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14話 紳士の誓い


「……結局、何も分かりませんでしたねえ」


 小屋から出るなり、マリーベルがそうぼやく。釈然としない様子だ。納得がいっていないのだろう。

 その顔色はすっかりと回復しているように見える。何というか、ケロッとしていた。アーノルドからしてみれば『収穫』が無かったことより、そちらの方が気になっていたから正直、ホッとした。

 

 工場長の話は、単純明快だ。事が起こったのは三日前の朝。工場長達が普通に仕事をしていた所、ヤード連中が押しかけて来て、あれよあれよという間に身柄を拘束。違法薬物の製造がどうとかいう話を捲し立てられているうちに、工場内部から『証拠』が見付かったと、それを突きつけられたのだという。


(それで三日も拘留されてたんじゃ、文句も付けたくならぁな。体を洗う暇さえ無かったみてぇだし)


 工場長の体からは、香水の匂いがぷんと薫っていた。前に来た時は付けていなかったもの。

 マリーベルは、ひょっとしたらこれの香りが合わず、体調を崩したのだろうか

 彼に尋ねてみたら、真顔でこう言われたものだ。


『最近流行の奴ですよ。こんな所に押し込められて、体も拭けないんじゃせめて洒落っ気くらい出したいじゃないですか』


意外と余裕のあるやつだった。そんな場合かとも言ってやりたかったが、まぁいい。


(問題は、ヤードの動きだ。『密告者』も気になるが、それにしても腑に落ちねぇ事が多すぎる)

 

 流れるような仕事の速さ。そして『逮捕令状』の発行を匂わせる言葉を、アーノルドはかの『悪食警部』から頂戴している。多くの国に於いて、令状と逮捕状はほぼ同意義の物だが、ここエルドナークでは事情が異なる。


 今から五十年ほど前、増加する凶悪犯罪から国民を守るため、ラムナック警視庁が設立された時のことだ。この国ではその昔から、犯罪者の逮捕には市民が直接参加する。市場での泥棒などあれば、そこらの一般人が総出で取り囲み、大捕物を行う。自分達の安全と平和は、国民自身が守る。そうした精神が長年にわたって根付いてきていたのだ。

 

 その為か、ヤードの設立も、当初は民の人権を圧迫する組織だと反発も多く、暴動になりかけた事すらあったらしい。そこで、貴族院と平民院の支持のもと、即位したばかりの女王陛下の名に於いて警視庁に特別な権限が付与・交付された。その最たる物が特別逮捕権限状。通称、『逮捕状』である。


 警部以上の人間ならこれを誰もが有し、一定の条件下に於いて裁判所からの令状無しで略式の逮捕が許される。これについて、世論もまた荒れに荒れたようだが、不思議と鎮まって行った――らしい。当時、あまりにも血生臭すぎる殺人事件が多発したこともそれを後押ししたともアーノルドは聞いているが、それも定かでは無い。


 何にせよ、ヤードの権限とその影響力は馬鹿に出来ない。緊急を要する際は、令状無しでの仮拘留すら許される。恐怖の黒服の名は伊達では無いのだ。

 だというのに、わざわざとそんな『令状』を発行しようとするなど、念入りにも程があった。

 この辺りに関しては、悪食警部の嗅覚を手放しに賞賛するとしよう。


 既に、アーノルドは起訴されている。法院に身柄を移される所を、保釈金支払いで何とか抜け出たのだ。

 予定通りなら、明日には治安判事の元で事前審理が、そして二週間後には法廷で裁判開始。専属の法廷弁護人にその辺りを委ねてはいるけれど、もう少し分のある勝負に持ち込みたい。

 判決前調査の事を考えると、この一週間が勝負とも言える。()()()()()()()()、確固たる勝利のために、情報はあればあるだけ良い。


 ――と、ここまで考えて。

 アーノルドは髭を撫でつけながら妻に答える。


「何も分からねえ事が分かった。今はそれだけで十分さ」

「言葉遊びされても困りますよぅ! こう『謎はもう解けたよマリーベル君』とかパイプ吹かしながら言って欲しいです」

「推理小説の読みすぎだ。生憎と俺は禁煙派でね」


 最近、寝室にせっせと本を運び込んでいるのを見かけるが、ラインナップはそれだったか。

 一度、妙な物が混じっていないか確認しておく必要があるかもしれない。


 アーノルドはそんなどうでも良い事を考えつつ、後ろを振り返る。そこには、影のようにぴたりと着いて来る相棒の姿。離れすぎず近すぎず。それを自然体で実践する有能な秘書に、アーノルドは声を掛けた。


