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125話 数奇なめぐり合わせ、なのです



「そう、そうなのね。あの子の最後は、そんな風に……」


 ため息と共に、重々しい言葉が吐き出される。

 テーブルを挟んだ、その向かいに腰掛けながら。マリーベルは、何とも言えない気持ちで黙り込んだ。

 

 目の前の女性は顔を歪め、何かを堪えるように目を閉じる。

 握りしめた拳が、微かに震えるのが見えた。何を、どう声を掛ければ良いのか。

 子を失った母に対する言葉を、マリーベルは持ち合わせていなかった。

 

「お母様……」

「良いのです、ルナリア。とうの昔に、覚悟はしておりました。あの子が命を繋げ、こうしてその娘を連れて来てくれたこと。調和の神に感謝をせねばなりません」


 ルナリア、と呼ばれたその女性。マリーベルの母に良く似た面影を持つ彼女が、老婦人を労わるように、その肩に手を載せた。

 

「本当に、その……」


 躊躇うように、マリーベルは口を開く。

 

「あなた方が、私の――」

「信じられないのも無理はないでしょう。今、こうして居る私自身、夢を見ているような心持ちなのですから」


 老婦人は重い息を零す。まるで命そのものを吐き出してしまうようなその仕草に、マリーベルは思わず腰を浮かせてしまった。

 

「ありがとう、大丈夫よ。貴女は優しい子ね」


 それはひどく優しく、暖かな眼差し。

 マリーベルと同じ水色の瞳が、こちらをじっと見つめている。

 落ちつかない。どうにもこうにもソワソワとしてしまう。

 こんな気持ちを感じるのは、生まれて初めてであった。

 マリーベルの、そんな様子を察したか。妻のその肩を抱き、アーノルドは二人の女性に向き直る。

 

「ミセス・フローランス。ご訪問を受け入れて下さった事に、改めて感謝を。本日、こうしてお伺いを致しましたのは、在るお願いがあって来たからなのです」

「何でも言ってくださいな。()()()()()()()。いわば、我が孫も同然です。遠慮など要りません」

「ありがとうございます、そう言って頂けて光栄です」


 ()()。そう、目の前の老婦人は、マリーベルの母・サリアの生みの親。

 自身の、祖母であるというのだ。

 

「どうぞ、こちらをご確認ください」

「これは――」


 アーノルドが差し出した封筒。そこに刻印された紋章を見て、老婦人の顔色が変わった。

 

「そう、そうなのですね。ついに、その時が来たのですね」

「約定を果たすと、そう閣下からはお言葉を預かっております」

「あぁ……神よ……」


 聖印を切り、ルナリアが祈るように目を閉じる。

 娘のそれに倣うようにして、老婦人もまた封筒に手を触れ、静かに目を伏せた。

 

「良いでしょう。我が祖母から託された願い。今こそ、それを果たしましょう」


 老婦人は娘に目を向け、その肩を叩く。

 

「用意をして頂戴、ルナリア。私が行きます」

「まさか! いけません、お母様! 旅でしたら、私が――」

「貴女にはこの家を守る義務があります。お願いよ、ルナリア。これがおそらく、私の人生最後の役割となるでしょう」


 白髪交じりの髪をなびかせ、老婦人は顔を上げる。

 その表情には一点の曇りもない。むしろ、その佇まいには凛とした騎士の如き風格さえ感じてしまう。


「ミスター・ゲルンボルク。このアリアンナ・フローランス、父祖の名に於いて誓いますわ」


 その目に在るのは、炎。

 激情や義憤、様々な想いがない交ぜになり、紅蓮と燃え上がっていた。

 

「――孫娘の名誉は、必ずや私が守ってみせましょう」


 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「どういう事なのです、旦那様?」


 老婦人――アリアンナ達が退出するのと同時、マリーベルが困惑の目を夫に向けた。

 秘密主義はいつもの事だが、今度ばかりは心臓に悪すぎる。流石のマリーベルも、混乱の極みにあった。

 

「悪いな。期待させといて、人違いだった――っていうのは避けたかったのさ」

「本当です? 私の目を見て話してください」


 そう言ったと同時に、サッと顔を逸らすアーノルド。

 全く、旦那様と言ったら、もう! マリーベルは頬を膨らませてしまう。

 ここが他人のお屋敷でなければ、淑女キック・着席版が繰り出されていた所だ。

 

