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166話 愛の形は色々あるものです



「抱く気もない、愛しているかも分からない女を、ただ傍に居て欲しいから妻にする? 何それ、ふざけてるんです?」


寝室に響く、低い声。

 冷ややかな言葉を刃と化して、マリーベルは夫の感傷を一刀両断にする。

 乙女嗜好の旦那様の事だ。クリフ・シュトラウスの過去は、さぞかし心に触れるものがあったろう。

 とはいえ、マリーベルの趣味はそこに無い。いつも通り、思った通りの感想を真っ向からぶつけるだけである。

 

「いや、ほれ。人にもさ、それぞれの事情ってモンがな?」


 そんな物は知らない。女の五年をたった一晩、飲み食うだけに費やさせて、貴族の道楽に振り回した。

 しかもローラは一年ごとに装いを正して来たのに。彼はただ、流され続けて時間を無暗に消費させた。


 それでも御三家の跡取りか! 

 そこに座れと言いたい、叫びたい!

 

「笑顔を向けて欲しいだけなら、人形でも作って傍に置いたらいかがです?」

「その顔止めろ、夢に出そうだ! 頼むから引っ込めてくれ! つうかさ、あるだろ、ほら! そういう純愛! あってもいいだろ!? 良くねえ!?」

「少なくとも、私はイヤです。まるで憧れませんし、ときめきません」


 本心のままを伝えると、旦那様はガックリと肩を落とす。

 まあ、あくまでこちらの感想である。実際、そのローラという女性が何を考えて伯爵子息と接していたのか。神ならぬマリーベルに分かる筈も無かった。だからまあ、これは単なる八つ当たりのようなものである。

 

「手を結ぶにしても、大丈夫なんですか? 気持ちは分からなくもないですが、それでもシュトラウス伯爵家を継ぐ立場にあるというのに」


 言っている内に、また怒りが再燃焼してきそうだ。

 マリーベルは、溜まった鬱憤をため息とともに、はあぁっと吐き出す。


「恋人の死一つで、あぁも前後不覚に陥るような方を仲間に引き入れて。そも、それだって演技という可能性も捨てきれませんよ。実際は、『同盟』と繋がっているのやも――」

「まあ、あり得る話だな。嘘は吐いていないとは思うが、お前の懸念も頷ける。まあ、それならそれで良いさ」


 一転して飄々と、アーノルドは両掌を上に向ける。

 

「どちらにせよ、爺様の後を継ぐのはクリフ・シュトラウスだ。俺達が今後、長く付き合う相手になるのもな。だったら、多少の不安は飲み込むべきだ。今はとにかく、少しでも繋がりが欲しい。あの男爵野郎に結びつく、手掛かりが」

「無理しないでくださいね。幾らこの屋敷内は安全とは言っても、至近距離でいきなりこう、グサッと刺されたら」


 マリーベルは身を乗り出し、指先を揃えてピタリと、夫の首筋に当てこんだ。

 

「アンだって、間に合うか分かりませんから」

「……お前、ひょっとして聞いたのか?」

「ええ、全部。ご武運をとは言いましたが、まさかそんな事態にまで発展するとはねえ?」

「やめ、やめろ! 爪を立てるな! 怖ぇって言ったろその笑顔――って、ひいっ!?」


 愛おしそうに旦那様の頸動脈を撫で上げると、マリーベルは耳をがぶりと齧ってやった。

 舌に広がる汗の味が、何とも言えずにしょっぱい。

 

「これで許してあげます。元々、あの方を屋敷に連れ込んだのは私ですし」

「そ、そうか。うん、寛大な嫁さんを貰えて、俺は幸せ者だとそう思う」


 それは褒め言葉なのか、どうなのか。

 旦那様の、冷や汗交じりのお顔をたっぷりと眺め、マリーベルは微笑む。途端、ひゅうっという、息を呑んだ声が聞こえたように思うが、多分気のせいであろう。

 

