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136話 激突


 ――サウス・レーベンガルドが己の持つ歪さ、異常さを悟ったのはまだ年端もいかない幼少の頃。

 ある日、年若い子守メイドの婚約者が他の女に入れ込み、破綻したのを聞いたのがきっかけであった。

 誰もが羨むほどに幸せそうだった彼女。それが見る影も無くやつれ、病を得て儚くなる。

 それを憐れむよりも先に、胸の奥底から響くような昏い愉悦が沸きあがったのを実感した。それが、全ての始まり。

 

 レーベンガルド侯爵家の血筋に生まれ易い破滅嗜好。

 二百年前の王太子交代騒動の際も、その原因の一つとなったのは彼の生家であった。

 近年では薄れ始めたとされるそれが、凝縮され濃縮され結実したのか。

 サウスがそうと気が付いた時にはもう、息を吸うが如くその衝動を当然の如く受け入れていた。

 

 他者の破滅が見たい。栄光に輝く者が、幸せに笑う者達が。嘆きながら堕ちていく様を眺めていたい。

 そして、それが今のこの時代にそぐわない価値観であろうことも、サウスは幼くして悟っていた。

 

 広げるべきでは無い。自分の嗜好の為などに、他者を蹴落してはならない。

 

 父親に合わせて謳い上げた伝統主義も、実の所はどうでも良かった。

 全てを嘲笑い、道化の如く眺めて味わいたいという、本能。

 奇しくもその情動が、退廃しきったかつての貴族に似通っていただけ。

 ほんの少しでも心が満たされるから沿っただけだ。

 

 近年のエルドナーク――質実剛健こそが神の御心にそぐう道だと高らかに叫ばれる昨今。

 自身は、最悪の部類に入ると自覚していた。

 

 内から響く衝動と本能的な欲求。それを御せたのが、御せてしまったのがサウスの幸か不幸か。

 恐らく、そのままに成長をしていれば御三家の一角として、それを継ぐべき者として。

 あたりさわりなく務め上げたに違いなかった。

 

 

 ――だが、サウスは『彼』と出会ってしまった。

 

 

 最初は、半信半疑。精神をおかしくしたのかと疑いさえした。

 けれど、その『彼』の語るままに侯爵家の書斎を漁ったサウスは、それを見てしまう。

 取るに取らない、一枚の絵画。だが、その下から現れた真実の絵は、己の心を捉えて離さないものだった。

 

 美しく、凄惨。神聖さとおぞましさを同居させたようなそれは、あまりにも強烈にサウスを惹きつけた。

 

 

『それは予言の絵だ。君の――が描いたものさ』


 

 『彼』の声が、サウスの耳にべっとりと貼り付く。

 頭蓋を通って脳へ直接染み込むような、甘美な誘惑。



『実現したいと思わないかい?』

 

 

 拒む理由はなど在るわけがない。一も二も無く頷いた。

 これを成就出来るなら、何と引き換えにしても良いとさえ思ったのだ。

 

 そうして、サウスは『悪魔』と手を結び、己の持つ『衝動』を解き放つ。

 初めは赤の他人。続いて親族。更には親しき友へと及び、果てには親にまで食指を伸ばした。

 抑えつけていたもう一つの本能。異能の力を使い始めたのも、この頃からである。

 

 『彼』に乞われるままに力を振るい、それが望む運命を紡ぎ出した。

 その過程で犠牲になった者達は数え切れず、嘆きと怨嗟の声は留まる所を知らない。

 

 そうして何をかもをも犠牲にしても、それでも辿り着きたい未来があった。

 利己的の極致。尊大にして醜悪極まる願い。

 

 それでも、サウスは。御三家のひとつと称えられるその貴族は。

 生涯を掛けた夢を、あの月下の光景を。

 己自身の運命と祈り、ずっとずっと――待ち続けていたのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「追いつかれるね。流石の速さだ。これ以上はちょっともたない、かな」


 その『もたない』が、彼の持つ『祝福』と負傷した己の体。その両方にあることは明白である。

 自身を抱いて駆け上がる青年の声に、サウスはゆるゆると首を振った。


「ならば、足止めを頼む」

「あぁ、良いとも。手向けというやつだ。それくらいはしてあげようじゃないか」


 軽薄そのものな声。敵か味方か、どっちの陣営に属すのか。

 最期までこの男を理解出来なかったな、と。そう思いつつ、サウスは僅かに口を動かした。

 

