128話 大評定
――エルドナーク王都・中央区十二番通り。
そこにぽっかりと、円形状に広がる『それ』が収められていた。
高さはさほどでもない。近代化が進み、居並ぶ建物に覆い隠されてしまいそうなもの。
しかし、それは確かな存在感を持って、今なお威容を示していた。
それは古代において、剣闘士達が己の命を賭けて戦ったとされる闘技場。
このエルドナークに於いては、己の名誉、在り方そのものを賭けて雌雄を決する場所だ。
中央の石舞台をぐるりと囲む、古めかしい造りの観客席。平素は閑散としたそこも、今は満席。
彼らは上流から中流、一定以上の身分を保証された者達だ。
皆、固唾を呑んで視線を束ね、たった一つのそこへと意識を集中させていた。
中央舞台の片側、そこに騎士の如く立つのはサウス・レーベンガルド。
口元に微笑すら浮かべた、その態度。余裕すら感じさせる姿に、誰かが感嘆のため息を漏らした。
「まさか、大評定とは。私が生きている内に見られる等と思いませんでしたぞ」
「しかり、しかり。何とも大袈裟な事だ。たかが成り上がりの妻、それも不名誉な出生の娘に――」
観客席に居る数名の貴族達が、上品ぶった口調で嘲笑う。
あちらこちらで囁かれ、呟かれる声の数々。
彼らの反応は様々であった。微かに眉を顰める者、興奮に目を輝かせる者、冷徹な微笑みを浮かべる者すらある。
その目線は、様々な感情を持って舞台へと降り注ぐ。
レーベンガルド侯爵の傍には、十数名の男女の姿。従僕や、派閥の貴族達だ。
サウスのすぐ後ろに寄り添うようにして、妻であるエリス・レーベンガルドも佇んでいる。
だが、対するアーノルド・ゲルンボルクの姿は見えない。
到着までの代理という、彼の秘書が忙しなく指示を飛ばし、『資料』とやらを傍に積んでいるだけだ。
そうしてまたひとつ、木箱が運び込まれ、地面へ向かって重い音を立てる。
「……間もなく時間だ」
従僕に時間を確認させ、サウスが呟く。
それに同調するかのように、彼を取り巻く者達が嘲笑いの声を上げた。
「アーノルド・ゲルンボルクは臆病風に吹かれたと見える。大評定に間に合わぬとあれば、世間の笑い者では済まされぬぞ」
「全く、成り上がりの商売人風情が不遜に過ぎる。身の程知らずとはこの事だ」
「金が力だと思っているのかね? 浅ましいにも程があろう」
その言葉が聞こえているのかいないのか、ゲルンボルク側の人間達はただ黙々と作業を続けるのみ。
苛立った貴族の一人が、足を一歩前へと出した瞬間。硬質な音が響き渡り、それを阻む。
「尊き血も、昨今は質が落ちたもの。醜い声で囀るしか能の無い小鳥が増えたようで、嘆かわしいですわ」
「全く。こうは在りたくないものですねえ、母上」
扇を手に、貴族達の視線を跳ね返して見せたのは、ハインツ男爵母子。
商会の人間達を庇うように前へと立ち、涼やかな笑みを浮かべたまま、悪意や侮蔑をそのまま鏡の如く反射する。
「聞き捨てなりませんな。いかに歴史ある名家とはいえ、没落寸前であった男爵家の貴女に、そう言われる筋合いがありませんぞ」
「これはこれは失礼を。申し訳ありません、わたくしの欠点でございますの。事実をつい口にしがちなのは」
ほほほ、と笑うその声に、気色ばむレーベンガルド派の面々。エリスなどは特に憎々しげな表情を隠そうともせず、仇敵たる男爵夫人を睨み付けている。そんな一触即発の気配はしかし、他ならぬその主によって遮られた。
「場を盛り上げるのは良きものであるが、無駄な挑発に乗らぬことだ。伝統に寄り立つ我らであれば尚更に、慮外者の言葉に惑わされてどうするか。凛として構えておられよ」
黙り込んだ貴族達を一瞥し、サウスはため息を吐く。
その表情には焦れたような色が見える。これから起こる事を待ちきれないとでも言うかのようだ。
それはまるで、玩具を望んでやまない子供の如く。
皆を諌める言葉を放ちつつも、ステッキをコツコツと床に突き、背を僅かに震わせていた。
