色んな人がいるもんです
たまーに、よくこんな意見を聞きます。
「リアルが忙しいから他人の作品も読んで評価つけるなんて自分は無理。それをしてる人は、よっぽどリアルが暇か、あるいは他人に優しくてして自分の作品にレビューとかしてもらいたくてしてるんだろうな」
色んな人がいるもんですよ。
リアルがお忙しそうなのに、他人の作品のレビューを千件以上書いていて、ご自分の作品も手抜きなく、エタることもせずに連載を完結させていらっしゃるような超人さんもいます。
逆に、作品を読んで感銘を受けたので感想を送っても、ほぼまったく返信をくださらないような方もいらっしゃいます。その方のマイページの『レビューした作品』を見てもゼロです。
ご自分の作品執筆に専念されてるんだな、ストイックなんだな、本当は感想に返信したいんだな、でもそんな余力がないんだな、とほっこりしてしまいます。
そういうタイプの作者さんが気にしないようにと思って、私は以前に『感想返信しなくていいんだよ』というエッセイを書いて応援しました。
ちなみに私はリアルが忙しく、体力もミジンコ並みなので、なかなか他の方の作品を読みに行くことが出来ておりません。
それでも面白い作品や、いつも面白い作品を書かれる作者さんを見つけると、読んでしまいますが、
正直、いつも私の作品に感想をくださる方の作品でも、自分の好みに合っていないものは読んでいません。
それを『不義理』とも思うし、『当たり前のこと』とも思います。
私の好みはそんなに広くないんだなぁ、と感じます。何しろ一番数の多い『流行りの作風』を面白いと感じられない宇宙人ですので……。
好みの幅がめっちゃ広くて流行りの面白さもわかる人ならレビュー件数が千超えできるのでしょうが、私には無理です。
感想返信そっちのけで自分の作品に専念されてらっしゃる方にはもちろんレビューなんかしている暇もないでしょう。
色んな人がいるもんです。
「世の中にはもうテンプレしかない。『型破り』と『型なし』は違うのだ」とかよく言われますが、
これにも言いたいです。
色んな人がいるもんですよ。
型なんて知らない小学校低学年の子が書いた詩に目を見張るような表現があるなんて、たまによくあります。
型なんて知らなくても漫画や映画を観てたらそんなものは自然と身につくもので、いちいち『序破急!』なんて力をこめて言うようなことでもないと思います。
中には今まで存在しなかったようなものを書いて、『すべては既に書かれていなかった!』と文学評論家に言わしめるような天才もいるかもしれません。
そんな人が出てこれないようにする上からの押しつけ、やめましょうよ。
イチローさんのバッティングフォームやマーティー・フリードマンさんのピックの持ち方を『おかしい!』とか言うようなのやめましょう。
特に『なろう』は自由(←語弊あるかも…)な場所なんですから、みんなが好きなものを自由に書けて、交流したい人は自由に交流できて、したくない人は自由に交流しない場所であってほしいと思います。
色んな人、いてほしいな。