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16話  いざ、反撃開始!



「また! 好き勝手書かれてる……っ!」


 ゲルンボルク商会の会長室に、高らかな叫び声が響く。新聞を握りしめ、マリーベルは大いに憤った。

 どの新聞紙も、見出しは同じ。若き実業家、その裏の顔はと評して衝撃的な文章がつらつらと書き出されている。

 

「仕方ねえだろ、あの連中は年がら年中そんなもんだ。新しい生贄探しに飢えてるのさ」

「何をそんなに落ち着いてるんですかっ! 悔しくないんですかもうっ!」


 工場での悪食警部とのやり取りから、一週間程が過ぎた。

 その間、世間の誹謗中傷は過熱するばかり。事務所にまで押しかけてきて、真相を問いただそうとする人々が後を絶たなかった。


 時には過激な暴力を振るおうとする者もおり、マリーベルが実力で排除し、警察官に連行させたこともある。容疑が掛かっていても、犯罪には対処してくれるらしい。法治主義万歳である。

 

「悔しいには悔しいが……まぁ、あれだ」


 コーヒーカップをテーブルに置き、アーノルドはマリーベルに笑いかけた。

 

「お前が代わりにそうやって怒ってくれるからな。何というか発散されたよ」

「ぐぬぬ……!」


 普段はマリーベルに振り回される癖に、こういう時の夫は飄々としたものだ。

 それを頼りがいがあると見るか、呑気と見るかは解釈の別れる所だ。ちなみに、マリーベルの中では今の所半々の評価である。


 アーノルドがここのところしている事と言えば、通信社と会社の往復だ。毎日毎日、いきなりフラっと出歩いたかと思うと、施設に入って何やら電気通信を行うばかり。


 何をしているのか、とも思うが、マリーベルは電報の内容を敢えて聞いていない。色々と気になる事はあるものの、今は一々説明を受けずとも良いだろうと思っている。


 余計なことで彼の手間を増やすのも躊躇うし、それに恐らく、今は尋ねても教えてくれないような、そんな気がした。アーノルドはサプライズを好む性格なのだ。


 マリーベルはもう、必要があればこっちに言ってくるだろう、くらいの考えでいる。奥様は効率主義なのだ。でなければ、この夫の妻はやっていられない。

 

「大体、保釈金を払ったからといって、それで終わりじゃないんでしょ?」

「まぁ、そうだな。あくまで一時的に釈放して貰えるだけだ。罪が確定して、その罰金を払ったわけじゃねえ。裁判の行方次第では、即座にこれだろうな」


 アーノルドは冗談めかしに首を掻っ切る真似をする。そういうのは、例えジョークでもやって欲しくない。

 頬を膨らませるマリーベルを見て、何がおかしいのかアーノルドはニコニコ笑うばかり。

 

「あの名物警部が俺の担当になっているからな。当然、四六時中の見張りも付いてる」


 逆に安全だな、とアーノルドはコーヒーを啜る。確かに、マリーベルが暴行行為を働こうとした男を取り押さえた時、どこからともなく警官がやってきた。あれは、そういうわけなのだろう。


「だから、お前も無茶するなよ。相手が刃物でも持っていたらどうすんだ。幾ら馬鹿力があっても、ナイフで刺されたら終わりだろ?」

「……終わりだと思います?」

「え? 終わり……じゃないの? え、嘘だろ……?」


 その真偽は旦那様の判断にお任せする。精々、今の自分と同じように悩めばいい。

 段々と落ち着かなさげな様子になってきたアーノルドを見て、マリーベルはほくそ笑んだ。

 

 ――と。

 

「届きましたよ、商会長。例の物です」

「お、早かったじゃねえか! 間にあったな!」


 ドアを開けて入って来たのは、パリッと糊の利いた背広姿の男性。、ゲルンボルク商会長の右腕であるディックだ。

 その手には、何かの小包が載せられている。

 

「んで、首尾はどうだ?」

「うちの女神レティがやってくれましたよ。裏も取ってあります。まぁ、大体のところ商会長の思った通りですね」


 ディックの言葉に、しかしアーノルドは渋い顔をする。当たって欲しくなかった予想が的中した。そんな表情だ。

 

「あれ、レティ――ってディックさんの奥様ですよね? 何をやったんですか?」

「うちの妻は顔が広いのですよ。得た人脈も凄いし、容姿も美しくて可憐。性格は優しく健気で理想的な女性だと――」

「そこは聞いてないです」


 この眼鏡が隙あらば妻自慢を始めるのはもう、いつもの光景だった。

 マリーベルはまだ噂の奥様に会った事はないのだが、美辞麗句を聞いているうちにすっかり人となりを覚えてしまった。会うたびに写真を見せてくるので、もう昔からの顔なじみのような気さえしてくる。