「――間もなく、時計塔の鐘が鳴る。それまでに訪れないようであれば、罪人にも劣る不名誉が未来永劫付き纏うぞ」
サウスの視線の先、石舞台から一つ上がった壇上に控える者達が頷きを返す。彼らは皆、エルドナークの国政を担う重鎮達だ。
女王陛下の名代として参列する第二王子ランドール、第一大蔵卿にして首相・ザッハドルン・グレーベル。そして紋章院の総裁であり、御三家の一人――グラード・ルスバーグ公爵。
誰もが認める、そうそうたる顔ぶれ。侯
爵家とゲルンボルク。どちらに肩入れする事もなく、静かに佇む彼らを見てしかし、のんびりとした声を上げる者がいた。
「ふうむ、これは中々。壮観な事だな」
「シュトラウス卿――」
「遅れてすまんな、レディ。最近は寄る年波のせいか、どうにも足取りが重くなってたまらん」
最後の貨物が到着すると同時、シュトラウス伯爵が舞台裏から姿を現す。
黙礼をするベルネラを手で制し、彼は己の肩を叩きながら、飄々とした足取りでサウスの前へと向かい合う。
「老シュトラウスか。まさか、貴様もこの場に出てくるとはな」
「おうともさ。御三家も揃い踏みという奴だな。孫ばかりにあちこちと走り回らせるわけにはいくまいよ。少しは体を動かした方が、食事も美味いというものだ」
「相も変らぬ美食狂いめ。昨今の質実剛健とやらに従ったらどうだ」
「貴公が言えたことかね。全く、昔からその性質は変わらんな。そんなに他人の破滅が愉しいものか」
伯爵の嘆きに、サウスはつまらなそうに鼻を鳴らす。
その姿は傲慢極まりなく、まさに昔話に出てくる悪逆な貴族そのままであった。
「――戯言はどうでもいい。重要なのは『彼』が間に合うか、間に合わぬか、だ」
「妨害の工作を積み重ねて置いて、よくも言うものよ。言動と行動が一致しておらぬぞ」
「黙れ、老いぼれ。我が遊戯に口を挟むな」
向けられた冷たい視線を受け流し、シュトラウス伯爵は肩を竦める。
「そんなにあの男の行方が気になるかね。待ち焦がれたと、顔にそう書いてあるぞ。よもや、恋に浮かれた乙女でもあるまいに。ならば、そうだな――答えてやっては如何か」
ステッキを一回転させ、伯爵が目線で促す。
それを受け、後方に控えていた眼鏡の青年と、従僕の少年が前へと進み出た。
「畏まりました、シュトラウス閣下。ティム、それでは合図を」
「はい!」
青年――ディックの声に、ティムが応えた。
そうしてそのまま貨物の方に駆け寄る少年の姿に、サウスが眉を顰める。
「なに? 合図だと?」
「ええ、左様にございますよレーベンガルド閣下。我が主は、既に――」
ディックのその言葉が言い終わらぬうちに、ティムが貨物の前に立ち、えへん、と咳払いをする。
会場中の視線が、一つに集中する。しかしそれを物怖じする事もなく、少年は胸を張った。
「――ここに、来ておりますゆえ」
ディックの宣言と共に、ティムが貨物を二度、三度と叩く。
カタカタと、ガタガタと。音が響いて木箱が揺れ、それは次第に大きな振動となって耳目を集めてゆく。
サッと少年従僕が離れ、距離を取る。すると、それをまるで察したように――木箱が、砕け散った。
「……なに!?」
それは誰の悲鳴であったか。ざわつく声が唱和する中、木片と共に、花々やきらきらと輝く銀の光が周囲に舞う。
何かの仕込みがされていたのだろうか。
陽光に照らされたそれは、眩いほどの煌めきを放ち、その中心に居る人物を映し出す。
美しくたなびくストロベリー・ブロンドの髪を結いあげ、清楚さを示すかのような純白のドレスに身を纏った、その姿。
あまりの事に、レーベンガルド派の貴族達が言葉を失い、わなわなと震え出す。
それでも矜持を保った一人の男が、首を振りながら呆然と呟いた。
「あ、あり得ん! 我が領地を通る際、駅員共にわざわざストライキも起こさせたのだぞ。そ、それに、そもそもだ。聞いた話によれば、鉄道機関車自体も足止めを――」
「――ああ、そうか。そうであったか。始発の汽車よりも更に早く、出発する便があったな」
