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163話 旦那様の悪だくみ

更新が予定よりも遅くなって申し訳ございません!

明けまして、おめでとうございます!

本年もよろしくお願いいたします!


「――なるほど。そりゃまあ、ややこしい案件に突き当たったもんだと思うが」


 そう言って、アーノルドは頬を微かに引き攣らせた。

 まあ、無理も無いとマリーベルはそう思う。自分が同じ立場だったら、夫と似たような表情を浮かべていた事だろう。

 微かに視線を巡らせると、お屋敷アンソニーの門の前、装いも異なる六人の男女がずらっと顔を並べる様が目に映る。

 それは一種、異様な光景であった。


(まさか、ちょうど帰宅が一緒になるとはねえ。顔合わせが一度に済んで楽っちゃ楽だけど)


 マリーベルはそうでも、アーノルドはどうだろうか。神経をすり減らすような『商談』を終え、ようやく自宅へ帰ってみれば、バッタリ居合わせたこの面々。そりゃ驚く。誰だって驚く。あぁ、お労しや、旦那様。

 

 そもそも、その難事を持ち込んだのは誰か、という事実から全力で目を背け、若奥様は夫の不運を嘆いた。

 

「まぁ、いい。あぁ、いつもの事だ。もういい加減慣れたし、そもそも型破りな真似をするのは、お互い様だしな」


 流石は旦那様。御心が広くていらっしゃる。マリーベルは改めて、夫への愛を深く、深く実感する。

 それはもう、そろそろ天を突き抜け、底を踏み破る感じである。

 乙女心を新しく買い替える必要があるんじゃないかと、危ぶむほどだ。

 

 そんな妻の好感度上昇を知ってか知らずか、アーノルドはため息を吐く。


「んで? 閣下はともかく、その後ろに居るオマケ達は何なんだ?」


 胡乱げな目を向けられ、『オマケ』の片割れである、マリーベルの背後に居る少年――リットが、怯えたように身を縮こまらせた。


「旦那様、旦那様。大変に言いにくいのですが、貴方のお顔と目付きは暗い所ではなお一層に怖いので。幻想小説の怪人もかくや、闇の中で殺人鬼に出くわしたようなものですわ。子供の心に心的外傷を植え付けかねません。なので、少しばかりお控えくださると助かります」

「お前の言い回しの方がよっぽど怖いわ! 心に傷が付くの、むしろ俺じゃねえの!?」


 最近、口調がディックに似て来ただなんだと、ぶつくさと口をひん曲げる旦那様。

 他人の評価はともかく、マリーベルにとっては大変に好ましく、お可愛らしい姿である。

 

「リット君は、私のお話相手です。あの場では、ちょっと都合が悪そうだったので、連れてきちゃいました」

「人さらいみたいな言い方するなっつうの。まぁいい。それより、そっちのお嬢さんは――」


 アーノルドの眉間の皺が、きゅっと寄った。これもまた、無理もない事だ。

 

「何で、アンタがここに居るんだ?」

「夕暮れ時を連れ歩くのに、この面々では少々、噂になるかと愚考いたしまして」


 その問い掛けに応えたのは、使用人服に身を包んだ女性――瑠璃だ。

 怯えるリットとは違い、山賊顔の威嚇にも一切合財顔色変えず、しれっと言ってのける。

 

「確かにその意見は一理ある、と思いまして。ほら、ルイン卿はあの場所では悪目立ちするでしょう? そうした場合、女性使用人が傍仕え的に寄り添ってくれた方が、世間様にも申し開きがしやすいかと」

「そりゃそうだがな。対外的には、ほれ。この娘は公爵家のメイドだろうに」

「お言葉を挟むようですが、そちらは就業時間外です。今日の私は、探偵事務所の秘書――みたいなものですので」


 表情を一つも変えず、瑠璃は淡々と事実だけを述べる。

 それを見たアーノルドの眉間の皺が、更に深く深く刻まれてゆく。

 

「……あぁ、そうか。確かアンタ、東方の出身だったな。単なる善意では無く、()()を売り付けにきたっつうわけか」

「私は事務所において、経理も担当しておりますゆえ」

「ったく、あの野郎には勿体ないな。ウチに欲しいくらいだぜ」


 謎めいた言葉を応酬させ、アーノルドはひょいっと肩を竦めた。

 

「とにかく、ここで突っ立ってんのも何だ。ティム、アン。中にご案内してくれ」

「はい、かしこまりました。どうぞ皆様、こちらへ」


 いつもの下町口調を僅かにも出さず、ティムが客人達へと丁寧に応対する。

 それに呼応するように、門の向こうから幽霊メイド・アンが現れ、見事な連携で一行を屋敷の中へと先導してゆく。

 ゲルンボルク邸の使用人達に従い、三人は歩き出そうとして――その内の一人が、ピタリと足を止めた。

 

「すまない、ミスター。その、面倒を掛けて――」

「いえ、お気になさらず。こちらのまあ、お節介のようなものですから」


 ルイン卿――クリフ・シュトラウスが申し訳なさそうに目を伏せる。

 その躊躇いがちの謝罪を、アーノルドはやんわりと否定し、微笑んだ。

 

 ――やはり、こちらに連れて来て正解だった。マリーベルは密やかに安堵する。

 クリフの表情は、シュトラウス邸で会った時とは正反対。昏い影が、色濃く落ち込んでいるように思えた。


 そうして伯爵家嫡子達を見送り、遠ざかるその背を見つめていると、不意にアーノルドが口を開く。

 

