137話 月下の決闘
己の持つ『祝福』を、サウスは『未来図』と密かに呼んだ。
自身が、他者が。選択した言葉や行動により、どんな風に未来が変動し、導き出されるか。
それはまるで数式。無数に枝分かれる通り道の先を、サウスは見て選ぶ事が出来た。
『君のそれは、今の時代の『祝福』の中では、強大無比なものだ。始祖たる『祝福』にさえ、迫る――いや、限定された条件下なら、上回ることさえあるだろう』
『彼』はそう言って、サウスの力を評価してくれた。
事実、月の満ち欠け如何によっては、より克明に、確実に。未来を操る事が可能であった。
ウィンダリア子爵家の次男坊、兄を羨むその男に近付き、歯車を狂わせることも。
『同盟』の同士、レモーネ・ウィンダリアが歩む数奇な人生を決定づけたことも。
エルドナークの王族が女王陛下とその孫二人を遺して死に絶えたことも。
あの『騎士人形』が王家秘蔵の場所に収められたことも。
『伝統派』を名乗る者達が力を失い、破滅していく過程も
そして、マリーベル・ゲルンボルクと、彼女の母が歩んだ道のりさえも――
それらすべてに、サウスの『祝福』が関わっていた。
とはいえ、自身が直接手を下した事など、一つも無い。
選んだ未来の事象をそれとなく伝え、首を傾げて『提言』すれば、それで万事全てが良く回った。
周りが勝手に配慮し、汲み取り、そうして暗闇の底へと転げ落ちて悲嘆する。
サウスはただそれらの光景を見て、留飲を下げるだけ。それだけのことだ。
全ては、そう。ただ一つの目標。ただ一つの夢を叶える、その為だけの『手段』に過ぎない。
「ふう、はあ……」
一歩、一歩を踏み締めるようにして階段を上がる。
足を動かすたび、体の内と外、両面から堪え切れぬほどの苦痛が襲う。
それはまさに、命を削る歩みだ。
「もう少し、もう少しだ……」
待ち望んでいたその時が、まもなく訪れる。
それはまるで、甘く疼く蠱惑的な恋に溺れるような感情だ。
この時の為に、あらゆる全てを犠牲にした。
恐らく、この世の誰もこの感情を理解する事は出来まい。
同士として長年を共にした『彼』でさえ、真に気持ちを共有する事など不可能だろう。
だが、それで良い。それで十分なのだと、サウス・レーベンガルドはそう思う。
脳裏に浮かぶ、幾つもの顔。
泡沫の如く弾けて消えるそれらを頭の片隅に追いやり、そうしてサウスは『そこ』へ辿り着いた。
「あぁ……」
万感の声が漏れる。そこに広がる景色の懐かしさに、思わず瞠目してしまった。
時計台の最上部、四方を簡素な柵に阻まれただけのそこからは、文字通り王都の全てが見渡せる。
霧に霞む街並み。ガス灯の灯りが仄かに瞬くその光景は、まさしく幻想的な程に美しいとそう思った。
――あの絵画と、同じ構図だ。
胸の鼓動が、激しい律動を刻む。貫かれた脇腹の傷とはまた違った理由から、サウスは血反吐を吐き出した。
強大過ぎる力には、それに見合った代償が必須。『彼』はそう、自分に語ったものだ。
限界は近い。いや、とっくにそれは超えているのかもしれなかった。
今のサウスは気力のみで動く、人形のような物だ。
この身を繋ぐ糸が断たれれば、すぐさまにくずおれ、二度と立ち上がる事は叶うまい。
腰ほどまでしかない柵にもたれかかり、天を仰ぐ。
未だ、月はそこに在り、白く眩く輝いている。
――彼は、ここまで辿り着くだろうか。
ぼんやりとした思考で、ただそれだけを想う。
来なければ全てがご破算。自身の望みは永遠に叶う事は無い。
だが、サウスは実感が欲しかった。
定められた運命を読み、未来を見る自身の『祝福』
力と智慧の限りを尽くし、そうしてそれすらも越えて、自分を敗北させる。
運命すら超えた何かを、最期にこの目で見たかったのだ。
今宵この時、この場所で。
しばしの間、空に瞬く月を霞む視界の中で捉え続け――
そうして、サウスはその音を聞いた。
