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149話 新たな波乱の幕開けです?

最終章、開幕です!

基本は月・水・金の週三回更新となりますので、よろしくお願いいたしますー!


 王都・中央公園。

 その東にある馬車道ローズゥ・ロウは、今朝もまた大勢の紳士や淑女で賑わっていた。

 何かの祭りか、それともデモか。もしも彼らの素性を知らぬ者が見たならば、そうと勘違いしかねない。

 見渡す限りに、人・人・人。工場に詰め込まれた労働者もかくや、というこの景色。

 

 身なりも立派な上流階級の人々が、優雅に乗馬を楽しみながら隣人と言葉を交わす。階級下の者達が見れば、圧巻の一言だと評するだろう。道の中央に混雑する馬乗りたちと、その両側にはこれまたそれを眺める貴人の姿がズラリと揃う。だというのに、そこに暑苦しさや見苦しさは一切感じられないのだ。

 

 煌びやかな衣服を身に纏い、うっすらとした笑みを浮かべながら。彼らは、それがさも当然の事のように文句も言わず、会話を――『社交』を行っているのである。

 

 これはまさに、社交期シーズンにおける上流階級の紳士淑女の忙しさ、それを証明する光景であろう。

 優雅たれ、人の上に立つ者として相応しく在れ。となれば当然、右に倣えとばかりに、模範的な習慣を重ね続けるのが、この時代における貴族たちの一般的な常識であった。

 

 ゆえにか、確固たる姿を見せつけ、社交界に於ける立ち位置を確立する手段として。

 それを利用する者達は、当然の如く出てくる。


「今朝もまた、衆目を惹きつけて離さないとは。いやはや、大したものだ」

「昨今では、ああいった在り方を東方の遊戯になぞらえ『成り上がり』とか言うそうで。侮蔑の言葉に近いようだが――」

「羨望と嫉妬だろうよ。その気持ちは分からんでもないがね」


 ある一方を見つめながら、年かさの紳士達が数人、何とも言えない表情で肩を竦めた。

 彼らは、どちらかといえば伝統的な貴族に属する者達だ。先の大評定で引き摺り下ろされなかった、穏健派。

 だからこそ、彼らは理解していた。視線の先に居る、話題の主たち。


 そう、広い道の中でも、ひときわ人が集まる一角。そこに――『彼ら』の姿が在った。

 

「ゲルンボルク夫妻、か。見事な手腕だ。まさか、こうも鮮やかに社交界を攻略していくとは、ね」

「妻から聞きましたが、夫人の方も年若い少女ながら、かなりのやり手であるようですなあ。一度手のひらを返し、自分の元から去った人間を寛大にも赦し、交流を再開しているとか」

「それでいて、派閥をあえて拡大させていないようにも見える。何と言ったか――そうそう、リレーとかいう法廷弁護士の奥方を右腕に添えて、小生意気にも迎え入れる者達の選別をしているそうじゃないか」


 あの年で、多大な成功を――それも、一旦は地に堕ちた評判を、盛り返してからの復権だ。

 周囲から、ちやほやとされれば、それなりに増長してもおかしくはないというのに。

 雑談に興じる彼らもまた、貴族であれば当然の如くに時流に乗り、ゲルンボルク夫妻と言葉を交わしている。

 だからこそ、分かるのだ。


 ――彼らは、単なる『成り上がり』ではない。


「如才無い喋り方と、言葉の選び方。そして、あまりにも場馴れした態度。あれを、十八の娘が出来るものなのか」

「社交界の華と呼ばれた、先ハインツ夫人の薫陶の成果でしょうな。いやはや、私も若い頃は何度となく彼女を誘ったものです」

「誰も射止める事の出来なかった美しき薔薇、か。だが、彼女も臥せってしまっていると言うではないか」


 無念そうに、紳士の一人が首を振る。

 

「幼くして爵位を継いだ、当代のハインツ卿も、行方が知れぬそうではないか。まったく、痛ましいことだ」

「あぁ、女王陛下直々のお達しだとか。例え顔を合わせる機会があっても、みだりに会話をしてはならない。すぐさまにしかるべき場所に通報するように――でしたか。何とも仰々しいことで」

「レーベンガルド卿に深入りせず良かった、という話でもあるな。良からぬ噂に、人心を惑わす所業の数々。トンネルを爆破して崩そうともしたと云うではありませんか。いかに御三家とはいえ、幾らなんでも常軌を逸している。国家を転覆させようとしたと責められても文句は言えんぞ」


 声を潜め、安心したように口元を緩める貴族達。

 本来なら、ざわめき声にかき消されそうなそれを――しかし、その『十八の娘』はしっかりと聞いていた。

 

 

 

(今のところ、世間の声は好意的に寄ってるね。うんうん、良い傾向かな)


 口元に手を当て、微笑むふりをしながら、マリーベルは内心でほうっと安心する。

 ぶっちゃけ、心労とかそういうのはある。当然の如くにある。めっちゃくちゃあるのだ。

 有閑たれ、という貴族夫人の在り方なんぞ、今の時期は通用しない。


 ここでこうして、お馬さんに乗って、毎日のようにあらあら何々夫人うふふ、なんてやってるのは、中々に疲れるものなのだが、仕方が無い。今は八の月の上旬。社交シーズンも、そろそろ終わりに差し掛かる頃合いだ。

 ここで、気を抜いてはならない。そこら中から降りかかる同情の視線も、とことん利用しなくちゃいけない。

 

(これが終わったら、今日は午後から招待会に二つ出なきゃ。その後は晩餐会と、舞踏会――)


 失礼にならない程度に顔を見せ、言葉を交わして交流を深める。

 一晩のうちに幾つも幾つも、あっちへこっちへ行ったり来たり。

 マリーベル達のみならず、この時節ではどこも当たり前の光景だ。

 

 これでも、社交期が終わりに近づき、数が減った方なのだ。

 酷い時は、一日に両手の指を超えるほどの数の社交を嗜んだこともある。 

 

 殊更に感情を表に出さないのが、エルドナーク貴族の社交術エチケット

 ゆえにか、マリーベルも絶妙な角度での微笑を湛えるのが常となってしまい、いい加減に筋肉が引き攣りそうであった。

 

(……うん?)