「――ディック。どう思う?」

「まずは現状を確認すべきかと。物は手には入らなかったのですか?」

「そこはな、悪食野郎と管轄が違うんだとよ。調査に回されたとかで、見せてもくれなかったぜ。だから、それもな。期待されてることの一つだろうさ。本当にあのクソッタレめ!」


 苛立ち紛れに、アーノルドは小屋を離れ工場へ向かう。

 赤レンガで構築されたそれは、紡績用のもの。糸を紡ぎ、布を仕立てる為の工場だ。

 当然ながら、入り口や窓は全て警察官たちが固めている。小屋に入った時とは違い、こちらはそう易々とはいくまい。


「入れそうにはありませんね。流石に金を握らせてどうこう、も通じ無いかと」

「だな。さて、どうするか。何とかして、内部の様子を見たいんだが――って、ん? マリーベルはどうした。何処へ行った?」

「さっき、そちらの角を曲がるのが見えましたが」

「止めろや! アイツから目を離したら何をするか分からん! 鈴も首輪も付けてねぇんだぞ!」

「ふむ、奥様は犬猫か何かですかね?」


 それよりもっと厄介な何かだ。アーノルドはそう毒づく。

 どうせ、この相棒のことだ。アレを放置していた方が面白そうとか考えているに違いなかった。

 ディックの指し示した方へと走り抜け、角を曲がった所でアーノルドはつんのめりそうになる。

 

「へぇ、なるほど。大変なんですねえ、ティム君」

「お給金が出ないんじゃ、お手上げだよ。せっかく現場も東区から西区に移れて、賃金も上がったってのに。こっちは今、少しでも稼がなきゃいけねぇんだからさ、ホント困ったよ」


 こちらの心配をよそに、奥様はのほほんと子供と会話を楽しんでいらっしゃった。

 アーノルドの肩から力が抜けていく。

 

(この女と会ってから、調子が狂わされっぱなしだ! なんなんだ、ったく……!)


 憮然とした表情を崩さず、ずかずかと二人の元へと向かうと、その片方――ティムとか呼ばれた子供がこちらに向いた。

 

「あ……もしかして、商会長さん?」

「あぁ、良く知ってんな。お前、ここで働いてんのか?」

「そうだよ。この前、視察に来たろ? 一発で覚えたよ。前評判通り、山賊みたいな顔をしてるなぁって思ったよ」

「誰の評判だ、誰の!」


 ティムが無言で指を差す。当然、その小さな手が向けられているのはゲルンボルク商会の若奥様だ。


「マリィィィベェェル!」

「事実を言っただけですし! 子供たちもお腹抱えて『確かに!』って笑ってくれたんですよぅ!」

「なお悪いわ!?」


 そんなに顔が厳ついだろうか? 髭を撫で、髪をそっと整えていると、ぶほっと言う声が聞こえる。

 そちらを睨み付けると、ディックが口を抑えながら空を向いていた。


 ――どいつもこいつも! 

 アーノルドは苛立たしげに足を踏み鳴らす。

 

「……なんというか、ごめん。やっぱり苦労してるんだね、旦那」

「くそ、何でこんなガキに同情されにゃならんのだ……!」


 だが、その慈悲の視線はささくれ立った心に気持ちよく響く。理解者が居るだけでも違うものだと、そう思ってしまう。

 何よりその言葉には、同士に対する哀切の感情が伴っていた。

 こいつも被害者か。そう思うと、アーノルドの胸の内に不思議な連帯感が湧いて来る。


「それより、旦那様。ティム君、大変なんですって! 話を聞いてあげてくださいよ!」

「喧しい、耳元で叫ぶな! 給金の保証なら多少は出すから、しかるべき人間に話を通せ」


 総責任者が一々現場の声を拾い上げていてはキリが無いし、上と下の中間で差配をしている連中の面目を潰す事になる。不満や妬みは人間関係を容易く壊すものだ。ただでさえ面倒な状況下、余計な所で足を引っ張られるわけにはいかない。


