117話 作戦会議をしましょう!
「組み合わされると不味いのは、レーベンガルド侯爵の『祝福』とラ=ズリの絵画だ」
アーノルドの言葉に、周囲に居た者達が一斉に頷く。
正餐会を終え、判明した事実と描かれた不吉な未来。
それを避けるべく、ゲルンボルク夫妻の味方側である面々は今、屋敷に集まっていた。
マリーベルとその夫であるアーノルド、ディックとレティシアのマディスン夫妻。食客であるフェイル・セルデバーグに、屋敷の使用人であるアンとティム。更に末席には悪食警部・ベンジャミン・レスツールの姿もあった。
現状八名。そのうち味方側の『選定者』は三名。今、これが事情を知り得た上で信頼できる上限の人数であった。
「色々と手を広げて見ましたがねえ、ヒヒッ! ラ=ズリの絵画を他に所有していた人間は、知り得た限りでは王都に六名。そのすべてが、何らかの原因で絵を手放していますねぇ」
独特の喋り方で、悪食警部が情報を開示する。
「時期は?」
「大分バラバラですねえ。古い所では二十五年前。最新では半年前ですか」
「半年前……」
「そう、貴方がたが巡り合った頃ですなぁ、ひひ!」
アーノルドの問いに、悪食警部が嗤う。
何がそんなに可笑しいのかとマリーベルとしては憤慨したくもなるが、これが彼の常である。
最近では少し慣れ始めてしまった。
「絵の流出先は? 突きとめられたのですか?」
「それが、何とも巧妙でしてねぇ。幾つかのディーラーとブローカーを経由して秘匿されている。その辺は、あなたの奥方の方が詳しいのでは?」
ディックの質問を軽く流し、矛先をレティシアに向ける悪食警部。
その際、眼鏡秘書の眉があからさまに顰められる。二人の相性はあまり良くはないのだろう。
そんな夫の肩を軽くたたき、レティシアが優美に微笑んだ。
「そのうち二つは、何とか。寄越された先を突きとめる事は出来ましたわ」
流石はレティシア先生。相変わらずの謎めく情報網をお持ちであった。マリーベルが感心すると同時に、警部もまた口笛を吹いて答えた。
「けれど、二枚ともが焼失してしまったようで」
「ほほう?」
「絵を保管していた倉庫が、不審火にあったようですね。納入直前で焼け落ちた――と」
悪食警部の目が細まる。その様子を見て、マリーベルは察した。これは恐らく、彼も知っていたのだろう。こちらの調査力を試したのか何なのか、全く持って喰えない男であった。
「絵画の納入予定の先は、ルスバーグ公爵家」
「……やはりか」
アーノルドが舌打ちをする。だが、絵を焼け出されたとは、どういう事なのだろうか。
単なる目晦ましで、本物は既に運び込まれたのか。それとも――
「幾らなんでもあからさま過ぎる。単なる火災とは思えねえな。絵の価値を知っているのが、公爵家以外にも存在するっつうことか」「公爵家はどういうつもりなのでしょうね。商会長、その辺りもお聞きになられたので?」
「あぁ、前から気になる言動があったからな。ルスバーグ公は、昨今主流になりつつある質実剛健派の筆頭だ。貴族の未来を危ぶむのも当然かもしれねえが……少し、引っ掛かる物があった」
『これからの貴族は、浮ついてばかりではいかんのだ。伝統は良い、父祖から継ぐそれは素晴らしきことだとも。だが、時代は変わるのだ。適応せねば、滅ぶのはこちらの方だぞ』
かつて開いた展覧会で、そう言って延々と愚痴を吐いたルスバーグ公。
『人形』を見た時の反応もそうだ。これから、ああいったモノが続出すると確信めいた言葉を口にしている。
少し先見があるものなら、予測は出来るものかもしれない。だが、あれらの言葉がもしも、わざとこちらに聞かせるように意図的に使われたものであったなら?
