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130話 怒りを堪えて、頑張ります!


「あ、あの時の旦那様――ハインツ閣下は、不眠を患っていらっしゃったのです。その為、蒸留室スティルルームでハーブなどを使い、床寝に使う薬用酒を調合していましたの。私の補助として、その管理を一任していたのが、サリアだったのです」


 戸惑いながらも、メルザ・ブートの口は良く回る。その顔は相も変わらず蒼白なまま。

 怯えながらも、もう後には引けない。そんな様子がありありと見えていた。

 

 今すぐにその口を縫い止めてしまいたい気持ちを抑えつつ、マリーベルは旦那様の腕を手繰り寄せる。

 夫に寄り添いつつ、そっと見上げてみれば、そこに在るのはいつもの蒼い瞳。

 マリーベルが大好きな、海を思わせる碧眼を見つめると、それだけで心が静まってゆく。

 

 勝手に命を賭けやがったのは気に入らないが、まぁ今は勘弁してあげようとそう思う。

 マリーベルは寛大な奥様なのである。

 

 そうこうしているうちにも、元家政婦長はその『真実』とやらを語ってゆく。

 だが、声には明らかに勢いが無い。

 ただじっとその様子を見守る老婦人。空色の瞳を持つ、アリアンナ・フローランスに圧されているのだろう。

 

 元家政婦の証言は、彼女がマリーベルの母親に事の次第を問い詰めるも、最後の最後ではぐらかされた所で途切れた。

 そこで初めて、何かを躊躇うような仕草で何かの書類を取り出し、『ハインツ男爵に進言はしましたが――』と、そう告げた。

  

「あれは薬品の管理台帳さ。写しを持っていたのかどうなのか。私は許可を出していないがね」


 背後から聞こえる声。養母・ベルネラが呆れたような声を出す。

 

「仕事ぶりは真面目ではあったけれど、何処か粗忽な所が見えてね。見過ごせない失敗も相応に重ねていた。そしてスティルルーム・メイドはハウスキーパーの片腕のような存在でもある。だからこそ、目が行き届いていなかった『不始末』を理由に、解雇を言い渡したのさ」


 聞いた限りでは理不尽にも思える懲罰。

 当時、彼女らの間でどのようなやり取りがあったのか。マリーベルには分からない。

 愉快ならぬ諍いが生じたのは明白であろうが、元家政婦長のその女性は、それを怨みにも思ったのだろうか。

 

「証拠を提出いたしましょう。資料も添えてあります。どうぞ、ご確認を」


 サウス・レーベンガルドの手配により、メルザから従僕を経由し、それが重鎮たちの元へ届けられる。

 彼らがそれを精査している間にも、次の証人が呼ばれてゆく。

 そちらを促したのは、レーベンガルド派――伝統派の貴族達だ。

 

 彼らが用意した者達は、殆どが十九年以上前にハインツ男爵家に務めていた使用人か、出入りの業者ばかり。

 よくもまあ見つけてきたものと感心してしまう。

 そうして、重鎮たちの『検証』が終わる度に次から次へと証言が述べられ、彼らの言うサリア・メイズの『淫売』な本性とやらが暴かれていった。

 

 曰く、スカートの丈を意図的にはためかせ、素足を見せて主人を誘った。

 曰く、寝室へ薬酒を運んでゆく際、得意げに『成果』について仲間達に語った。

 曰く、奥様が子を為せぬ事に付いて、賢しげに嘲笑い、小馬鹿にしていた。

 

 曰く、曰く、曰く――

 

「く、ふふふ、ふ……」


 マリーベルの口から、堪え切れない声が漏れる。

 顔は覚えたぞ貴様等。どんな事情があったかは知らないが、後で自分が何を吐いたか思い知らせてやる。

 この先、調和の神の慈悲があろうとなかろうと、そんなもんは知ったこっちゃないのである。

 

「落ち着け、落ち着け! そろそろ俺の袖が千切れる! 心を静めて深呼吸――は止めろ。多分、一気に持って行かれる」

「はぁい……」


 ボソボソと夫婦同士の呟きを交わし合い、マリーベルは相手方を見る。

 勢い込んで証人だ何だと首を並べた割には、大した話は出ていないように思えた。

 メイド達が良くやる、うわさ話や悪口に近い。伝聞による飛言の類である。

 

