10話 実家に帰らせて頂きます!
ハインツ男爵家のカントリー・ハウスは王都からほど近い場所にある。かつては王の盾として、精鋭の騎士筆頭を仰せつかった事もあるのだとか。
しかし、それも今は昔。栄光は陰り、かつての偉大な貴族の家名も地に落ちた。
没落という不名誉を受けても、それでなお上流階級たろうとするには、金が要る。ゆえに、マリーベルは売り渡されたのだ。高く高く売れる商品として。
とはいえ、その売買された本人はというと、それにどうこう言うつもりはなく、むしろ贅沢三昧させて貰っているから文句は無い。お買い上げありがとうございます! と胸を張って言いたい。それがマリーベルを含めた皆の幸せに繋がるなら、万々歳なのだ。
「お前のその全力前のめりっぷりは、どっからくるんだろうなぁ……」
「ほんと、良い買い物をした! って旦那様には思って欲しいですからねえ。売込みは欠かしませんよぉ!」
「奴隷貿易じゃねえんだから、人聞きの悪い事を言うなや!?」
ガタンゴトンと揺れる馬車。座席はそれなりに高価なものであるからか、乗り心地は悪くない。
宿場を幾つか乗り繋いで、二日ほど。マリーベル達はようやく目的地へとたどり着こうとしていた。
「ほんと、場所柄が悪いですよねえ。最後に残ったハウスが、よりにもよって線路すら通っていない田舎とは。汽車に乗ってみたかったなぁ……」
「そのうち乗せてやっから、今は我慢しろって。ほら、砂糖菓子でも舐めてろ」
アーノルドは、こういった所はそつがない。準備が良いというか、なんというか。
マリーベルは早速、小瓶に入った花型のお菓子を頬張る。甘い。美味しい。素晴らしい。
「これ、寝ぼけ花の形をしているんですねぇ。デザインも良いし味も素敵。また買っておいてください!」
「わーった、わーった! って、いきなりそんなに口に入れるな! 少しずつにしろ、少しずつに!」
五月に満開を迎えるスノウ・フラワー。通称は寝ぼけ花。冬を迎える頃に芽が咲くのに、花開くのは数か月後。季節外れの寝ぼけたお花。そこからそう呼ばれるようになったとか。雪のように真っ白で美しいその花弁は、見る者の心を打つものがある。彼のシュトラウス伯爵夫人も生涯に渡って愛した花だという。
「私も好きだなあ、寝ぼけ花。メイド仲間が言ってましたが、春の王子様の口づけで目を覚ますお姫さまって所にロマンがあるとか」
「おぉ、そうだな! 詩的で良いと思うぜ。お姫さまってのはやはり、王子のキスでハッピーエンドを迎えるもんだ」
うん、うんと頷く乙女ハートな旦那様。パン粉で揚げたら美味しいから、とは口に出せない雰囲気がそこにあった。
「……あ! 見えてきましたよ、旦那様! ハインツ男爵家のお屋敷です!」
誤魔化すように指を差す。
遠目にも霞んで見える、特徴的な門楼と木骨造りの館。
現在の流行となっている、形状を数百年前のそれにそっくり似せた『復古式』のそれとは違う。
正真正銘、六百年以上前に建てられた領主館。
上下左右、あらゆる方向にのっぺりと広がるまとまりのなさは、ある意味では芸術的とも言えた。
かの時代は、外観の美しさ、荘厳さよりも実を取ったという。堂々とそびえ立つ門楼の内側は深い堀で隔てられ、その向こうには乱雑に立つ塔や建物がある。その殆どが戦の時の防御用の代物だ。
侵略戦争を受ける側では無く、むしろ仕掛ける側となった今の王国では、殆ど役に立たないであろう古びた遺産。実際、マリーベルが居た頃には既に手入れも殆どされず、放置されていた。
数百年の間に、幾たびか改築をしたようだが、基本的な構造は同じ。歴史的な屋敷を保存する意味もあったか、時代に合わせての作り替えではなく、当時の姿を保つ方に労力を傾けた、らしい。
その為、どうにも屋敷全体が古臭く、中は未だにガス灯すら備え付けていない。
時代遅れの貴族の象徴。それが、ハインツ男爵家に残された最後のカントリー・ハウスの実情だった。
古めかしい桟橋を渡り、中に入る。簡素な庭を抜けると、程なくして屋敷が見えて来た。
駆け寄って来た馴染みの馬丁に馬車を預け、御者の事を頼むと、マリーベル達は屋敷の門を潜った。
「……前から思ってたんだが。こう、ズラリと使用人が並んで『いらっしゃいませ』とか『お帰りなさいませ』とか無いんだな」