「礼を、言う」

「貴方の口からそんな言葉が聞けるとはね! いやあ、今日は予想外の事が多すぎるな! 瑠璃にも聞かせてあげなくっちゃ」


 彼はひらり、と時計台の中腹に降りると、どのようにしたか内部への通用口を開き、そこへサウスを放り投げた。

 

「あの麗しく逞しき猛女が相手だ、どうなっても文句は言わないでくれたまえよ」

「充分だ」

「そうかい――」


 そこでちらり、と。彼――ラウル・ルスバーグが頭上を仰ぐ。

 

「これは、居るね。凄い嗅覚だ。それとも執念、かな。どうするんだい?」

「そこで潰えるなら、それが私の運命だっただけのこと」


 血まみれの顔で、サウスは嗤う。

 その行く先を確かめる余裕も無いのか、ラウルは無言で壁を蹴り、真下へと落下してゆく。

 瞬間、その貴公子めいた美貌に過ぎった陰がなんであったのか。

 サウスはゆっくりと頭を振り、よろよろと歩き出した。

 

 ――足が重い。体がふらつく。どうやら、血を流し過ぎたらしい。

 

 『選定者』は、総じて頑強な肉体を持つ者が多い。こと、生命力という一点に於いては並の人間を凌駕している。

 普通なら、もうとっくに動けなくなっている。調和の神の御許に導かれているに違いない程の重傷。

 それを生き汚いとするかどうか。サウスは血の塊を吐き出しながら、階段を上り続ける。

 

 急所は外れたかと思ったが、妻の刃はその執念と共に深く、深くこの腹を貫き通したらしい。

 ククク、と乾いた笑みが零れる。らしくもない。傍らに彼女のその姿が無いのが、少し寂しいと思ってしまった。

 全ては自業自得。こうなるのも、当然の事だというのに。

 

(時計台の階段は、何段だったかな。確か、三百と――少し。今、ここは何段目か)


 果てしなく続くと思われるそれに眩暈さえ覚えそうになった。

 それでも足を動かし続けるサウスの前に――『それ』が姿を現す。

 

「――あぁ、君か。事前に言い含めていたとはいえ、良くも辛抱強く待ち続けたものだな」


 階段の踊り場に立つ、『それ』を見上げながら、サウスはうっすらと微笑む。

 

「私を、殺したいかね?」


 応えるように、穂先が持ち上がる。それは月の光を浴び、銀色に鈍く輝く巨大な槍だ。

 あれに抗う手段は、今のサウスには無い。その鉄塊が閃けば、たちまちのうちに自分は血煙と化すだろう。

 

「君は愚かだが、馬鹿では無い。私も、『盟約』は使い切ってしまった。ここで君に討たれるのもまぁ、運命かもしれない」


 だが、それでも諦めるわけにはいかなかった。

 恐らくこの時計台の下からは、彼が――自身の対戦相手が上がってくるはずだ。

 遊戯を仕掛けた者として、ここで無様に果てるのはどうにも情けない。格好が付かない。

 何故ならこれもまた、自身が描いて配置した、『盤面』の一つなのだから。

 手駒に裏切られて死ぬなら、それこそあの未来に辿り着く資格が無かったと、それだけの事だ。

 

「最期に、私の話を聞いてくれたまえ。それを聞いてどう動くか、それは君に任せる」


 穂先を差し出したまま、ぴくりとも動かない『それ』の、哀れで惨めな復讐者の姿。

 サウスは、胸の奥から沸きあがる悦びを抑えきれず、唇を歪めた。

 こんな時だというのに、愉しくて仕方が無い。

 つくづくどうしようもない男だと、自嘲すら抱えて口を開く。

 

 そうして、やっとの思いで紡ぎ出した言葉。

 恐らくは、目の前の相手が欲しがってやまなかった真実。

 寒々しささえ覚える風が流れる中、サウスは謳うように、『それ』へと語り掛けるのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「旦那様っ! しっかり掴まっててくださいねっ! ほら、腕を首に回して!」

「楽しんでないかお前!?」


 仮に他者から見られた場合、自分達の姿がどう映っているものか。

 霧が濃くなり始めた事が、これ程に有難く感じるとは。

 アーノルドは調和神へと感謝の祈りを捧げそうになる。


 そんな夫の気持ちなど露知らず、若奥様は鼻歌交じりに時計台を駆け上がっていく。

 時折息継ぎをしつつ、大の男一人を抱えたまま。殆ど垂直の壁を蹴り昇るその光景といったら、どうだ。

 物理的な法則とか、そういうのを考えるのが馬鹿らしくなりそうな構図だった。

 

 仄かな月明かりに照らされた横顔は、可憐で美しく、一種の神々しささえ感じる。

 流石我が妻だ。アーノルドも己の格好を忘れ、思わず胸がときめいてしまいそうな程に勇ましい姿であった。

 

『――ご主人様、奥様っ! 上から――!』


 

 マリーベルが何度目かの息を吸い込んだ、その時。

 胸元から警告の声が発せられる。

 

 あっと思う間も無く、黒い影がこちらに向けて疾駆する。

 駆け上がるマリーベルを迎撃するが如く、滑り落ちる『それ』。

 

「マリーベル!」

 

 両腕が塞がっているマリーベルでは、対応しきれない!

