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109話 謎めく秘密の部屋ですよ!


 暗く、埃が積もったレンガ仕立ての階段。気を付けて進まねば崩れてしまいそうなそれを、慎重に、慎重に踏みしめながら下へ下へと降りてゆく。ランタンの灯りのみに照らされた空間は狭く、息苦しく、重々しささえ感じる。まるで四方から圧迫されているような錯覚すらあった。

 

「いいね、実にいい。とても雰囲気が素晴らしい!」

「何処がだ」


 夫の指摘に対して不敵に笑い、女性記者は軽やかな足取りで、ステップでも踏むように階段を駆け下りる。

 何処となく、確信めいた物さえ感じさせる足取り。アーノルドと視線を交わし、マリーベルは彼女の後を追った。

 

「旦那様、この壁に刻まれた紋様」

「あぁ、何かの壁画みてぇになってるな」


 それは、一連の物語を指示したものであるように思えた。

 奇怪な動きをする幾人もの甲冑と、王らしき者に率いられた男女が向かい合っている。

 後者の服装は、何処となく高貴めいた物にも見える。身分が高いのだろう。恐らくは貴族か、それに準じる者たち。

 

 それは恐らく、戦いの図。二つの戦力がぶつかり合う事を示している。

 壁画に現された両者。それに対し、マリーベルは何となく閃くものを感じた。

 きっと、夫も同じことを思っているのだろう。

 

「……二十六体、居たな」


 アーノルドの声は、それを証明するように正確に甲冑姿の異形の騎士達の数を言い当てていた。

 二十六。それは、すなわち――

 

「――おっと、行き止まりだ。フム、流石に錠が掛かっているか」


 セシリアがランタンを翳すと、そこにレンガで出来た扉が浮かび上がった。


「……霊廟で見たものと似てやがるな」


 夫の顔に、緊張が走る。マリーベルはふうっと息を吸い込み、前へと歩み出た。

 そうして錠前に、指を触れ――

 

「おっと、崩れてしまいました。どうやら錠が腐っていたようですねえ」

「マリーベル、お前……」

「これは中に入れ、というお達しでは?」


 アーノルドが何かを言う前に、マリーベルは微笑んだ。

 ここまで来た以上、ただでは戻れまい。

 セシリアの方を伺うと、彼女は何処となく面白げな笑みを浮かべ、こちらを見ているようだ。

 

「成るほどねえ、そういう事もあるか」


 それ以上の追及は無い。マリーベルもまた、彼女の言葉を聞き流し、扉に手を掛けようとして――

 

「俺がやる。下がってろ」


 夫に押しのけられ、強引に背後に隠されてしまう。

 相変わらず、過保護な旦那様である。そこに不満と共に、確かな愛情が在るだろうと感じ、マリーベルの頬が自然に緩み出す。

 

「何も聞こえませんし、特筆するような匂いはありません」


 マリーベルが開けようとした時点で気付いてはいたろうが、一応言葉に出しておく。

 その辺の探知はぬからないのだ。

 

 アーノルドがそっと扉を押しあけると、中から黴臭い匂いと共に、埃がムアッと立ち昇った。

 

「フム、ここは――」


 ゲルンボルク夫妻が警戒をする間に、横からするりと入り込み、セシリアが一番乗りを奪取する。

 

「――書斎、かな?」


 そこは、ごくごく狭い一室であった。人が四人も入れば手狭になるだろう。外と同じくレンガ造りで構成されており、奥に木製のチェアとテーブルがひとつずつ。後は壁一面に古びた本が敷き詰められており、まるで書物の森に迷い込んだかのようにさえ思える。

 

 付近にあった幾つかの燭台へ、セシリアは器用に火を灯してゆく。実に手慣れた動作であった。

 視界が開けたことにより、細部にまで目が届くようになったか、アーノルドがその眼差しを薄く細めた。

 

「エルドナークの書物だけじゃねえな。アストリアと、巻物状のこれは――古代リルーサ文明期の書物か」

「『十二神の栄光』もあるねえ。これ、確か幻の書物とかされていたやつだよ」

「博物館に持ち掛ければ、学者どもは目を剥くだろうな。複写でもすれば、良い商売になりそうだ」


 どうやら貴重な書物の類がここには山ほどあるようだ。

 ウィンダリア子爵家といえば、マリーベルの実家ほどではないが、それなりに歴史ある貴族の家門。古い文献を蓄えていてもおかしくはない、のだが――

 

