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131話 おかえりなさい、お祖母様


 リリアナ・ルスバーグ。

 それは、後世に於いて公爵家悲劇の姫君として知られる、今から八十年近く前のルスバーグ家公女である。

 伝わる容姿は、輝くようなストロベリーブロンドの髪と、透き通るような蒼い瞳。僅かに瞳の色こそ違うとはいえ、初代公爵夫人を彷彿とさせるその美貌は、『再来』とまで噂された。

 

 特に、その瞳で見つめられた者はほぼ例外なく彼女に好意を抱いたとされ、老若男女の区別なく、多くの人々を魅了したその様は、まさしく当時の社交界の花であったと伝えられている。

 

 機知に富み、穏やかでかつ美麗な物腰。その才は年若くして広く認められるものであり、当然ながら家族からも惜しみない愛情を注がれる。今日に於いて『美食伯』として知られる、セシル・シュトラウス伯爵とも実兄を通して昵懇の間柄であり、その妻とは親友同然の関係であった。かつて『人形』と呼ばれた美貌の伯爵夫人と公爵家の令嬢。その二人が語らう様は、華やかで麗しく、社交場に於いて皆の目を楽しませたと伝わっている。

 

 残されてる逸話の殆どが、リリアナの愛らしい人柄を伝えるものばかりで。

 誰もが少女の行く先に幸せな未来が待っていると、そう信じて疑わなかった。

 

 ――だが、しかし。その美貌を天が欲したか。彼女は突然の病を得て、間もなく儚くなってしまった。

 その齢、十八。奇しくも初代公爵夫人が公爵家に嫁いだ時と同じ年齢で、である。

 

 彼女を知る者達は嘆き悲しみ、美姫を失った公爵家には深い同情の念が寄せられた。

 時は、産業の革命的発達による科学隆盛前夜。

 古き伝統と相反する革新。打ち荒れる二つの波にエルドナークが揺れ動き、時代が大きく移り変わるその、狭間の出来事。

 

 それは歴史の片隅に記されるだけの、ありふれた悲劇の一つ――の、筈であった。

 

 

 

 

「あ、ありえ、ない……そんな筈が、ない!」


 レーベンガルド派の貴族の一人が、蒼白な顔で首を振った。

 

「しょ、証拠があるのか! そちらのご婦人がルスバーグの血を引いている、証拠が――」

「ございますわ」


 アリアンナ・フローランスはたおやかに微笑み、手をゆらりと傾けた。

 その合図に応じ、ティムが『それ』を取り出す。

 銀色に輝く天秤。誰かが、あぁっと叫ぶ。その形状も装飾も、重鎮たちの前に置かれた、調和の天秤にそっくりであったからだ。

 

「これは、ルスバーグ公爵家に伝わる『血脈の天秤』。調和の天秤と対になるもの。我らが父祖、初代ルスバーグ公爵ラグナが王家より賜った、宝具にございます」

「け、血脈の……」


 顔色を変えた貴族に目もくれず、アリアンナは優雅に微笑む。

 

「名の通り、その血統の正しさを証明するもの。今からそれをお見せいたしましょう」


 そう言ってアリアンナが向けた視線の先。当代ルスバーグ公爵・グラードがゆっくりと頷いた。

 首相や第二王子に目配せで応え、彼はしっかりとした足取りで老婦人の元へと赴く。

 

 一、二歩を歩めば目と鼻が触れ合いそうなその距離で、二人は見つめ合う。

 ややあって、公爵が深い、深いため息を吐き出した。それが負の感情からもたらされるものでない事は、彼の瞳に宿る切なげな光を見れば、マリーベルにも良く分かる。

 

 百年近い年月を隔てた、古い縁の再会。

 公爵は、それを待ち望んでいたのだろう。

 震える指先をかざし、天秤の先へと突き刺した。

 

 流れる赤い血。それが天秤を僅かに傾けてゆく。どこか厳かな、儀式めいた雰囲気。誰も声を掛ける事すら出来ない。

 同じようにアリアンナもまた、己の血を銀の秤へと注ぐ。

 

 そうして、同じ量の血が秤へと乗せられた、直後。


「おお……っ!?」


 秤に、まるで染み込むように血が吸い込まれ、続いて不可思議な光を放つ。

 秤から鎖、そして全体へ。

 神秘的な光景を前に、観客たちはみな息を呑む。

 

 やがて、天秤から妙なる響きが流れる。聞く者の耳を蕩けさせるような、天上の調べにも似たそれ。

 秤の上に光が満ち、それは上へ下へと微かに振動をしながら――やがて、止まる。

 両者が吊り合う、その形へと。

 