 しかし、夫の焦りを余所に、妻は無言でドレスの裾をはためかせた。

 花が舞うようにスカートがふわりと広がり、伸びきった足が影へと向かう!

 

「っと、危ないね!」


 寸前で影が方向転換。まるで蝙蝠のように黒いマントを広げ、霧の空にその身を躍らせた。

 

「邪魔をするな、そこを退きやがれ!」

「おや、何とも可愛らしい姿だね、ミスター。写し取って広めたいほどに素敵な格好だ!」

「うるせぇ!」


 よりにもよって一番見られたくない男に事実を指摘され、アーノルドは肩を怒らせた。

 瞬間、マリーベルが壁を蹴り、勢いのままに回転蹴りを見舞おうとする――が。

 

「なにっ!?」


 相手の腕が閃いた瞬間、目を疑うような光景が広がった。

 空を引き裂くように放たれた高速の一撃。

 それが見る間に緩やかに変わり、弱弱しい動きで宙に流れて行く。

 マリーベルの顔が、僅かに驚愕へ染まる。彼女にとっても予想外であることは明白であった。

 

「――ッ!」


 マリーベルの上半身が、瞬時にぶれた。

 そう思った瞬間には、アーノルドの体は時計台の中にあった。

 

 片腕でガラスをぶち破り、その向こうへと夫を放り投げたのだ。

 一つ間違えれば、階段下に落下しかねない状況。ガラス塗れで体を切り裂くことすら当然と思えた。

 しかし、マリーベルの投擲は驚くほどに正確であった。

 

 驚くべき動体視力。これも『祝福』の為せる業なのか。

 あの一瞬で、階段内の安全地帯へと夫を落とし、マリーベルは窓の縁へと着地する。

 

「あぁ、もうっ! 旦那様っ! 行ってください!」


 歯がゆさと無念。それを顔に滲ませ、マリーベルが叫ぶ。

 

「お前っ!」

「早く! きっとコイツは足止めです!」


 焦燥さえ滲ませる妻。

 アーノルドが迷ったのは、一瞬だった。


「――頼む」


 余計な言葉は必要ない。相手は未知の『祝福』を持った、謎めいた貴公子。

 だが、今ここで自分が居ても足手纏いになるだけだ。

 それに、彼女はマリーベル。マリーベル・ゲルンボルクなのだ。

 口を開ければ悲鳴が出てしまいそうな苦渋を押し込み、アーノルドは背を向けた。

 

 それが、妻に対する精一杯の信頼であった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「くそっ! 運動不足が身に響くぜ」


 疲労が重く足へと伸し掛かる。新王国からこちら、強行軍に次ぐ強行軍。

 狭い木箱の中に長時間体を押し込められていた上に、大評定から続く大暴れだ。

 とどめに、何百段とある階段を駆け上がるとくれば、もう。

 冗談交じりに皮肉でも言わなければ、さしものアーノルドも弱音を吐き出してしまいそうになる。

 

「アン! 侯爵は上か? 上に向かっているか!?」

『はい、気配は上に。間違いないかと。ゆっくりではありますが、確実に』

「ちっ、腹をぶっ刺されたくせに、しぶとい野郎だ!」


 荒い息を吐き出しながら、それでも早く、一秒でも速く上に!

 でなければ、ここまで送り出してくれた皆に顔向けが出来ない。

 気力と体力の全てを振り絞り、足を速めた、その時だった。

 

 

『――ご主人様、避けてください!』



 ぞわりと背を走る悪寒。

 アンの叫びと同時に、アーノルドが床を蹴る。

 寸前、そこを灼熱の業火が吹き抜けた。

 

「んだとっ!?」


 階段を踊り場まで転がり落ちた。それでも、痛む体を引きずりながらアーノルドが立ち上がる。

 そうして見上げたそこに在る物を見て、瞳を大きく見開いた。

 

騎士人形アルドマータ……!」


 それは、あの王宮での騒乱で相まみえた、伝説の死神。

 マリーベルが半身を粉々に砕いた筈の、『人形』の姿であった!

