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157話 謎めく夜霧の殺人事件!


 ――全く、いつもの事ながら、事態があちらこちらと思わぬ方向に行く事だ。晩餐で心ゆくまで味わった美食の数々も、これでは記憶から薄れてしまいそうである。


 マリーベルは、はぁぁっと。ため息を吐きたい気持ちをグッと堪え、目の前の光景へと視線を向けた。

 シュトラウス伯爵家の応接間。お高そうなソファーとテーブルのすぐ間近で、二人の男性が何やら言い合っている。


「いやあ、このお屋敷にいらっしゃっていたとは! これまた奇遇なことで」

「良く言うぜ。知ってて来たんだろうに」

「ヒッヒッヒ……最近、あなた方はどうにも忙しくて、なかなか話す機会もありませんからねえ。丁度良いので、いっぺんに説明その他を纏められたら楽が出来ると、そう思ったまででして、はい」


 相変わらずの不気味な笑みと、地の底から響くような低い声。

 鷲鼻を得意そうに揺らしながら、悪食警部が肩を竦める。

 

 首相閣下から授かった、彼の命の結晶。『伝心』の『祝福』の効果はもう既に、切れている。

 少し前までのように、何かあったら即時連絡――とはいかないのが、現状だ。

 より意識を集中する事で、効果時間を伸ばすことは出来るらしいのだが、代償もその分、格段に跳ねあがるそうで。

 他国へ出向している王太子とその伴侶に割かねばならない分、マリーベル達の所まで早々と回せない。


 最近、更に頭部が涼しげになってきた彼のこと。いざという時の為に、今は温存して頂きたいと云う判断だ。

 

「こちらも少し、困っている次第でしてねえ。ここしばらく、鳴りを潜めていた『霧の悪魔』に関する新情報。だというのに、上の連中の動きが妙に鈍い」

「それで、君が直接に乗り込んできたというわけかね?」

「事情聴取でございますよ、シュトラウス閣下。もちろん、ご子息を疑っている訳ではございません。彼女と親しい仲であったと聞き及びまして。ほんの少しばかりお話を聞かせて頂ければ幸いでございますゆえ……」


 いかにもへりくだったかのような口調だが、その目は少しも笑っていない。その事を伯爵も悟ったのだろう。値踏みするような視線を警部に向けたのち、大仰そうに頷いた。

 

「良いだろう。私も王都に住む民の一人として、協力を惜しむつもりはない」

「感謝いたしますよ、ヒヒッ」


 では早速、と。ベンが一枚の紙を取り出し、テーブルの上へと広げた。

 アーノルドの両掌に余るくらいの大きさのそれには、奇妙な『絵』が浮かび上がっている。

 伯爵と共にそれを覗き込み、ゲルンボルク夫妻は揃って息を呑んでしまう。

 

「おい、これは……!?」

「ええ、ようく写っているでしょう。見て下さいこの、手前に倒れている惨殺死体! 背格好と服装からして、八人目の犠牲者だった女性に間違いないと判明しておりますよぉ」


 目を爛々と輝かせ、興奮気味に語るベン警部。

 その視線の先に在るのは、血みどろで倒れ伏す女性の図だ。

 時刻は恐らく深夜。その周囲には、うすぼけた霧が広がっており、辺りの建物を覆い隠している。

 実に残酷な光景だ。肉料理をたらふく食べた後に見たい物では決して無い。

 妻の様子に気付いたか、アーノルドが前へと体を乗り出し、マリーベルの視線を遮ろうとする。

 

「大丈夫ですよ、このくらい。確かに見ていて気持ちの良い物じゃありませんけど」

「豪胆な事だ。流石はレディ・ゲルンボルク。頼もしいことではあるがね、警部。うら若い女性の前だぞ。せめて、前置きがあっても良いんじゃないかね」


 伯爵の紳士的な指摘にしかし、ベン警部は愉快そうに笑うだけ。


「これはこれは、失礼を。少し急いてしまったようで――ヒヒッ」


 こちらの反応を引き出したかったのか否か。形だけの謝罪を繰り出す警部を、マリーベルは胡乱な目で見やる。

 もしここが伯爵邸で無ければ、ちょっとお仕置きをしてあげたかったところだ。命拾いをしたな、悪食野郎め。

 マリーベルが軽く拳を一二回、ゆっくりと開閉させると、ベンが顔を引き攣らせて仰け反った。

 

「そ、その笑み、ちょっと凄絶が過ぎるので、引っ込めて頂けますかね? それよりもほら、他に気になる所があるでしょう?」

  

 それは、確かに彼の言う通りだった。

 マリーベルが注目したのは死体の奥に立つ、もう一人の女性の姿だ。乳白色の霧の中、無表情に佇む『彼女』の顔に、見覚えがあった。


 それはどうやら、傍らに居る夫も同じであったようで――

 

「これは――ローラ・ハミルカルか?」


 そう、それはマリーベル等がこの屋敷にやってくる、その起因となった娼婦。

 あのローラに、何処となく面影が重なるように思えた。

 死の床に着いていた彼女である。頬もこけ、顔色も青ざめたものであった。

 それに比べると、目の前に映っているこの女性は、多少は頬も膨んでいる。

 

 元から、痩せていたのだろうか。それとも、既にこの時に患っていたのか。

 儚げな印象が、マリーベルの脳内で一致する。

 

「ええ。これが封筒に入ったまま、なんと私宛に署の方へ送られてきましてねえ。その送り主の名が、今しがたミスターが述べた『彼女』と同じものだったのですよ」

「アンタの所へ、これが?」


 アーノルドが紙へ手を触れ、その表面を軽くなぞる。

 