アーノルドが周囲を見ながらそう呟く。
扉の先で出迎えたのは案内係のフットマンだけ。確かに、侘しいと言えばそうかもしれない。
使用人の数が足りないというのもあるが、客の出迎え・使用人の扱いはその家門によって異なる。
「うちはそこまででも無いですが、凄い所だと使用人が客人の目に触れたら解雇って所もありますからね」
「本当かよ!? 俺の得意先とか、汚れてもいねえのにわざわざ玄関前をメイドに磨かせてたぞ。それも見せつけるように、四六時中だ」
「あー、中流階級はあまり詳しくないのですが、聞いた所によると、使用人を雇えるだけの財力があるぞ! ってステータスの為にむしろ見せびらかせている所も少なくないとか」
上流階級――それも貴族にとっては、使用人は居て当たり前の存在だ。わざわざ顕示させる事も無い。
むしろ目障りのように思う者達も一定数存在する……らしい。これもメイド仲間からの知識だが。
「……ところ変われば扱いも変わるってか。この国の階級社会ってのはどうも慣れねえな」
ぼやくようにため息を吐く旦那様。
確か公爵領の出身だったはずなのに、まるで外国籍に身を寄せたようなその言葉。
(ほんと、私はこの人の事を何も知らないなぁ)
知っているのはお金持ちで喧嘩っ早く、何処か乙女でお人好し――ということくらいだ。
それさえ分かっていれば、後はどうでもいい。そうは思っているのだが、何故だか心に引っ掛かる。
彼は、どんな人生を生きてきたのか。兄妹がいたような口ぶりだが、そういえば家族はどうしているのか。
この間も思ったように、過去をほじくり返すつもりは無い。そのうち話してくれるならそれでも良いーーと、マリーベルは今でもそう考えてはいるのだが。
(うーん……どうしたんだろ、私)
マリーベルもやはり人の子か、自分の伴侶となった男性の事が気になってしまうらしい。
そんな事を延々と考えている内に、マリーベルは『そこ』に着く。
古びた装丁の扉。フットマンがそこをノックし、来客を告げると向こうからそれを促す幼い声が響いた。
(――あぁ)
それを耳にした瞬間、マリーベルの内に言いようのない感覚が沸き上がる。
胸を締め付けるような、もどかしささえ覚えるそれは――郷愁、だろうか。
「――遠方からようこそ、ミスター・ゲルンボルク」
体にぴったりと張りついた上物の仕立て。それに身を包んだ少年が、微笑みながら貴族の礼を取る。
対するアーノルドもまた帽子を胸の前にかざし、ゆっくりと一礼。少年が差し出した手を恭しく取ると、互いに握手を交わした。
「こちらこそ、お世話になりますよ、ハインツ卿」
ハインツ卿。そう、そうなのだ。目の前に居るこの少年。まだ十歳を迎えたばかりの彼こそが、この男爵家の現当主。
マリーベルの腹違いの弟である、リチャード・ハインツなのだ。
「……どうやら、学ばれたご様子ですね。姉上のお力添えでしょうか?」
「想像にお任せしますよ。彼女は中々に優れた教師だ」
リチャードに応えるアーノルドの目は、ひどく優しい。何処となく気遣わしげな色さえ宿っている。
彼らしいと、マリーベルはそう思う。
「ふふ……堅苦しい挨拶はここまでにしましょうか、義兄上」
そこでようやく、子供らしい笑みを浮かべ、リチャードはマリーベルに向き直った。
「お久しぶりです、姉上。お元気そうでなにより」
「貴方もね、リチャード。少し、背が伸びたかしら?」
この年齢の男の子は、すぐに大きくなる。
栄養状態が足りそうになかったのが少し心配だったが、どうやら旦那様は『約束』を守ってくれたようだった。
「姉上の方こそ、少し腰回りが太くなりましたか? 食べすぎにはご用心くださいね」
「んまぁっ!」
生意気な発言に憤慨する。この弟は、外見こそつくろっているが、昔はやんちゃで手が付けられなかった。
マリーベルを妾の子扱いして、意地悪を仕掛けてきた事もある。勿論、やり返したが。
年が離れていたのが幸いしたか、『例の騒動』以来、姉弟仲は悪い物ではなかった。
むしろ、姉の出自を振り返れば、大分良好なものだとさえマリーベル思う。
彼も、そう感じてくれていたなら嬉しいが。
「コイツはバクバクバクバク喰うからな。何処に消えてんだってくらい、大飯喰らいだよ。健啖ってのはコイツの為にあるような言葉だな」
