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幕間・7


「――大評定、か。思い切った事をするものだ」


 ワイングラスを片手に、サウス・レーベンガルドは微笑んだ。


「開かれたのはそれこそ、何十年ぶりか。あの『大悪災』以来ではないか?」

「何を呑気な!」


 寝室に響き渡る、金切り声。対面に座る妻が、憎々しげに口を荒げる。

 今日は、いつになく苛立っているようだ。美しい顔が醜悪に歪む様もまた愉しいと、サウスは思う。

 

「あの親子の名声が、ようやく地に堕ちたというのに! よもや、ここから情勢が引っくり返る等という、ことは――」

「あり得ぬ、とは言えんよ。神ならぬ人の身だ。この世に絶対などというものは無い」

「あなた!!」


 鋭い怒気を放ち、エリス・レーベンガルドは血走った目を吊り上げる。

 日頃、貴婦人を気取っているんというのに、これだ。尊き血など、全く当てにならない。

 妻のヒステリーは今に始まったことではないが、今宵のそれは常ならぬ勢いだ。

 視線で人を射殺せるというなら、とうにサウスは命を奪われている事であろう。

 

「あの愚物共は、グレーベル卿のみならず、第二王子殿下まで取り込んだのでしょう!?」

「ほぉ、良く知っているな。流石に耳ざといものだ」

「揶揄している場合ですか! クレアの失敗で囁かれた醜聞、ようやくここまで回復したのでしょう!? また、社交界で笑い者になりたいと、貴方はそう仰せでいらっしゃるの!?」


 気位の高い侯爵夫人としては、ほんの僅かな間とはいえ、自分達の評価が貶められたこと。

 それを良しとは思えないのだろう。


「紋章院や議会、そして女王陛下の名に於いて下される由緒正しき、名誉あるもの! エルドナーク最上位の評定! ここで下された評決は、如何なる者でも口を挟めない! それを、分かっていらっしゃるの?」

「あぁ、分かっているとも。まさか、今のこの時期に臨時議会を招集し、閣議を主宰するとは。よくも受け入れられたものだな。あの禿げ頭の首相殿もやるものだ」


 この未来は、視えてはいた。

 だが、それに至るまでの準備と行動が素早く、サウスにすらそれを悟らせなかったのだから、大したものである。

 

 やはり、『選定者』が集った影響か。少しずつ、自らの『運命図』が揺らいでいるのを、侯爵は冷静に感じ取っていた。


(……アーノルド・ゲルンボルクの仕業だな。一介の平民風情が、国を動かすか。全く不遜、神をも畏れぬ大罪である)


「何を、何を嬉しそうに笑っているのです!!」

「うん?」


 言われて、サウスは自らの口元を抑えた。

 小憎らしいあの青年。商人上がりの成金。

 どうやら自分は、彼の仕出かす事を、愉快と感じているらしい。


「私は許せません。ベルネラが社交の場でああも大きな口を叩いているだけでも、腹立たしいというのに!」


 それは彼女を招いた、そちらの責ではないか。

 そう思いはしたが、サウスはあえて口には出さない。

 

「勿論、手筈は整えていらっしゃるのでしょうね!?」

「ああ、言われずとも。そも、開催日に辿り着けるかも怪しいものだ」

「本当にございますね? 信じて宜しいのですね!?」


 手にした扇を握り潰さんとばかりに力を込め、エリスが荒い息を吐く。


「前に話した通りだ。視えた結果に従う。彼らが最短距離で帰り着くには、一つのルートを行くしかないのだ。逃げ場のない海路ではなく、当然ながら陸路だ。その日時も場所も、既に伝えたろう?」

「消してください、消して……存在そのものを、この世から……」


 最早こちらの言葉も聞こえていないのか。

 ブツブツと何やら呟く妻を見て、サウスは愉快そうに笑った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「今日は現れない、か。用心深い事だ」


 窓の外を眺め、サウスは肩を竦めた。

 待ち人が来ないであろうことを悟り、周囲を見渡す。

 四方に並ぶ書物棚。その中のひとつに目を留めると、書物を抜き出す。

 

 一冊、二冊、三冊。一定の手順で本を手に取り、次から次へと机の上へと乗せてゆく。

 