「これが、証ですわ。血が合わねば、どちらかの秤が傾く。吊り合ったという事すなわち、私とルスバーグ閣下が同じ血脈にあるということ。そして――」


 アリアンナの瞳が、マリーベルに向けられる。

 何を促されているか、分からぬ筈も無い。

 マリーベルはゆっくりと頷き、同じように指先を穂先に刺した。

 

 向かって右側、アリアンナが血を注いだ秤へと、今度は己の指を傾ける。

 

「――あっ!」


 短い悲鳴が上がる。

 血を注がれた秤がまた上下に揺さぶられ――そうして、同じように吊り合った。

 

「これはすなわち、両者の間に血縁があるということ。もしも異なる血が在れば――」


 言って、アーノルドもまた指から血を出し、秤に注ぐ。

 今度の反応もまた、劇的であった。

 先ほどとはまた別。唸るような耳障りな音を立て、秤が土色の光を放つ。

 そうして天秤もまた、片方が下に傾いたまま、静止する。

 

「見ての通り。私は妻やお祖母様、そして公爵閣下とは血の間柄がありませんので。こういった結果になります」

「さ、細工をしたのではないか!? そちらに都合の良いような仕組みを作って――」

「この天秤を、オルゴール(シリンダー)の出来損ないだとでも仰ると? 何なら調べても構いませんよ。調和神より授かった古の宝具。それをお疑いになる以上、間違っていた時は相応の覚悟をなされるのですね」


 アーノルドの冷ややかな指摘に、貴族はうっと黙り込む。

 

「それに証拠ならもう一つございますよ。そうですよね、ミセス?」

「ええ、こちらでございますわ」


 そう言って、アリアンナが差し出したのは銀色の蝶細工――その、半身であった。

 

「あ、あれは! ルスバーグ公爵家の――」

「か、片羽の蝶!」


 アリアンナの手の内で輝く、銀翼の蝶。

 それは中心から綺麗に二つに割れていた。


「リリアナ・ルスバーグが儚くなった際に割れ、分かたれたとされる銀の蝶。成るほど、これを持ってくるようにとは、こういう事であったか」


 グラードが懐に手を伸ばし、そこから『それ』を取り出した。

 銀色に輝く――もう一つの、蝶を。

 

 二つの視線が交差し、どちらからともなく手が動く。

 果たして、分かたれた蝶はぴたりと、その身を擦り合わせた。


(あぁ……)


 それを見ていたマリーベルの胸中に、込み上げてくる何かがあった。

 八十年の時を超え、合わさった蝶の半身。

 まるでそれが、自分の事のように思えたのだ。

 

「――おかえり、なさいませ。貴女のご帰還を我が公爵家は待ちわびておりました」


 感慨深そうに語る、公爵の言葉。それに微笑みを返し、アリアンナがその手を取った。

 

「有難うございます、閣下。我が祖母から続く望みも、これにて叶いました」


 僅かに得るんだアリアンナの瞳が、孫娘とその婿に向けられる。

 

「――マディスン様のお弟子と、我が血に連なる孫娘。これを奇跡と言わずして何と顕わせましょう。かつての想いが、時を超えて今、こうして結ばれたのですね」


 祖母の語る言葉の意味が、マリーベルに全て理解出来たわけでは無い。

 聞いた事は、かつて。夫の養い親にも当たる老マディスンと、リリアナ・ルスバーグ――そして、その『夫』が在る誓いを結んだと、それだけ。

 

 けれど、マリーベルにとってはそれだけで十分であった。

 

「リリアナ・ルスバーグはやんごとのなき立場の方と恋に落ちたと。それを明かせば自身の身も危うくなるような男性と。ゆえに死を偽り、遠き異国へと旅立ったと――そう、私は父より聞きました」


 グラードの口から語られる言葉。それは、かつての『悲劇の美姫』の真実であった。

 その声を聞いた者達が動揺にざわめき、やがてそれが周囲へと波及してゆく。

 各所に立てられた従僕が、聞いた声を次ぎ、観客たちに届けているのだ。

 

 混乱深まる者達の声を背に、グラード・ルスバーグは眉を顰めた。

 

「しかし、何故? どうして、貴女の孫娘がその手を離れたのです? レディ・ゲルンボルクも自身の素性を知らなかった様子。一体、過去に何が……」

「それが、私にも良く分からないのです。あれは、あの子が二歳の時。所用で船に乗っていた私と夫は、そこで嵐に見舞われました」

「なんと」

「激しい、あまりにも激しい大嵐。船も転覆しかけ、いよいよと脱出を試みた際。私の不覚から、あの子と繋いだ手が離れ――」


 無念そうに、アリアンナが歯を噛みしめる。

 

