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99話 平和なお茶会、癒されます


「へぇ、セルデバーグ男爵家のご次男が、マリーの所に寄宿なさっているの?」


 まぁ、と。目を見開いてニーナ・リレーが首を傾げた。

 涼やかな風が吹き、少女夫人の淡い色の髪を撫でつけてゆく。

 はたはたと靡いた毛先の向こう、彼女が自慢とするガーデンがマリーベルの視界に映った。

 良く勉強をしているようで、花々の配置や飾りつけは、目の肥えたマリーベルをして美しく、調和の取れたもののように思えた。


(私が居ない間も、社交の場で頑張っていたらしいし、健気な良い子だよね、本当に)


 彼女と居ると、良い意味で気を張らなくて済む。鈴の鳴るようなニーナの声が、耳に心地良かった。

 ここの所、何だかんだでやんごとなき方々ばかりに囲まれて、知らず知らずに気疲れをしていたのかもしれない。

 マリーベルは友人の反応を新鮮に感じながら口を開く。


「ええ、そうですよ。居候って奴ですね。朝昼晩とむしゃむしゃむしゃむしゃ、暇さえあれば何かを口にしています」


 その様子を思い起こし、マリーベルは苦笑してしまう。

 自身も食べる方であり、それなりに食通であると気取ってはいるが、彼のそれはまさに格が違う。

 美味かろうがマズかろうが、何でもかんでも舌で味わい、咀嚼する。珍品ゲテモノどんと来い。まさしくそれは、美食伯の血筋に連なる者と判ずるに十分過ぎた。

 

「昨今は、何処でも質実剛健とか何とかが流行ってますからね。家にもよりますが、お貴族様の子息であっても、食べる物は平民のそれと大差なかったりするんですよ。家で食べれない分、ここで思う存分に腹と舌を満たすとか何とか言ってました」

「『あの』シュトラウス伯爵家の縁戚にあたるのでしょう? なのに、お食事に手間を掛けないなんて、不思議なものねえ」


 その辺は格家の教育の方針の違いであろう。もしくは、人とは違う力を得て生まれて来た息子を持て余しているのか。老シュトラウスが外孫を妙に可愛がって連れ回しているらしいのは、その辺りに理由があるのかもしれない。

 

 最も、本人は脳天気そのもので、年の割に飄々としたものだが。

 

『ねえ、マリー。お貴族様の子供って、ああいうのばっかりなの?』


 年が近いせいか、フェイル坊ちゃまに気に入られてしまったらしいティムが、げんなりとした顔でそう言っていたのを思い出す。そのジトッとした視線がマリーベルにも向けられていたように見えたが、きっと気のせいであろう。

 

「お貴族様も色々なのねえ。もっと雲のお上の生活をされていると思っていたわ」


 そう言って、ニーナは紅茶を口に含んだ。

 その所作は、初めて会った時とは比べ物にならない程に、洗練されている。

 マリーベルの指導と、本人の努力の賜物であった。

 

 久しぶりに会った友人の成長に目を細めていると、ニーナは気恥ずかしそうに頬を赤らめてしまう。

 こういう所が可愛らしい。自分に無い所だ。少女が持つ、天然の愛らしさ、可憐さがマリーベルは時々ひどく羨ましくなる。


「私も、もっとこう……小動物的な愛くるしさを醸し出したいものです」

「何を言ってるのよ、もう! 貴女が優しく微笑んだら、どんな紳士だって放っておかないと思うわ!」


 でも、旦那様には効果が今一つ、二つな気がするのである。

 アーノルド自身も、社交の場に出る機会が増えた。お近づきになろうと、火遊びを企む淑女――という名の獣どもが虎視眈々と舌なめずりをしていてもおかしくない。


(だって、魅力的な人だもの。顔がお怖いと言っても、最近はそれが凛々しく思えてきたし)


 出来るなら、サッサと体を結んで繋ぎ止めておきたい。子でも孕めば上々である。

 『同盟』に関するあれこれが片付くまで、床を共にしようとしないと言う夫の意見には、マリーベルも賛成ではあるのだが。

 

「どうしたの、マリー? お顔が赤いわ。熱でもあるの?」

「え」


 頬に手を当てる。仄かな熱さが指先に伝わって来た。

 最近、どうにも変である。閨だの床だの、そういう男女の睦言を頭に思い浮かべるだけで、落ち着かなくなるのだ。

 