「よせ! その振り子のような足さばきを止めろ! 今は余計な痛みを負ってる余裕はねえんだ!」

「どの口が言うのです?」


 そんな掛け合いをしていると、徐々に調子が戻って来るのを感じる。

 何だか久しぶりの感覚だ。心が軽く、靄のようなものが晴れていく気さえする。

 

「話を整理させてください。あの方が、私のお母さんのお母さんで……お婆ちゃん、なんですよね?」

「あぁ、そうだな。間違いはねえだろうさ」


 面影が似ている、というだけなら証拠にならない。

 けれど、彼女は不思議な道具を持っていたのだ。

 

「私の血と、あの方々の血を混ぜたら、輝いた……」

「俺もあれには驚いたぜ。連れてくれば分かる、とだけ聞いていたが、まさかなぁ」


 それは、『祝福』に匹敵する程の、凄まじいものだ。

 フローランス家は、貿易で財を成した家系と聞くが、それが何故国宝級の代物を有しているのか。

 その答えは、先ほどアーノルドが渡した封筒にあった。

 

「――思えば俺も、ルスバーグの伝説に目を眩ませられていたのかもな」

「え?」

「出来過ぎた話だった。初代公爵夫人と同じ境遇を辿った娘。容姿もそっくりで、まるで童話の中から飛び出して来たか、ってな盛り具合だった。だから、気にもしなかった」


 アーノルドが天を仰ぎ、ため息を吐く。

 

「あるいは、これもレーベンガルドの『祝福』の力だったのか。とにもかくにも、疑問を押し込めてしまったんだ」


 俺とした事が、と。自嘲気味に夫は笑う。

 

「貴族に孕まされたうら若い娘。大きな腹を抱え、ハインツ領の片隅に辿り着き、そこで娘を産み、育てた。お前の言う通り、相応の苦労もあったろうさ」

「え、ええ……」


 生来の頭の回転の速さと、口上手で同情を集め、生活の基盤を叩き上げた母。

 そこに疑問があると、彼は言う。


「だったら、何故。真っ先に生家を頼らなかった?」

「あ……」


 それは、マリーベルも少なからず気になっていた事ではあった。

 母の両親について、尋ねた事もある。だが、曖昧な顔で首を振られ、悲しそうに微笑まれるだけであったのだ。

 

「お前の母親――サリア・メイズは、拾われ子であったらしい。そのファミリー・ネームは豊穣神メイズを指す言葉だ。食の豊穣を尊ぶ、シュトラウス伯爵領に良く見られるもの。中でも特に、教会の子等――拾われ子に付けられる性名だ」

「……!」


 アーノルドは淡々と、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「メレナリス卿夫人は言っていた。サリアは子守の娘だったと。それについても調査済みだ。彼女は赤子の時、牧師に拾われたそうだ。そうして彼の妻が子守ナースを担っていたようだな。その縁もあり、メレナリス男爵家に務めた――」


 けれど、と。アーノルドは目を閉じ、微かに首を振った。

 

「ある年に蔓延した流行病で、両親は死亡。生まれ育った村も壊滅的な打撃を受けたそうだ。若きも老いも関係なく、死者数は相当なものであったらしい。無事であったものはごく少ない。奉公に出ていたお前の母も、難を逃れたその一人だ」

「そんな、ことが……」


 だからか。母は、自分一人が生き残ってしまった事を心苦しく思っていたのだろうか。

 明るかった彼女が、その話題となると口を閉ざす程に。

 頼りたくても、頼れなかったのだ。自身の育ての親はこの世におらず、本当の両親は知る術も無い。

 

「あの国の医学は未だに発展途上だ。発達した文明に反比例するような歪さ。それを被るのはいつだって、末端の民だ。だから、俺は――」

「旦那様……」

「っと、すまねえ。話が逸れちまったな。とにもかくにも、あのご婦人が持つ道具と彼女自身が、この盤面をひっくり返す切り札だ」

 アーノルドは力強く頷き、妻の手を握りしめた。

 

「首相閣下から、連絡が来た。五日後、『大評定』が開かれる」

「え、まさか! 叶ったのですか!?」

「あぁ、第二王子殿下が力添えをしてくださったようだ。イーラアイム――あぁ、今はもうグレーベル家のご令嬢か。彼女が王子に強く働きかけてくれたらしいぜ」

「ミュウさんが――」


 マリーベルの、王宮での師。鋼鉄のご令嬢の顔が思い浮かぶ。

 彼女もまた、自分に力を貸してくれたのか。

 知らず、目頭が熱く潤んで来た。


「やるぞ、マリーベル。そこで、このふざけた遊戯を終わらせる」


 獰猛ささえ浮かぶ、アーノルドの笑み。

 悪い癖が出たな、と感じつつ。それを頼もしく思う自分に、マリーベルは驚いた。


(……そうだよね。いつも、いつだって。私達はどんな窮地もぶち壊して進んできたものね!)