「あぁ……」
再び漏れる、ため息。それは安堵か、感嘆か。
階段を踏み抜く硬質なその音が、天井の調べのように耳を蕩けさせる。
柵から離れ、よろよろとサウスは体勢を整え直す。
最後の矜持。後ほんの少しばかりもってくれと、己の体に言い聞かせて。
今か、今かと待ちわびた。
己の放つどんな障害も潜り抜け叩き伏せ、そうして彼はいつも、いつだってサウスの前に立ち続けた。
まるで、恋をしているようだと、そう思う。胸が弾み、鼓動が早まる。
強く、あまりにも激しい感情。それをどう現して良いものか、サウスには分からなかった。
これを愛と呼ぶか否か、それを問えばきっとあの男は怒り狂うとそう思う。
「――来たか」
薄ら笑いを浮かべ、悪役らしい表情を必死で保ち。
月光の輝きの中、現れた男を睨み付ける。
己の対戦相手、自身の運命と定めた労働者階級上がりの、商売人。
アーノルド・ゲルンボルクの、その姿を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時計台の頂上部に辿り着いた時、思わずアーノルドは己の目を疑った。
月光の下に立つ侯爵の姿はあまりにも儚く、霞んで消えてしまいそうに見えたからだ。
常に尊大で、他者を見下し続けた偉丈夫。
その圧倒的なまでの存在感は、今のサウス・レーベンガルドからはまるで感じられない。
「来た、か……」
自身の衣服を血でべっとりと汚し、侯爵はふらつくように歩み出る。
だが、油断は出来ない。相手は『選定者』だ。神の祝福を得た異能の持ち主!
わざわざ、こんな所にまで逃げ込んだのだ。何かまだ、切札を隠し持っている可能性は十分にあった。
「サウス・レーベンガルド。お前の目的は何だ? ここまで状況を滅茶苦茶に引っ掻き回して、お前は――お前達は、何がしたい?」
「めちゃくちゃに、か。まぁ、そうだろうな。他者から見ればそうも思おう。まぁ、いずれ分かるとも。『彼』の真なる目的が、そう遠くないうちに、きっと。何せ、月はああして輝いたのだか、ら――」
「言葉遊びをするつもりはねえ。さっさと吐きやがれ」
懐から銃を取り出し、ゆっくりと構える。
少しでも怪しげな真似をすれば、即座に撃つ。その覚悟があった。
『ご主人様。あの月、やはり侯爵に繋がっています。肉体の、深い深い所に根を張っているようですね。恐らくではありますが、あれを消すには、その根本を断たねばならないでしょう』
アンの言葉に、アーノルドは僅かに眉根を顰めた。
人々の精気を吸って築き上げた幻影の月。
あれが天に浮かぶことで何が在るかは分からないが、ロクでも無いことには違いあるまい。
斃れた人々の安否も気遣われる。どちらにせよ、残しておいて良いものではなさそうだった。
問答無用に銃弾を叩きこむか。だが、それを相手が予測していないわけもない。
何せレーベンガルドは未来を予測する『祝福』持ちだ。
彼がこの状況を想定していないと、誰が断言できようか。
「――君は、歌劇の登場人物になりたいと思ったことはないかね?」
不意に、サウスが口を開いた。
そこから飛び出した言葉は、アーノルドにとって困惑以外の何物でもない。
「いや、役者になりたいというわけではない。伝説や神話に語られる英雄たち。それを象り、描いた物語や絵画。聖剣を手に龍と戦う騎士、美姫を手に抱く蛮族の王。それそのものになりたい、実演したいと憧れたことはないか?」
「……子供の空想か?」
「そうだな。そうとも言えよう。だが、私はそれに焦がれたのだ。あの絵を見た時から」
うっとりと、夢見るような目でサウスが呟く。
「レーベンガルド家に伝わる、ラ=ズリの絵画。取るに足らない風景画の、その下から現れたのは、今のこの光景だった」
「なんだと?」
「血まみれになった私が、月の光の下で、君と向かい合う場面のことさ」
アーノルドはハッとする。ラ=ズリの絵画!
