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103話 夜は深まり



「いやしかし、舞踏会ってのは恐ろしく金の掛かる所だな」


 周囲の調度品を眺めながら、アーノルドはそうぼやく。

 例えば、会場中を飾り立てる生花。その見事さといったら、どうだ。それだけで、下手な中流階級層であれば、年収の数倍は持っていかれるだろう代物だ。流石は王太子殿下主催の舞踏会。これ以上ない程の格式高さである。

 

 主人のぼやきをどう受取ったか、マリーベルはくすりと笑って手元のカードを開いた。

 二つ折り式である、蝶型のそれは片側に曲の演目を、もう片側はダンスのお相手を書き込む予約表となっているのだという。

 

 妻のそれは上から下までギッチリだ。基本、ダンスのお相手を申し込むには男性側からせねばならない。

 断るかどうかは女性側の一存で決められるが、今回の舞台は高位の貴族ばかりが集まる舞踏会。

 下手を打てば、今後の事に差しさわりがあること、十分だ。

 

 アーノルドとしても、出来うるならばマリーベルとずっとダンスを踊っていたいが、そうもいかない。

 同じ人物と続けて踊るのはマナー違反。特に、平民からの成り上がりである自身にとって、そこを突かれるのは痛手となる。


 妻を貸し出すようで、どうも気が乗りはしないが、それがマナーだ、エチケットだと、当のマリーベル本人から言われては引っ込まざるを得なかった。

 

「お前を狙ってる連中は多いからな。一晩のロマンス何ぞと嘯いて、寝室に駆け込もうとする奴や、不道徳な真似をする奴が居ないとも限らん」


 如何に王太子殿下主催の舞踏会とはいえ、そこは貴族の社交界。

 露骨な真似をする愚か者はいないだろうが、さりとて油断は出来ない。

 

「大丈夫ですよ。私は、旦那様一筋ですから」


 マリーベルはそう言って笑い、甘えるようにアーノルドの肩を指でなぞった。

 やけに艶めかしい動作に、どきりとする。

 

「――貴方しか、見えませんもの」


 花が咲くような笑みとは、この事か。

 アーノルドをして見惚れるような可憐さをそこに残し、マリーベルは次のお相手である、禿げ頭の首相閣下の手を取った。

 

「失礼、ミスター。奥方を少しお借りするよ」

「お手柔らかにお願いいたします、グレーベル閣下」


 そう言いながらも、アーノルドの目は未練がましく妻の手へと移る。


(何を考えてんだ、全く。十代のガキじゃあるまいし)


 そう思うのも、マリーベルの仕草のせいだ。あの、熱を含んだ眼差しのせいだ。

 だから、こちらの調子が狂ってしまったのである。

 

 一体、何がどうしてしまったのやら。緊張も何もかもが吹き飛び、自由闊達に踊ってくれたのは良いのだが――

 

(まるで、恋する乙女みてぇな目で俺を見やがって)


 マリーベルが自身に対し、一定以上の好意を抱いてくれているであろうことは、アーノルドも察してはいた。

 それは、父親に甘える娘のような、幼くも親愛めいたものだと思っていたのだが。

 

 今夜のそれは、いささか刺激的が過ぎた。

 

「その目、その眼差し、その顔つき。恋い焦がれた娘が離れるのは、君でも惜しいと思うのかな?」

「口を閉じては貰えませんかね、ラウル・ルスバーグ閣下」


 まるで、十年来の友に接するかのように、ラウルがアーノルドの肩を抱いて叩く。

 喫茶室から戻るなり、この男はずっとこの調子であった。謎めいた雰囲気なぞ雲散霧消。欠片も見当たらない。

 全くもって、わけのわからない男だ。

 

「そういえば、新しくグレーベル卿の養女となった娘は来ていないのだね。てっきり、伴ってくるものかと思ったが」

「急な話でしたからね。招待状が間に合わなかったのでは?」


 先ほどとは違い、今度は人の目がごく近くにある。

 流石にぶっきらぼうな口調で話すわけにもいかず、アーノルドは努めて丁寧に応答を返した。

 

「――うちの愚弟が、離そうとしなかったそうでな。それはもう、恐ろしい大騒ぎだったようだ」


 流麗な声が割り込んできたのは、その時だった。

 それが誰であるか、分からぬアーノルドでは無い。

 たちまち居住まいを正し、礼を取る。

 