 

『間違いありません、『祝福』の気配があります! あれは、レモーネ・ウィンダリアの――』

「ここで来るか! くそったれめ!」


 騎士人形は、その半身を奇妙な銀色の塊で覆っている。

 応急的に処置したものか、それとも前よりも強化されたのか。

 それを確かめている余裕は無さそうであった。

 

《――足止めをと乞われたけれど、どうかしらね》


 不意に、人形の体が鳴動し、奇怪な『声』が響く。

 

「レモーネ・ウィンダリアか!」


 アーノルドが身構えるも、その姿をあざ笑うかのように、人形がゆらゆらと左右に揺らめく。

  

《貴方はいつ、どんな時も油断をしなかった。必ず傍らに『選定者』を置き、警戒を怠らなかった》


 しかし、と。人形は嗤う。

 

《今、ここに。この局面を跳ね返すだけの力を持つ者は居ない。切り札は最後の最後まで抑えておくものよ。それとも胸に仕舞った『それ』――そこに宿る誰かを頼りにしているとでも?》


「そうだ、と言ったらどうする?」


《どちらでも良いわ。ええ、貴方は邪魔だもの。命までは奪わないし、奪えない。それがあの坊やからの『盟約』だけれど》


 穂先が、赤々と輝く。それは見る間に紅蓮と化し、炎の渦を巻き起こした。

 

《絶好の機会だもの! 先の騒動で私の邪魔をした報いを受けてもらうわ! 私と今、ここで! 存分に踊って頂戴な!》


 風すら焼き尽くさんとばかりに轟く、恐ろしいまでの業火。

 絶体絶命の窮地に在ると悟りつつ、アーノルドはしかし、おどけたように肩を竦めた。


「浮気の誘いとは、ぞっとしないね。生憎、俺には愛する妻が居るんだ。他を当たってくれねえか?」


 如何なる時も、紳士は恐れるな。それを顔に出すな。

 窮地であればあるほど、余裕を保て。笑ってジョークを飛ばせ!

 骨の髄まで染みついた父の教え。

 それは、この状況でなおアーノルドの背を、雄々しく立たせていた。

 懐に手を入れたまま、ただじっと人形を――その先に居るであろう侯爵の影を見据える。


《つれない男、とぼけた男! マリーベル・ゲルンボルクとはまた違った脅威だわ。貴方みたいな輩こそ、厄介だわ。何をしでかすか分からない。ここで、再起不能とおなりなさい!》


 

『ご主人様、ここは私が! 何としても、貴方を――』


 胸元の懐中時計が淡く輝く。

 だが、それを押しとどめ、アーノルドは横目で窓を見る。

 霧の向こうが、微かに揺らめいたように震えた。

 

『ご主人様!?』

「お前に何かあれば、マリーベルが悲しむ。心配すんな。こんなもん、窮地でも何でもないさ」


《その余裕は何処から来るのかしら? これだから『転生者』というのは気に食わない。踊らされているとも知らずに》


「何?」


 今の言葉は、どういう意味だ。しかし、それを問う間もなく、騎士人形が足を踏み出した。

 赤々と輝く、灼熱の業火。それが、アーノルドの足へと目がけ、放たれ――

 

 

 ――そうして、そこに。風が吹き抜けた。

 

 

 嵐の如く迫る疾風。炎が瞬く間にかき消され、霧と埃が宙に舞う。

 

 目を庇うように顔を覆ったアーノルドが、視界を取り戻したその時。

 熟練の商売人は思わず、目を擦ってしまった。

 何故なら、見覚えのある人影がひとつ。騎士人形の後方に姿を現していたのだ。 

 

「やぁ、坊や。相変わらずの向こう見ずだね。その突っ走る癖、昔と変わっていないな」

「セシリア……!」


 幅広の帽子と灰色グレーの婦人服、顔の半分を覆い隠す丸眼鏡。

 そこに立っていたのは、アーノルドが少年時代から付き合いのある女性記者――セシリアであった。

 

「驚きが薄いな。やっぱり、気が付いていたね。ここに私が来ると、そう踏んだのかい? 明かしてはいないというのに、鼻が利くね。そういう所、老マディスンにそっくりだ」


《――貴女、何者?》


 騎士人形が、鈍い動きで穂先を掲げる。

 己に向けられた刃をしかし、女性記者は優雅に笑って見るばかり。

 

 一瞬、迷うように槍が揺らぐ。

 未知の乱入者を前に、戸惑いを隠せていないようだ。


「まだ子を作ってもいないのに、無茶はやめたまえよ。あの館での『報酬』は受け取ったし、昔のよしみもある。それに――」

「避けろ!」


 アーノルドの叫びと同時、騎士人形の槍が霞み、電光の如く突き出された!

