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151話 何とも難しい案件です



 翌朝。ゲルンボルク夫妻は、午前の社交を急遽取りやめ、ディックの運転する車でとある場所へと向かっていた。

 発端は、昨日のサラの一件だ。

 彼女の『頼み』を聞いたマリーベル達は、ある目的を持って車をそこへと走らせていた。

 

「――というわけだが、お前はどう思う?」


 移り行く景色を横目に、アーノルドがディックへと問い掛ける。

 

「改正法絡みでしょうね。恐らくは間違いないかと」 

 

 上司の説明を黙って聞いていた眼鏡の秘書はそう、事もなげに言ってのけた。

 対するアーノルドもその答えを予測していたのだろう。やはりか、と。呆れたようにため息を吐いて見せる。


「改正法、ですか? えっと、何の?」

「刑法だ。近頃良く聞く、清潔・清貧的な文化構築の煽りを受けた形でな。近々――早ければ来期の議会にも提出されかねない」

「禁欲も過ぎれば毒ですね。同性愛を取り締まる、というのが主な建前ですが、問題はそれだけじゃありません。この法案が通れば、売春宿を経営する者を、略式起訴する事が出来るのですよ」


 これにはマリーベルも驚いた。聖典の解釈を巡り、男女間以外の交わりを禁ずるとか何とか、そういう過激な動きが出始めてきたのは知っていたが。まさか、そんな一方的な意見がまかり通るものなのか!

 

 エルドナークの民は昔から、自由を尊ぶ気質にある。そこから発生する責任もまた、自分達自身のもの。

 ヤードが成立に至るまで相応の時間が掛かり、理解を中々得られなかったのも、大元はそこにあるのだ。

 

 ――今までは、犯罪に関わらない限り、娼婦に対して法権力が強行されることなんて、無かったのに!

  

「あと、十年は先になるかと思っていたんだがな。予想以上に動きが早い」

「恐らく、レーベンガルド侯爵とその派閥が失脚した影響でしょうね。娼婦の文化はエルドナークの伝統です。腹の内ではどう考えていたかは知りませんが、『伝統派』の貴族達は少なくとも名目上はそれを重んじていましたからね」


 淡々と語る秘書の言葉にアーノルドが眉根を顰め、こめかみに指を当てた。


「何を考えてやがるんだか。んな事を強行しても、駆逐されるのは表面上。見た目だけだぞ」

「それが重要なんでしょう、上の方々には。実際の所は会長の言う通り。まぁ、()()だけでしょうね」


 潜る、とはなんだろうか。首を傾げるマリーベルを横目に、アーノルドがまたため息を零す。


「最近、目立ち始めて来た娼婦の色やヒモ連中。あれがなお一層に増長するってこった。娼館に入らない、自由主義の女は少なくないからな。男と同棲する事で表面上はそうでないと見せかける連中が、加速するぞ」

「その、サラさんという方も、流れの娼婦だったのでしょう。下手をすれば、田舎で商売を出来なくなった、閉め出された連中が大挙して都市部へと押しかけかねません。そうして表向きは数を減らし、人の目が届かない所で蔓延する。良くない流れですね」


 成るほど。それはつまり、裏に流れる人間の増加に繋がる。

 犯罪の温床になりかねない、愚行であるとも思えた。

 

 そも、その伝統派の中心人物であった侯爵を打ち倒したのは、他でも無いマリーベル達なのだ。

 自分達が身を守るために行ったことが、巡り巡って恩人の首を絞める形に繋がるなんて。何とも面白くないことだ。

 

「これ、明らかに不利益が過ぎると思うんですけど、旦那様的にはどうお考えで?」

「それがなあ、どうにも難しくてな。ほれ、俺らが通そうとしている法案。アレは、言ってみれば国の清浄化――清く正しい風潮を訴え、それをお題目にしているわけだ。つまり、目的が似通る、という事になるわけだ」

