1話 はじめまして旦那様!
「喜びなさい、マリーベル。お前の嫁ぎ先がね、ついに決まったよ!」
養母の言葉に、マリーベルは顔を顰めた。ただでさえ忙しい年末に、突然私室に呼び出されたと思ったらこれだ。
床に埃が落ちてただの、ガラスが曇ってただの。またいつものアレか煩いな、くらいに考えていたのに。
豪奢なソファーに腰掛け、目を爛々と輝かせながらこちらを嘲り笑う彼女を睨み付ける。
(何が喜べだ。その弾んだ声は何? 口元が歪んでいらしてよ。嬉しいのは貴女ではなくて、お養母様!)
しかししかし、そんな事を口に出したらどうなるか。それくらいは察せられる。
マリーベルは空気を読める子なのである。お口を縫い縫い、ぴたりと閉じた。
「ほら見なさい。お前の夫になる男はね、とても裕福なんだ。お金持ちなんだよ、わかるかい? 上手く気に入られてごらん。舌の蕩けるような食事に豪華なドレス。その貧相な体を飾る宝石だって思いのままだ。この男爵家で冷や飯を食うよりも、よほど良い暮らしが出来るってもんさ」
そう言うと、マリーベルの養母――ハインツ男爵夫人は釣書をこちらに放って寄越す。
明後日の方向に飛び掛けたそれを、はっしと手に取り、マリーベルは内容を確認する。
アーノルド・ゲルンボルク。ゲルンボルク商会の主。年は三十二歳。
御年十八の少女からしてみれば、良いお年のおじ様である。
マリーベルの顔が更に引き攣った。このまま釣書を引き裂いてしまいたい衝動に駆られる。
(――流石はお養母様。私への『嫌味』と、家の利益をぶんどる執念にかけては右に出る者が居ないわね)
ゲルンボルク商会。その名にはマリーベルも聞き覚えがあった。屋敷で働くメイド達の、その噂話を耳にした事があるのだ。
新進気鋭の成り上がり。商売と名の付くものに目が無く、ありとあらゆる事業に首を突っ込んでいるらしい。
商会長のアーノルドは相当の遣り手らしく、ハインツ男爵領のみならず、他領や王都にまで広くひろーく手を伸ばしているとか。
商売のことなど良くわからないが、要は成金だ。今のこの時代に頭角を現し始めた、新世代の中流層と同じお金持ち。
そんなことをつらつらぼうっと考えているマリーベルを見て、ショックを受けたのかと思ったのか。男爵夫人はにんまり笑う。
「だいぶ年上だし、山賊みたいな容姿の男だが、『あっちの方』は相応に元気みたいだよ。お前は確か十八歳だろう? この男は、それくらいの若い乙女が大好物だそうだ。良かったじゃないか! 顔がそこそこ整っていれば、体型には目を瞑るとおっしゃっているそうな。願ってもない話さ。お前の身体じゃあ男を誑かすことなど無理だろうからねえ!」
養母は顎に手を当てると、甲高い笑い声をあげた。実に楽しそうである。その口調は貴族夫人というより意地悪婆。世に悪役夫人とかいう演目があれば、最優秀女優賞間違いなしだった。
顎が外れるんじゃないかというくらいに笑いっぱなしの養母はさておき、この話はどうだろうとマリーベルは考える。
アーノルド・ゲルンボルクの悪い噂は絶えない。
その手口は容赦がなく、叩き潰された商会は数知れず。
愛や情を母親の腹の中に置き忘れてきた獣。飢えた狼のような男だという。
おまけに妻を持たず、愛人をとっかえひっかえ傍にはべらせているらしい。
貴族の婚姻としてはさして珍しくも無いとはいえ、只でさえ年が離れているのだ。
マリーベルのような若い令嬢にとってみれば、この上ない不良物件である。
――けれど。ああ、けれど。お腹いっぱい食事を取らせて貰えて、綺麗なドレスを着れるのは嬉しい。嬉しすぎる。
その誘惑には抗い難かった。というか、抗うつもりも無かった。贅沢万歳! 成り上がり万歳!