「代々の当主に受け継がれたものかな。どうにもクサイ物を感じるね」


 セシリアが気軽にその辺の書物を抜き取り、無造作に開いてゆく。

 

「何か、お目当ての物は見つかったのか?」

「さあねえ。ただ、この屋敷の前当主もここを使っていた事は間違いないだろうさ」


 それは何故――と、マリーベルが問い返そうとした時、アーノルドが一冊の本を机の上に投げ出した。

 

「これは新王国の本だ。押された印字は、三十年ほど前のもの。つまりは、そういう事だ」

「成るほど。しかし、何でこんな不便で不衛生な場所をわざわざ使っていたのでしょう」

「表には出せない物があったから――だろうね」


 セシリアが、手元に収めた書物を、くるくると回して見せた。

 

「これは、アストリアで禁書扱いされたものだ。所持しているだけで厳罰の代物。どうやって手に入れたのか、実に興味深いね」


 現在で流通している紙とは明らかに材質が異なるそれ、表紙も何も無く、ごわごわとした紙のようなものを纏めただけの『書物』。それを指でなぞりながら、女性記者は妖しく笑う。

 

「マリーベル」


 机の下を覗き込んでいたアーノルドが、何かを見付けたらしい。

 こちらを手招きしながら、その奥にある箱を指差した。鉛か、鉄で出来ているのか。重々しい形状だ。

 

「はい、旦那様」


 何をするのか、等と問う必要も無い。軽く息を吸い込み、箱に触れる。微かに火薬の匂いがする。それと、何かの薬品の香り。それは箱の上層部に在るようだった。密閉されている限り、どうという事はあるまい。だが、酷く重量がありそうだ。持ち運びには適していまい。まぁ、『祝福』を持つマリーベルには関係の無い話であるが。

 

「一定の手順を踏んで開けないと、仕掛けが動作する型だな」


 そこらかしこに過剰な装飾が施されており、針や鍵の差込口も複数在る。

 これは解除の法を知るものでなければ、どうにも出来まい。

 

「という事は、この中には重要な何か、が……!?」


 ちょっとワクワクしてくる。推理小説を読み漁るのを趣味とするマリーベル。こういった演出は、自身が愛読する作家の、その最新作であったやつだ。何十年も前に絶えた貴族の、その屋敷! 隠し通路の地下室! おもむろにお出しされる、いわくがありそうな謎の箱!

 

「こじ開けましょうか!? 匂いと音で何処をぶっちぎれば良いか、当たりを付けられますし! 一応の安全の為、もっと広い場所まで持って行って――」

「落ち着け落ち着け。サラッとちぎるとか言うな! 一応は鉄か鉛の箱だぞ、それ!」

「あ」


 興奮のあまり、地が出てしまった。

 思わず頬を赤らめそうになったマリーベルの、その肩に手が触れた。

 

「まぁ、そっちの方がいつものお前らしくて安心するけどな。ここ最近は、妙に大人しかったろ」

「うぅ……」


 しまった。猫かぶりの上に更に被った淑女の仮面が台無しである。

 清楚で可憐な奥様になり、旦那様に愛してもらおう計画、いきなり暗礁に乗り出してしまった。

 

「焦る気持ちも、まぁ……何となくは分かるがな。俺も色々とその、年頃の女の扱いに長けているわけじゃあねえし。上手く気持ちに応えられてねえのは、すまないと思ってる」

「いえ、そんな!」

「でも、お前が俺の事を、なんだ、その――そう想ってくれているのは、素直に嬉しい。どうも俺はその辺が不器用だからな。商売上の付き合いなんかはともかく、恋とか愛とか、良くわかんねえままこんな年になっちまったしな」


 情けねえ話だ、と。アーノルドはため息を吐く。

 

「それに俺ぁこんなツラだし、貴族でも何でも無い平民の成り上がりだ。お前を金で買ったも同然だしな。なのに、俺に対しこんなにも尽くしてくれるお前を、その……」


 むずがゆ気に頬を掻きながら、アーノルドはマリーベルの瞳に己のそれを合わせ、照れ臭そうに微笑んだ。

 

「愛して、いる。誰よりも大切だ。それだけは、間違いねえ」

「旦那様……っ!」


 マリーベルの脳裏を、祝福の鐘が鳴り響き始める。

 そのお顔は反則だろう。胸がどきどきとして止まらない。仄かな灯りに照らされた夫の表情は、うっすらと頬に赤い物が差し込んでおり、妙に可愛らしく思えた。何なのだこの人。マリーベルをどうしたいのだ。何故こんなにも、こちらを魅了してやまないのだ!