 ふつふつと、胸の内に闘志が沸きあがる。

 それは、諦めていた肉親に会えた事による、嬉しさか。それとも――

 

「……良い顔になったじゃねえか」

「旦那様こそ」


 互いに顔を見合せ、不敵に笑い合う。

 そうだ、自分達にしんみりとした空気なんぞ似合わない。

 これが、マリーベルとアーノルド。これが、ゲルンボルク夫妻なのである。


「エルドナーク中に知らしめてやろうぜ。俺達夫婦を舐めたら、どんな目に遭うかってな!」


 高々と宣言するそれに応えるように。マリーベルもまた、夫の手を強く握り返した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……準備が出来たか」


 エルドナーク王宮・パルティアナ宮殿。

 自室の椅子に腰かけ、ランドール・エルドナークは己の肩をほぐした。

 

「やれやれ、慣れぬ仕事は疲れるな。お前だけを見て、お前だけを愛でていられる職は無いものか」

「殿下、お戯れはお控えなさいませ」


 ぴしゃり、と。妄言を切って捨て、ミュウが微笑んだ。

 最近、言うようになってきたと、ランドールは僅かに苦笑する。

 不愉快では無い、むしろ逆だ。生き生きとし始めた最愛の女性の姿に、胸がときめいて仕方が無い。

 叶う事なら、今すぐにでも寝所に引き込みたい。いや、疲れを癒すために許されるのではないか。

 

 ――許される。うむ、間違いない。

 

 そう結論付け、腰に回そうとした手が、叩き落とされた。

 

「殿下、お待ちを。今はまだなりません」

「そうか。そうなのか……」

「う。そ、そのような可愛らしいお顔をされても、なりません!」


 ぷい、と。顔を背けるミュウ。その頬がほんのりと赤く染まっているのが可愛らしく、ランドールはもうたまらない気持になる。


 どうしてこの娘はこんなにも愛らしく、可憐なのだ。神とやらも、たまには良い仕事をする。これ程に美しく聡明で心優しい女性を、自分にめぐり合わせてくれたのだから。

 

 不敬そのものの考え。老首相辺りが聞けば、またお説教が飛んでくるだろう。

 と、そこで。不意に身じろぐ気配がして振り向けば、ミュウが顔を真っ赤にして縮こまっていた。

 

「で、殿下……本当に、どうか。お、お戯れを口に出すのは、お止めくださいませ……」

「おう」


 どうやら、実際に口から出していたらしい。

 

「だがしかし、我が言葉は真実である。お前は美しい。可憐だ。素晴らしい。努力を重ねて開いた花の芳しさ、それはこの世の何にたとえられるだろうか。ミュウ、お前ならば知っているか?」

「ぞ、存じませんっ!」


 頬に手を当て、熱い吐息を吐き出す婚約者。これはやはり、寝所に行っても良いという印ではなかろうか。

 王子の視線が段々と怪しくなっているのを察したか。ミュウが咳払いと共に、身を離してしまった。

 

「それよりも、殿下。間に合うのでしょうか。レーベンガルド卿のこと。恐らく、動きに気付いている筈です。となると、必ずや妨害をしてくるはず」

「出来なければ、それまでの輩であっただけのこと。私はするべき事を為した。恩に報いる為にな。それ以上は何も動かん。面倒だ」

 酷薄とも言える言葉。

 しかし、その口ぶりとは裏腹に、ランドールは確信していた。

 

「心配するな。お前が友と呼んだ女と、その夫だ。あの破天荒極まりない夫婦ならば、きっと――」


 箱庭に手を触れ、第二王子は笑う。

 僅かに七日足らずで、王宮に渦巻く悪意を晴らし、解決に導いてしまったあの二人なら。

 こちらの期待を裏切る事はあるまいと、そう信じているのである。



「――思いもよらぬ方法を用いて、我らを楽しませてくれるだろうさ」

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