「他愛もない噂と思って馬鹿にするんじゃないよ。貴族ってのは、そういう『低俗な』話題が事の他にお好みなのさ。見な、観客たちの顔を。そら見た事かと冷笑している者も少なくないだろう」


 ベルネラの声に、マリーベルはげんなりとする。

 結局のところ、上も下も中身は同じ人間だということか。貴き血とやらは何処へ行ったのだろう。

 

「おためごかしと修飾された美辞麗句に包まれりゃ、下世話な噂話も立派な『貴族趣味』に早変わりだ。つまるところの言ってみれば、それだけの違いさね」

「本当にもう、貴族って奴は……」

「否定はしないよ。まぁ、私らも下の連中をそう思っているさ。だからこそ互いの階級は不可侵――だったんだが、ねえ。時代は変わるものだ」


 養母の言葉には、何とも言えない実感がこもっていた。

 最も古きと呼ばれる家系に嫁いだ彼女。

 幼い息子を抱え、言い知れぬ苦労もあったろうことは想像に難くなかった。


「とはいえ、印象ってのは強い。あそこのご婦人が睨みを利かせているせいで、言葉に勢いは無いが、ね。噂も広まり切れば真実になる。ここで覆して見せなければ、この先もずっと付いて回る。この『大評定』における、ゲルンボルクの勝利条件は中々に面倒くさいものさ」

「……姉上も厄介な輩に目を付けられましたね」

「あぁ、全くさ」


 ぽつり、と弟――リチャードが呟く。

 そして、それに同意するように聞こえるため息。

 確かに、厄介は厄介だ。だが――と、マリーベルは一つの確信を胸に真っ直ぐに前を見る。

 

 そう。()()()()()()()()()()()

 

「――それで?」


 証人の列が途切れた瞬間を見計らったかのように、アーノルドが口を開く。

 

「その、マリーベルの父親候補、肝心の庭師というのは何処にいらっしゃるので?」

「残念だが、少し前に息を引き取ったそうでねぇ。彼もまた、己のしでかした行為の報いを受けたらしく、不幸な人生を送ったようだ。娘の顔も見れずに調和神の御許に旅立つとは、何とも悲劇的な話ではないか」

「話になりませんね。そんなもの、後からどうとでも言い訳が立つ」

「私は調和神の天秤に誓った。正義と公正をね。それでも信じられないと、侮辱するのだな」


 嬉しげな笑みを崩さず、サウスは不気味に嗤う。

 が、勿論。そんな戯言に乗せられる旦那様では無い。

 

「天秤に誓ったのは私と、貴方だ。手段と言葉を選べば、そんなものはどうとでもなる」

「これはこれは、驚きだ! 彼の大評定を穴だらけと小馬鹿にするとは! 神をも畏れぬ言動であるな、アーノルド・ゲルンボルク! 死後にその魂がどうなっても知らぬぞ?」

「それはもう、とっくに経験済みですよ。実感はないですが、ね」


 肩を竦めるアーノルドに、サウスが唇を歪めて応える。

 

「当時の手記と、周囲の証言。現場を見たものまで居ると、そう言うのだぞ? それにだ、書類上もこう――」

「――そんなものは幾らでもねつ造できると、そう言ったろう? いい加減に下手くそな演技は止せ」


 楽しげに言葉を募る侯爵の、それをバッサリと斬って捨て、アーノルドは視線を傾けた。

 その先に居るのは、静かな怒りに震える老婦人。思わず、マリーベルは声を上げそうになる。

 ドレスの裾を握りしめ、それでも気丈に凛と立つその様に、母の面影が重なったのだ。

 

 妻の心情を慮るように腕を優しく撫で、アーノルドが歩き出す。

 自分達の切り札たる、その女性の元へと。

 

「お待たせいたしました、ミセス・フローランス。よくぞ、お堪えなさいました。貴女の忍耐と勇気に、心から感謝を」

「いえ。それは私の言葉ですわ、ミスター。今、この場で一番『怒っている』のは、貴方ではなくて?」

 

 涼やかに、艶やかに微笑むアリアンナ。その、たおやかな物腰の中に、一本通った気迫が垣間見える。

 あぁ、そうだ。マリーベルは唇を噛みしめ、涙が零れそうになるのを必死に堪えた。

 この女性は、間違いなく。自分の祖母。そして、母の――

 