 もうたまらず、狭苦しい場所であることも忘れ、夫の逞しい胸へと飛び込もうとした、その時だった。

 

「……いや、素晴らしい光景だよ、うん。尊い愛の姿を見せつけられて眼福だとさえ思う。良くこんな所で盛り上がれるものだと感心もした。だけど、その。流石にいたたまれないので、そろそろその箱の中身について、検討させて貰えたら助かるんだが」

「あ」


 忘れてた。存在を頭からポイッと投げ捨てていた。こちらを覗き込むセシリアの瞳が、何だか虚ろであった。

 何処となく哀愁を漂わせ始めた女性記者から目を反らし、マリーベルは鉛の箱を手に取った。

 

「と、とりあえず持ち出しましょうか?」

「いや、それは横に置いてくれ。外にまで持って行く必要は多分ないだろうさ」

「え?」


 夫の意図が掴めず、マリーベルは目を瞬かせた。


「あぁ、成るほど。良くある手だね。本命は、その下かな?」

「だろうな。如何にもそれっぽい形だ。中に仕掛けもある。おまけに取り出しにくい場所と来れば、目を引くしな」


 興味深そうに眼鏡を光らせるセシリアに、アーノルドが軽く答える。


「今から開けてみる。向こうを向いてろ」

「何だい、何だい。手伝わせておくれよ」

「せまっ苦しい場所に三人も来るなっつってんだ。中は見せてやっから、他の場所を探しておけ」


 口を尖らせるセシリアの視線を、夫が背中で遮った。

 その意味する所を察し、マリーベルは箱の在った位置へと目を向ける。


(こっちはレンガ……か。ロウで塗り固めてあるけど、これなら――)


 息を吸い、レンガを剥ぎ取ってゆく。

 幾つかを撤去した後、底の方に窪んだ形のへこみが現れ、そこにまた何かの箱が在った。

 

「もしかしてこれが、本命ですか?」

「だろうな。開けられるか?」


 黒ずんだ、鉄で出来たと思わしきその箱。大きさとしては、マリーベルの両手の平に少し余るくらいか。

 五感を研ぎ澄まして匂いや中身を探るが、分かる範囲では何も無さそうだ。

 

 蓋の上に手を乗せ、力任せに引っぺがす。

 すると、中から現れたのは、数枚の紙。簡素な装飾が施されたそれは、見るからに重要書類、といった体である。

 

「普通の紙とは材質が違いますね。羊皮紙、でしょうか」

「長期の保存用か。どうやら大当たりみたいだな」


 燭台の光に照らされ、文字がぼんやりと浮かび上がる。

 それを見て、マリーベルは眉を顰めた。文体や書式が妙に古めかしいということもあるが、そこに記された文字自体がおかしい。

 エルドナークのそれとは別に、明らかに隣国・アストリアの言語で書かれたものが混在している。


 解読に苦労しながら文字を追う内に、マリーベルはヒュっと息を呑んだ。

 

「……成るほどな。学者連中に見せたら驚くだろうぜ」


 愉快気に歯を剥き出しながらも、夫の眼差しは真剣そのもの。商人として他国を股に掛けて活動しているから、だろうか。彼もまた、こういった方面での言語に精通しているようであった。

 

「前から疑問には思っていたのさ。どうして、アストリアの人形遣いに名を連ねる令嬢が、わざわざウィンダリア子爵家に亡命し、身を寄せたのか。互いの領地の立地的にも自然じゃない。わざわざ危険を犯し、迂回してまで、ここを選んだ理由が、これか」

「日付は、二百七十二年前ですね。確か、この頃は――そう。アストリアとエルドナーク間の国境で起こった諍いが激化し、両国の領土に踏み込んだ戦争に明け暮れていた、頃の……」

「そうか、やはりその時期か。流石だな、マリーベル。良く覚えていてくれた」


 文書の最後に記された、血で出来たであろう印。それを見たマリーベルの背に、冷たいものが走る。

 

