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街から森へ

 出立から少し経ち、街並みの隙間から覗く城も小さく見え始めてきた頃。方々から食欲を誘う香りが漂い、朝から何も食べずにいる空っぽの胃袋をこれでもかと刺激してくる。


「お腹が減りました……」

「俺も……」


 溌溂とした性格が見る影もない萎んだ声に、同じく気力の消え失せた声で同意する。


「どうして王子なのにお金持ってないんですか……」

「いや、いくら王命でも国の金を勝手に持ち出すのは良くないだろ……」


 文句があるなら碌な準備もさせずに放り出した偉大な父上に言ってほしい。そもそも俺は滅多に城を出ないし、必要な物は使用人に頼めば手に入るという生活を送っていたから金を使うという習慣がなかったのだ。能無し改め引きこもり王子と呼ばれても甘んじて受け入れよう。

 それよりも、こちらからすればあの大荷物に貨幣が一枚たりとも入っていないことの方が驚きだ。彼女の家系は代々近衛騎士を輩出している名家だと聞くし、それなりの旅支度をさせているものと思っていた。

 えー、と後ろから聞こえる不満そうな声を聞き流して、ひたすらに足を動かす。普段は人でごった返している通りも、市民の多くがどこかの店で食事を楽しんでいるおかげで悠々と進める。

 そうして絶えず本能を刺激する香りに耐えながら歩くこと更に三十分、王都への出入りを管理する巨大な門へと辿り着いた。

 門の両脇には二名ずつの騎士が控えており、すぐ近くの詰め所では何名かが食事しているようだ。王子を差し置いて食事などどいつもこいつも不敬な……などと我ながら理不尽極まりない怨嗟を振りまきながら、シルヴィアのものとは色違いの赤い騎士団制服を身に付けた守衛たちに近づく。

 歩いてくる俺たちにいち早く気付いたらしい若い男性騎士がこちらへと駆け寄り、硬い動きで一礼する。


「お待ちしておりました、ノア王子。団長からお話は伺っています」

「ああ、うん。そんな気はしてた」

 やはりと言うべきか、ここにも情報が伝わっているようだ。

 そんなに俺を城から追い出したかったのだろうか。などと冗談ではなく思ってしまうほどには情報が早い。しかし国王と宰相、近衛騎士団に加えて騎士団全体にまで噛んでいるとなると、この兄探しの旅は俺の想像以上に重要な事なのかもしれない。まともな準備ができず、何の支援も情報も与えられていない上に一文無しというこの嫌がらせのような状況も、俺などでは理解し得ない複雑な事情があって……という可能性もある。まあ、仮にそうだとしても関係者は全員ぶん殴るが。


「こちらへ」


 頭を下げる他の騎士たちの間を通って、荷馬車が三台並んでも通れそうな門を潜り抜ける。石畳で造られていた道は車輪の跡がくっきりと残る踏み固められた土の道へと変わり、開けた視界には起伏の少ない草原が広がった。まばらに岩場と茂み、林が存在する光景はまさしく冒険の始まりといった風情であり、俺は感慨と興奮に身を震わせた。


「ああ、これは————」


 王子という身分と、それに見合わぬ凡庸。それらは俺を退屈な城の片隅へと閉じ込めた。仕方ない、当然のことだ。最低限の勉学さえ熟していれば然したる苦労もなく生きていける恵まれた境遇、これ以上のことを望んでは罰が当たる。

 だけど、俺は忘れられなかった。幼い頃、城下を母と一緒に歩いた時にほんの少しだけ見えた、鮮烈な緑と青。そして、赤い背表紙の向こう側で憧憬と好奇に染まった、俺と同じ黒と灰の狭間にある瞳の輝きを。