「王太子殿下にあらせられましては、ご機嫌麗しく――」

「世辞は良い。息災で何よりだ、ミスター・ゲルンボルク」


 場が場だからであろう。前に会った時よりも、幾分か尊大な口ぶりで彼――王太子アルファードがそう告げた。

 しかし、その表情は柔らかく、優しさを帯びた蒼い瞳が、貴公子めいた美貌を更に輝かせているように思える。

 

「第二王子殿下が、ですか?」

「あぁ、そうだ。あれののめり込みぶりは、いっそ妄執と言っても良いな。気持ちは分からんでもないし、その思惑も理解は出来るが……いずれは、お披露目もしてもらわねば」


 それがまた骨の折れる話だと、アルファードが苦笑する。

 

「エルドナークの血筋は、代々もって愛情深い。彼の英雄王からしてそうなのですから、何とも罪深いものですね」

「ふむ。ルスバーグの家門、その成り立ちからしてそうであるからな。そういうそなたは、いささか遊びが過ぎるようだが」

「踏み込んではいませんよ。深い関係には無い。私はただ、愛の謎を解き明かすためにご婦人・ご令嬢方と付き合わせて貰っております」


 慇懃無礼に一礼するラウルを見て、アルファードが何とも言えない顔をする。

 

「君は、変わらんな。学院に居た頃と、まるで変わらん。兄上も苦労為されているだろう」

「そこで兄の名前を出すのはご勘弁を、先輩。何処で耳に入るか、分かったものではありません」

 

 不意に、雰囲気が和らぐとともに、二人の口調が軽い物へと変化した。

 察するに、貴族学院の先輩・後輩の関係であるようだが――

 

「さて、その様子を察するに、彼は見事に受け入れたか。他のメンバーも連れてきたが、審査の必要も無さそうであるな」


 アルファードの言葉に、彼の後ろに控えた紳士達が揃って一礼する。

 身なりも品も良い。その服に刻まれた紋章を見るに、誰もが高位貴族の面々だ。


「みな、君の話を聞きたくてうずうずしているようだ。先ほどのダンスは刺激的が過ぎた。誰もが君たち夫婦に興味をそそられてしまったらしい」


 その言葉は光栄である。願ってもない事だ。

 ないのだ、が……

 

 アーノルドは、じろりと傍らの名探偵を睨み付けた。

 

「……閣下も人が悪い。貴方が『そう』だとは知りませんでしたよ」

「ん? 言っていなかったかな?」


 惚けるその頭を小突きまわしてやりたい衝動に駆られるが、必死に抑える。

 そう、ラウル・ルスバーグこそ――王太子殿下主催のクラブ『クレイヴソリッシュ』のメンバーなのだ。

 

 『選定者』であり、『同盟』の一員である彼。王太子は、ラウルを手元で監視する意味も込めて、メンバー入りを認めたそうであるが…… 


(これから、コイツのお仲間になるってのか)


 思わず、げんなりとした顔を見せそうになる。

 それをどう感じたか、ラウルは気取った仕草で右手を差し出した。

 

「まぁ、何はともあれ仲良くしようじゃぁないか! 今後ともよろしく頼むよ、アーノルド!」


 もはや敬称すら投げ捨てた、気安さ極まるその言葉。

 アーノルドがため息を吐かずに済んだのは、まさしく僥倖と言えた。

 

(どうも、話がうまく転がり過ぎているのが気になるな)


 気が抜けた、というのではない。

 こうも潤滑に事が進んだのは、ひとえにマリーベルの努力に寄る所が大きい。それは事実だ。

 妖精の如く愛らしい少女。彼女が舞うたびに放つ、この世の物とは思えない神々しいまでの可憐さは、アーノルドでさえも見惚れてしまった。

 

 だが、今夜の成功はそれだけが理由であるのだろうか。

 頭に浮かんだ、『対戦相手』の不気味な笑み。彼の持つ『未来図』の『祝福』が脳裏を過ぎる。


(まぁ、考えすぎても仕方ないか)


 アーノルドは、もう一度だけ視線をホールへ送る。

 美男美女が舞い踊る空間の中でさえ、その少女は際立って見えた。

 一瞬、目と目が絡み、視線が交差する。

 

 ふわり、と微笑んだマリーベルの美貌に、アーノルドの鼓動が跳ねた。

 こうしてはいられない。妻も己の為すべき事を成している。

 ならば、自分も仕事をせねば。

 

 アーノルドは商売人の顔へと表情を移し、自身の仲間となるメンバーへと礼を尽くすのだった。

 

次回は、明後日。6/26(月)に投稿いたします。

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