「そ、そうか。それでお前、あの坊ちゃんへの感想が手厳しかったんか。傷一つ付いて無いんだから、別に良いと思うんだが……」

「――何か、言いました?」

「い、いや! 確かに駄目だな、うん! 酒に酔っても人に刃物を突き付けるのは、紳士としてどうかと思う!」


 そうそう、その通り。マリーベルは自分の誠意が通じた事を嬉しく思った。


「しかし、アレですねえ。これでほぼ、確定ですか。まさかとは思いましたが。『同盟』側は――」

「あぁ、『祝福』を他者に植え付ける事が出来る。『選定者』を量産可能ってわけだ」


 テディからの報告で聞いてはいたが、改めて知らされると、憂鬱になりそうな事実だ。

 これでは、向こうに何人の異能者が居るか、分かったものではなかった。

 

「もしかしたら条件があるのかもしれねえが、ガヅラリーの元社長からもその辺は聞き出せなかったそうだ。ただ、不特定多数に与えられるんなら、もっと手駒を動かしていてもおかしくはねえ。人数はさほど多くは無い――と、信じたい所だな」

「ローラさんも、もしかしたらそうだったのかもしれませんね。彼女、元は商家だったのでしょう?」

「……あぁ」


 アーノルドが露骨に口を濁す。彼の過去に、ローラ・ハミルカルが関わっている事は、明らかであった。

 しかし、あえてそこには触れず、マリーベルは話を差し替える。

 

 それは、そこだけは。容易には立ち入ってはいけない領域――愛する夫に刻まれた、癒えぬ傷だと、そう思うから。

 

「こっちも、色々と聞き出せましたよ。リット君がルイン卿を見付けたのは、川辺だったようですね。仕事の帰り道、ふと橋の下を見たら、呆けた顔で短剣をまじまじと見つめている卿が居たとか何とか」


 あまりにも危うい様子だったらしく、リットは彼を引っ張って救貧院まで連れてきたそうだ。

 もしかしたら、何か察する物があったのかもしれないが、それをさっぴいても、流石はティムの弟分だけの事はある。とても優しい良い子だ。

 

「やっぱり、この屋敷に連れ込んだのは正解だったな。少しは目が覚めたらしいが、あのまま放っておいて、もしもの事があったらと思うと、ゾッとする」

「あの方は、まだ夢の中に居たのですね。恋する人と過ごした、あの一夜の中に」

「かもな。よっぽど掛け替えの無い、大切な時間だったんだろうさ。シュトラウスの直系らしいっちゃ、そうだな。きっと、ルイン閣下は見付けてしまったんだろうよ。自分にとっての、最高の美食を。容易に手に入らないからこそ、余計に欲望が増した」


 マリーベルの腰を抱き、自身に寄り掛からせるようにして隣に座らせると、アーノルドは妻の頬を愛おしげに撫でた。

 

「だから、それを失い、満たされなくなった。人生の糧が無くなったようなもんだ――っと、変な顔をするなよ。大袈裟な話じゃねえさ。それだけ入れ込む事もあるってこった。青臭い純情だと笑う事も出来るが……」


 それじゃあ、あまりにも夢が無さすぎる。

 アーノルドはそう言って、微かに笑った。

 

「つまりは、それだって愛だということさ。例え裏も嘘もあっても、当人にとっては救いだったって事もある」

「……そんなもの、なんでしょうか」

「あぁ。俺だってな、お前が居なくなっちまったら。その死を看取る事さえ、出来なかったら……」


 巻き付いた腕が、背に回る。

 息が止まるほどに強く、強く抱きしめられ――そうして、耳元に息吹が掛かる。

 

「……どうなっちまうか、分からねえ」


 心臓が、跳ねた。

 カアッと体温が上がり、胸が煩く騒めき出すのが分かる。


「だ、んなさまは……」

「うん?」

「やっぱり、ズルい、ですよぅ……」


 切な気にそう呟くと、夫の首筋に頬を擦りつける。

 熱い。体も吐息も、何もかもが火照って止まらない。

 まるで、全身が燃え上がるかのような感覚。それが少しだけ怖くて、マリーベルは目を閉じた。

 圧倒的に押し寄せる多幸感。悩みも何もかも忘れて、夫の温もりの中に、この熱を溶け合わせてしまいたくなる。

 

 クリフ・シュトラウスは、こうした想いさえも、欲しくは無かったのだろうか。

 それとも、心の中に押し込めて、表に出さなかっただけなのか。

 しかし、今となってはどうにもならない。彼は、それを確かめる機会を、永遠に失ってしまったのだ。

 もしかしたら、クリフが知りたいと願った事には、その事も含まれているのだろうか。

 