夫の考えすぎだと、一笑に伏す事は出来ない。何故なら現に、ラ=ズリの『未来図』が公爵家に存在したからだ。
無論、贋作の可能性は否定できない。だが、それならば『未来』が描かれた絵画の存在自体を公爵は知っている事になる。どちらにしろ疑わしいのだ。
「公爵本人としては、商会長に友好的ではあるのですね?」
「あぁ、表面上はな。議会では、例の件について後ろ盾になるとも約束してくれたよ。不気味なくらいにあっさりと話が進んでいる」「どうにもこうにも、誰も彼もが胡散臭い。貴族社会とは厄介ですねえ。いやいやほんとに、背筋が寒い、ヒヒッ!」
「お前が言うか」
大体にして、満月の夜に正餐会が開かれたこと自体が勘ぐってしまうのだ。
レーベンガルド侯爵の『祝福』は、月の満ち欠けに左右されると聞いた。そして、それが満ちる時に恐らく、最大の効果を発揮するだろうことも……
「シュトラウス閣下はどうお考えなのでしょうか、セルデバーグ様」
「爺様は完全な王太子派だからね。彼に有意な事態で在る限り、変な事は考えませんよ」
「そらどうも」
ディックの質問に、柔らかな笑みで応えるフェイル坊ちゃま。
これもこれで癖がある返答だ。本当に貴族というものは、何もかもが面倒くさい。
マリーベルは内心でげんなりとする。本当に夫が平民の大商人で良かったと思う。
「どうにも後手後手だな……。仕方ねえ、引き続き絵の捜索には当たってくれ。だが深追いはするな。それと、レーベンガルド侯爵の動きにも留意しろ。何かを仕掛けてくるとしたら、この辺りに違いねえ」
「とはいっても、旦那様? 防ぎようがなくないです?」
予想も何も立てられない。疑心暗鬼に陥るだけだ。
「……首相閣下にも連絡は取ってある。外遊に出ている王太子殿下に『祝福』を使って貰う訳にはいかねえが、一応話は通しておいて頂いた」
例の毛髪を使っての事だろう。確かにあれは便利である。意志疎通の道具としてはこの上ない代物だ。
……その代償が果てしない事を除いて、だが。
そう思い描いたマリーベルに対し、アーノルドは複雑そうな視線を向けた。
それは、彼もまた首相閣下に同情した――からではない。
この話し合いの場を設ける直前、旦那様は妻に対しこう言ったのだ。
『第二王子殿下にも話は付けてある。場合によっては王宮に退避しろ。殿下の『祝福』なら、お前を守るには打ってつけだ』
不敬にも程がある発言だ。
仮にも一国の王子に対し、妻を守る道具扱いとは何事か。
呆れつつも、マリーベルは夫へ向けて首を横に振った。
先の事は分からないが、自分がそんな状態になるようではもう、事態は相当危うい所まで進行している。
だったら、自分のすべきことはひとつ。この拳と口先、手練手管を尽くして、アーノルドの敵を打ち払うのみだ。
その結果が何であれ、後悔はしない。むしろ、自分の知らない所で夫が危険な目に遭う方が心配極まりない。
――と、改めてその辺りを含んだ視線を返すと、アーノルドはため息を吐いて苦笑する。
目は口ほどに物を言う、だったか。フローラのような『祝福』がなくとも、マリーベルと旦那様は夫婦。
以心伝心というやつなのである。
「……二人だけの世界を作ってないで、先を続けてくれませんかねえ」
「む、お、おう」
悪食警部の口からそう言った声が届くのだから、相当のものだったのか。
何となくマリーベルも恥ずかしくなってしまい、レティシアから生暖かい眼差しを向けられた。
それは、貴女もこっち側に来てしまったのね、という半ば諦めが混じったもの。
彼女自身も、身につまされる事があるのだろう。
境界を踏み越えた感を覚え、マリーベルはむず痒さに身をよじった。
「あれだ、なるべく一人で行動するな。拠点はこの屋敷に置く。寝泊まりも基本、ここで行え。会社の事業に関しても、今は軌道に乗っている。役員を通して指示を出せ。マリーベルも、社交は当分休むことだ。理由は後ででっち上げておく」
コホン、と咳払いをした後の夫の口調は滑らかだった。
すらすらと指示を出した後、トントン、と。自身のこめかみをノックする。
