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11話 お久しぶりです、お養母様!


「ふん、ようやくお前の顔を見ずに済むと思って清々していたというのに。もう戻って来たのかい」


 相変わらず気の利かない娘だと、マリーベルの前でそう毒づきながら、その女性は紅茶を啜る。

 憎まれ口を叩きながらも、貴婦人然とした所作は崩さない。


 ――ベルネラ・ハインツ。マリーベルの養母であり、弟・リチャードの実母。


 まだ幼い当主を助けるべく、家政の一切を取り仕切る。彼女こそが現在のハインツ家における、事実上の最高権力者であった。

 

「いやぁ、良いですねえそのイビリ口調! ちっとも変わって無い所が逆に安心できます。目元に小皺が浮き出したその高慢なお顔、とても素敵でお似合いですわ」

「小娘ぇ……っ!」


 たちまち目がつり上がり、養母は悪鬼に変貌する。蛇のようにシャーと舌を伸ばしそうな威嚇っぷりだ。

 

「やめ、やめろ! こっちがいたたまれないだろ!? 何で会って早々に口喧嘩してんだお前等!?」

「こんなの軽い挨拶ですよ。実家に居た頃は遠慮していましたからねえ。嫁いだお蔭で後ろ盾も出来たわけですし、あの頃の鬱憤をもう少し……こう」

「こう、じゃないが!?」


 旦那様の制止が入っては仕方ない。渋々と矛を収めるマリーベル。

 それを見て、養母が肩を怒らせながら気炎を吐く。

 

「元気そうで何よりだねえ、マリーベル! 早速旦那をたらしこんだようじゃないか? 見てくれだけは良いんだ、さぞかし淫売な手段を使って咥えこんだんだろう?」


 扇で口元を隠しつつ、哄笑するベルネラ。悪役夫人の主演っぷりは更に磨きがかかっているようだった。

 

「それが、全く手を出してきませんで。拍子抜けするほどの平和な夜生活です。頭を殴る以外にろくなスキンシップもありませんし」

「……暴力はどうかと思うがねぇ」

「誤解だ!? ちゃんと手を繋いだり背を押したりもしたろ!?」

「今日び、そこら辺のホールボーイでも、もう少し進んだ恋愛をするんじゃないかえ?」


 そうだ。女をはべらかしたとかいう話はどうだったのだろう。アーノルドから他の女の匂いがした事は無いが、油断は出来ない。前にマリーベルが思った通り、それは噂に過ぎないのでは、と予想はしている。けれど、今日のズルイ大人ぶりを見て少し疑いの芽が出た。

 今度、ディック辺りに問い詰めてみようとマリーベルは心に決めた。

 

「何かまたぞろ変な事を考えてやがんな? 言っておくが俺はお前以外に女は作らんぞ」

「男の人は皆そう言うって、色街の姐さんや母も言ってました!」

「信用がねえな……!?」


 肩を落とす旦那様。もしかしたら、女には興味が無く、『そっち』専門なのだろうか。

 そういえばディックとは妙に仲が良い気がする。まぁ、それならそれで受け入れよう。

 マリーベルは寛容な奥様なのだ。恋愛に差別も区別もしない。人が人である限り、愛の形は千差万別と知っている。

 

「……お前達はここに見世物をしにきたのかい?」


 呆れたようなその声に、マリーベルは正気に戻った。

 

「まぁ、まずは礼を言っておくよミスター。ちゃんと金を振り込んでくれているようじゃないか。なら、こっちは文句は何も無い。不出来な娘だが、好きに使っておくれ」

「ええ、良くやってくれてますよ。炊事に洗濯・庭の手入れまで。彼女無しにうちの屋敷は回りませんね」

「……いや、メイドを送り込んだつもりはないのだけれど。本当に、ちゃんと妻として扱ってくれてるのかい?」


 不審気に眉を寄せる養母。対するアーノルドは首を竦めるばかりだ。

 

「彼女をそういう風に扱ってきたのは、あなた達でしょう? お蔭さまで楽をさせて貰ってますよ。貴女は金を、私は労働力を。誰も損をしない両得な関係でしょうに」

「ふん‥…っ」


 養母は、苛立たしげに扇でテーブルを突く。それを見たマリーベルは、内心で喝采をあげる。

 こういう悪ぶった口ぶりをさせたら、アーノルドに敵うものはそうそうおるまい。それこそ、目の前のこの女性でさえ。主演男優賞は彼の物だった。

 