「んまぁっ! んまぁっ!」
事実を指摘されて悔しかったので、さり気なく淑女キックを旦那様の脛に見舞った。
面白いくらいガクッと膝を付く彼を見て、マリーベルはホホホと笑う。ざまあみろ。
「マリィィベェェェルッ!!」
「弟の前で恥を掻かせるような事を言う旦那様が悪いんですぅ!」
捕まえようと手を伸ばすアーノルドの脇をすり抜け、始まる追いかけっこ。
貴族社会のマナーは何処へやら。二人はバターになるような勢いで、ぐるぐるぐるぐるリチャードの周りをまわる。
「プッ……アハハハハハ!!」
熾烈な捕り物合戦を制したのは、素っ頓狂なその笑い声。見ればリチャードはお腹を抱え、愉快そうに笑い転げている。
「リチャード! 貴族の当主がそんな風に笑っちゃ駄目よ、はしたない!」
「いや、お前がそれを言うか……?」
旦那様に小突かれ、頭を抑える。それを見て、リチャードは更に笑いを深め、加速させた。
「や、やめてよ姉様、お腹に痛い! もう、もう……っ!」
涙さえ浮かべて笑い続ける弟。その姿に、流石のマリーベルも恥ずかしくなった。
ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。人妻としての慎みは持った方が良かったか。
「なんだもう、仲良さそうじゃないか! 心配して損した! なんだよ、もう……っ!」
「へ、心配……?」
殊勝な事を言い出すリチャードに、マリーベルは小首を傾げる。
最後に弟に会ったのは、王都の小さなタウンハウスに移る前。このカントリーで、ひとまずの別れを告げた時だったはず。
嫁ぐその時まで、小生意気な事を言っていたのに。一体これはどうしたことか。
「……安心したか、坊主」
ぐしゃり、と。アーノルドがリチャードの髪を乱暴に撫でた。
突然何をするのか。マリーベルさえびっくりして言葉も出ない。勿論、当のリチャードも同じだ。
世が世なら、無礼極まりない行為。しかし、アーノルドの声もその表情も、何処までも優しかった。
「お前の姉ちゃんは、俺が引き受けた。悪いようには扱わねえから、大丈夫だ」
「……義兄上」
「本当に立派なご当主様だな、びっくりしたぜ。前に一度会った時とは大違いだ。これなら、投資のしがいもあるってもんだ」
ぽん、と。拳で少年領主の胸を叩き、アーノルドは笑った。
「後は任せろ。何も心配すんな。お前はハインツ家の当主として胸を張る事だけ考えておけ」
リチャードの見開かれた眼から、透明な滴が零れ落ちる。しかし、その顔はすぐにアーノルドの背で隠されてしまった。
もどかしげに体を右に左に揺するマリーベル。
しかし、リチャードは旦那様の体で完璧に遮られている。様子を伺う事すら出来ない。
ややあって、アーノルドがその隣に戻って来た時には、弟の顔は元通り……いや、幾分か晴れやかですっきりとしたように見える。
「リ、リチャード? 大丈夫!?」
「ええ、お見苦しい所を見せましたね。もう大丈夫です」
さぁ、と。リチャードが恭しい仕草で手を向ける。その先にあるのは、一枚の扉。
「母上がお待ちです。姉上にお会いできるのを楽しみにしているようですよ」
「ほほう……上等ですっ!」
苦難はあればあるほどに燃え上がるのがマリーベルだ。
腕をぐるんぐるんと振り、気合を入れる。
アーノルドに続いて、意気揚々と足を踏みだし――そこで、ぴたりと止まる。
「……本当に大丈夫ね?」
「心配性な所は変わらないなぁ。嘘なんかつかないさ。僕はもう大丈夫だよ、姉様」
そう言って、茶目っ気たっぷりに目を瞑る弟。幼き日の面影をそこに見出し、マリーベルは胸を突かれたような錯覚に陥る。
少し見ない間に、大人になった気がする。何だか、置いて行かれた気分だ。
元凶であろう旦那様をじろりと見上げると、彼は笑いながら目を逸らした。
「さ、行くぞ。義母上にご挨拶しないとな」
「……旦那様は」
恨めしそうな声で、マリーベルは口を尖らす。
「ずるい、ですね……」
「なんだ、知らなかったのか?」
ぽすん、と。マリーベルの背に手が当てられる。押し出されるようにして、足が前へ前へと進み出す。
そんな妻の様子を見て、アーノルドは愉快そうな笑みを浮かべた。
「――俺は、ずるい大人なのさ」