エルドナークの未来を描いたという、伝説の画家の――
「私の夢だった、願いだった。子供じみたことと笑ってくれても構わんよ。だが、あまりにも美しく輝くあの絵、醜悪さと神々しさを同居させたかのような奇跡の一枚に、私は心を奪われた。どうしようもなく焦がれたのだ。何としても実現したい、何を犠牲にしても辿り着きたい。そう思わせるほどに、あの――この未来に憧れた。私の人生に幕を引くならば、これが良いと、これしかあり得ないと……そう、思った」
狂気さえその眼差しに含ませて、レーベンガルドは恍惚と嗤う。
その口ぶりに、一切の虚言が含まれていない事を悟り、アーノルドの背筋が総毛立った。
『まさか、そのために? そんな事のためだけに、このような――』
アンの声が、震えている。
茫然と、信じられないものを目の当たりにしたかのような呟き。
彼女が困惑しきっている事が、ありありと分かった。
「それじゃあ俺との勝負も『遊戯』とやらも、全部――」
「あぁ、勘違いはしてはいけない。君との勝負、何も手など抜いていないよ。正しく力と智慧の限りを尽くして、戦った。全力であったとここに誓おう。途中で君らが潰えるようなことがあれば、それはそれで仕方が無い。そんな事で消えるものに、価値はないからな」
いっそ穏やかささえ滲ませた口調で、サウスはそう囀った。
王太子を不敬にも追い落とし、実の娘の人生を弄び、マリーベルを陥れ、大勢の人間を苦しめた。
その理由の根本が、そんなわけのわからないものだと、そう言うのか。
唇を噛み切りそうな程に、アーノルドは歯を噛みしめた。
「遊戯とは、つまるところは遊びだ。本気でやらねばつまらないだろう?」
「狂ってやがるぜ、てめえ」
「そうだな。その自覚はある」
アーノルドの言葉に、しかし全面的に同意の声を上げつつ、サウスは懐に手を入れた。
瞬間、発砲しようとして――サウスの視線が、その行為を押しとどめる。
「まぁ、まちたまえ、よ。君から持ち掛けた決闘じゃあないか。今こそ、決着を付けよう。紳士らしくな」
『ご主人様、乗ってはいけません! まだ何を隠し持っているか、しれたものでは――』
「ごほっ! 女はいかんな、無粋が、過ぎる」
アーノルドが銃弾を撃ち込まなかったわけは、その眼力に圧された――から、ではない。
口元から血の塊を吐き出しながら、それでも自身との勝負を優先させようとするその動作に、思う所があったのだ。
「お前のその醜態。脇腹の傷、だけじゃあねえな」
「あぁ、我が『祝福』の代償さ。使うたびに命が摩り減る。神は何処までも公平を重んずるのさ。強すぎる力のもう片方には、それに見合うものを載せる。天秤を、吊り合う、よう、に――」
ごぼごぼと血の泡を吹かせ、サウスが笑う。
その体は極度に震えており、今そうして立っているのが奇跡のようにさえ思わせた。
「そうまでして、そこまでして。俺と向かい合うこの一瞬の光景が欲しかったと、そう言うのか?」
「理解は、できないと、わかって、いるさ。だが、私が見たかったものは、望むものは、これ、なのだ……」
手をガタガタと揺らしながら、サウスが銃を取り出す。
恐らくは、それを持って撃ち合おうとする場面こそが、彼の念願なのだろう。
「はは、もうすぐだ、これで、これで。わたしの、生涯の、ゆめ、が――」
だが――
「む、う……?」
震える指先から銃は滑り落ち、床を転がった。
掴みあげようと屈むも、膝から崩れ落ち、思うように叶わない。
何度も何度も立ち上がろうとしては倒れ、無様にのたうち回る。
それは哀れささえ誘う、滑稽極まりないダンスであった。
必死に、生命の全てを絞りつくして己の夢を果たそうとするも、それを為す力さえもう残っていないのか。
