162話 予期せぬ再会です!?
「ねえ、やっぱり引き返さない?」
声を潜め、ティムがそんな事を言いだす。
少年従僕の目は忙しなくチラチラと右へ左へ忙しい。
その表情も、如何にもな渋面顔。おっかなびっくりと、しきりに辺りを見回しているようだ。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。貴方が住んでいたお家に行くだけじゃありませんか。ほら、前は良く私もこの辺で子供たち相手に遊んでいましたし」
「あの時と今とじゃ、状況が違うよ。今、この辺りがどんだけピリついてるか。いきなり難癖を付けられてもおかしくないんだぜ」
ぶつくさと文句を言いながらも、少年従僕はマリーベルの傍を決して離れようとしない。
少し、背が伸びたろうか。顔つきも逞しくなったように思える。アーノルドからも色々と鍛錬やらなにやら、手ほどきを受けている事も関係あるのだろうか。本当にこの年頃の男の子は、成長が早い。
そう。あの子も、もう何年か経てば、きっとティムのように――
『――姉様!』
何処からか聞こえて来た幻聴。それを振り払うように顔を揺らし、マリーベルはにんまりと微笑んだ。
「まあ、いざという時は頑張ってください。か弱き女主人をしかりと守る、男の子の意地の見せ所ですよ!」
「石を素手で握り潰せるくせに、良く言うよ。ま、給料分くらいは働くけどね」
ひょいっと肩を竦める従僕へ、マリーベルは暖かい眼差しを向ける。ひとつひとつの仕草が旦那様に似て来たような気がして、何だかおかしかった。
これが社交の場や、もっと人目に付く場所であれば、お説教の一つもする所であるが、まぁいいだろう。
ティムは賢い子だ。時と場合に応じて、ちゃんと口調や態度を改めることの出来る少年なのだ。
恐らくはマリーベルの気持ちを推し量り、わざと軽口を叩いて見せているのだろう。
(ほんと、私ってば恵まれているよねえ)
周りの人々は皆優しく、心強い者ばかり。
それに何より、自分にはその筆頭である旦那様が居る。ちょっとばっかり厄介な事が続いたくらいが、何なのだ。落ち込んだり、悩んだりしている場合では無い。
「でも、何で急に救貧院なんか行こうと思ったの?」
「旦那様じゃないですけど、私も少し確かめたい事がありまして」
「ふぅん? あんなボロ施設に何かあるとは思えないけどね」
そう言いながらも、ティムの足取りは軽い。
久しぶりに、仲間達と会えることを楽しみにしているのだろう。
こういう所は、まだまだ子供らしくて微笑ましいと、マリーベルはそう思う。
「多分、今頃は旦那様、向こうでとっても悪いお顔で『商談』を進めている筈ですし。こっちもこっちで、色々と手札を揃えるための、下準備を行えたらなあ、と」
人々は恐ろしいモノのように言うが、マリーベルは旦那様のあの表情が大好きである。
元が山賊顔だけに、迫力もあって逞しく、素敵に格好良いのだ。
いつか、そういつかは閨の場で。あのお顔でゆっくりと迫り、耳元で愛の言葉とか囁いてくれたら最高である!