 

「俺の周りの連中は有能なんでね。出来る奴ばかりだから助かるぜ」


 その言葉と同時にアーノルドが立ち上がる。ハンガーに掛けられたコートの前を素通りし、部屋の奥にある衣装タンスを開いた。

 中に収められているのは、きっちりと整理された上物のコートにジャケット、ベストにシャツ、それとズボン。

 単なる外出用のそれではない。マリーベルが手ずから見立てた、フォーマルな一式だ。

 

「よし、着替えたら出かけるぞ。お前も、例のドレスを着て行け。貴婦人に相応しい奴だ。化粧室に貴金属と一緒に用意しておいたぞ。着付けの手伝いも呼んである。下品じゃない程度に飾っておけ」

「いつの間にーーって! ど、何処へ?」


 姿見の前で髭を整えつつ、アーノルドは笑う。爽やかな貴公子然とした表情では無い。何かを企む悪人の如き笑み。

 

「お披露目は、披露宴でと思ったんだがな。少し先倒しだ。お前の品格を見せつけてやれ」

「だ、誰にです?」


 もう、わけがわからなかった。この夫は何が楽しいのか、時々説明を省略する所がある。

 

「記者たちの前に出る事もあるって前に言ったろ? アレをするのさ。難しい事じゃない。お前は何を聞かれても堂々と、ニコニコ笑って立ってりゃそれでいいんだ」

「『記者たち』? あ、まさか!」


 夫の言葉から、その可能性を推測しマリーベルは愕然とする。

 そんな妻をどう思ったか、アーノルドは気取った仕草で指を立てた。

 

「そう――いわゆるひとつの、記者会見ってやつさ」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――ゲルンボルク商会の紡績工場。

 違法麻薬製造容疑によって一時的に閉鎖され、閑散な空気が漂っていた筈のその場所は今、大勢の人間によって賑わっていた。

 

 その大半は、現在のエルドナークにおける広報の最先鋒。社章を身に付けた新聞記者たちだ。

 海外にも報じられる大手から、こじんまりとした大衆紙まで。王都における新聞社の殆どが集まっているようだった。

 

「……うわぁ。皆、目が爛々としてますよぅ。目を皿のようにする、って、まさにああいう意味だったんですねぇ」


彼らの瞳はどれも、ギラギラとした輝きを帯びていた。期待と興奮に彩られた獣のごとき眼差し。王都を騒がせる醜聞の新展開、それを見逃すまいとしているのだろう。若手からベテランを思わせる老記者まで、選り取りみどり。大放出だ。その中には、明らかに若い女性の姿も見える。品揃えが豊富にも程があった。


「ネタがあったらとりあえず飛びつくのが主義だからな。とはいえ、その是非は問わねえよ。この国にはああいった連中が必要だ。良くも悪くも、な」


 工場の角に隠れ、その様子を見守っていたマリーベルはげんなりとした声を出す。

 今からあの連中の前に顔を出すのだ。嫌気が差すな、という方が無理である。


 アーノルドに聞く所によると、この国の新聞記者は二通りに分かれると言う。人の醜聞を重点的に暴き出し面白おかしく書き立てる記者と、社会問題やその他の世相を真面目に書き出す記者。目の前に居るのはどっちか。マリーベルには見分けが付かない。

 

「……そろそろいいか。奴さんもご登場だ」


 アーノルドの指差す方へ目を向けると、そこにはあの『悪食警部』の姿が。

 相も変らぬ不気味な容貌を隠そうともせず、黒衣のコートで風を切るようにして歩いて来る。

 さしもの報道陣もその威容に押されたか、近づきもせずに道を開けて行く。人の波が分かたれ、聖典に描かれた預言者の如く進むその姿。マリーベルにとってそれは、地獄の使者のように見える。

 

「さぁ、主演の登場だ。頼むぜ、マリーベル」

「……こうなったら自棄です! この私の淑女っぷりをとくとご覧あれ!」


 気合と共に、目を閉じる。意識を切り替える為の動作だ。今の今までのマリーベルではなく、可憐な一輪の花の如き令嬢としての姿を想像し、創造する。

 数瞬の間の後、瞳をそっと開く。うおっ、と。傍で慄く声が聞こえた。

 

