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154話 何だか切ないお話です


「――状況をまとめましょう」


 葬儀という名の宴が終わった、翌日。

 マリーベル等はひとまずの状況確認のため、お屋敷アンソニーに戻っていた。

 参加者はゲルンボルク夫妻にレティシアとディック。そしてお茶の準備をしているアンにティム。

 ガチガチの身内のみで固めた陣営であった。

 そうして応接間に集った六名の内、ティムがまず口を開いた。

 

「フェイル坊ちゃんと一緒に、色々回ってみたよ。今回の改正法絡みの件、方々で噂になっているようだね」


 こう見えて、ティムは中々に顔が広い。

 おまけに小回りが利くのか、東区を中心に、短期間であちこち駆けずり回ってくれたようだった。

 

「ローラ・ハミルカルの件は?」

「そっちも聞いた。愛想の良くない姉さんだったみたいだね。親しくしている仲間とか、あまり居なかったようだし。でも、その恋人がどうこう、って話に心当たりがある人は、何人か見つけたよ」

「流石だな。良くやってくれた」


 曰く、一年に一度。丁度この時期に、上客を連れ歩く彼女の姿を見た者が居たらしい。

 風貌も同じで、若い男であったらしいから、恐らくは間違いないという事のようだ。

 

「世間知らずのお坊ちゃんを上手く咥えこんだんだと、皆はそう思ったみたい。んで、どんな具合だった? って聞いたら、途端に不機嫌になったってさ。『あの人とは、そんな関係じゃない』の一点張りだったって」

「単なる客と娼婦にしては、少しおかしな反応ね」


 レティシアの言葉に、ディックも頷く。

 

「私も、レティの意見に賛成ですね。いや、彼女の言葉は常に正しいのですが。それをさておいたとして、商会長が聞いたという話に、これで信ぴょう性が出てきたかと」

「だな」


 マリーベルの傍らで、アーノルドがソファに背をもたれかからせた。

 

「あの葬儀の場で、さんざんに飲んだ甲斐があったぜ。酔っ払いの話は、嘘と真実が入り混じるもんだからな」


 アーノルド達も、ただ流されるままにお酒を嗜んでいたわけではないのだ。

 訪問客の相手をしながら、故人について色々と話を聞いていたのである。

 

「一年ごとに、たった一日だけ。身の回りの物を新調していた、か」

「それは本当みたいだよ。去年は綺麗な髪飾りを付けてたってさ。その前は、貴婦人が身に付けるような手袋だったとか」

「んで、今年はドレスだった――というわけか」


 サラが語ったという、それを思い出したのだろう。

 アーノルドはこめかみに指を当て、トントンと小気味よく叩く。

 

「稼いだ金で身を繕い、それを一年に一度だけ、その男と会う日だけに費やした、つうのかねえ」

「何でそんな無駄な事をするのかと、姉さん方は笑ってたよ」

「……ローラさんは、そのお相手の事を本当に愛していたのでしょうね」


 以前なら、マリーベルもその娼婦たちと同じことを思ったろう。だが、思い募る心を知ってしまった今は、一笑に伏すことが出来そうにない。

 

 愛する男に、綺麗だと思ってもらいたかったんだろうか。

 たった一日だけの逢瀬を夢見て、その全てを注ぎ込むほどに。

 

「報われない道ね。いずれ、破綻は来たと思うわ」


 そんなマリーベルの感傷を、レティシアがバッサリと切り捨てる。


「問題は、そのお相手。彼もまた『選定者』だったのか、そしてそれが『同盟』に絡んでいたのか」

「こちらにとって、敵となり得るか否か。私情は挟めませんよ、商会長」

「わざわざ確認せんでも、わかってるさ」


 ひらひらと手を振り、アーノルドが顔を顰める。

 

「あなた、変な所で甘いもの。私と初めて会った時からそうだったでしょ。今のあなたは、守るべき家族が居るって事を忘れないで頂戴ね。ただでさえ色々と、火種になりそうな話が転がってるんだから」

「というと、やはりそうなのか」

「ええ。幾つかの組織の元締めが、ここ数か月で急に代替わりし始めたわ。代わりにのし上がってきたのは、若手連中。血の気の多い、厄介者ばかり」

「伝統を尊ぶ者達を脇へと追いやり、退ける。懸念が当たりましたね」


 妻の言葉を引き継ぐように、ディックが眼鏡を押さえつつ、口を開く。


「娼婦を圧する法案、それを強行的に推し進めているのはやはり、教会の新進気鋭の者たち。いわゆる純潔派のグループです。あちこちの教区で、権力争いが巻き起こっているようで」