「疲れたのではないの? 王宮から戻って来て、まだ日が浅いでしょうし……」


 心配げな顔を見せる友人に首を振って誤魔化し、マリーベルは笑顔を見せた。

 花咲くような、とまではいかずとも、元気があると十分に分かる表情。

 それ以上を踏み込むのは良しとはしないと思ったか、ニーナがそっとため息を吐く。

 

「マリーの事だもの、きっと大活躍をしたのよね。女王陛下からお褒めの言葉を戴いたとか聞いたわ。それって、宮殿の大改装と何か関係があるのかしら?」

「その辺は黙秘、黙秘です。想像にお任せしますよ」


 ディック曰くの人の口に戸は建てられない。一夜にして、王宮庭園が無残な有様となった事は社交界でも囁かれているだろう、奇怪な噂のひとつだ。首相閣下が誤魔化してはくれているようだが、それも何処まで有効なものか。

 こういった話に目が無い紳士淑女の皆々様方は、思い思いに妄想の翼をはためかせていることであろう。

 

 けれどニーナはどうも、事の真相というよりも、そこで友人がどんな活躍をしたのか、という方に興味があるようだ。

 彼女らしいと、マリーベルはそう思う。


「でも、私は何よりも、貴女が無事に帰って来てくれた事の方が嬉しいわ。こうしてまたお茶を一緒に飲めるのですもの。マリーが偉くなるのは素敵な事だけど、手が届かない所に行ってしまったら、その……寂しいわ」

「全く、あざといくらいに可愛らしいんですから、ニーナは」


 もじもじと体を震わせ、恥ずかしそうに上目づかいでこちらを伺うニーナ嬢。

 これで素なのだから恐れ入る。彼女の旦那様がご執心になるわけが良く分かるというものだ。


(……気を遣ってくれたんでしょうね)


 こう見えて、ニーナは中々に敏い所がある。人の気持ちに寄り添う事の出来る少女なのだ。

 明るく振る舞うマリーベルの、その心の底に隠した傷を朧気に察したのだろう。

 根掘り葉掘りを聞くことはせず、マリーベルが話す事だけに相槌を打ち、聞き手に徹してくれた。

 

 ――有難いと、そう思う。


「そういえば、もうすぐ舞踏会があるのよね? 王太子殿下主催の、華々しい夜会が」

「ええ、そうですね。まさにまさにの大本番。私も張り切って望むつもりです」

「マリーなら大丈夫だとは思うけど、気を付けてね。どうも、その……ルスバーグ閣下が口々に吹聴しているらしく」

「ご次男の方ですよね。ったく、あの方ときたら」


 あの名探偵もどきめ。何を考えているのやら。

 あっちこっちにいい顔をして、敵を作らないように立ち回るやり方が小賢しく見えて仕方がない。

 これなら、ハッキリと敵対の意志を示してくれたレモーネ・ウィンダリアの方がマシである。


「あなた達の来訪を、心から待ち望んでいると、あちらこちらの社交場で、嬉しげに語られているそうで……」

「うへえ……」


 淑女らしからぬ声が出てしまう。

 こういう状況を確か、一難去ってまた一難、と言うのだったか。

 王宮でのひと騒動が終わってからも、マリーベル達に立ちはだかる障害は消えてくれない。

 

 いや、そもそも、マリーベル自身が言い放った通り、ここからが本番なのだ。

 

 シュトラウス老直々の頼みで、何故か居ついた美食伯の子孫。

 何を考えているかわからない自称名探偵の公爵次男坊。

 そして、不気味な沈黙を守り続けるレーベンガルド侯爵。

 

 御三家とどう関わり合い、どんな立ち位置で物事に臨むか。

 悩むマリーベルの目の前、空いたカップへと手ずからニーナが紅茶を淹れてくれる。

 何を言わずとも、その愛らしい笑みが、今のマリーベルにとっては何よりの癒しであった。

 

(下手な考え休むに似たり、でしたっけ。まあ、後は出たとこ勝負! 何が来ようが受けて立つまで!)


 お金と美食に満ちた明るい金づる生活ライフの為にも、今は英気を養わねばなるまい。

 マリーベルは焼きたてのパンへと手を伸ばし、その表面に思い切りジャムとバターを塗りたくるのであった。 

 

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