そうだ、こう考えればいい。つまるところ、彼は金づるである。マリーベルを幸せにしてくれる白馬の王――おじ様なのだ。
マリーベルは未だに哄笑を続ける養母をじっと見る。何時まで笑ってるんだこの人。役にはまり込むのも大概にして欲しい。
その横面を張り倒してやりたい衝動を抑えながら、考える。この縁談の利点と減点を天秤に乗せて考える。
――まぁ答えは、すぐに出た。
「わかりました、お養母様。今までほんっとーにお世話になりましたわこんちくしょうめ。お望み通りに嫁ぎますとも。ええ、お家の為に犠牲になりますわ。でも、いいですか!」
マリーベルは声を張り上げ、指先をびしりと突きつける。
「これで縁を切れると思ったらお生憎様! 私は絶対幸せになってやるんだからね!」
思わぬ反撃に目をぱちくりとさせる養母を眺め、マリーベルはしてやったりと微笑むのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……案外と、広くも大きくもなさそうね。ケチってるのかしら? これも商売の知恵ってやつ?」
目の前に広がる邸宅を見て、マリーベルはポツリと呟いた。
あの衝撃的な婚約騒ぎから、はや一か月。新年を祝う暇もなく、男爵令嬢は『元』男爵令嬢になってしまった。
花婿も居ないまま結婚証書にサインを求められ、そいで『花嫁教育』を詰め込まされ、王都のタウンハウスに移された――と思ったら、トドメはおんぼろ馬車に叩き込まれてガタンゴトン。
乗り心地の悪さに四苦八苦しながら、マリーベルは王都郊外に位置するお屋敷の前へと運ばれた。
着くが早いか、御者のおじ様は馬にびしりと鞭を放って走り去ってしまう。お礼を言う暇もなかった。
脱兎と言うが相応しい飛ばしっぷりを見て、少女の胸のうちに嫌な予感が沸き上がる。
見上げてみれば、そこには白亜のお城が……なんてわけもなく。
頑強そうな鉄門扉の奥を覗き込むと、二階建て程度の屋敷が一軒。庭先には申し訳程度の花壇がちょこん。
そう、お世辞にも大したものでは無い。そこら辺の成金商人でも、もう少し豪奢な庭園つくりをするだろう。
貴族としては下位にあたるハインツ男爵家のタウンハウスでも、これより何倍も大きい。不安の影が一筋、マリーベルの心に差し込んだ。
「お金持ちって聞いたのに。贅沢させてくれるって言われたのに。何これ、詐欺です?」
あの養母ならあり得る。あり得るが……もうちょっと夢を見ていたい。
マリーベルは想像逞しい女の子なのだ。
門扉を覗き込むと、柵越しに小屋のような物が見えた。守衛代わりの使用人をあそこに雇っているのだろうか。近くにあった呼び鈴らしきものを鳴らすも、反応は無い。これっぽっちも無い。何にも無い。
(……なんだこれ!?)
まさか、本当にあの養母に騙されたのか? マリーベルはそんな勘ぐりまでしてしまう。
「たのもー! たーのーもー!!」
こうなれば自棄だ。とにもかくにも、旦那様に会わない事には始まらない。もうすぐ日が暮れてしまう。冬の肌寒さに身を晒したまま、立ち尽くすなんて勘弁願いたかった。
鉄扉を掴み、始めはカンカン、次第にゴンゴン、しまいにはガシガシと揺らす。
(――何だか楽しくなってきた!)
鼻歌交じりにゲシゲシと淑女キックを門扉に叩き込む。その度にはしたなくスカートが揺られ舞い上がるが、気にはしない。
ここは街から外れた郊外、人気は無い。つまり誰も見ていないのなら問題無い。
よし、次は石だ。思い切りぶん投げてみよう。
幼い頃はお転婆でならしたマリーベルである。久方ぶりのヤンチャし放題に興奮し、息をすうっと吸い込み、あらよと石を持ち上げて――
「何やってんだテメエ!?」
「ふぇ? ……アイタ!?」
突如響いた怒声に、持ち上げた石を落としてしまう。見るからにごつそうなソレは、重力に従って少女の爪先に直撃する。
あまりの痛みにぴょんぴょんと跳ねるマリーベル。靴をポイと脱ぎ捨てると、患部に息を吹きかける。
うん、よし。折れてない。打ち身としても酷くない。『息を吐いた直後』だったのが幸いしたようだ。
「ふう、良かった! 夫婦の契りを結ぶ前に危うくまた傷物になるところでした!」
「え、物理的な意味でか……? てか、何だそのデカイ石は。どうやって持ち上げたんだお前……?」
呆れかえったような声に振り向くと、そこには長身の男性が一人。こちらを半目で睨み付けていた。
(――おおう、聞きしに勝る山賊顔! グヘヘヘとか笑いながら今にも涎を垂らしそう!)