「難儀ですね、貴女もこの娘も。もう少し素直におなりになられては?」

「知った風な口を利くんじゃないよ、成り上がりが! たかだか中流階級の商売人風情が、男爵家の夫人に意見するのかい!」

「いえいえ、大切なお義母様への忠告ですとも」


 アーノルドは、飄々とした口ぶりで頭を下げる。いつもマリーベルに振り回されている姿とは、まるで別人だ。


「余計なお世話ついでに、もうひとつ。私達の結婚式と、その披露宴に関して確認を……」

「そんなの知ったことかい、面倒な話は御免だよ! 男爵家に恥を掻かせなければそれでいい! そっちで勝手に進めな! 私は一切関与しないよ!」


 取りつく島もない、という風に。養母は顔を歪めてふんぞり返る。

 対するアーノルドは、やれやれ、という風に苦笑した。

 どうやら、彼にも男爵夫人の言葉の裏にある物が読めたようだった。 


「そう言うだろうとは、マリーベルから聞いていましたよ。なので、予定をまとめた物を用意しました。後で一応、目を通しておいてください」

「ふん……」

 

 アーノルドが取り出した包み紙を、養母は一瞥する。

 それを了承と取ったか、彼は『本題』を切り出した。


「それと、招待状の件について、ですが――」

「ああ、それかい! お前も酔狂な事に熱心なものだね! 好きにするがいいさ!」


 鼻息も荒く、養母は傍らに置いた書類をテーブルへと投げ出した。


「方々に出した手紙。それの答えが書かれた目録(リスト)だ。とっとと持っておいき!」

「おぉ、流石はお養母さま! 用意が良いですねえ」


 いそいそとそれを取り纏め、中を確認してからアーノルドに渡す。

 流石、歴史だけは古い男爵家だ。それとも現状を憐れまれたか、上は公爵、下は騎士爵まで、中々の家名が綴られている。

 

「どうだ、マリーベル?」

「問題ないかと。後は予定をすり合わせて行きましょう。前に話した通り、最初は昼の社交から。下積みを重ねて評判を上げ、正餐会に招待されたらしめたものです」


 ただ、夜会には件の問題がある。場合によってはマリーベルは欠席せねばならないかもしれない。

 未だダンスもろくに踊れない、そんなアーノルドを一人送り込むのも不安だ。誤魔化す方法も、何とか考えなくては。


「……中々、息が合ってるじゃないか」


 その言葉に顔を上げると、養母は扇で表情を隠してふんぞり返っている。

 

「お養母様こそ、いつもの切れ味が鈍いですね。お疲れでは? もう良いお年なんですし」

「私はまだ三十五だよ! 老いぼれ扱いするな小娘!」

「そうそう、それそれ。お元気で居てもらわなくっちゃ、リチャードが困ります」


 ――それに、私もね。決して口には出さず、マリーベルは微笑む。

 

「……委任状も書いた。家令に持たせてあるから、後で確認しな」

「ありがとうございます、義母上。お気持ちに、心からの感謝を」

「ふん、勿体ぶった言い方をするもんだ。そこの痩せっぽちの入れ知恵かい? 忌々しいね!」


 そこまで捲し立てると、ベルネラは扇を振って、二人に退出を促した。

 顔も見たくない、という風に。その目は天井を睨んでいる。

 呆れるくらいの傲慢っぷりだ。でも、それでこそハインツ男爵家の夫人。マリーベルの養母だ。

 

「もう来るんじゃないよ。お前の顔は見たくも無い」

「私は見たいのでまた来ますね!」

「この‥…! 少しは遠慮しな!」


 遠慮しないからこうしているのだ。何を今さら、とマリーベルもふんぞり返る。

 

「言ったでしょ? 縁を切れると思うなって。これからもお元気で、お養母様」

「……ふん!」


 そうしてアーノルドと共に礼をして、その場を退出しようとしたその間際。

 ぽつり、と。ベルネラが呟く。

 

「……少し、ふくよかになったかい?」

「ええ、お蔭さまで。幸せ太りですかね?」

「なら――」


 その先は、言葉にならない。マリーベルも敢えて聞くつもりもなかった。

 最後まで目線を合わさないまま、血の繋がりの無い親子はその場を別れた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 揺れる馬車に身を任せ、マリーベルは砂糖菓子を頬張る。

 一仕事を終えた後の甘い物は格別だ。幾らでも入る。

 弟にもこっそりと分けてあげた。アレも甘味は大好物だ。養母に見つからないよう食べてくれと願う。 


「……お前の所のおふくろさん、いつ見てもすげぇな」

「でしょう? ほんと、感心するくらいの大威張りですよ」


 外の景色を眺めながら、マリーベルは上機嫌にそう応える。

 やはり、言いたい事を言い合うのは体に良い。すっきりした。これからも月一くらいでそうしたい。

 

「でも、旦那様? 文句言ってやる! とか息巻いてたのに良かったんですか?」

「あぁ……まぁ、いいや。お前とのやり取り見てたら言う気も失せた」


 期日と違う日にマリーベルを送り込んで来た事に、アーノルドは一言述べたかったらしい。

 何でも、本当は自身が花嫁を迎えに行くつもりだったとか。お顔に似合わず、物語の王子様気取りとは流石である。


「お養母様の事ですから、考えがあったんでしょうよ。陰険な方向の」


 マリーベルの性格をあの女は熟知している。猫を被らせるより、最初から本音をぶつけ合った方が長続きする、くらいは思っているだろう。婚約期間中も、調印書にサインするときも。頑なにアーノルドと引き合わせなかったのも、そう。