同胞の言葉をあっさりと否定し、何がおかしいのか、サウスがくつくつと嗤いを零す。
「伝統的に、アレはストライキであってもそこを通す。鉄道会社間の面倒極まる乗り換えもなく、駅に停まる必要も無いのだからな」
「ま、まさか。それは……」
「そうだ。いやこれは、我ら貴族には思いもよらぬ事だ。下々の者でなければ実行しようとも考えんだろうさ」
サウスの視線の先に在る、その姿。
演出と相まってか、この世ならぬ美貌を輝かせ、艶然と微笑む少女が佇んでいる。
そうして、その煌めきの裏から、ゆっくりと。大柄な人影が一歩、また一歩と歩み寄ってきた。
それが誰であるか。その姿を認め、サウスが肩を竦める。
「――貨物列車、か。よもや、かような場所に潜むとは呆れたものだ。まるでネズミか油虫のようだぞ、アーノルド・ゲルンボルク」
「お褒めに預かり光栄ですね、レーベンガルド閣下」
居住まいを正し、大仰な仕草でアーノルドは紳士の礼を取る。
それを小憎らしげに見つめながら、サウスは唇の端を吊り上げた。
「皆様をお待たせしましたこと、ここに陳謝致します。どうやら、何とか間に合ったようですね」
アーノルドのその言葉と共に、鐘の音が鳴り響く。
それは、エルドナークが誇る時計塔がもたらす宣告だ。
始まりの音が鳴る中、重鎮たちがゆっくりと頷き、片手を挙げて宣誓を示す。
養母と伯爵の間を抜け、アーノルドが石舞台の端に立つ。
その傍らに寄り添うは、自身の妻――マリーベル。
一瞬視線を交わし、夫婦は笑みを浮かべた後、仇敵へと向かい合う。
「成るほど、その様子だと偽物と入れ替わっていたか。随分と周到な事だ。一体、何時から気付き、準備をしていたのかね?」
「さあて、どうでしょうか。ご自慢の『力』で予測されては如何です?」
中空でぶつかりへしあう視線。混じり合うのは憎しみか、怒りか。それとも別の衝動か。
炎のような情念を交わし、アーノルドは左手に己が指先を添えた。
そうして口笛を一つ拭き、歯を剥き出し笑って見せる。
「待たせたな、侯爵閣下。遊戯盤をひっくり返しに来たぜ」
「不遜な口ぶりだな、若僧」
既に他の誰も口を挟めない。アーノルドとサウス、二人を取り巻く異様な雰囲気がそれを許さない。
観客たちが固唾を呑んで見守る中、『それ』が宙へと舞い踊る。
「大評定が開始するその前に、この言葉を告げる事をお許し願いたい」
白い、白い手袋。それは弧を描き、サウスの左胸へとぶつかり落ちた。
その瞬間、御三家と呼ばれたその男の、サウス・レーベンガルド侯爵が浮かべた表情は劇的なものであった。
羨望・怒り・狂喜に愉悦。あらゆる感情が入り混じった、あまりにもおぞましい笑み。
それを真正面から受け、アーノルドは口を開く。
「――サウス・レーベンガルド侯爵。貴方に、決闘を申し込む」
ゆっくりと、噛みしめるように放たれた言葉。会場中の緊張と興奮は最高潮に達し、どよめきが唱和を為した。
それに対し、サウスはますますと笑みを深め、涎を垂らさんばかりに荒い息を吐き出す。
高貴なる血筋、伝統を尊ぶ貴族の姿とはとても思えぬ、その異様。
瞬間、アーノルドの右腕に重みが伸し掛かった。
そこに在る妻の姿に頷きを返し、アーノルドは高らかに宣言する。
「妻の名誉と――我が、命を賭けて」
天も割れよ、とばかりに歓声が響き渡る。中産階級の上澄み達は勿論、粛々とした態度、感情を表に現さぬのが常の貴族や上流階級の者達。その誰もが理性を失したかの如く叫び、ステッキを振り回しながら言葉にならぬ叫びを放つ。
まるでそれは、古代の剣闘士達を見つめる、血に飢えた民衆の再現だ。
「あぁ……あぁ――」
混沌と狂乱の渦の中、その言葉が呟かれる。
恍惚とした、切望混じりのため息。
「――素晴らしい」
アーノルドの視線の先。
サウス・レーベンガルドは、待ちに待ったその一言を前に、とびきりの笑みを浮かべた。
次回は少し間が空きまして、来週・8/21(月)に投稿いたします。