がっしりとした体格に、ボサボサの黒髪とモジャモジャお髭。その中間に輝く瞳はキラキラというよりギラギラと言った方が正しい。
まさに、獲物を狙う狼のようだ。餓狼というやつであろう。
乙女が夢見る王子様的男性像とは相反する容貌。普通の貴族令嬢ならそのまま卒倒してもおかしくない面構えである。
だが無論、マリーベルは普通では無いのでビクともしない。
それどころか、その頭のてっぺんから爪先まで舐めるように見つめる余裕まであった。
顔立ちは悪くないし、そこそこ整ってる。よしよし、と満足げに頷いた。
「な、なんだお前。おい、その獲物をねめつけるような目はよせ。舌なめずりすんな! 涎を拭え! ホントなんなの!? なんなのお前!?」
おっといけない、はしたない。マリーベルは優雅な仕草でハンカチーフを取り出し、そっと口元を拭う。
流れるような乙女の仕草。淑女としての気品あふれる艶姿を見せれば、この山賊王だって即座に撃沈――
「いや、誤魔化せてないからな! ちょ、やめろ舌打ちすんな! お前は押し売りか? 物盗りか? 答えろ!」
「失敬な。私はマリーベル。マリーベル・ハインツと申します。貴方がさんぞ――アーノルド・ゲルンボルク様でお間違いないですか?」
「何と間違えようとしたてめえ! 目を逸らすな、口笛吹くな――って、マリーベル? え、マリーベル・ハインツ男爵令嬢!?」
「はい、そのマリーベルです。貴方のお家とお金に嫁いで参りました、旦那様!」
スカートをつまみ広げてご挨拶。この一か月で鍛え直した成果がこれだ。マリーベルは片膝を軽く曲げ、背筋を伸ばしたまま作法通りにゆっくりと頭を下げる。
「ストロベリーブロンドの髪と水色の瞳。た、確かに釣書と面影は一致するが……一致『は』するが!」
「ふふ、似顔絵とはかけ離れた私の美貌に早くもコロッときちゃいました? 胸が弾んで頭がぼうっとしちゃいますぅ?」
「いや、確かに胸は弾むが、これはどちらかというと脈の乱れとかそういう類の生理現象じゃないか……?」
「え、お体に問題が? お健やかでは無いとおっしゃいますの? そんな、持病を抱えた儚いお方が旦那様だなんて……」
マリーベルは急いで駆け寄り、その体をペタペタと触る。
お胸に耳を寄せてみると、これは確かに心臓の音が速くて大きい気がする。
これは、これは――
「早速未亡人になるチャンスなんです!? 誓約書にサインは書いちゃいましたし、旦那様は貴族でも無い! という事は権利は私! 遺産も全て私のもの! やったぁぁぁ!」
浮かれムードでマリーベルは飛び回る。それはもう、ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねまわる。
「旦那様、死の床に就いても調和神様の御許に導かれるまで、誠心誠意看病しますから! 安心して主の元に召され――あいったぁああああ!?」
ごちん、と頭に衝撃。
涙目で見上げると、山賊王が山賊大魔王様に格上げしていた。
彼は、怒りに震えながらプルプルと拳を震わせている。
炎のようなオーラがその背から立ち昇っているように見えるのは、気のせいか。気のせいだったらいいな。
マリーベルがそんな事を懸念していると――
「詐欺だァァァァァ!! あのクソアマぁぁぁぁ!!」
木々を揺るがすように唸りをあげ、青空に吸い込まれていく怒声。
それに身を竦ませながらも、早くご飯がたべたいなあと首を傾げる少女。
これが、ちょっぴり変わったご令嬢・マリーベルと、その生涯の旦那様――アーノルドとの運命の出会いであった。
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