 

(……まぁ、既成事実創る前に破談になっては困るから、という算段もあったのでしょうが)


 マリーベルも自身の事はようく知っている。やらかさない自信は無かった。

 

「ハインツ男爵家、か。親父の方も相当だったんだろうな」

「ええ、そりゃもう。あっちは養母とは邪悪の方向性が違いましたね」


 『死者』を悪く言いたくはないが、マリーベルは父親が苦手だった。嫌いとはっきり言える。

 

「亡くなったのがまだ信じられませんよ。生き汚い方の貴族だと思ったんですがね」


 今から半年ほど前だ。所領に視察へ出た男爵は、帰り道で事故にあって帰らぬ人となった。

 今まで、全てを家令に任せて放蕩をしていたのに、何か変な物でも食べたか。だからそんな目に遭うのだと、マリーベルは思ったものだ。親類もろくに居らず、他に後継者も作っていない。お蔭で、若干十歳でリチャードは男爵家の全てを背負わねばならなくなった。それを支える養母の苦労も相当だろう。

 

「役に立たなくなったから、お前の母のように下女になれ! ……ですからねぇ。あの鬼畜野郎、一度張り倒しておきたかったですよ!」

「そうしたら、死因はまた違ったろうな」

「死体が残るだけでも御の字だと思って貰いたい」


 獣にでも喰われたか、父――ドルーク・ハインツの遺体は見つからなかった。

 生存説もささやかれたが、激しい嵐の中での事故だ。獣にでも食べられたものとして、捜査もその内に締め切られたという。

 

「因果応報って奴ですね。母を孕ませた挙句に厄介払いしやがった男です。相応の最期かと」

「神罰ってやつか。お前等も大変だな」


 ぐりぐり、と。頭を撫でられる。本当にこの男は、何度言ったら分かるのか。マリーベルは憤慨しつつ、髪を払った。

 

「デリカシーを持ちましょうよ、旦那様! 社交の場ではそんな事は許されませんからねっ!」

「それはこっちの台詞だ。お前こそ――ああ、いや」


 そこまで言って、アーノルドは口元を抑えてくつくつと笑う。

 

「何がおかしいんです?」

「いやな、そっくりだと思ったのさ。お前とあの義母上がな」

「……そうですかぁ?」


 それは嫌だ。嫌すぎる。思い切りしかめっ面をしてみせるが、旦那様は更に笑いを深めるばかり。


「そういう所だよ。子は親に似るって言うが、ありゃ本当だな」


 口を膨らますマリーベルの頬を突き、アーノルドが後ろを振り返る。マリーベルもつられてそちらを見れば、馬車が刻んだ轍の向こう、遠ざかる楼閣と荘園屋敷がそこに映る。マリーベルが十一年間育った館。それを眺めていると、何故だろう? 胸の奥が微かに痛む。


(……今度来るときは、使用人の皆とも会いたいな)


 養母も、弟も、あの分なら大丈夫。屋敷も方々に手入れの跡があった。旦那様がマリーベルの『約束』――男爵家への援助を守ってくれた証であろう。支度金は借金と相殺されたはず。修繕その他に回るお金は無かった。

 なら――そういうことなのだろう。義理堅い旦那様だとそう思う。だからこそ、ベルネラも邪険にしつつもあっさりと目録と委任状を手渡してくれたのだ。

 

 ……見送りにも来なかったあの養母。

 マリーベルは知っている。父である男爵が『思う存分にこきつかえ! 寝床も食事も、平民以下の扱いで構わん! 』などど、貴族の風上にも置けぬ言動で息巻く中、それをこっそりと阻んでいた人物が居たことを。


 ーーーー陰で家事使用人達に、男爵令嬢(マリーベル)を粗末に扱うなと、それとなく言い含めていたその女性のことを。


(跡取り息子を助けた恩義ってやつかな? 真面目過ぎるんだよね、あの人は)

 

 貴族夫人の鑑のような彼女は、あの屋敷の中で、憎たらしい小娘を思ってしかめっ面をしているのだろうか。今の、マリーベルと同じように。そう思うと悪くない気持ちになってくるから不思議だ。

 

 ぼうっとその景色を眺めていると、ぴゅうっという口笛の音がした。何だと振り向けば、アーノルドが愉快そうな顔でこちらを見ている。ニマニマしたお顔。何処となく得意そうな面構えがマリーベルの癪に触る。

 

「その、意地っ張りでお人好しな性格。お前らは似合いの親子だよ」


 旦那様の言葉に反論する術を持たず、マリーベルは口をひん曲げながら黙り込むのだった。

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