知識と経験を手に、縫い物や書き物の職を得て暮らしと出産の費用を賄う。

 真面目で健気に働くその人柄を見て、近所の人々も何かと手助けしてくれたお蔭か、マリーベルはそれなりに幸せな子供時代を過ごせた。

 

 ――――けれど、それも少女が七つを数えるその時まで。


 そう、流行病に掛かった母が倒れてしまったのだ。

 マリーベルも一生懸命看病したが、その甲斐もなく母は見る間にやつれ果て、やがて天へと召されてしまった。

 茫然とするマリーベルの前に、父を名乗る人物が現れたのは、母を埋葬し終えてから三日後のことだった。

 その男性こそが、ハインツ男爵。余命を悟った母は、幼い娘の未来を憂い、密かに便りを出していたのだ。

 

 何が書かれていたかは、マリーベルには判らない。

 ただ、苦虫を潰したような顔をする男爵を見て、母が苦渋の決断をくだしたのだと理解出来た。

 

 その後、マリーベルは男爵に引き取られる形で育った街を後にした。正妻との間に子が恵まれなかったというのも、その理由だという。

 

 こうして男爵家の一員となったマリーベル。マナーやら何やら、淑女としての教育を一から叩きこまれたのはこの頃からだ。

 今までとは全く違う暮らしに四苦八苦しながらも、少女は生まれ持った根性一つで喰らい付いていった。

 

『――覚えておきなさい、マリー。嘆いてばかりじゃ幸せは訪れないの。王子さまを待ち望んでいるままでは、駄目。今はそういう時代なのよ』


 ――――欲しいものがあるのなら掴み取れ、己の手で。

 母からの教育はマリーベルの心の支えであった。


 しかし、その生活もまた数年もしないうちに逆転する。

 男爵とその妻の間に、待望の子が誕生したのだ。しかも男子。嫡男である、後継ぎである!

 マリーベルの立場に変化が訪れるのも、ある意味当然であった。


 その後に起きたある『事故』により、政略結婚の道具にすらなれなくなった少女は、父の独断による采配で下女も同然の扱いに落とされた。

 洗濯掃除に料理まで、しごきにしごかれこき使われた。

 舞踏会や正餐会、果てはお茶会などに顔を出す事さえ許されず、会うたびに嫌味と共に雑事を押し付けられる。

 そんな毎日を送ってきたのだ。

 

 まあ父はともかく、養母との口喧嘩は張合いがあったし、弟は何だかんだ言っても可愛い。なので、義理の家族に虐め抜かれた悲劇の令嬢、と言うほどでもない。マリーベルは自身の境遇をそんな風に思っていた。

 

 けれど、このままでは一生、誰にも嫁ぐことすら出来ず自立も叶わず飼い殺しにされる。

 だからこそ、今回の話は渡りに船。例え相手が十四歳も離れた年齢差の、山賊大邪神だとしても、構わない。

 未来を掴むチャンスがあるなら見逃すな。そう、心に誓って――



「――というわけなのです。妻として精一杯尽くさせて頂きますので、ひとつバーンと贅沢させてくださいな!」


 それなりに高そうなソファーに腰掛けたまま、マリーベルは両手を広げて微笑んだ。

 お尻から伝わるその弾力と柔らかさが堪らない。

 

 何とか屋敷の中に入れて貰えて良かったと安堵する。

 あのまま門の前で押し問答するのは不毛もいい所だと思っていたのだ。それに、この屋敷は見てくれこそ小さいが中は中々どうして、お高そうなものがあちらこちらに置かれていた。マリーベルは目聡いのである。既に頭の中で数字を弾き出し済みだ。


 ご満悦なお気持ちで、少女はカップを手に紅茶を啜り――顔をしかめた。

 味からして茶葉は良質なものなのだろうが、淹れ方はてんでなっちゃいない。恐らく湯の量か、茶葉の分量が決定的に間違っている。これでは茶の香りも何もかもが台無しだった。雑の一言である。マリーベルは残念なお気持ちになる。

 稼いでいるくせに、使用人の一人も居ないのか。紅茶に思い入れが無いとは、それでもエルドナーク紳士かと問い詰めたい。

 

 まぁ、それでも乾いた喉を潤すには十分。マリーベルは出された物は何でも食べ尽くし、飲み干す娘だ。貴族は食事を残すのがステータスとかなんとか、知ったこっちゃないのである。勿体ない幽霊ゴーストが出ると、幼き頃に母からも脅されていた。

 

 何より、とマリーベルは頬が緩むのが止められない。

 この精緻な細工の施されたカップが良い。見るからに高そうだ、高級そうだ。お金持ちが飲む物だ!

 男爵家の、伝統という名ばかりのひび割れ入ったそれとは大違い!