これが御三家の一角と言われた貴族。何度も何度もアーノルド達に立ちはだかり、散々に苦しめてきた男の姿なのか。
奇妙な怒りさえ沸きあがってくる。苛立ちと憤慨が、アーノルドの腹の底でうねり狂う。
そのうち、加減を間違えたのだろう。拳銃が侯爵の体に当たって跳ね、それはアーノルドの足元に転がった。
ほんの、十数歩の距離。だが、今の彼にはそれすら不可侵の断崖と言えた。
最後の最期で犯した失態。それまで余裕を保っていたサウスの顔に、失望と諦念の影が差す。
それは、まさに情けなさ極まる表情。アーノルドが初めて見た、サウス・レーベンガルドの絶望だった。
「は、はは、は……なるほど、神は、こうへい、だ……つみびとには、ゆるしは、あたえられない、か……」
「黒幕気取りで、常に後ろでせせら笑っていやがるから、こうなる。自分の拳で殴り合った事も無い奴が、人生の大舞台で主演を張れると、本当にそう思っていたのか?」
アーノルドの淡々とした指摘に、サウスが消沈する。そうしてそれは、その表情にまで及ぶ。
まるで、この数分で何十年も年を重ねたかのようだ。
窪んだ瞳、こけた頬。皺に満ちた額。
顔は蒼白を通り越して土気色となり、背を屈めた影響か、体まで細く小さく見える。
『同盟』の一角として凛と立つ男の姿はもう何処にも無く、死を待つばかりの老人が、そこに居た。
「……きみの、いう、とおりだ。撃つなら、すきに、したまえ。手を汚したくなければ、それでも、いい。どうせ、もう、あと何分も、もつ、まい」
「そうかい」
アーノルドは、足元に転がる拳銃を持ち上げた。
弾が入っている事を確認し、銃口をレーベンガルドに向ける。
「お前にくれてやる慈悲なんざ、欠片もない。その『祝福』と腐り切った性根、どれだけの人間の人生を狂わせやがったか、想像もつかねえぜ。苦しみのたうち回りながら、惨めに死んでいくのがお似合いだ」
「そう、だな。そのとおり、だ。さいごに、きかせて、くれたまえ。きみの、過去は、しって、いる。きいた、から、な。なぜ、折れない? なぜ、そうも歩き続け、られ、る?」
理解できない、というように。サウスが微かに首を振った。
「今回の件も、そう、だ。君にとって、マリーベル嬢は、もう旨みのない、相手、だった、ろうに。前世の、うんめい、がそうさせる、のか? なぜ、悪評に塗れるのも構わず、大評定さえも、うごか、して。こうも、私を、おいつめ、たのは……」
「前世がどうとか、知った事か。いいか、良く聞け。お前を地獄に叩き落す、その訳は」
拳銃を構えたまま、アーノルドは表情を変えずに言い放つ。
「俺の女を、泣かせたからだ」
それを聞いたサウスは、キョトンとした顔をする。
あまりにも想定外な言葉であったのだろう。
どこか呆けたその表情は、まるで戸惑う子供のようにも思えた。
「は、はは……そう、か……なるほど、わたしには、分からん、わけだ……」
「納得をしたか? それじゃあ、始末を付けさせてもらうぜ」
「あぁ、あぁ……そう、したまえ」
「言っておくが、俺がお前を許すことは無い。犯した罪のその理由も、くだらねえ夢も。何もかもが心の底から、同意できるはずもなく、共感も無理だ。言った通り、惨めに悶死するのが似合いだと思う、が――」
そこで、突然にアーノルドは拳銃を持ちかえた。
銃口をサウスのその姿から外し、そのまま無造作に放り投げる。
孤を描いて舞う物体。それは狙い誤らず、サウスの目の前に落ちた。
「――無抵抗の相手を撃ち殺すのは、紳士のする事じゃあない」
稲妻に打たれたかの如く、驚愕に震えたレーベンガルド侯爵の顔。
それを見て、アーノルドが唇を薄く歪める。
そうだ、その顔をずっと拝みたかったのだ。ざまあみやがれ、クソ貴族が。