「悪いが、今は他に優先する事がある。でねぇと、こいつらに金も払ってやれなくなっちまうしな。まず、何とかしてこの中の状況を探らねぇと――」

「――工場の様子を知りたいの?」


 アーノルドのぼやきに反応したのは、ティム少年だった。こちらの意志を探るようなその目は切羽詰まったものであり、ある種の覚悟を秘めているように思えた。


「……分かるのか?」

「あぁ、ここはオイラの庭みたいなもんさ。子供だからこそ入れる場所も、見える目線もあるんだよ。あちらこちらで黒服共が目ん玉を皿のように広げちゃいるが、足りない足りない。意識も低そうだし、いかにも面倒くさそうだ。オイラなら、あんな連中の目を盗むくらいどうとでもなるよ」


 自信に満ちたその様子。ここが自分の売り込みどころだと、そう確信しているような口調と顔付きは、アーノルドの商売魂をくすぐった。こんな風に機会を物にしようとがっつく人間は、嫌いでは無い。


「それなりに危ない橋を渡る事になるぞ、坊主。さっきも言ったが、金ならそれなりに出す。受給までの間を心配してるなら、それも杞憂だ。今日の内に支払われるよう手続きはするぜ」

「足りないんだよ、それじゃ。仲間が風邪を引いちまったんだ。熱が下がらねぇ。食べ物も、薬も要るんだ」

「……あんだと?」


 言われて、アーノルドは少年をまじまじと見る。だぼだぼの格子柄のシャツにズボン、それとベストに黒のジャケット。

 汚れ仕事の工場勤務では特に、黒い服装を好む者が多い。子供ながらに流行と質を兼ね備えた服装だ。

 赤茶けた髪の下、大きな黒い瞳には強い意志の光が輝いている。

 

 ――良い目をした奴だ。身なりも相応に整えている。

 

 何より、仲間の為に『薬を買おうとする』ところが気に入った。アーノルドは身をかがめ、少年と目線を合わせる。

 

「おい、坊主――ティムとか言ったか? 欲しいのは薬とメシ。そうだな?」

「あぁ、そうだよ。新王国発信の話題の奴。風邪に良く効くって評判のあれが欲しいんだ。それ以上は望まねぇよ。何をすればいい?」


 アーノルドはますます嬉しくなる。

 こいつは、頭の回転も良い。言葉の流れと雰囲気を読み取る理解力があるようだ。

 子供に危ない橋を渡らせるのは思う所があるも、ケツはこちらで持つ。もしもの時はアーノルドが全責任を負うつもりであった。

 

「さっきも言ったが、工場の様子を知りたい。隅から隅まで――とは言わん。ここの設計は俺も関わっているし、見るべき所は決まっているからな。もし連中に捕まったら、俺の名前を出して構わん」

「……麻薬とやらに関係あるんだね。あぁ、それなら任せておいてよ。おいら一人ならヤード共の目を誤魔化すくらい、お手の物さ」


 いいぞ、いいぞとアーノルドは手を叩きたくなる。こちらの見立ては間違っていなかったらしい。

 少年の声と態度、何よりその目から伝わる真剣さ。嘘は言っていないだろう。こいつは掘り出し物かもしれない。

 だが――ひとつ、ひとつだけ不味い所がある。

 

「その薬は止めておけ。食料と薬はこっちで用立てる。場所は何処だ?」

「東地区の十四番地。リーデル救貧院だけど……」

「分かった――ディック!」


 その一言だけで、長年の相棒には事足りた。銀縁眼鏡の秘書は心得たとばかりに一礼し、その場を離れる。

 理解できていないのはマリーベルと、ティムだけだ。二人とも、ぽかんとした顔でアーノルドと、遠ざかる秘書の背を見比べている。


「すぐに届けさせる。だから、頼むぜ坊主」

「え、え? せ、成功報酬じゃないの……?」

「人の命を報酬になんてしねぇよ。前払いだ。受け取っておけ」


 父の教え・その何番目だったか。

 父親が赤らんだ顔で、幼いアーノルドに諭した言葉が蘇る。


「で、でも! もし、おいらがしくじったら――」

「その時は俺の見る目が腐ってただけだ。いいか、良く聞け坊主」


 不安そうに見上げるその瞳を見つめ返し、ぼさぼさ頭をくしゃっと撫でる。

 

「――紳士が担保とすべきは誇りと信念、それだけさ」


 この利発な少年ならば、その言葉だけで十分理解できるだろう。そう考えたアーノルドの見立ては、今回も間違っていないようだった。

 唖然としたように見開かれた瞳が、みるみる内に力強さを増していく。


「任せてほしい。アンタの目は確かだったと、証明してやるさ」

「良く言った! 頼んだぜ、ティム(・・・)