 

《――なッ!?》


「随分と荒っぽいご婦人だ。最後まで喋らせたまえよ。様式美というものが分かっていないね。育ちが知れるというものだ」


 槍が、セシリアの目と鼻の先。空中でぴたりと止まっている。その正体を悟り、アーノルドは息を呑んだ。

 塵を巻き上げたそれは、穂先へ纏わりつく風だ。輪のように連なる疾風が、これ以上の進撃を許していない。

 

『しゅ、『祝福』の気配は無いのに。これは……』


 奇妙極まりない光景。胸元のアンが、戸惑いの声を上げる。

 

「何だったか――そうだ、それに、そう。東の国ではこう言うらしいじゃないか。()()()()()()()()()()()()()格言だ」


《お前、まさか!》


「義を見てせざるは勇無きなり、と」


 驚愕したような、叫び。

 人形の困惑に応えるように、セシリアが言葉を紡ぐ。

 粛々と、朗々と。月下に染み渡るように――

 

 

「――舞え、《十七番ディセットゥ》」



 瞬間、セシリアの背後に、影が盛り上がった。

 鋭い閃光が走り、騎士人形を向かいの壁まで弾き飛ばす。

 

『騎士人形が、もう一体……!?』 

 

 そう、そこに立っていたのは、鋼鉄の騎士鎧に身を包んだ『人形』であった。

 先の人形に比べると、幾分か細身。

 装甲は所々が鋭角で、胸部には新緑を思わせる花が淡く輝いている。

 

「そうか、やはりな。ディックが悪食野郎から聞いたという、王都に入った『人形遣い』――それは、お前か」

 

 確証があったわけではない。

 しかし、予見できるものは、幾つかあった。

 かつて、少年時代に彼女と交わした幾つかの言葉と共に、アーノルドは思い出す。

 

 記者会見の際、霧を吹き散らした『祝福』の気配を持たぬ竜巻。

 かつてアストリアから亡命し、『騎士人形』を有していたとする、ウィンダリア家の仕掛けの作動。

 

 そう、その場に居たのは、誰であったか。

 アーノルドは苦笑する。

 

「お前の言う通りだぜ、レモーネ・ウィンダリア。切り札は最後の最後まで明かさねえもんだ」

 

 長剣を油断なく構える、その姿。

 それは先の王宮騒乱の最終盤で現れた、『騎士人形』に他ならなかった。

 

《お前、お前は!》


 騎士人形の絶叫に、『彼女』が応える。

 丸眼鏡を外し、髪をくくった紐をほどく。

 パアッと広がった長い髪が、月明かりの中で煌めくように瞬いた。


「アストリア国家警察、セリーヌ・ド・ラ・リシュヴェール警部だ。会いたかったぞ、レモーネ・ウィンダリア。貴様には幾つもの容疑が掛けられている」

 

《……っ!》


「『人形フォントーチェ』の密輸疑惑、『騎士人形』を使った犯罪行為。どれもこれも許しがたい。その罪を法と神の元に明らかにし、正当な裁きを受けてもらおうか」


《お前が、アストリアの犬か!》


「躾のされていない駄犬に言われたくはないな」


 体勢を整え直した『騎士人形』に、『十七番』と呼ばれた人形が躍りかかる。

 

「行きたまえ、坊や。ここは貸しにしておこう」

「……あぁ、恩に着る!」


 未だ痛む手足を気にも留めず、アーノルドは階段を駆け上がる。

 させじと『騎士人形』が足掻くが、繰り出す槍も、その炎も。全てが風に防がれ、吹き散らされてしまう。

 

「ふむ、完全ではないようだな。動きが鈍い、威力も乏しい。先の戦いが響いているか、哀れな物だ」


《抜かせ!》


 唸りを上げて轟く紅蓮。それをいなしながら、騎士人形が『セリーヌ』の眼前に着地する。

 女性警部の艶やかな指先が、ゆっくりと宙へ持ち上がってゆく。

 その動作を象るように、『十七番』の長剣が胸の先へ、真っ直ぐに突き出された。

 

「騎士の誇りさえ忘れた同胞よ。ここから先へ進みたくば、我が剣を切り抜けていくが良い」


 その言葉が言い終わるか否か。

 風と炎が渦を巻く中、新緑の光と真紅の輝きが真っ向から激突した。

 


次回は9/15(金)に更新します

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