「うぇへへへ……♪」
「マリー、淑女! 淑女の顔! 気を緩まさないでよ、もう!?」
「おっと、これは失礼」
そろそろ、こちらを見る目も増えて来た。貴婦人形態に移行する必要があるだろう。
マリーベルはハンカチで口元を隠し、思い切り猫を被って、しゃなりしゃなりと歩き出す。
「女って、こっわ……!」
恐ろしい物を見たかのように、ティムが戦慄した眼差しを向けて来る。
妙な所で純粋な男の子だ。女性のお相手は得意そうだが、だからこそ変な女に引っ掛からないでもらいたい。
その急先鋒である自覚など無く、マリーベルは内心でやれやれと首を振る。
「っと、見えて来たね。この時間ならもう、皆は帰って来てるかな」
「成るほど。リット君にも会えますか」
「アイツは、もうちょい西よりの紡績場で働いてるからね。多分、もう少し時間はかかると思うよ。寄り道はすんな、って言い付けてあるから、そんなに遅くはならないんじゃないかな」
なるほど、なるほど。それならよし。
社交をそこそこに切り上げて来た甲斐があるというものである。
ふと鼻を利かせれば、様々な香りが入り混じり、饐えたような匂いがあちらこちらから漂ってくる。
それを何処か懐かしく感じながら、マリーべルは顔を上げた。
建物の向こうに見える太陽は、やや傾きを見せている。直に日が暮れてしまうだろう。
長居は出来そうにない。上手く、話が聞きだせればよいのだけれど。
そんな事を思いながら、古びた石造りの門を潜り抜けようとした、その時だった。
「一つ駆ければ空を舞い、二つ仰げばお日さま光り……」
マリーベルの耳に届いたのは、透き通るような、美しい声。
冬の静謐を感じさせるような、凛とした響きだ。聞き惚れる、というのはこういう事か。
思わず足を止め、マリーベルはそちらへ視線を向ける。
「三つ見通し、さあおいで。四つこいこい、こちらへ、おなり――」
それは、不思議な歌だった。言葉の意味も良く分からないのに、何故かすうっと胸に染み渡るようで。
マリーベルが、半ば呆然と立ち尽くすその先で。『彼女』は両手を上下に繰りながら、小さな布袋を宙へと放り投げていた。
黒髪黒目、そして黒を基調とした午後用の使用人衣装。その女性に、マリーベルは見覚えがあった。
(そうだ、ラウル・ルスバーグに付き従っていた――)
「ルリ姉ちゃん! もっかい、もういっかいやって!」
「ねえ、もっと増やせる? そのオテダマ、増やせる?」
どうやら、一段落したのだろう。
女性――瑠璃が両手の平に小袋を収めると、周りに居た子供たちが、わあっと歓声を上げ、楽しそうに跳ね飛んだ。
「あの人、そうだ。たまに救貧院にやって来ては、ああやって年少連中を遊ばせてくれてた……」
「え?」
ティムのその呟きに気が付いたのか。
スカートの裾を掴んでねだる、小さな女の子の頭を撫でると、瑠璃がこちらを振り向く。
腰を落として目を伏せ、何かを待つような、その仕草。
それが何を意味するか、分からないマリーベルでは無かった。
「こんにちは、瑠璃さん――で、よろしかったかしら?」
「はい、レディ・ゲルンボルク」
ただ一言、そう告げると。瑠璃は恭しく礼の姿勢を取る。
見ただけで分かる、立ち振る舞いの洗練さと、わきまえた態度。
東方の女性は顔立ちが幼げで、年齢が良く分かりにくいが、恐らくマリーベルとそう変わらないはず。だというのに、動作の一つ一つに年季が感じられる。
何処か、冷たささえ感じられる黒い瞳。
そこには確かな知性の輝きがあり、培った教養の深さがひしひしと伝わってくる。
「ねえ、おねえちゃん! もっかい! もっかいー!」
「こら、リリル。あんまり困らせるんじゃない。もうすぐ、メシの時間だろ。手伝ってきな」
「ええー! ティム兄ぃ、おうぼうー! じんけんの、しんがいだー!」
「何処で覚えてくるんだか、そんな言葉。そら、いったいった!」
口を膨らませて猛抗議する子供たちを追い払い、ティムがやれやれと首を振った。
如何にも年上のお兄さん、という感じが微笑ましい。