「マリーベル……だよな?」

「はい、あなた。それでは参りましょうか?」


 楚々とした仕草で口元を隠し、マリーベルは艶やかに微笑む。コルセットの助けを借りて背筋を伸ばし、夫の腕へと己のそれを絡めた。


「……お前を選んで、良かったよ」

「褒め言葉と受け取っておきますわ」


 寄り添うようにして、二人揃って前へ出る。

 記者連中の目が一斉にこちらへ向くのが分かったが、マリーベルは気にも留めない。

 少しでも怯んだら負けだ。これは、そういう勝負。

 

「やぁやぁ、皆様! ご多忙の中、お集まり頂きまして感謝いたしますよ」


 アーノルドがにこやかにそう挨拶をすると、一斉に記者たちが駆け寄って来る。その手には紙とペン、そして近年になって発展したという報道写真用のカメラ。

 その一つ一つを見回すように緯線を揺らし、アーノルドは記者たちに一礼する。

 

「ミスター・ゲルンボルク! 今回の騒動における見解を述べるというのは本当ですか!?」

「傍らにいらっしゃるのは、あの……幻と謳われた社交界の姫君で?」

「奥様にもひとこと! ひとことお願いいたします!」


 ワッと押し寄せてくる報道陣。しかし、それもアーノルドが手を上げるとぴたりと止まる。

 無理も無い。彼はにこやかな笑みを浮かべているが、その山賊顔から洩れる圧は相当な物だ。


 その印象を更に押し上げているのは、彼の服装だ。厚みのあるウールを用いた、丈夫でがっしりとした黒い幅広のコート。ウェストの(ライン)が出ず、太ももの辺りまで生地が一繋ぎに覆うそれは、アーノルドの身体を更にひとまわり大きく見せていた。


 そして、コートから覗くパリッとした白いシャツの襟は、翼の如く立っている。少し前の流行ではあるが、これはアーノルドの要望である。しかるべき時に、相手に有無を言わせず圧する衣装が欲しい。それに応えてマリーベルが見立てた物だ。

 

 その期待にはどうやら、十二分に応えられたらしい。それは、記者たちの反応を見れば一目瞭然だった。

 体格の良いアーノルドに合わせた一式は、その容貌と相まって威圧感を強めている。歴戦の兵であろう男達が、仰け反るようにして後ずさっている。

 

 ――よし、ここだ。

 

 旦那様の裾をそっと引くと、得たとばかりに彼がマリーベルを前に押し出した。

 

「ご紹介が遅れましたね。彼女が、私の新妻です。マリーベル、ご挨拶を」

「……はい」


 目を伏せた姿勢から、ゆっくりと顔を上げて微笑む。たったそれだけで、記者たちが息を呑むのが伝わってきた。


 マリーベルは、自身の容姿がそれなりに整っている事を熟知している。黙っていれば絶世の美少女、口を開かなければ麗しの薔薇、動かなかれば可憐な宝石、と男爵家で評判だったのだ。それはあの養母でさえ認めている。

 要は余計な事を喋らずに微笑んでいればいい。アーノルドの言う通りだ。


「ハインツ男爵家を出自とする、マリーベルと申します。どうぞ皆様、お見知りおきを……」


 か細い声でそう伝えると、頬を染め、恥じらうように腰を落として儀礼的挨拶(カーテシー)を披露する。それだけで、何人かの男達は相好を崩して蕩けた目をしているからチョロいものだ。


 マリーベルが内心でべぇっと舌を出していると、アーノルドが世にも恐ろしい物を見たような視線をこちらに向けていた。失礼な旦那さまである。何故か、記者の後ろに立つ警部も同様の表情をしていた。本当に困った男共である。

 

「ハインツ男爵家……最古の貴族という、あの……!」

「噂は本当だったのか! デビュタントを迎えて以来、殆どその姿を見た者が居ないという、男爵家掌中の宝玉……!」

「ストロベリーブロンドの髪と、水色の瞳。かの公爵夫人の再来とも言われた――」


 何だか話が、マリーベルの知らぬところでどんどんと大きくなっている。最古の貴族云々以外、どれ一つとして心当たりが無いが、折角だから便乗を良しとする。否定も肯定もせずに微笑めば、記者たちは勝手に想像を膨らませてくれたようだ。

 

「さて、皆様! 我が妻の愛らしさに心を奪われていらっしゃるようですが、その事がニュースとしてご夫人方の耳に入っては大変。ここらで、本題に入りましょうか」


 アーノルドは露骨にため息を吐くと、手を横に差し出す。

 同時に、マリーベルが『それ』をバッグから取り出し、その手のひらの上へと載せた。

 南洋仕立ての美しい布地に包まれたその物体に、場の注目が集まる。それを見越したように、アーノルドは高らかに声を張り上げた。

 

「新商品の――発表会を!」


 アーノルドの宣言に、報道陣達は皆、目を瞬かせた――


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