「やれやれ、普段から神さまがどうこう言ってる連中が、その体たらくか」


 肩を竦めるアーノルドに、ディックが苦笑する。

 

「とはいえ、例の件。初代男爵とやらを匿う先としては、今のところは最有力候補です」

「『祝福』は神の与えた尊い力。正しく選ばれた者だとして、象徴に担ぎ上げようとしたり、秘匿したりしようとする連中が居てもおかしくはねえからな」

「その線で言えば確かに、今回の件は当たりかと。娼婦の救済を謳い上げる団体勢力などは、怪しいですね」


 その会話を聞いて、マリーベルはげんなりとしてしまう。

 養母からの薫陶を受け、それなりに『あっち』については詳しい。

 だから、この先の展開が見えてしまうのだ。

 

「それはそれは、面倒くさい所に逃げ込みやがりましたね」 

「ええ、奥様の言う通り。あちらはある意味での神聖不可侵。歴史的に、王侯貴族でも手が出しにくい聖域です。一応、働きかけて味方に就けたものもそこそこに居りますが――」

「純潔を尊び謳い上げる、過激派共には関係ねえからな、それ。世相的に傾きつつある、質実剛健と相まりかねないから、厄介だ」



 全く。あっちもこっちも問題ばかりである。

 どうして世の中ってものは、単純明快にいかないものなのか。

 マリーベルもまた、大いに顔を顰めてしまいそうだった。

 

「とにかく、今はひとつひとつ解決していきましょう。まずはこの件、ローラさんのお相手に手がかりを求めるのが良いかと」

「マリィの意見に、私も賛成よ。でも、肝心の情報が少なすぎるわね」

「偽造で無ければ、だが。この紋章の所以さえ分かれば――」

 

 アーノルドが、長机の上に紙を置く。

 木が密集し、枝に果実が実る。豊穣を湛えたかのような図柄だ。

 マリーベルも、こんな紋章には心当たりがない。

 後は夫の言うように紋章院に問い合わせるか、知己の皆々様にお訊ねするか、の二択だが――


「……これ」


 そんな悩みを打ち破るように、ぽそっと声が挙がる。

 

「アン? 何か知ってるの?」

「これが、その……ローラ様という方が恋い焦がれたお相手の紋章、なのですか?」


 声の主は、幽霊メイドのアンであった。

 思えば、彼女の様子は少し変である。いつもなら、こういった恋のお話は大好物。嬉々として目を輝かせていたろうに。

 今日のアンは、先ほどから一言も口を利かず、ただ黙って成り行きを見つめていた。

 

「ええ、これは……そう。彼らの功績を湛えて、そう、あの時に――」


 マリーベルは思わず、夫と顔を見合わせた。

 アンには謎が多い。はっきりと分かっているのは、その振るまいからして、相応の高等教育を受けていた事だけ。

 生前、何処で何をしていたのか。未だに記憶もあやふやなのだ。

 

 マリーベルもアーノルドも、心から仕え尽くしてくれている彼女に、報いてやりたいと常々思っている。

 もしや、今回の件が。その謎を紐解くカギになるなら――

 

 だが、そんな彼らの希望は、アンが次に見せた反応の前に、儚くも立ち消えた。

 彼女は、ハッとして天井を見やると、続いて恭しい仕草で腰を引く。

 

「……ご主人様、奥様。ご来客です」

「なんだと? 誰だ、分かるか?」

「はい、この気配は間違いなく。ラウル・ルスバーグ様です」


 うげ、というその声は誰の口から出たものか。

 この機会での来訪に、誰もが思う所があったのか。

 皆、それぞれに反応しつつ、自然と視線がアーノルドに集う。

 何を言わんとしているかを察したか。彼は髪をぐしゃりと掻き乱し、大きな大きなため息を吐く。

 

「……会おう、通してくれ。ディックとレティシアは、隣の部屋で控えていろ」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「やあ、アーノルド! どうしたんだい、景気の悪そうな顔をして」

「てめえの胸に聞いてみろ」


 朗らかな笑顔と共にやってきた探偵の姿に、アーノルドは口元をひん曲げた。

 どうにも相性の悪そうな二人である。顔を合わせる度に毒舌めいた軽口が、ぽんぽんと飛ぶ。

 

「それで、何か分かったのか? わざわざここまで押しかけて来やがったんだ。土産話の一つくらい用意してんだろ?」

「うんうん、話が早いね! そうとも、君の言う通り」


 ラウルはニヤリと笑い、何かの用紙を机の上に広げた。

 