 同情するなどおこがましい。それは持てる者の傲慢な感情だ。

 けれど、それでも。悲恋と閉じた恋人達の最後に、少しでも救いがあれば良いと、マリーベルはそう思う。

 

 だったら、自分達ばかり、こうしているわけにもいかない。とっても名残惜しくはあるが、駄目である。

 マリーベルはえいっと気合一つ、必死の思いで体を離す。

 顔を真っ赤にする妻の姿が余程に可笑しかったのかどうなのか。アーノルドは苦笑をしながら、遠ざかろうとするマリーベルの頬に、そっとキスをしてくれた。

 

「それで? ティムの弟分から、肝心な事は聞けたのか?」

「え、えぇ。色々と渋っていた様子でしたが、ルリさんが取り成してくれたお蔭もあって、ぽつぽつと話してくれましたよ」


 そう、ここからがマリーベルにとっては本題だ。

 薄々と、感じていた一つの推測。あの迷探偵が仄めかすように喋った内容と合わせて考えると、その可能性があるかもしれないと、思い至ったのだ。……出来れば、そうあって欲しくは無かったが。

 

「ヤードへ封筒を送りつけ、東区へ絵図の立札を用いた張本人。それは、恐らく――」


 躊躇いがちに、マリーベルが犯人の名を告げようとした、その時だった。

 控えめに、ドアをノックする音が響く。

 

「ご主人様、奥様。瑠璃様がお帰りのご挨拶をされたいとの事で」

「なに?」


 アンの声に、アーノルドとマリーベルが顔を見合わせる。

 もう、日が落ちて大分経つ。夜の闇は深く、ゆえに今晩訪れた三人に対して屋敷への宿泊を勧めたのだが。

 ともあれ、客人を待たせるわけにはいかない。入室するように促すと、使用人服を着た瑠璃が、静々とした足取りで中へと踏み入り、マリーベル等に対して恭しく礼をする。

 

「お世話になりました。私はこちらで、失礼させて頂こうかと存じます」

「今からあの事務所に帰るつもりか? 幾らなんでも、危ねぇぞ」

「そうですよ。リット君も寂しがりますし、今日は泊まっていかれては……」

「いえ」


 瑠璃は微かに首を振り、そうして目線を夫妻のその奥、月光が差し込む窓辺へと向ける。

 

「――そろそろ、お迎えが来る頃ですので」


 その言葉にハッとして、アーノルドがアンの方を見る。


「ええ。近付いていらっしゃいますね。もう、すぐそこまで」


 その言葉に、遅蒔きながらマリーベルも気付く。こちらへと迫り来る、覚えのあるその()()を。

 窓へと近づいたアンが、カーテンを開いて窓を解放する。

 白い指先がその向こうへと差し伸べられ、皆の視線を促すように微かに揺れた。

 

「ラウル・ルスバーグ様のご到着です」


 ――瞬間、虚空に風が渦巻いた。

 カーテンをはためかせながら、一筋の影が、矢の如く飛び込んで来た。

 

「……相変わらず、派手な登場をしやがって。ノックもせずに窓から来やがるとは、何様だお前」

「お貴族様さ!」


 旦那様のこめかみが、露骨にひくつくのが見える。

 相性が良いのか悪いのか。彼相手では、今一つ皮肉も冴えないようだ。

 

 室内に広がった風はしかし、調度品や埃を舞わせはしない。

 何もかもが揺らぎもせず、自然とそこに在るのみだ。

 アンの力か、ラウルの権能か。それは分からないが、ともあれお掃除はしなくて済みそうであった。

 

「今日は、あんなせまっ苦しい所に押し込められてたんで、体が固くなっちゃってね! ほら、こんなに肩こりも酷いし! 瑠璃に後で解してもらおうかなあ」


 満面の笑みを湛えながら、ラウルは自身の肩へ手を置いた。


「俺がやってやろうか? 代金はサービスしとくぜ」

「はっはっは! それもまた一興かな! 友人に体を揉まれるのも悪くないね!」

「じゃあ、私でも良いです? こう、思いっきり息を吸って――」 

「治った! すっかり完治! いやあ、ここの空気が良いのかねえ?」 


 マリーベルが大きく口を開けると、途端にラウルが瑠璃の後ろに回り込む。

 何とも情けない構図であった。恥を知れと言いたい。

 