 ニコニコしながらカップをためつすがめつ眺めていると、対面から奇妙な呻き声が聞こえてきた。


 ――ああ、そういえば。身の上話をしていたのだったか。高級品に目と心を奪われて忘れていた!

 マリーベルが誤魔化すように微笑むと、アーノルド・ゲルンボルクは盛大にため息を吐いた。  


「少しは言い繕おうとか思わねえの……? いや、変に隠し事されるよかぁずっといいけどさ」


 何故か頭に手を当て顔を顰めるアーノルド。やはり病持ちか……?と、マリーベルは心配そうに顔を覗き込む。

 確かにお金は欲しいし遺産は大歓迎。玄関先では、あぁ言って喜びはした。けれどやはり、徐々にやつれていく姿を傍で見守るのは辛い。愉快な気持ちになれない。


「いや、なんで百面相をしてんだ、お前。にやついたかと思えば泣きそうになりやがって……わけわかんねえよ、ったく」


 そうぼやきながら、アーノルドはボサボサ頭をガシガシ掻き毟る。いけない、顔に出ていたか。

 こほん、と咳払いで場を誤魔化し、マリーベルは努めてすまし顔を作りだす。


「結婚相手に隠し事はなるべくしたくないのです。どうせあの養母のことですから、私の釣書にも在る事無い事を書いてるだろうと察しが付きますし。なので、下手に勘ぐられるより先に、私の口から嘘偽り無い事実を申し上げよう、と」

 

 マリーベルは一息に言い放つとカップを置き、居住まいを正す。


「血こそ蒼くあれど、育ちが下品な平民ではその、お眼鏡に叶いませんか……?」

「いや、んなことはねえ。そういうクソッタレな話は珍しいもんじゃねえしな。大事なのはお前がどこで育ったか、じゃあない。今のお前がどこの家の娘で、どんな利用価値があるか、だ。貴族令嬢としての教育は修めていると言ったな? 社交とかも平気か?」

「はい、一応デビュタントにもなりました! 女王陛下への挨拶も済ませてますよ! さっきも述べた通り、あまり社交場には顔を出せませんでしたが、その辺りはみっちりと学んで居ますからご安心を!」


 ならばいい。そう、不敵に嗤う山賊顔。口許を三日月状に吊り上げるその様は、正に悪徳商人といった貫録さえ感じる。

 変に善人面をしているより、余程良いとマリーベルは思う。

 娘らしい恋にときめいたり等はこの先もあり得ないだろうが、人生のパートナーとなるなら、こんな風にしぶとそうで生き汚く見える男が良い。


 遺産は残念だが、長生きだってしてくれそうだ。人間、生きてさえいればどうにかなるものである。


「では、政略結婚のお相手として受け入れて下さるのですね? 贅沢とかさせてくれるんですね? 綺麗なドレスが私は欲しいです! 流行のやつ! スカートの後ろがふわりと持ち上がるあれ、あれ! 頂戴!」

「近い近い近い、落ち着け! 顔を寄せ過ぎだ! メイド同然の暮らしをしていたか知らんが、もうお前は結婚したんだ。俺の妻になるんだ。少しは貴婦人としての嗜みちゅうもんを持て!」


 アーノルドがマリーベルの顔を押しのける。苦渋に歪んでいた彼の顔が、ふと何かを思い付いたように、にんまりと笑みを浮かべた。


「あぁ、そうだ。そうだった。金が欲しいんなら、()()()でも俺を満足させてみせるんだな。情も寄せられねえ女に貢ぐ気はねえぞ? 貧相な体だが、顔立ちは悪くないようだし、娼館に通う代金分くらいには奉仕を――」

「わっかりましたぁ!! どんとこいです! お任せあれ!」

「いいのかよ!?」


 何故か泡を喰って慌てるアーノルド。自分の体をもっと大切にしろ、考え直すなら今の内だぞ、とかのたまってくる。

 自分で言い出しておいて再確認を求めるなんて、案外律儀なのだろうか。

 まあいい、とマリーベルは両腕を組む。そうと決まれば下準備だ。養母から強奪してきたアレやコレやらが役に立つ。

 不安がちょっぴり湧き上がってくるが、何とかなるだろう。女性には不自由していないだろうし。多少の不慣れは愛嬌になると、下町の姐さん達が言っていたのを思い出す。


「まだ説明しなきゃいけない事もありましたし、直接お見せできるなら丁度いいです。ほらその、日も陰って来たみたいですし――」

 

 きゃーっ、と頬に手を当て恥じらう。マリーベルだって年頃の女の子だ。一応は令嬢だ。例え相手が山賊でも緊張は隠せない。複雑な乙女心がそこに存在するのである。

 目をぱちくりさせる旦那様に恐る恐ると目を合わせ、気恥ずかしさを誤魔化すよう景気付けにドン、と胸を叩く。


「――子作り、いたしましょうか!」


 

R-18展開はございません(重要)

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