「————帰って来ないわけだ」


 不思議そうにこちらを見るシルヴィアに「何でもない」と告げ、緩慢な動作で空を仰ぐ。遠方で小鳥の群れが飛び立ち、頭上では翼がはためき勇壮な猛りが響く。

 ぞわぞわと背筋が粟立つ。今すぐにでも飛び出したい。嫌悪も苦悩も使命も覚悟もかなぐり捨てて、思うままに駆け抜けたい。

 全身を震わす衝動に逆らい、ぐっと唇を噛みしめる。優れた才を持たずとも王子は王子、課せられた使命を投げ出すことなど許されない。刻まれた王命を確かめるように、左胸に手を添える。

 どんな困難が待ち受けていたとしても、俺は進み続けるしかない。

 芽生えつつある覚悟を抱き、続く案内の言葉に耳を傾ける。


「この道は東の国境まで続いていますが、近頃は野盗が増えているという報告があります。それにここ数日、森に入った者が数人戻ってきていないそうです。充分に注意してください」


 ……流石に困難が過ぎるのでは? 覚悟が粉々に砕ける音がした。

 目と鼻の先で起きているとは思えない大事件に、引き結ばれていた口があんぐりと開く。シルヴィアも似たような考えなのか、眉間に皺を寄せ厳しい表情を浮かべていた。


「危険すぎますね。別のルートはありませんか?」

「南方へ逸れる迂回路がありますが、そちらでは大型魔獣の営巣が確認されていて……」

「魔獣って、大丈夫なのか?」


 図鑑や研究資料を読んだ限りだと、魔獣というのはかなり厄介な生物だ。

魔獣。魔物、モンスターと呼ばれる敵性生物の上位種である彼らはそのほとんどが高い知能を持ち、魔力によって強化された肉体は力強さと素早さに加えて、並の武器ではかすり傷にもならない強度も手に入れているという。ほとんどの魔獣は魔法を巧みに操るとされており、中には高度な魔法や呪いを用いる種もいるらしい。

 しかし、王都へ繋がる主要な街道が二つとも災難に見舞われているとは……これも師匠が言っていた異変に関係しているのだろうか?


「はい。既に騎士団の精鋭が対処に向かっていますので、収束は時間の問題かと」

「なるほど……」


 危険な森を突っ切るか、それとも時間をかけてゆっくりと迂回するか。

 たっぷり十秒は考えて結論を出した俺は、硬い表情のまま黙り込んだシルヴィアの顔をちらりと見てから、守衛の騎士に向かって口を開く。


「なら、俺たちはこのまま森へ向かう。待てるなら待ちたかったけど、生憎そんな金もないからな」

「んなっ、何を言って——」

「いいから。とまあ、そういうわけだ。君は引き続き職務に励んでくれ」

「承知いたしました。どうかお気を付けください」

「ああ、ありがとう。……行くぞ、シルヴィア」


 大きな目をまん丸に見開き、信じられないと言わんばかりの顔でこちらを見る彼女の手を引いて、じゃりじゃりと音を立てながら歩き出す。

 次第に街の喧騒が遠のき、風と葉が擦れ合う音、そして鳥の囀りばかりが聞こえるようになる。

 すると突然、導かれるままに歩いていたシルヴィアが俺の手を掴みその歩みを止めた。つんのめるのを堪えた俺が振り返ると、怒りとも悲しみとも取れる感情に歪む彼女の顔が見えた。


「どうしてわざわざ危ない方を選んだんですか!? お金が必要なら私の荷物を売ればいいじゃないですか!」

「近い近い近い」


 鼻同士がぶつかるのではないかという距離まで詰め寄ってきた少女騎士が凄まじい剣幕で怒鳴る。

 彼女の言うように、荷物を減らして路銀を得るという選択肢も存在するのも事実だ。しかし、俺には彼女が“必要”と判断した物を売りさばく権利も、“不要”と断じるだけの知識や経験も持っていない。