「ラウル様、おふざけはそのくらいで。品位が疑われます」


 そう言うが早いか、瑠璃が主人の首根っこをひっつかみ、そのまま雑に床へと投げ出す。

 恋い慕う相手に対するものとは思えない扱い。それとも、これも一種の愛なのだろうか。

 

「ったく、そのお嬢さんを連れ帰りに来たんだろ? こっちは何もしちゃいねえから、さっさと消えろ」

「冷たいねえ」

「一日に、二度もお前と会いたくないんだよ。無駄に体力を消費しちまうし。それとも、何だ?」


 アーノルドの目が、すうっと細められた。

 

「手土産でも、持って来たのか?」


 部屋の空気が、一段と冷え込むような感覚。

 二人の間に見えぬ火花が散り、そうしてその問い掛けに答えるように、ラウルが片手を上げる。

 

「そうだね。彼女をもてなしてくれたお礼に、一つ教えておこうか」

「へえ、何だ?」

「君から頼まれていた事だけど、調べが付いたよ。ローラ・ハミルカル嬢の、もう一人の同居人についてだ」


 ラウルの口から飛び出したその発言に、アーノルドの眉が、微かに動く。


「薬師の心得があったという、行方をくらませていた娼婦仲間。彼女と思わしき女性が、大教主の傍仕えとして潜り込んでいるようだ」

「……随分と仕事が早いな」


 旦那様の眼差しに、疑惑の色が強まる。

 素知らぬ顔でラウルは受け流すが、その意味が分からぬマリーベルでは無い。

 恐らく、彼は知っていたのだ。その事を、アーノルドに尋ねられる以前から。

 

「後の事は、追々知らせるよ。例の、招待会の事も含めてね」

「そうかい。ま、よろしく頼むとアンタの飼い主にも言っときな」


 アーノルドが顎をしゃくると、ラウルは肩を竦め、そうして瑠璃を抱きかかえた。

 後には言葉もなく、来た時同様に迷探偵は風の如く姿を消す。

 ゆらゆらと揺れるカーテンだけが、その痕跡を残しているように見えた。

 

「ったく、脅しのつもりか何なのか。相変わらず、勿体付けた野郎だぜ」

「旦那様、あの方の『飼い主』って――」

「あぁ、それな。前から疑問には思っていたのさ。公爵家の次男坊ともあろうものが、くだらない陰謀に足を突っ込み、更には例の大評定でも罪人の侯爵へ手を貸した。それを王家から咎められもせず、家から放逐もされないのは、どういうわけか、とな」


 それは、マリーベルも疑問に思っていた事だった。

 彼の兄である公爵は、誠実が形となって現れたような人間だ。弟の凶行に、対処をしない筈がないのに。

 

「あの公爵様も、家門を背負う立場だ。腹芸の一つもするって事さ。表面を取り繕うのは、お貴族様の得意技だろう?」

「あぁ……」


 それについては、反論がしにくい。

 上流階級の社交とは、得てしてそういうものだからだ。

 だとすると、ラウル・ルスバーグの役割とは――

 

「……何だか、とっても面倒くさくて、聞きたくもない事が増えた気がします」

「だろ? 俺だってそうさ」


 本当だろうか。旦那様はこういう薄暗いアレコレを、むしろ好みそうな気がする。

 ジトッとした目を向けると、彼はいつものようにサッと目を逸らした。

 

「それより、例の立札の件だ。犯人が誰だか、予想が付いたんだろ?」

「ああ、はい。それは……」


 そっちに話が戻ったか。こちらも、出来れば告げたくも無い事実である。

 マリーベルは、大きなため息を吐きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「姐さんです」

「なに?」

「あの騒動を引き起こしたのは、ローラさんの同居人――サラ姐さんですよ」

すみません、今月から来月の半ばにかけて色々と忙しく、書き貯めの時間そのものがとれなさそうでして。

来月、2月の第3週辺りまで、不定期更新となります……!

大体、週一更新となるかと思いますので、ご了承くださいませ。

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