「方々を尽くして捜索をしました。けれど、幼い子が生きられるような状況でない事は明白。私達は嘆き、悲しみました。あの時の事を悔やまぬ日は無かった……」

「それが、まさか。エルドナークに……」


 もしかしたら、付近を通りかかった舟に救助をされたのかもしれない。

 そこに、どんないきさつがあったかは分からないが、母はシュトラウス伯爵領に流れ着き、そこで牧師に育てられた。 

 そうして、数奇なめぐり合わせの果てに、こうしてその娘であるマリーベルがこの場に立っているのだ。

 

「これでお分かりでしょう。仮にハインツ男爵家の血が無くとも、我が妻は公爵家の筋にある。確かな血統だ」


 アーノルドのその言葉に、レーベンガルド派も言葉を返せず、わなわなと震えるばかり。

 しかし、まだ旦那様の攻撃は終わってはいない。むしろ、ここからが本番である。

 その証拠に、彼の口元は鋭く歪み、獰猛な笑みを浮かべているではないか!

 

「そして、第二の潔白。彼女の母親――サリア・メイズが淫らで穢れた娘であったとされる、その欺瞞を晴らしましょう」 

「なに?」

「――証人を、ここへ」


 アーノルドが指を弾く。

 すると、壁際の通路から、一人。藍色のドレスに身を包んだその女性が、しずしずとした足取りで、マリーベル達の方に歩み寄って来た。

 

 年の頃は四十前後。髪をきっちりと後頭部で結い上げており、歩く仕草も油断なく気品すら感じさせる。

 その隙の無さは何処となく第二王子の婚約者である鋼鉄令嬢、今は首相閣下の養女となったミュウを思い出させた。

 

「ジェンマさん……!」

「お久しぶりですね、マリーベル――いえ、レディ・ゲルンボルク。皆が話してくれた通り、立派な淑女となられたようで。遅くなりましたが、お祝いを申し上げますわ」


 小柄な顔に掛けた丸眼鏡、長年の奉公を祝して女主人から直接賜ったというそれを煌めかせ、婦人は凛とした風にそこへ立つ。

 ジェンマ・スツール。商家の出身だという彼女は、ハインツ男爵家の現・家政婦長ハウスキーパーを務める才女であった。

 

 マリーベルがメイドをさせられていた時代、厳しくも暖かい目線で仕事を教えてくれた恩人。

 流行服の移り変わりを小話として教えてくれたりと、茶目っ気もある女性で、彼女のお蔭でメイドという仕事に誇りを持てたのだと、マリーベルは今でもそう自負している。

 

「ジェ、ジェンマ……」

「おや、メルザ。しばらく見ないうちに随分と痩せこけましたね。何か心労でも嵩んでいるのでは?」

「う……」


 元・家政婦長の女性。メルザが青ざめた顔でよろめき、後ずさる。

 

「懐かしいですね。あれはもう、二十年近く前でしたか。貴女の下でハウスメイド頭として働いていた頃を思い出します」


 その言葉に、マリーベルは微かに驚く。確かに、彼女はハインツ男爵家でも古株だ。年端もいかない少女の頃から、長く家に仕えてくれたと養母が語っていた事もある。それを思えば、二人が元上司・部下の関係でもおかしくはない。

 

「サリアは、明るく朗らかでいつも誰かを笑顔にしてくれる娘でした。仕事も真面目そのもので、色恋沙汰に惑わされるような性格では無かったと、誰よりも貴女が良く知っていた筈ですね」

「それは――表向きの、話で。誰も、裏に隠された、それがあると……」

「人間、そのような事もあるでしょう。私とて、彼女の全てを理解していたと己惚れてはおりません。それを踏まえたうえで申し上げるのです。彼女に掛けられた疑いは、事実無根である、と」


 しどろもどろになるメルザの言動を、淡々と斬って捨て、ジェンマはうっすらと笑む。

 

「そも、メルザ。件の庭師というのはフレッドの事でしょう? おかしいですわね、あれは貴女の恋人であった筈では?」

「な――」


 はっきりと、メルザの顔色が変じる。

 何故それを、と。表情にありありと書かれているのは誰の目にも明白であった。

 

「知らぬとでも思ったのですか? 貴女が夜な夜なレパシスの木の下であの男と何をしていたか、ここで皆様に申し上げても良いのですよ」

「う……!」

「どんな事情があり、今貴女がそこに立っているかは知りませんが、無実の娘の名誉を捻じ曲げ貶めようとは恥ずべきこと」


 眼鏡の奥で細められた視線に、マリーベルの方がぞくりとする。

 あの態度で、事実をひとつひとつ並べられ、淡々と叱られるのは、中々に恐ろしいものなのだ。

 マリーベルも、何度となく経験したから良く分かる。


「ここに私は申し上げます。サリア・メイズの潔白を。彼女が如何に誠実な娘であったかを。全て、全てお話いたしますわ」


 新旧の家政婦長の対決を制し、ジェンマはそう言って誇らしげに胸を張った。 

次回は明後日、8/27に更新いたします。

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