 ふと気配がして隣を見ると、夫――アーノルド・ゲルンボルクが気遣わしげにこちらを見ているのが分かった。

 

 ――相変わらず、心配性な旦那様ですこと。

 

 そんな目で見られたら、むしろ頑張らないわけにはいかないではないか。

 後もう少し、とばかりに馬上にて気合を入れ直そうとした、その時だった。

 


「――です!! どうか、お聞き届けを――」



 突然に響き渡る、女性の金切り声。

 何事かと、周囲がざわつく中、マリーベルは夫の間近に馬を寄せ、耳をそばだてた。

 

「見て下さい、わたしは神さまに誓って、不貞なんて働いちゃいませんよ! ええ、ええ。主人が手当の甲斐もなく調和神様の御許に旅立つまで、清らかな体でいましたとも! でもね、そしたら働き口が無いんです。お金は降って沸いてこないんですよ!」

「いや、それをここで言われても困る! 分かるだろう、ここがどんな場所で、あちらに居る方々がどんなに貴き方々かを!」

「だったら、聞いて下さいよ。ええ、ええ。是非ともお耳に届けとうございますとも! うちの坊やは、まだ四つなんですよ! 下の娘は、先日死にました! 薬も何とか飲ませて、それでも駄目だったんですよ! これ以上、あたしらを締め付けて、迫害しようとでもいうんですか!? これでは、残ったあの子も――!」


 どうやら複数人の女性が、入り口で係員と何やら揉めているらしい。

 女性の声は必死で、誰もが冷静では無い。泣き叫ぶようなその響きの中、言葉を幾つか拾い上げ、マリーベルは彼女等が何者であるかをすぐさまに悟った。

 

「……娼婦、ですね。それも身なりからして、西区の方へ商いの場を移せなかった人達。街角に立つ服の値段も、家族の為に薬や食物に変えてしまった方々、なんでしょう」

「なるほど、な。霧の悪魔のせいで、夜中に街角へ立つことが難しくなった。当然、生活も圧迫されている筈だ。昔よりはマシになったとはいえ、未だに貧困問題は根深いもんだ。連れ合いに先立たれた女が、子を養う術もまた、多くはないからな」


 眉根を顰め、アーノルドもまた妻の示した方向を見やる。

 その声音には、何処となく痛ましげな色が宿っていたのを、マリーベルは聞き逃さない。


「ここの所、俺達の社交が上手く行った――行き過ぎたせいか、ここには上流のみならず、新聞社の記者の目も少なくない。議会の開催も近く、俺達の動向に目を光らせてるんだろうが……」


 成るほど。ならば、訴えの場としては最適だと、彼女達は考えたのかもしれない。

 それにしても、随分と思い切った事をするものだが。

 

「……先頭に居る男の人、教会の身なりをしてますね。あれ、もしや」

「急先鋒の純潔派とは違うようだが、最近勢力を増して来た、娼婦救済活動に身を投じている聖職者さまだろうさ。活動そのものは尊いとは思うが、これもまたどうにもな、妙な噂がありやがる」


 アーノルドが何やら難しそうに自身の顎を撫でる。

 この手の活動家は、熱心ゆえに厄介だ。夜間に集会を開き、悔い改めるように度々と説教をしているようだが、中にはそれに留まらない者も居る。救済を謳い上げながらも、理想が暴走し、彼女等を圧して取り締まる側へ肩入れしている事もあるのだ。

 

 マリーベルはかつて幼少時代、色街の姐さんたちに、それはもう世話になった身だ。

 少し道が違えば、母と共にそちらへ境遇を委ねていた可能性だってある。


「エルドナークは、アストリアと違って彼女達を制する法が無い。市民個々の権利意識、自由を保証しろと求める声が、他国と比べても大きいんだ。娼婦の問題は特に難しい。今ではおいそれと、司法も踏み込めねえ領域になっちまってる」


 夫の呟きに、何処となく歯がゆいものを感じる。

 けれど、それは今のマリーベルが、少なくとも衣食住に関しては恵まれた身であるからだ。

 いつの間にか、上から見下ろす立場に居る。

 これもまた、一種の傲慢なのだろうか。

 

(――あれ?)

 

 何故だろうか。今、確かに。自分を呼ぶような声が聞こえた、ような。

 

「あたしは、今をときめく話題の夫人! マリーベルと知り合いなんだ! 通しておくれよ! 聞いておくれよ!」 

 

 ――聞こえている! 間違いない!

 

 しかも、この声は。何処か覚えがある。

 マリーベルが慌ててそちらを見ると、先頭に割り込んで喚き散す一人の女性の姿がそこにあった。

 その顔立ちと、色濃いブラウンの髪が目に映った瞬間、ハッとする。

 

「サラ姐さん……!?」


 かつて、マリーベルが母と暮らしたあの街。そこに居る筈の彼女が、今。

 自分の名を呼びながら、必死に声を張り上げていたのだった―― 

 

 

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