「うげぇ。という事は……」

「そうだ。少なくない数の議員や、清貧派の貴族達。改正法を推す連中は、むしろ俺ら側の人間だ」


 それは、何というか。非常によろしくない現状ではなかろうか。

 マリーベルは唸ってしまう。何故なら、旦那様が薬事に関する制定法案を作ったのは。

 まっとうな薬を売り、届けたいと願った人々は、まさにサラのような労働階級層の更に下層民。

 医者にも掛かれず、知識も無く。喧伝される薬をただ、盲目的に買い求めるしかない人々なのだ。

 

「これを放置すれば、仮に法案が通る見込みが付いても、娼婦を中心とした層に不信が広がります。不買運動などに繋がる可能性も十分にある。商会長も同類と見なされてしまうわけですから」


 ディックの言葉に、なお一層マリーベルは顔を顰めた。

 何だその、板挟み状態は。どちらかに肩入れすれば、片方の支持を失いかねない。

 権利を侵害されるのを、エルドナークの民は最も嫌うのだ。娼婦だからと馬鹿にしてはならない。

 それこそ、ディックの言う通り、妙な運動に発展したら一大事である。

 

 得体の知れない不安が、背を這いあがってゆく。本能的な危機感が、脳裏で火花を散らす。

 悪寒を跳ねのけるように、マリーベルは夫の傍へと身を乗り出した。

 

「流れが急すぎる。不可解な程に早すぎる。娼婦の件もそうだが、これらには一定の方向性があるようにも思えてならねえ」


 そう言うと、アーノルドは妻を胸元へ抱き寄せた。

 マリーベルもまた、特に抵抗せずにその逞しい胸板に顔を預ける。旦那様の温もりが心地良い。たまらない。

 そうして見上げた夫の表情は、まさに苦虫を噛み潰したかのように歪んでいた。

 

「もしや、それもリチャード――初代男爵の企みです?」

「かもしれねえ。そも、霧の悪魔が初めに現れた時からして、そうだ。どうにもその動きがな、気になって仕方なかったんだが……今ここに至って、何となく見えてくるものがある」


 夫の勘は、中々に侮れないモノがある。鼻が利く、とでも言えばよいのか。

 危険を本能的に嗅ぎ分けているかのように、その感覚は鋭く、研ぎ澄まされている。

 

「ガヅラリー絡みの魔薬の一件に、王宮での騒動。そして大評定に至るまでの経緯。レーベンガルドが起こした、一連の事件もそうだ。レモーネ・ウィンダリアの件も含めて、全ての行動が一つに収束していくような気がしやがる」

「今までの事件はそも、一つに繋がるような――何らかの思惑があったと、そういう事です?」

「あぁ、確証はねえがな。となれば、『アレ』の潜んでいる場所を探るための、一つの推論になり得る」


 リチャードの姿をした、推定・初代ハインツ男爵の行方は未だに知れない。

 方々に手を尽くしてはいるのだが、まさにその姿は霧の中。手がかりさえまるで見えなかった。

 だが、今の夫の話が、少しでも光明となるなら――

 

「世相を操ろうとするもの、促進させようとするもの。そういった類にも、手を入れていく必要があるってこった。今回の件みたいに、な」


 だから、サラが持ちかけた話は、ディック曰くの『渡りに船』という奴だったらしい。 

 

「商会長の意見には賛成ですが、それよりももう一つの『頼み事』の方が気になりますね。詐欺では無いのですか?」

「分からん。それも、会って話を聞いて見なきゃ始まらんだろ」


 旧知の縁を持って来たのはマリーベルだ。

 何というか、旦那様に対して申し訳なく思ってしまう。

 妻の様子を見て取ったか、アーノルドはこちらの額をこつん、と叩き。労わるように微笑んだ。

 

「気にすんな。言ったろ、お前の望みは何だって叶えてやるってな」

「旦那様……」

「それに、さっきも話した通り、渡りに船ってやつかもしれねえ。良い機会ってやつだ」


 飄々とそう言ってのけ、アーノルドは流れる景色に目を向けた。

 

「死に行く娼婦が、最期に愛しき男に会いたい、か。そういうの、嫌いじゃねえぜ」

「相手が相手でなければ、ですけどね」


 感慨深そうに呟く乙女思考な旦那様。

 それに対するディックのお小言も、当然であった。

 何せ、そのお相手というのは――

 

