出立
「ほんっっとうにすみません! 悪気はなかったんです! 嘘じゃないです信じてください!」
王城の正面入口から正門まで続く、長く緩やかな傾斜の始点にて。上へ下への大移動で経ても変わらず常軌を逸した量を詰め込んだ背嚢を担ぐ、本日二度目の顔面強打をやらかした不敬者の謝罪が響き渡る。
「悪気がないならないで相当の馬鹿だぞ、お前」
「なんでそんなひどいこと言うんですか!?」
「酷いことしてんのはお前だ! ハゲたらどうすんだよこのポンコツ騎士!」
「ポ、ポンコツ騎士……!?」
項垂れるポンコツ騎士を無視して、開かれた門へと歩を進める。どこかの誰かから受けた攻撃のせいで、数十分は意識を飛ばしていたのだ。無駄なことをしている時間はない。
遥か頭上から容赦なく降り注ぐ陽光が、まだ冬を越えたばかりだというのにチリチリと肌を焦がす。近頃騎士たちが春なのに暑くて仕方ないとぼやくのを見るが、この暑さではそれも頷ける。
「あっつ……そういや、今年は雪降らなかったな……」
白く染まった山々を城から眺めるのが毎年の楽しみだったので、残念に思ったのを覚えている……が、それにしても暑い。
「いい感じに風でも吹かねぇかな……」
「ふむ、いいだろう」
後ろから聞こえた声に続いて柔らかな風が吹き、体に纏わりついた熱気を取り払った。
「あー、涼しい。助かったわ……って何でいるんだよ!」
勢いよく振り返った先には、ついさっきこちらを指差して呵々大笑していた宮廷魔術師の男。青い刺繍が施されたローブを纏い、つばの広い帽子を被った見目麗しい金髪碧眼の青年。大層女性からの人気を集めていそうな——実際城内で一番人気らしい——容姿と肩書きだが、自分が仕える国の王子を指差して爆笑する忠誠心の欠片もない人物だ。こいつに向かってきゃあきゃあと黄色い声を上げているメイドたちは一度目玉をくりぬいて洗った方が良い。
「大荷物を抱えた女騎士から旅に出ると聞いたんでな、見送りに来てやったぞ」
「頼んでねぇし、さっきは良くも大笑いしやがったなアンタ」
「昨日散々オレに転がされておいて、あんな格好で歩いてるのが悪い」
ハッ、と鼻で笑うそいつのローブを引きちぎってやりたい衝動に駆られたが、掴みかかった瞬間に城門どころか大通りまで吹っ飛ばされるのが目に見ている。
「“失礼”って言葉知ってる?」
「魔導書に載ってないなら知らないな」
「載ってるわけないだろ。それで、何の用?」
「なんだ、気付いていたのか」
「そこまで暇じゃないだろ……師匠」
我が魔法の師、名はレオナルド・アーサー・リンガード。今年で二十四歳。絶え間なく新たな魔法を創造する稀代の魔術師……有り体に言えば天才というやつだ。超常の魔導士、最年少宮廷魔術師。意外そうな表情を隠す気もない男の異名は、永き魔法の歴史を遡っても早々見ることのない代物で埋め尽くされている。
そして名声に違わぬ実力のみならず高い指導力も備えており、俺はこの男に師事することで——ある程度、という枕詞は付くが——ありとあらゆる魔法を学び、身に付けることができた。
優秀極まりない魔法の師は俺の探るような眼差しを受け、これまでのふざけた雰囲気を消し去り神妙な顔で口を開いた。
「……この暑さもそうだが、近頃はあちこちで異常事態が頻発してる。どこで野垂れ死のうとお前の勝手だが、精々気を付けるんだな」
「…………忠告どうも」
見ての通り礼儀の欠片もない、最低限度を遥かに下回る悪辣な性格をしているこの男だが、意外なことに面倒見はいい。指導を頼んだ際は嫌そうな顔だったがなんだかんだ引き受けてくれたし、俺に何の才能もないことが分かった時も馬鹿にしながら鍛えてくれたのだ。加えて、指導中には幾度となく執拗に痛めつけられたものだ。……思い返してみると本当に性格が悪い、一度と言わず四回ぐらいは牢に入った方が世のためだろう。
と、たいへん面倒見のいい師匠がそこまで言うのだから、気を付けるべきなのだろう。尤も、神様が悪ふざけで創ったとしか思えないこの男とは違い、秀でた才能のない俺が注意したところで意味があるかは分からないが。
「ああ、それともう一つ————お前は、何をやっても“そこそこ”止まりだ」
ぼうっと見上げたローブの向こう側で、白金が揺れる。
「ここに来て罵倒かよ……言われなくても、能無しなのは俺が一番分かってるよ」
俯き、唇を噛みしめる。
最初に学んだのは、魔力操作に始まる、浮遊や衝撃といった基礎となる魔法だった。その次は騎士団に混じって剣と槍を習って、弓や斧も使ってみた。その次は勉強。算術、兵法、魔法言語、古代語、竜言語なんてものにも手を出した。一周して再び魔法に打ち込んだ。今度は系統化された属性魔法を一通り身に付けた。気分を変えて、使用人たちに交じって料理や掃除をやってみたりもした。
そのすべてに習得の手応えがあり、その後間もなく限界が訪れた。