「後は……アストリアか。悪食警部のとっつあぁんよ、そっちはアンタが得手だろう。レモーネ・ウィンダリアの『これ』について詳細を詰めておいてくれ」
アーノルドが書類の束をテーブルに投げ出す。以前、ラウル・ルスバーグから得たウィンダリア公爵家についての子細だ。
「了解、了解。望むところってもんです。ひひひ、やはり貴方は素晴らしい。ちゃんと約束を守ってくださるのですから」
「ハイツ男爵の分も頼むぜ。当時の捜索に当たっていた連中も、アンタなら顔が利くだろう」
「はいはい、そっちもやってますよ」
肩を竦めあって合図を交わす男性二名。何ともまた、胡散臭い構図であった。
「それと――坊ちゃん、ひょっとして、なんだが。絵画の残り香を追えるか?」
「難しいかもしれないけれど、やってみたいな。興味があるよ、どんな風味がするのだろうか。熟成された、芳醇なワインのような味わいかな? とりあえず一度、現物を見たいねえ」
「お義母上様に頼んでおく。レティシアと組んで回ってくれ。道中の飲み食いは好きにしろ」
ひゃっほう、という歓声。人はこれ程に嬉しげな声を出せるものなのか。
目をキラキラと輝かせた少年の姿に、その場に居た誰もが苦笑めいたものを零す。
飲み食いにかまけすぎるな、と注意をするアーノルドの姿が、マリーベルは微笑ましくてたまらなかった。
先は見えない。未来を包む霧の中に、希望があるやも分からない。
けれど、この人が傍に居てくれるのなら。たとえ死が近付こうとも、恐れるものか。
恋する乙女は無敵だとか何とか、メイドの誰かが言っていた。
その言葉の意味が、今なら良く分かる。気を付けねば勇み足を踏んでしまいそうな程、マリーベルは夫への想いを募らせていた。
こちらを見る気遣わしげな視線、態度、表情。その全てが愛おしくて狂おしくて、叫び出したくなる。
――何があろうとも、怖いものなんてない。この人から離れる事こそ、害悪だ。身を引き裂かれるように辛く思う。
自分達は夫婦だ。神さまの前で誓い合った絶対の関係。始まりは政略結婚であっても、想いが通じ合ったのなら関係ない。
旦那様は、マリーベルが守るのだ。そうして二人で幸せな未来を掴み取るのだ!
胸の奥から生じる、熱くうねるような衝動に胸を高鳴らせつつ、マリーベルが改めてそう誓った、その時だった。
「……ご主人様、危急です」
「なに?」
「セシリア様が、いらっしゃっております。すぐに通せと、とても焦られたご様子で――」
アンの声に、アーノルドの顔が強張る。雷に打たれたかのように身を震わせ、席を蹴って立ち上がった。
何事かと、困惑めいた視線が飛び交う。だが、そのざわついた声は、すぐさま別の衝撃に取って代わられる事になった。
「坊や! 大変だ! 前ハインツ男爵が――」
許可が出るや否や、応接間に飛び込んで来た女性新聞記者。
彼女がもたらしたものは、それほどに恐ろしいものであった。
少なくとも――マリーベルにとっては、何よりも。
「遺言状――それに比する文書が公開された! 印章付の、正式なものだ! それを提示したのはレーベンガルド侯爵で――」
そうして突きつけられる、決定的な言葉。誰かが息を呑む声が聞こえる。
嘘だ、と思った。これは夢だ、と思いたかった。
マリーベルの足から、力が抜けてゆく。慌てて横から抱かれるように伸ばされた手は、誰のものか。
それすらわからない。何もかもが現実味が無い。
彼女の声が、叫びが。耳を素通りしていくようだ。
だって、それは。それが事実となってしまうのなら、マリーベルは。
『――おかあさん。私のおとうさんは、どんな人だったの?』
耳鳴りがする。遠い昔、そう言って母を困らせた情景が、何故だか鮮やかに浮かび上がる。
マリーベルは、何処か他人事のような気持ちで、歪む視界をただただ見つめる他、無かった――
――その日、王都を激震させる『それ』が公開され、社交界のみならず広く民衆の口々に興奮と共に上る事となる。
紋章院が正式に認めた、印章付の本人直筆の公式文書。贋作でない事を示す、公証人のおまけつき。
そこには、怒りさえ滲ませるような文体で、こう書かれていた。
『マリーベル・ハインツを名乗る、その娘は――我が子に非ず』