「ウィンダリア子爵家は数百年前から――アストリア王国と繋がりがあった……!?」


 文書の全てが解読は出来ていないが、そこには互いの利益の元に、密約を交わした証があった。


「あぁ、そうだ。こうなってくると、ウィンダリア子爵家が没落公爵家の末を、娘婿として血に取り込んだのも怪しく見えてくるな」


 現・ルスバーグ公爵家の前身である、テンダリア公爵家。市井に散った血が舞い戻り、準男爵として頭角を現し、そして子爵家に入って貴族として蘇る。前にそれを聞いた時は、妙な偶然に胸をざわめかせたものだったが、その予感は正しかったのか。

 

「機を見て互いの損にならんように立ち回ろうとしたのか、それとも折を見て反乱でも起こそうとしたのか。その辺は詳しく調べてみなければわからん、が……」


 夫の目が、三枚目の羊皮紙に留まる。

 それは、何かの設計図のようなものか。甲冑姿の人形の絵姿が、そこに描かれていた。

 

「――『人形』、か。おい待て、まさかこれは『騎士人形アルドマータ』の……」


 興奮したような手つきで、アーノルドが羊皮紙を握りしめる。最後に残った四枚目を捲ろうとしたところで、その眼差しが戸惑いに揺れた。

 

「……何だ、こりゃ?」


 それは、上から下まで、びっしりと刻まれた文字の大群だった。

 マリーベルも横から覗き込んだが、読み取れない、意味すら分からない。

 どうやら、相当に古い言語のようだった。


「リルーサ文明期のもの……でも、ねぇな。所々は、東方の文字に似ている気もするが――駄目だな、わからねえ」

「ディックさんなら読み解けたりしませんかねえ。それにしても不思議な文字です。サッパリ理解が出来――って、あれ?」


 文字列の最後。

 そこに記された署名サインに、マリーベルの目が吸い寄せられた。

 ある。それに確かに、見覚えがあった。そうだ、これは。この文字列だけは、かつて養母に教えられて――



『これは、我がハインツ男爵家の始祖の名さ。今となっては意味すら不明な、遥か遠きいにしえの文字。あまりに古くて由来すら消えてしまったけれど、その読み方だけは伝わっている。いいかい、その能天気な頭にようく刻み付けておゆき。その名は――』

 

 

 ――ルーサー・ハインツ。

 


(え、何で? え? これって――)


 マリーベルが疑問を呈しかけたその時。『その』匂いを鼻先に感じ、マリーベルは慌てて夫の袖を掴んだ。

 

「旦那さ――」

「坊や! まずいぞ、逃げよう!」


 緊迫した声が届いたのは、まさにその瞬間であった。

 

「どうした!?」


 それを聞くやいなや、アーノルドはマリーベルの腕をひっつかみ、机の下から這い出た。

 

「――って、何で燃えてるんだ!?」

「どうやら、この部屋にも何かの仕掛けが施されていたらしい! 色々と弄っていたら、このありさまだ!」

「おまっ、お前ぇぇぇ!!」


 見る間に、火の手があがり、書物を炎の舌で焼き尽くしてゆく。

 

「――くそっ!」


 躊躇っている暇は無かった。三人は互いを庇い合うようにして階段を駆け上がろうとする。

 

 勢いを増した炎の燐光が、すぐ背後に見えるかのようで心臓に悪い。

 恐怖に胸を慄かせながら、マリーベルは奇妙な予感に後ろ髪を引かれ、背後を振り返った。

 

「――え?」


 燃え上がる業火の中、奇怪にねじくれた、人型の何かが見えた。

 内部から露出しているのは、熱に歪んだ歯車と、糸のようなもの。

 

「にん、ぎょう……?」

「マリーベル!」

「わぷっ!?」


 少女の体が、抱きかかえられる。

 どうやら、アーノルドが足を止めた妻に仰天し、その身をかっさらったようだ。

 そのまま階段を三段飛ばしくらいの勢いで駆け上がる。

 段々と、炎の世界が視界から離れ、遠ざかってゆく。

 

 疑問と困惑に脳を揺さぶられながら、マリーベルは夫の体へと強く、強く、その腕を巻き付けるのだった。

 

次回はちょっとだけ開いて、7/6(木)に更新いたします!

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