「東区の十四番通り。そろそろ着きますよ、商会長」

「おぉ、ありがとよ」


 車が減速するに従い、下町特有のすえた匂いが鼻に香る。

 そっと見渡せば、建ち並ぶ店や家屋も、年代を感じさせるような古びた物ばかり。

 それでも、人の流れは絶える事が無く、今もなおこの場所に活気が満ちている事を感じさせていた。

 

 何処か故郷を思い出させるこの街並みを、マリーベルは好ましく思う。

 夫の手を借りて地面に降りると、周囲を見回し、予め指定されていたその場所を探す。

 

「あ、あそこですね。『ツバメの止まり木』宿。あの三階建ての建物が恐らく、サラ姐さんが暮らしているという場所かと」

「おぅ、んじゃ行ってみるか。ディック、お前はここで待機していてくれ」

「どうぞ、お気を付けて。奥様、商会長をよろしくお願いいたします」

「……それ、言うのが逆じゃね?」


 旦那様が向けた渋い眼を、眼鏡秘書は鼻で笑って突き返す。

 相変わらず仲の良い主従であった。

 

「ったく、いつもながら態度のデカイ野郎だぜ」

「旦那様にはお似合いだと思いますが……っと、あれ?」


 ぶつくさ言う夫の背を押し、入り口にまで歩いていくと、建物の奥からけたたましい足音が響き渡った。


「サラ姐さん?」

「ああ、マリーベルかい! 来てくれたんだね!」


 姉貴分の顔を見た瞬間、何か尋常ならざる事態が起こったのだと、マリーベルは気付いた。

 彼女は額から汗を流し、ぜえはあ、と。荒い息を吐いていたのだ。

 

「すまないねえ、無理を聞いてくれたんだねえ。けれど、ごめんよ。少しばかり遅かったみたいだ」

「というと、まさか!」

「あぁ、あの子は神さまの所へいっちまったよ」


 力無く頭を振り、サラは肩を落とす。


「駄目で元々の願いだったんだよ。気にしないでおくれ」

「姐さん……」


 気遣わしげなマリーベルの瞳を受け、サラは力無く笑って返す。


「……一夜を共にしたお貴族様に、もう一度会いたい、だなんてね。本当に、夢みたいなお話だよ。馬鹿な娘さ」


何と返したら良いものか。寂しそうにため息を吐くサラを前にしていると、言葉が出てこない。

マリーベルが迷っていると、背後から微かに響くものがあった。何処か急いたようなそれは、人が駆けずる足音だ。

マリーベルが振り向くと、子供がひとり。息を切らせながらこちらに向かって走り寄ってくるのが見えた。


「サラおばちゃん! 連れてきたよ!」

「ねえさんと呼びな! って、本当に連れてこれたのかい!?」

「あぁ、任せとけって言ったろ!」


 得意そうに胸を張る少年の姿。ティムよりも少しばかり幼いその容貌に、マリーベルは見覚えがあった。


「え、リット君? どうして、あなたがここに……?」

「マリー姉ちゃん!! わぁ、久しぶり! ティム兄は元気?」


 マリーベルが良く路地裏で交流をしていた、救貧院の子供のひとり。かつては重い風邪を引き、命も危うかった子だ。この子を救うために、ティムが勇気を振り絞った一件は、未だに記憶に新しい。


「なんだい、知り合いだったのかい?」

「ええ、私のお友達ですよ。それでリット君は、一体誰を連れて……」


 そう言い掛けたところで、マリーベルは固まってしまう。何故なら、彼のその後ろから現れた一組の男女に、目を奪われてしまったからだ。

見覚えがある、なんていうことじゃすまされない、その姿。


「そうか、身分違いの恋とくれば、テメエ好みの話だな」


 疲れたように首を振り、アーノルドが『彼』を睨み付ける。


「やぁ、二人とも! なんとも奇遇だねえ!」


 こちらの気持ちも露とも知らずに見せる、憎たらしいその笑顔。メイド服姿の女性を脇に控えさせ、彼ーーラウル・ルスバーグは朗らかに手を差し出した。



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