「件の貴族が誰であるか、何もかもが分かったよ」

「なに?」


 流石に、これにはアーノルドも腰を浮かせた。

 依頼を引き受けてから、まだ数日しか経っていない。

 ティムがあれだけの情報を仕入れてきただけでも、素晴らしい僥倖だというのに。

 珍しく、名探偵らしいことをやってのけた次男坊に、マリーベルも驚きを隠せない。


「まぁ、僕には色々と先立つ知識があったからねえ。本当の事を言うと、その紋章を見た時から既に心当たりはあったのさ」

「うわぁ」


 ――だったら、先に言え。

 ゲルンボルク夫妻の無言の訴えを軽々と受け流し、ラウルは机の上に置かれた紋章を指差した。

 

「君が分からないのも無理はないね。これは古い時代に没落した、とある貴族のものだ。領地も今ではごく狭く、見向きする者も多くは無い。果実の出産地として、当時はそれなりに名が通っていたんだけどねえ」


 まるで、見て来たかのように物を言う。

 いや、実際にその目で見て知っていたのか。彼の前世はその、古き時代の英雄王であるというのだから。

 

「まぁ、アーノルドはともかく。ゲルンボルク夫人なら、もう少し時間があれば気が付いたかもね。これは、そういった貴族の――そう、継嗣特権の一つであるからだ」

「なんだと?」

「というか、時期が悪かった。夫人が社交界デビューを果たしたのは、結婚した後だろう。付き合う連中も、女性か妻帯者ばかり。だからまぁ、そういった類の男が言い寄ってこなかったろうからね」


 謎めいた口ぶりに、アーノルドが眉根を上げる。

 しかし、マリーベルはその言葉を聞いて、脳裏に閃くものがあった。

 

「継嗣……つまりは、件の貴族というのはやはり、実家の爵位を継いではいないということ。だとすると、身に付けていた紋章というのは――」


 ブツブツと呟くうちに、一つの推測が頭の中で固まってゆく。

 そう、あれは確か。以前に養母から教えられた、貴族の権利。

 

「そうかっ! 名目的爵位カーテシータイトルっ!!」


 ソファーから立ち上がり、マリーベルは叫んだ。

 謎が解けた興奮に、わなわなと体が震え出す。

 

「カーテシー……そうか、俺も聞いた事があるぞ。確か、貴族の跡取りが本家のそれを継ぐ前に、名目上的に名乗る爵位、だったか?」

「ええ、そうです! 貴族っていうのは、複数の爵位持ちも少なくないですから。家を継ぐ長男に、予め幾つかの爵位を持たせておくのは良くあるそうで」


 マリーベルが慌ててラウルの方を向くと、彼は正解とばかりに手を叩いた。

 

「うちの公爵家もそうさ。兄上も、以前はメルトルードの爵位を名乗っていたよ。代々のしきたりみたいなものでねえ」

「そうか、そういう事か! なるほど、俺の記憶に見当たらなかったわけだ。既に絶えた家の紋章、他の貴族に呑み込まれた後のものだった、というわけか」


 アーノルドが、机の上に広げられた用紙に目を移す。

 それは、地図であった。エルドナークの領地区分が事細かく記された、略式図。

 ラウルはその縁を指でなぞり、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「僕も、この話には大変に興味があってだね。一緒に連れて行ってくれないかな。是非とも本人から、詳細を聞きたいんだ」

「と言われてもな。向こうが歓迎するかは判んねえぞ。幾らお前が公爵家の次男坊だとはいえ、立ち入った話に同席が出来るかと言われたら――」

「その辺は大丈夫さ。何なら、僕の方から口添えの手紙を書いても良い」


 飄々とした物の言い方に、マリーベル達の方が戸惑ってしまう。

 

「お知り合いなのです? その方と」

「直接話した事は、あまり無いけどね。現当主とはまあ、そこそこ親しいと言える。それは、君たちも同じだろうさ」

「待て! その貴族っていうのは、俺達が知っている相手なのか!?」


 色めき立つアーノルドに対し、ラウルは答える代わりに指先を差し出した。

 とん、と。地図の一点を厳かに突く。

 

「おい、ここは……!」

「古くはルイン子爵領。豊潤の地として知られていた場所さ。そうして、現在は彼の領地の一つとして、農産に活用されている」


 マリーベルもまた、目を見開く。何故なら、そこは。その場所は!

 

 慌てて後ろに控えるアンを見る。彼女は何処か感慨深げな表情を浮かべ、こくりと頷いた。

 そのやり取りを見届け、ラウルが満足げに微笑む。

 

「そう、御三家のひとつ。歴史に名を刻んだ『美食伯』の生誕地――シュトラウス伯爵領さ」 


 

 

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