口元に笑みを湛えると、マリーべルは瑠璃の方へと歩み寄る。
「それ、『お手玉』ですよね。確か、東方の遊具だとか」
「はい、良くご存知で」
「見せて貰った事があるんです。知人のお母君が、龍の国の出身らしく……」
作り方も、一応聞いた事がある。小さな布袋の中に、豆や果実の芯などを入れて作る、らしい。
これを手の平から放り投げ、見事に受け止めて見せる遊びだと、ディックが言っていた。
「これは、母の形見なのです。他のものは全部無くなってしまったけれど、これだけは残っていて」
抑揚のない声でそう言うと、瑠璃は小袋を宙に放った。
朱い、不可思議な紋様が刻まれたそれは、赤みがかった空へクルリと回り、ゆっくりと落ちて来る。
なんてことは無い、単純な動き。けれども、どうしてか。細い指先が招くように揺れるのを見ていると、いつまでも眺めていたいような、そんな不思議な気持ちが沸いて来る。
「先ほどの歌も、お母様から継がれたのですか?」
「はい。私が寒くてひもじい思いをする度に、慰めようとしたのでしょう。こうしてこれを放り投げ、良く歌ってくれたものです」
瑠璃の口元が、僅かに緩む。
たったそれだけで、まるで寝ぼけ花が咲いたような、そんな軽い感動をマリーベルは覚えてしまう。
「――ラウル様も」
「え?」
「私を見て、そんな風に驚いてくださいました」
淡々としているからこそ、逆に伝わるものがある。
無表情のその横顔に、彼女が秘めた深い想いが、垣間見えた気がした。
「貴女は、ラウル・ルスバーグ卿を……」
「はい、お慕い申し上げております」
きっぱりと、躊躇いも無く。彼女は力強く断言する。
「使用人の分際で、とお思いになるやもしれませんが、この想いを違える気はございません」
小袋を握りしめ、瑠璃が空を仰いだ。
「あの御方が望むなら、いつまでもお傍に居ります。もしも必要で無くなったなら、その時は消えるだけ。それだけの事でございます」
「貴女は、それで良いのですか……?」
「はい、私の全てはあの方の為に在る。それが私の生き方であり、愛し方。それを受け入れて下さっておりますから、幸せでございますよ」
でも――と、そう叫んでしまいそうな心を、マリーベルは無理矢理に押さえつけた。
そう。だったら、何故。どうして。
(貴女は、そんなにも悲しそうな顔をしているの?)
これ以上は、他人が容易く踏み入れる領域では無い。
でも、だからこそ。マリーベルは無性に腹が立った。
何だ、あの無駄に気取った迷探偵野郎は。自分に惚れた女を振り回して、どうする気なのだ。
如何にも女に不自由しないようなツラと態度をして、あちらこちらへフラフラと、敵も味方とも分からない言動を振りまいて!
――かつての英雄王がどうだか知らないが、うちの旦那様を少しは見習え。
不器用でもお顔が怖くても、少しばかり乙女的思考をしていても。
好いた女に、望む言葉をくれるあの人の方が、何百倍も素敵であった。
「――貴女は、お優しいのですね」
「え?」
「レディ・ゲルンボルク。私は――」
ほんの少しの躊躇いの後、瑠璃が何かを告げようと口を開こうとした、その時。
「あ、ルリ姉ちゃん……それに、マリー姉ちゃんも! ティム兄まで居る!」
甲高い声と共に、足音がこちらへと駆け寄って来る。
「おう、リット。帰って来たのか……って、おい?」
ティムが目を瞬かせ、弟分の後方を見やる。
マリーベルもまた、現れたその『彼』の姿を見て、驚きを隠せなかった。
そこに立っていたのは、まだ年若い青年だ。労働者階級風の服装をしているが、漂う雰囲気がそうさせるのか、育ちの良さを隠しきれていない。
「ルイン卿!?」
名目的爵位・ルイン子爵にして、シュトラウス伯爵家の嫡子。
クリフ・シュトラウスの姿が、そこに在った。
ちょっと多忙のため、来週は更新をお休みさせてくださいませ。そのため次回は新年、1月1日となります。
皆様、どうぞ良いお年をお過ごし下さいませ。
来年もよろしくお願いいたします!