技術や頭脳、才能だけではない。魔力も、筋力もそうだ。力比べをしても丁度真ん中の奴に勝つのが精いっぱい。俺には他の王子王女が持つような——否、誰もが一つは持つはずの、特別秀でた“なにか”がない。
無才で無価値、王族に産まれるべきではなかった能無しの愚物……それがノア・レグナヴィアという人間だ。
「それは違います」
凛とした声が、思考を断ち切る。俯いていた顔を上げると、そこには俺を庇うように立つ白金の輝きと……馬鹿でかい背嚢があった。
「たった数年の間かもしれませんが、私は王子の努力を見てきました。己の限界を嘆き、自嘲しながらも諦めることなく、輝くための“なにか”を求めて努力し続ける姿を、ずっと傍で見ていました」
己を信じて疑わない、真っすぐな言葉が紡がれる。風を受けて冷めていたはずの手足が、頭が、心が、じわじわと熱を持ち始める。
……それはそれとして背嚢の威圧感が凄まじい。
「ノア王子は諦めない心と、研鑽を欠かさぬ意志という素晴らしい才能を持っています。それに、失敗ばかりの私を大切にしてくれる、とても優しいお方です。……私の主は、能無しなんかじゃありません」
そう言い切った彼女が「そういうことですよね?」とローブの魔術師に問いかけると、沈黙していた魔術師がゆっくりと口を開いた。
「全然違うな」
「あれぇ!?」
「じゃあ今のくだりは何だったんだよ!」
「そこの女が勝手に始めたんだろう」
「お前さァ!!」
「すみませぇん! って、わわ————んぎゅっ」
「バカお前こっちくんな————ぐおぁっ」
がばりと頭を下げたシルヴィアが大荷物に重心を乱されてよろめき、そのままこちらに向かって倒れ込む。
幸いなことに鞄の重心が低かったので二人とも頭部を木っ端微塵にしなくて済んだが、揃って大重量の荷物に圧し潰された。
「お、重…………“浮かべ”っ……」
どうにか魔法を行使して、鉄の塊でも入れているとしか思えない背嚢を持ち上げる。
強かに打ち付けた腰をさすりながら身体を起こすと、ふわふわと浮かんでいく背嚢に引っ張られたことで首根っこを掴まれた猫のような格好になったシルヴィアと目が合った。羞恥に顔を赤らめ、思いのほか豊かな胸部の前でこれまた猫のように両の拳を丸めた姿が何とも愛らしい。
……と、そんな俺を一対の瞳が冷たく射抜く。
「……不屈、研鑽。確かに一つの才能と言ってもいいだろう。だが根底に諦観と執着がある以上、お前のそれは醜い悪足掻きに過ぎん」
「そこまで言うか」
「そういう約束だからな」
「はぁ……?」
そんな被虐的な約束なんてした覚えがないんだが……いや、あるのか? 指導を頼む時に言っていたような、言ってなかったような……。
「広い視野を持て。己の武器を知れ。才能が全てではないことを、この旅で学べ」
「才能が全てじゃない、って……アンタに言われても嫌味にしか聞こえないんだけど」
「……お前は本当に察しの悪い…………なら旅の餞別として、不出来な弟子に課題を与えてやろう」
「ネチネチ言わないと気が済まないのか……っていうか、課題?」
どういうことかと言葉を繰り返す俺の前で、未だに浮かされたままの少女がぱちぱちと眼を瞬かせる。どうやら、理解できていなかったのは俺だけではないらしい。
「王子として、或いは人として、悩める人々の導となれ。そして、旅の中でその下らない価値観を捨て去り、己の本質を知れ」
風が起こる。びゅうびゅうと音を立て、黒いローブをはためかせる風は魔力を帯びて白く色付き、渦を巻くように黒い人型を覆い隠していく。
吹き荒ぶ風に混じって、再び声が届く。
「——覚悟して進め。お前の進む先には、数多の苦難が待ち受けている」
「……? ちょっと待て、アンタ何か知って————うわっ!」
時すでに遅く、問いかける最中に風が弾ける。渦の中心に居たはずの男は影も形もなく消え去ってしまい、代わりに季節外れの陽光が肌を焦がした。
「あんのクソ師匠め……」
白く広い門前にぽつんと取り残された俺たちは、どちらともなく顔を見合わせる。今日は振り回されてばかりだな、と肩を竦めると、彼女は目を泳がせながら曖昧に笑った。
何やら意味ありげな事を言ってはいたが、要は人助けと自分探しをしろというだけの事だ。人助けと言っても困っている人なんて早々いるものではないし、あまり気にする必要もないだろう。問題があるとすれば自分探しだが……これ以上考えることを増やしたくないので、これに関しては置いておこう。
「……とにかく、これで漸く出発できる。準備はいいか?」
「は、はいっ!」
浮いたままの荷物を背負い直した騎士からの返答に頷き、ギラギラと眩い太陽が居座る青空を見上げる。祝福と呼ぶには暑すぎる、憎たらしいぐらいの晴天だ。
パン、と頬を叩き、気持ちを切り替える。暗い気持ちは、旅立ちには相応しくない。
「それじゃあ、行きますか」
背後に聳える白亜の城に暫しの別れを告げて、果ての見えない旅への第一歩を踏み出した。