『ご、ご主人様!? 何を――』
「決着を、付けるんだろ? 立てよ、レーベンガルド。その銃を持って、立ち上がって見せろ」
「きみ、は……」
サウスの指先が、拳銃に触れた。
その目に、微かに生気が、活力が戻るのがアーノルドには見えた。
「感謝、す――」
「違うだろ、そうじゃねえだろう」
アーノルドはもう一丁の拳銃を構え、ため息を吐きながら首を振った。
「最期まで、らしくあれよ。サウス・レーベンガルド侯爵閣下?」
「ハ――」
顔を上げたサウスが、その瞳を爛々と輝かせた。
「ハハハ、ハハハハハハ!! そうだな、そうだとも若僧! 平民の卑しい商売人風情が、良くも吠えた!」
縮こまっていた背が伸びきり、驚くほどに軽快な動作でサウスが立ち上がる。
拳銃を握るその手に迷いも震えもなく、その顔は不遜なまでの自信に満ち溢れている。
彼は、傲慢な貴族の姿をすっかりと取り戻していた。
『あぁ、もう……また悪い癖が。奥様にはしかとお伝えいたしますから、ご覚悟なさいませ』
「そいつは困る。アイツの怒った顔は、レーベンガルドなんかよりも、よっぽどに怖えからな」
『ご自覚があるなら、自重してくださいまし』
盛大なため息を苦笑と共に受け流し、アーノルドは銃を構えた。
侯爵の夢も祈りも願いも、共感は出来ない、してはならない。
だが、男が一生と掛けたものを果たせず、無様に朽ちてゆく姿もまた、しっくりとはこなかった。
何よりも、これだけの大騒動の幕引きを、こんなにもあっけなく、粛々と済ませてなるものか。
「私に勝てば、報酬をやろう。君が望むであろう、垂涎の褒美だ」
「へえ? 流石はお貴族様だ。下々の人間にお恵みを下さるってのか」
「しかるべき手段で、必ず届けると約束しよう。楽しみにしていたまえ」
軽口を叩き合い、二人の男が銃を構える。
決闘の立会人は、アーノルドの胸元に輝く懐中時計――そこに宿るその意志と、天に輝く月光のみ。
「合図は、どうする?」
「あぁ、これで決めようじゃないか」
そう言って、侯爵が取り出したものを見て、アーノルドは呆れた顔で笑う。
「何だそれ、まだ持っていやがったのか」
「当然だろう? 君との遊戯の始まりだ。大事な記念品に決まっている」
クラブに招かれたあの日、決意表明と共にアーノルドが指から弾いた金貨。
それが今、侯爵の手の中で金色に煌めいている。
「私が本当に見たかったもの、体験したかったもの。あぁ、そうだ。やはり、そうなのだ。それは、他者の破滅を眺めるものでは、決して無い。人生で一度きりしか味わえない、それに酔えたらと、何度夢見た事か」
「本当に望んだものが、そんなはた迷惑なものとはな。つくづく救えねえ男だ」
「それでこそ、古き良き貴族というものだ。高貴なる者の義務など、お為ごかしの偽善に過ぎん。君には一生分からんだろうがね」
「分かりたくもねえよ、クソ野郎」
ややあって、侯爵が親指を弾く。
微かな音を引き、霧を散らすようにして、金貨が宙に舞った。
月光を反射し、輝く一筋の光。
回転するコイン、そこに描かれた女王陛下の横顔が、天にそびえる真円と重なる。
向かい合う男達、互いに言葉は無い。瞳を揺らす事すらせず、ただその時を待つのみだ。
やがて、重力に引かれ、金貨が落下する。
ぶつかり合う視線の中心、金色の尾を引きつつ、それはするりと通り過ぎ――
「――ッ」
直後、二発の銃声が轟いた。
霧がざわめき、風がびゅうと吹きすさぶ。
月明かりが照らす中、やがて時計台の鐘が身を震わせる。
ゆるゆると重々しく、まるで鎮魂を告げるようなその響き。
そうして、それが。
アーノルド・ゲルンボルクとサウス・レーベンガルド。
二人の『遊戯』の、決着であった。
次回は、9/18(月)に更新いたします。