「フム? 君はねつ造とそう嘲るが、それを暴く確固たる証拠があると、そう言うのかね? 卑しき血を持つ妻を、弁護できると?」

「あぁ、一つ一つ証明して見せるさ。らしくないぜ、レーベンガルド閣下。何を言わずとも、誰よりも貴様自身が心から理解している筈だ。そう、俺達がこの場に辿り着けた時点で、既に――」


 跪いて老婦人の手を取ると、アーノルドは背を向けたまま、首だけを傾けてレーベンガルドに視線を向けた。


「――()()()()()()()()、という事を」


 そうして、アーノルドのその言葉を実証するように。

 アリアンナ・フローランスが笑みを深めた。

 

「グレーベル閣下。発言を、お許しくださいませ」

「許可する。述べたまえ」

「有難うございます。今から私が語る言葉は全てが真実。調和神と光明神に誓いましょう。嘘偽りなく、心の底から誠実たらんと顕わします」


 すうっと息を吸い込み、そうしてアリアンナはゆっくりとした動作で、淑女の礼を取る。

 洗練された動作。匂い立つばかりの気品に溢れたその仕草に、会場のあちらこちらからため息が零れた。


「こちらに居られる夫人、マリーベル・ゲルンボルクは我が孫娘に相違ありません」

「なに……!?」


 それは誰が発した声か。ざわついた呟きは波のように広がり、会場中にさざめいてゆく。

 そうして、それが十分に行き渡ったのを確認したか、老婦人はその視線をある一点に留めた。

 空色の瞳に見つめられた『彼』が、微かに上ずったような吐息を漏らすのが、マリーベルにも確かに聞こえた。

 

「時が来たのです。八十年以上前に交わされた約定、誓いを果たすその時が」

「だから、還ってきたと……そう、申されるのですね……」


 答えたのは、一人の壮年男性。

 喉を震わせ、感極まったように首を振るその姿に、またもや会場がざわついた。


「祖母から継いだこの血脈、我が子々孫々にわたるまで、二度と王国の土は踏まぬつもりでありました。けれど――そうは言っていられません。かつて紡がれた想いを、今こそここに結びましょう」


 アーノルドと、マリーベル。二人を順繰りに見つめ、アリアンナが表情を引き締める。

 

「お聞きあれ、エルドナークの血に連なる方々よ。我が祖母の名は、リリアナ。()()()()()()()()()()! ルスバーグ公爵家の長女として、この世に祝福を得た公女である!」


 その衝撃に貫かれたのは、アリアンナの視線の先に在る男性。

 紋章院総裁にして、御三家の一角。第八代ルスバーグ公爵・グラードであった。

 

 先ほどのサウスの負の笑みとは正反対。

 歓びや切なさ、感慨深さ。あらゆる全ての『正』の感情がない交ぜになったような、そんな色を灯して彼は微笑む。

 

「バ、馬鹿な! リリアナ・ルスバーグと言えば、あの! ルスバーグ家の悲劇の令嬢では――」

「待て、待て! そんな事が在り得るものか! 私は信じぬぞ! だ、だとすれば! そ、それが真実としてしまったら! そこにいる娘の、マリーベル・ゲルンボルクの血脈は――」


 悲鳴のような叫びを上げる面々を見据え、アーノルドがニヤリと歯を剥き出した。

 マリーベルもまた淑やかに微笑み、彼の表情に色を添えた。

 窮地の時にこそ、誰よりも頼りになる夫。この切札を引き寄せた彼を見ろと、マリーベルは胸を張る。

 いつだってそう。自分が望むもの、欲しいものは何でもくれて、心も身体も満たしてくれる。

 

 

 彼が、彼こそが。マリーベルの金づるにして――最高の、旦那様なのだ!

 

 

「まずはこちらを証明させて頂こう。そう、我が妻マリーベルとその母親は、あなた方の言う所の『卑しき者』ではあり得ない。むしろ、この国では王家に次ぐほどの貴き血筋――」


 アーノルドが妻を抱き寄せ、不敵に笑う。

 

 

「――御三家、筆頭。ルスバーグ公爵家の末裔なのさ」



次回は8/25(金)に更新いたします。

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