「……写真じゃねえな。紙の質がまるで違う。つうか、ここまでくっきりと鮮明に画像を映し出せるものか? 最新式のカメラでも、こんなモノを撮れるかどうか」

「ええ、すっごく綺麗に映ってますものね。なのに、紙自体は不釣り合いなほどに安っぽく見えます」


 そちらに詳しくは無いマリーベルでも、疑問に思う程に、それは現在流通している写真とは、一線を画すものであった。

 

「まるで、風景をそのまま切り取ったみたいです」


 だが、それよりも何よりも。気に掛かるものがあった。

 悪食警部が紙を広げた時から、妙に胸がざわついたのだ。

 脳の奥底に閃くような違和感。ここ最近、何処かで同じものを、マリーベルは感じた事があった。

 

「……ふぅん。これ、『祝福』だねえ」


 それを口に出したのはマリーベルではなく、少し離れた場所に居るフェイルであった。

 幼き『選定者』は鼻をひくつかせながら、何やらウンウンと唸っている。


「多分、『祝福』が使われたのは、ごく最近。長く見積もっても、一か月以内かな。紙全体に――というか、この画像そのものが、プンプンと匂うね!」

「やっぱり」


 とすると、真っ先に思い当たるのは、ローラがこの『祝福』の使い手である、という事だ。

 どういう原理かは分からないが、彼女は恐らく、望んだ情景を映し出す事が可能だったのではないか。

 

「でも、だとしても。何でそれを、警部に送ってきたのでしょう? わざわざこんな、怪しすぎる証拠画像を……」

「――警告、ではないかな」


 室内の視線が、一つに集まる。

 声の主は、今まで一言もしゃべらず、口を閉ざしていたラウルだ。

 いっそのんびりとした口調には、緊張感というものがまるで見当たらない。

 

「警告? 誰への、だね。まさか、悪食殿を脅そうとでも言うのかな。それともまさか、我が愚息を……」

「いいえ、どちらでもないかと。犯人側が動き出す前に、先手を取ったと僕は思いますね」


 謎めいた言葉。全くもって、意味が分からない。

 しかし、彼は自分の推論に何故か、確信を抱いているようにも見えた。いったい、何を言いたいのだろうか。


「てめえの所の案件じゃないのか、これは」

「さてさて、何のことやら。少なくとも、僕が関わったものではないよ」


 アーノルドが睨み付けるも、ラウルはそれを横目に受け流す。

 しかし、マリーベルが驚いたのは、むしろそのやりとりの後だ。

 いつもなら、もう少し食い付き、皮肉をつらつらと言いそうな夫が、何故かあっさりと黙り込んでしまう。

 

 常と異なる仕草を見せる旦那様。こういう時の彼は、何やらを抱え込んでいる事が多い。

 いつもの秘密主義か、何なのか。考えがまとまるまで、妻にすらだんまりを決め込むから厄介である。

 もう少し、打ち明けて欲しい。一人で悩まないで欲しいと思うのは、マリーベルの我儘なのだろうか。

 

(そもそも、悪食警部が何処から情報を聞き付けて、このお屋敷にやってきたのか。そこも謎だよね)


 どいつもこいつも、推理小説ばりに情報を秘匿しおる。もっと単純明快に物事が進まないモノなのか。

 元々、性質的には悩んで知恵を振り絞るより、暴の力を持って手早く解決したいと思うのが、マリーベルである。

 ため息交じりに視線をずらし、話の外に置かれている人物へと目を向ける。

 

(けど、ある意味では、当事者とも言えるし。彼も何か、知っているのかな)


 何処か不安げに父たちのやり取りを見守る、クリフ・シュトラウス。

 その表情は真っ青で、血の気が引いているようにも見えた。

 恋人が連続殺人に関わっていたかもしれないという危惧か、それとも――

 

(何か、こうなると誰も彼もが怪しく見えて来るなあ……)


 推理小説を夢中で読み込み、のめり込んでいる時を思い出す。

 これが物語なら、登場人物がある程度に提示され、謎が膨らんで来る頃合いだ。

 誰が謎にどう関係するか。主人公の探偵にすら疑いを抱いてしまう。

 旦那様犯人説は悲しい結末が待っていそうなので、それだけは止めて欲しい。

 

 あっちにこっちに展開する、情報の錯綜に頭が混乱し始めたか。

 マリーベルが、涙ながらに夫婦で国外逃亡する絵図まで、妄想し始めてしまう。


「まぁ、そういうわけで。実に不可解極まる事態です。どうぞ、少しばかり解決のお手伝いを頂けたらと、そう思いまして、はい

「……私で、お役に立つことがありましたら」


 絞り出すような声。顔色を悪くしながらも、それでも強い眼差しで彼は警部を見る。

 そうして、彼はローラとの出会いと、今までの五年に及ぶ付き合いについて語り出した。

 

 それは、微笑ましくも甘酸っぱい、若い男女の恋物語。

 マリーベルが考えるような、謎を紐解くような事実はそこには欠片も思い当たらず。


 ただ、淡々とした語り口が響く中、静かに夜は更けてゆく。

 

 しかし、その翌朝。

 思いもよらない事態が起こる。

 

 東地区の大通りに、一枚の図画が掲示されたのである。

 霧の中、犠牲になる娼婦の惨殺死体。それは、悪食警部に持ち込まれた封書と、同じもの。霧の中に佇む犯人らしき女性の姿まで、そこに在る。


 しかし、ひとつ。差違となる部分が。たったひとつだけ存在した。

あまりにもおぞましく、衝撃的な画像の、その下部。

 そこには、走り書きでこうあったのだ。

 

 

 ――手を出すな。悪食警部が喰い付いたぞ。



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