 そして何より、あの門番の言動がどうも引っ掛かるのだ。


「おかしいと思わないか?」

「はい、間違いなく」

「いや俺の事じゃなくて」


 じいっと目を見つめてくるシルヴィアに手を振って否定しつつ、話を続ける。


「あの門番だよ。両方の道で問題が発生しているなら、安全な方を先に進めるのが普通じゃないのか? それに、話を聞いているならこれが王命だってことも分かっているはずだ。危険なルートだけを提示した理由が分からない」

「それは……そうですけど」

「そもそも、市外との往来が途絶えるなんて事態が起これば、城にいても情報ぐらいは耳に入るはずだ。けどそんな話はここ数日どころか一度だって聞いた覚えがない」

「つまり、彼にはこの道を選ばせたい何らかの理由があったと…………えっ、思う壺になってませんか?」

「反発して襲われたりしたらどうするんだよ」


 勝てない勝負はするな、利のない争いは避けろ。そして、それでも立ち向かうならば必ず勝て。

あの厳しい魔法の師から何度も言われた言葉だ。実戦形式の稽古でボコボコに叩きのめされた後に言われるので嫌味のようにしか聞こえなかったが、命の保証なんてない世界を生きるためには欠かせない考え方だ。

 あの騎士の意図が何であれ、あの場は穏便に済ませるのが最善だったはずだ。

 それに、森を行こうと決めたのにはもう一つ理由がある。


「人助け……師匠に言われたからな。嘘でも本当でも、見て見ぬ振りはできないだろ」


 出立の折に課せられた、あの言葉。己の良心に委ねられた曖昧な使命を、俺はどうしても裏切る気にはなれなかった。

 そうして、己を突き動かす理由が何なのかもわからないまま、俺は危険を承知で彼女をここまで引っ張ってきた。

 冷静に考えると途轍もなく迷惑な人間だな、俺。


「……そういうわけだから、もし良ければシルヴィアにも付いて来てほしいんだけど……」


 恐る恐る問いかける。曖昧な言葉で危険に突っ込もうとする主人なんて、従者からすれば堪ったものではないだろう。愛想を尽かしてこの場で離職、なんてこともあるかもしれない。

 なんだか胃が痛くなってきた。こっちも割と被害を受けてるし、お相子ってことにはならないかな。

 自分でも分かるほどに不安を露わにした俺を見たシルヴィアは困ったように笑うと、ざらついた地面にゆっくりと片膝をついた。

「そんなに暗い顔をしないでください。私は、とうの昔にノア王子にこの剣を捧げているんです。置いていくって言われても付いていきますからね!」

 鞘に収まった状態の長剣を手にした彼女が、俺を見上げて言う。疑念など微塵も抱かせない、真っ直ぐな眼差しと言葉に、片時でも忠義を疑ってしまった自分が恥ずかしくなった。

 それと同時に、胸の奥から言いようのない歓喜が湧き上がる。思わず表情が緩みそうになるが、主として情けない顔は見せられない。歯を食いしばり、緩みそうになる口角を全力で抑え込む。

 するとシルヴィアが視線を俺の手元……右手中指に付けられた指輪に落とした。眼下から「あっ」という小さな呟きが零れた。

 今だ、と判断した俺は「助かる」とだけ告げて立ち上がり、そそくさと森を目指して歩き始めた。

 情けないところを見られずに済んでほっと胸を撫で下ろすが、今度は指輪の礼を言っていないことに気付いてしまった。気恥ずかしいので落ち着いてから言うことにする。

 歩いていると、後ろから忙しない足音と、聞きなれた声が聞こえてきた。


「なんで置いてくんですか!」

「置いて行っても付いてくるんだろ?」


 大荷物と共に隣まで走ってきたシルヴィアに、笑みを浮かべてそう返す。


「そういう意味で言ったんじゃないですから!」

「じゃあどういう意味だよ」

「それは……って、言わせないでくださいよ!」


 いつも通りの騒がしさを噛みしめながら、二人並んで道を行く。

 軽い足取りで目指すは森林、愉快な旅の序章が始まる。


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