 最後の一冊を抜き出した瞬間。ガコン、という音が響く。

 それを確認すると同時、サウスは棚と棚の間へ手を指し込んだ。

 何の抵抗も無く白い壁が反転し、そこに一枚の絵が現れる。

 

「予言の時は来たれり。さて、どうするねアーノルド・ゲルンボルク。よもや、容易く罠に引っ掛かりはすまい?」


 であれば興ざめだ。期待外れも良い所である。

 

「折角、場を整えたのだ。最高の舞台で、私の――」


 不意に、胃からせり上がってくるものを感じ、サウスは身を屈めて咳き込んだ。

 

「ぐ、ふぐ、ぐ……が、は……っ!」


 堪えようとするも思うようにならない。ようやく微かに収まったと思ったその時、サウスの視界に鮮やかな色彩が映り込む。


「ふ、ふふ、ふ……段々と、間隔が短くなって、きた、な……」


 手の平にべっとりと貼り付いた赤い印を見て、思わず笑みが零れ出す。

 

「まだだ、まだ。もう少し保てば、それでいい」


 机にもたれかかり、息を整える。全身に及んだ痺れはやがて収まり、呼吸も静けさを取り戻す。

 指先が一冊の本に触れ、身を戻した拍子にページが捲れだした。


 そこに記されていたのは、エルドナークの歴史。大陸争乱期から、現在に至るまでの事件・事象がまとめられたものだ。侯爵家に代々伝わり、書き加えられていった書。門外不出の秘された事柄も少なくはない。


 開かれたページ、書き殴ったような震える文字列を見て、サウスは背を震わせた。

 

(もしも、アーノルドが本当に、初代公爵の生まれ変わりとするなら、数奇なものよ。思えば我が家系と王家の因縁は浅からぬものがあるな)


 そこに在るのは、二百年前の王太子交代事件についての真実だ。

 王太子の暗殺を目論んだとして、当時のレーベンガルド侯爵がその地位も名誉も剥奪されだという、歴史の転換点。『魅了』の『祝福』を持った娼婦の娘を利用した宮廷闘争に関して、その全てが記載されている。

 

 結果は、侯爵の敗北。密かに排除を狙っていた宰相と共倒れになり、一時は家門の存続さえ危ぶまれたという。

 それから時は流れ、世代は交代し、魂さえ移ろい変わった今。またもや、こうして相まみえる事に成ろうとは。

 

「先祖の無念を晴らす、等という殊勝な事は言わぬ。私はただ、自分の目的が叶えられれば、それで良い」


 その為に、『悪魔』とも手を結んだ。

 友も家族も何もかもを巻き込んで、ここまで辿り着いたのだ。

 

 その『目的』も大それたことではない。他人が聞けば憤慨し、あるいは呆れかえる事であろう。

 だが、それでも。サウス・レーベンガルドにとって、は何者をも引き換えにしても叶えたいものなのだ。

 

「……そうか。この絵を描いたのも、そうであったな。だとすれば、二百年どころではない、か。つくづく我が家系は、正しき者と相対する運命にあるようだ」

 

 狂喜とも呼べる笑みを浮かべ、サウスは絵に縋り付く。

 これを、この光景を。どれ程の間、待ち望んだ事か。

 

「さぁ、最高潮クライマックスだ、アーノルド・ゲルンボルク」


 どんな切札を用意した? どんな結末を持ち寄せた?

 あぁ、楽しみだ、愉しみだ! サウスは待ちきれず、絵の輪郭を、ゆっくりと指でなぞってゆく。

 

 来い、来い、来たれ。

 幾たびの妨害、障害をも乗り越え、我が元へ!


「あぁ、あぁ……もう、堪え切れない。どれ程に甘美で、もどかしい事なのだろうか」


 恋する人を待ち望む、乙女のような心持で、夢見るように呟く。


 視線の先に在るのは、古びた絵画。二人の男が月光の下で向かい合う、その場面を描いたもの。

 輝く光の中に在る彼らの姿は幻想的であり、見る者に神々しささえ感じさせた。

 だというのに、その画図の中には至る所に血飛沫が散り、凄惨極まる情景を描き出している。

 何処か鬼気迫るものさえ感じる、血生臭さと神聖さが同居した、奇跡の一枚。

 

「――終幕の時を、待っているぞ」


 ()()()()()()()()()()、その『予知図』を見ながら、サウスはうっとりと微笑んだ。

 

次回は8/11日(金)に更新いたします

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