 その言葉に少年は嬉しそうに頷く。アーノルドは懐から工場の見取り図と鍵を取り出す。去り際に、ディックから用意させたものだ。簡単な注釈と共にそれらをティムに手渡す。少年は、手に置かれた重みとそこに在る信頼、そして責任を嗅ぎ取ったのだろう。

 次にこちらを見上げた時、その顔付きは幼さを残しながらも精悍さに満ち溢れていた。それは紛れもない、『男』の表情だった。

 

 少年は誇らしげに胸を張り、何処かへと走り去って行く。

 その背中を見送りつつ、アーノルドは首を傾げた。

 何だろうか、どうにもしっくりこない。在るべき物が無いような、そんなもどかしさが胸にわだかまる。


「――ん? どうした。やけに静かだな、マリーベル」


 そこで、ふと気付く。そうだ。何か物足りないと思ったら、いつもならこの辺りで入るであろう茶々が無い。 

 順調に調教されつつある自分に怖気を感じながら、アーノルドは妻の方を振り向いた。

 

「……あ、え、はい」


 マリーベルの目は、迷子になった童女のように頼りなさげだった。こんな少女は初めて見る。

 何か、悪い物でも拾い食いしたのだろうか。この娘ならあり得る。というか、そうとしか考えられない。

 

「おい、腹でも痛いのか? それともまさか、さっきみたいにまた気分が悪く――」

「い、いえいえ! 元気! 元気ですよ! お腹は痛く無くて、腹ペコです!」


 ぽん、と腹を叩いてアピールする若奥様。その行動は淑女としてどうかと思うが、それはそれとしてカラ元気に見えて心配になる。日頃元気を標榜する人間ほど、弱った時は酷い事になるものだ。アーノルドは、それを実体験として知っていた。


 その、訝しげな様子が顔に出ていたのだろうか。マリーベルはアーノルドから目を逸らし、誤魔化すように笑った。


「それより、初対面の子供を良くもああまで信用したものですねえ。鍵まで渡しちゃって、いいんです?」

「俺は初対面だが――」


 肩を竦め、アーノルドは妻に向けて顎をしゃくる。


「――お前は違うだろ?」

「……は、い?」

「金儲けに目聡いお前が、『困ってるようだから相談に乗ってやってくれ』なんて持ちかけてくる相手だ。相応に信頼してるんだろ。 だったら、理由なんてそれで十分だ」


 これでも、アーノルドはマリーベルの目利きを信用していた。男爵家の家族や商会の人間に対する態度を見ていれば分かる。この娘は、案外と人を良く見ているのだ。

 馬鹿のフリをしている――いや、実際それは否定しきれないが――ようでいて、知恵も知識も持ち合わせている。


 何より、彼女はアーノルドの妻だ。堕ちる時は共にと笑ってくれた女だ。だったら、こちらもそれに応えねばならない。信頼には信頼を。天秤に釣り合うモノを乗せる。それがアーノルドの信念だった。


(……とはいえ、応えきれてるかは怪しい、か)


 そう、マリーベルに対して敢えて黙っている事は幾つかある。

 その能力と心意気を見込んだとはいえ、彼女の小さな友人を言いくるめるような真似をしたことといい、つくづく自分は『ズルい大人』だと、アーノルドは自嘲気味に笑った。

 

 そうして、妻を促しその場を立ち去ろうとするがーー


「ーーって、おい、マリーベル?」


 

 やはり何か変だ。マリーベルが妙に大人しいのだ。


 信頼してくれてるんですね、やったー! くらいの反応が返ってくると思いきや、妻は無言だ。

 それどころか、マリーベルの白い頬に、サッと赤みが差している。

 気のせいか、息も荒いように見えた。やはり、体調を崩していたのか? アーノルドは舌打ちすると、足早に彼女の元へと駆け寄った。

 

「――あっ!?」


 額に手を当て頬を寄せ、唇から感じる吐息の熱を測る。

 やはり、少し熱くなってきているような気がーー

 

「ちょ、止めてって何度も言ったでしょう! 旦那様はもう、もうもうもうもうっ!」


 牛になってしまった奥様を見て、アーノルドはホッと息を吐く。少し興奮しているようだが、いつものマリーベルだ。

 頬を膨らませる子供っぽさも、その元気の良さも、そして蹴りの鋭さも。

 

(……世が世なら、世界を狙えるんじゃねえかな、こいつ)

 

 脛に感じる痛みに悶絶しつつ、アーノルドは密やかに安堵するのだった。

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