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114話 審査


 食事が一段落すると、それを見計らったかのようにルスバーグ公夫人が立ち上がり、視線で合図を送る。

 それがなんであるか、アーノルドは妻から聞いて知っていた。それは、席を立ったマリーベルの眼差しからも見て取れる。

 

 ――つまるところ、ここからが本番なのだ。

 

 しずしずと退出していく淑女達。最後にこちらを心配げに見たマリーベルに頷き、アーノルドは周囲をそっと見渡す。

 紳士達は椅子を中央――公爵の周りに寄せ、口々に感嘆の声をあげた。

 

「いやぁ、見事な料理でした。特に鱈の頭とヘッドアンドショルダーは素晴らしい。旬はもう過ぎたと思っておりましたが、中々どうして、見識を改めましたぞ。あのソースが絶品ですな。良いバターを使っていらっしゃる」

「私はメインの骨付き肉が気に入りましたな。口に含んだ時に滴る肉汁が何とも言えませぬ。それに、公の切り分け方もまた見事で……」


 飛び交う賛辞に対し、公爵は涼やかな笑みで応える。

 遊び人の弟を持つ、苦労人の印象が強かったが、流石は大貴族の一角。

 そつのない応対を行うルスバーグ公に、アーノルドは内心で舌を巻いた。

 

 こちとら、何か失敗をしないか冷や冷やしていたというのに。妻ともども、分不相応な立ち位置に晒され、試されるような態度を取られてはたまったものではない。

 

(面白い趣向だったさ、ったく!)


 こういった雰囲気に強い妻ならともかく、アーノルドは平民上がりの商人なのだ。

 加減をして貰いたいものだと、そう思う。

 

「大変美味な料理の数々、学ばせて頂きました」

「気に入って貰えたようで何よりだ、ミスター」


 周囲の声がひと段落したのを見計らい、アーノルドは公爵へ声を掛けた。

 あくまでも紳士的な態度を崩さず、である。腹芸はまぁ、そこそこに得意な物だと自負していた。

 

「叶う事ならば、今夜の意図をお聞かせ願いたい所ですがね。料理が素晴らしいだけに少々、胃に悪くありましたよ」

「軽く凌いだように見えたけどね」


 皮肉気に笑ってみせると、そこに口を挟む声一つ。それが誰か、問うまでも無い。

 そっと視線を向ければ、紳士の輪から離れた場所、そこに佇む青年の姿が見えた。

 公爵家の次男坊。ラウル・ルスバーグである。

 

「これでも内心は冷や汗ものでありましたとも。妻が良くやってくれましたからね」


 得意の仕草で肩を竦めてみせると、含むような笑い声がそこらかしこから聞こえた。

 

「確かに、意地の悪いことであるな。ルスバーグ公らしくもない。弟君に感化されましたかな?」

「私は面白い趣向だとは思いましたがね。正直、成り上がりの商売人と侮っていましたが、どうやらそうでもないらしい」

「認めさせるため、というわけですかな。時間を無駄にはせずに済んだことは喜ばしいね」


 口元を緩ませてはいても、視線は好意的半分、好奇半分と言った所か。そうアーノルドは分析する。

 檻に入れられた珍獣、見世物にされた気分であるが、腹を立てるつもりはない。


「皆様のお心を楽しませる、その一助となったのなら光栄ですね。誉れというやつですかな?」


 表面上は余裕をたっぷりと見せ、アーノルドはワインを口に含んだ。

 要は商談と同じである。ハッタリと度胸が肝心だ。侮蔑や軽蔑は受け流すに限る。

 一々と真正面から相手をしていては時間が勿体無い。

 

 興味深げにあれこれと掛けられる質問。時にはおどけ、時には声を潜めて。ユーモアを含ませるのも忘れない。

 見下されるのは構わないが、侮られるのは駄目だ。それは自分だけでなく、妻の――マリーベルの名誉にも関わる。

 

 アーノルドは自分の女に、そんな汚名を着せるつもりは無い。

 

 口を開く度に段々と、空気は軽く、緩やかなものへと流れてゆく。

 今夜招待された中にはアーノルド自身も所在する、王太子殿下のクラブメンバーも少なからず存在する。

 彼らの目線が時を追うごとに穏やかで、親しみ深い物へと変ずる。勿論、それが分からぬアーノルドでは無い。

 その意図を察し、思わず苦笑が漏れそうになった。


(……つまり、これが真の入会試験だったわけだ)


 それを仕組んだであろう男を軽く睨み付けてやると、正解、とばかりに『名探偵』がグラスを掲げた。

 上手く嵌められたというわけか。アーノルドの動きをどこまで推理していたかは知らないが、油断のならない男であった。

 

「……気を悪くしないで頂きたい。殿下は関与しておらぬことゆえ」


 アーノルドの視線を見て取ったか、一人の紳士がそっと頭を下げた。

 この場に招待されるほどの有力貴族の一員である彼が、平民にで、ある。


「頭をお上げください、ヒューレオン閣下。このような場で皆様にお目に掛かれただけ、僥倖というもの。私はこの上ない体験に、感謝しております」


 ギリアム・ヒューレオン。八大侯爵家の一つ、ヒューレオン侯爵家の現当主。

 年齢はアーノルドと同じか、少し下。貴族には珍しい、夜を思わせるような漆黒の髪を持った、見目麗しい青年である。

 そして、彼もまたクラブ「クレイヴソリッシュ」のメンバーであった。

 王太子殿下の右腕とも称される、堂々たる大貴族。先の騒動では王宮に姿を見せはしなかったが、恐らくは何らかの命を受けていたに違いない。凍てついた氷の如く表情を顔に出さない男。考えが読みにくいが、味方側であるなら心強いというもの。

 

「なにしろ、この上の無い機会だ。応接間からコーヒーが届くその時まで、皆様から紳士の会話をご教授願いたい」

 

 あくまで柔和な態度を崩さず、アーノルドは紳士の礼を取った。


「あぁ、良いとも。新たな同胞に、我らからの祝いだ。何でも聞いてくれたまえ」


 メンバーの一人が、そう言ってグラスを合わせて来た。

 その様子を見て、アーノルドは確信する。当たり前だが、王太子殿下が知らぬ筈は無いだろう。

 少し話せば分かる。アルファードは恩義と、王族としての責務を切り離せる男だ。

 むしろ、そうでなくては困る。でなければ、推す価値も無い。

 

「では、まず初めに――芸術についてお聞かせ願いたい」


 アーノルドの視線が、輪の外に在る一人の紳士にピタリと定まる。

 年の頃は五十かそこら。見事な髭を蓄えた、貫禄ある風体。

 彼は貴族では無い。身なりこそ最上級の装いだが、平民である。

 それが何故、この場に呼ばれたか。妻から得た知識が、その答えを弾き出す。

 

「当代きっての芸術家。古典派の俊英たるグローア・ローディアム氏の名は私も聞き及んでおりますよ」


 正餐会において、客を退屈させない事は何よりも重要だ。

 ゆえに、主催者は人選にも苦慮を重ねねばならない。ユーモアと機知に富んだ会話が出来る者、そして身分こそ低いが演奏などで雰囲気を盛り上げる者。芸術家などが呼ばれるのは定番であった。

 

 無論、公爵家のそれともなれば、相当に厳選された著名人でなくてはならない。

 グローア・ローディアム。大陸争乱期に主流だった『古典派』と呼ばれる伝統の正当継承者。その彼が今、ここに招かれた理由の意図は――

 

「いかがかな、ラウル・ルスバーグ閣下?」


 アーノルドの問い掛けに、名探偵は満足げに微笑むのだった。

 

 

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