「とりあえず、互いの情報交換だな。客人への接待はその後だ」

「ええ、私も商談が上手く行ったかどうか、気になりましたので」


 顔を見合せ、ニヤリと微笑み合う。

 その様は、貴人の恋人達の逢瀬というよりは、共犯者同士の企てごとに近い。

 だが、この方が自分達には似合っていると、マリーベルはそう思うのだ。

 

 自然に差し出された夫の腕に、自身のそれを絡め、マリーベル達はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「フラフラと東区を歩いていた所を、ティムの弟分に保護された、か。従者も連れず、不用心な事だとは思うが……どうなんだ、実際」


 寝室にある、簡素な椅子。使い込まれたゆえか、座る度にギシリと響く年代物の家具は、夫愛用の一品だ。

 それに背をもたれかからせ、アーノルドがぼやく。


「救貧院に現れた時からそうでしたが――少し離れた所から、こちらへ向けられた視線。それが、幾つもありました。まぁ、そういう事ですね」


 ついでに言えば、突き刺すような敵意や殺気の類は感じられなかった。

 クリフが承知かどうかは分からないが、彼とてそこまで鈍くは無いだろう。

 娼婦を恋人にした遊び人のように見えても、彼もまた御三家の一角。その嫡男なのだ。

 少し会話をしただけでも分かる。確かな知性と理性が、クリフ・シュトラウスにはあるように思えた。

 

「どうにも良く分からんな。爺様はこれを知ってんのか、遊ばせてるのか……」

「勝手をしちゃってごめんなさい。でも、あの……どうにも危うくて」

「あぁ、分かってる。お前の判断は恐らく正しい。幾ら護衛が付いていても、どうにもならん時はある」


 こめかみをトントンと叩きながら、アーノルドが唸る。


「ようやく歯車が噛みあって来たような、そんな感覚がするな。大勝負を前に、懸念は減らしておくべきか」

「ということは、つまり!?」

「あぁ、こっちは上手く行った。大体は予定通りだ。それに合わせて、準備も進めていかにゃならん」


 そこまでを喋ると、アーノルドは一旦、妻から目線を外して天を仰ぐ。

 そのまま、しばし沈黙が続き――やがて、アーノルドは億劫そうに立ち上がった。

 

「まぁ、こういう時は定番の方法だな。マリーベル、悪いが酒の準備を頼む」

「はい、それではワインセラーから、今晩の夕食に合わせた逸品を――」

「いいや、そうじゃねえ。俺の寝酒用のアレだ。この間、買い足したろ?」

「はぁ!?」


 マリーベルは、はしたなくも目を剥いて、仰天する。

 何を言いだすのか、この旦那様は!?

 

「まさかとは思いますけど! ポ、ポーターをお貴族様に出そうっていうんですか!?」

「あぁ、それも銘柄はビフィットが良いな。ほれ、七番通りで仕入れた奴だ。荷物運び労働者(ポーター)が古くから愛好した、アレが良い」


 開いた口が塞がらない、とはこの事だ。

 七番通りのビフィットといえば、手っ取り早く酔える事だけが取り得の麦酒エールである。

 さしものマリーベルも、この型破りには驚愕を禁じ得ない。


「んな、驚く事もねえだろ。あの御方も音に聞こえた美食伯の直系だ。親戚筋のフェイルを見てみろ、アイツなら上中下の区別なく、あらゆる食い物・飲み物を喜んで口にするだろうぜ」

「い、いやいやいや! それでも相手は伯爵家のご長男ですよ!? 歓待するにあたってのマナーと言うものが――」

「お前ってさ、型破りの奇人娘のように見えて、そういう所は真面目だよなあ」


 しみじみとそう言われ、マリーベルは頬を膨らませた。

 

「当たり前です! 下手な事をすれば、旦那様の立場が!」

「心配すんな。今日のあの、子爵閣下の装いを見たろ?」


 アーノルドの顔に浮かぶのは、意地悪気な笑み。

 まるで、悪戯好きな子供のようなそれを見て、マリーベルはガクリと肩を落とす。

 こうなった旦那様は止めようがないのだ。

 

「立派なお屋敷の中、お貴族様の仕立てを着て、貴公子然とするなら話は別だが、違うだろ? あの服装は、労働者階級のものだ。それを纏って平民の門を潜った以上、こっちの流儀に従ってもらおうぜ」

「旦那様ぁ……」

「貴族ってのは、親相手でも身なりや言動に気を配るもんなんだろ? それじゃ、本音が引き出せねえ。昔っからな、腹の内までぶちまけて話す時は、安酒の力を借りるものさ。都合の良いことに、今のあの方はこっちの階級へ降りてくださっている」


 それを、利用しない手は無い。鼻歌でも諳んじそうな調子で、アーノルドが歯を剥き出す。


「お前は、あのお嬢ちゃん達の相手を頼む。こっちは俺の領分だ」


 そう言って、うきうきと目を輝かせる旦那様。

 そんな彼を前にしては、もう文句は言えない。

 マリーベルも妻として、開き直るしかないのだ。

 

「――ご武運を、旦那様」


 日中に彼を送り出した時に告げたのと、同じ言葉。

 しかし、その想いはまるで逆。ふて腐れたような物言いに、アーノルドが苦笑する。

 

「お前を心から信頼している。だから俺はこんな事だって出来るのさ」


 やっぱり、旦那様はズルい人である。

 唇を塞ぐ、温もりの心地良さ。その悦楽に身を任せるようにして、マリーベルはそっと目を閉じるのだった。

 

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