誕生日
「うーん、今日も今日とてムカつくぐらいにいい天気。あの辺でデートしてる奴らにだけ大雨降ったりしないかな」
純白の外壁が眩しい城の一角、高さだけは充分にある隅っこの居室で、無駄に大きい窓に肘をついて一人呟く。
朝っぱらから城下町を見おろして恋人たちの不幸を願う。我ながら性格がよろしくないが、それに関しては気付いたら何処かへと旅立っていた兄と、鬼畜な師匠に責任がある。それに、こちとらこの国の第…………六とか七あたりの王子だ。この程度の悪事は王子の権力で相殺できる。権力というのは素晴らしい。
ちら、と魔法仕掛けの時計を見る。時刻はおおよそ九時、そろそろ騎士連中が喧しくなる頃だ。せっかくのめでたい日に野太い声なんて聞きたくもないので、さっさと部屋を出る。
なんで俺の部屋の真下に騎士団用の室内訓練場なんてものがあるのだろうか。この城の図面を描いた奴はきっと馬鹿に違いない。
そんなことを考えていたのが良くなかったのか、ドアノブに手を掛けようとした瞬間、凄まじい速度で豪奢な装飾が施されたドアがぶつかってきた。
「あっ」
「いっ——————てぇ!?」
無駄だと思いながらも続けていた鍛錬が功を奏したのか、奇跡的に流血しなかった前頭部を即座に抑え、チカチカと明滅する視界でノックもせずに扉を開けた下手人を睨む。尤も、ぶつかる直前に聞こえた間抜けな声で察しはついているのだが。
「お前なぁ、いい加減ノックぐらいしろよ!」
「す、すみませんノア王子。慌ててたもので、つい……」
ペコペコと申し訳なさそうに頭を下げるのは、騎士団共通のインナーの上に近衛騎士であることを証明する青を基調とした服を身に着けた、凛々しくも愛らしい顔立ちの女性——シルヴィア。彼女が頭を下げる度に、毛先の方で緩くウェーブしたプラチナブロンドがふわりと揺れる。
四年ほど前から自分に世話役兼護衛として付けられた専属の騎士だが、見ての通り抜けているところが多い。
「“つい”で警護対象の顔面にドアぶち当てるなよ……それで、要件は?」
「あっ、そうでした! 大変なんですよ! 陛下がノア王子のことをお呼びで、その、すぐに謁見するようにって! ああっ、それとお誕生日おめでとうございます! これどうぞ!」
大層慌てた様子で話したシルヴィアから小包を渡されたが、申し訳ないことに俺の心中はそれどころではなかった。
「は? あのクソ……じゃなくて、陛下が? 今更何のために……?」
最後に会ったのはいつだっただろうか。姿を見たのは昨年の建国記念日のセレモニーだったはずだが、言葉を交わした時となると十年以上前かもしれない。なにせ、俺よりも遥かに優秀だった兄とすら碌に会わず、母さんの死に際にも顔を出さなかったような薄情者だ。才能の欠片もない俺のような出涸らしなど、認知しているのかも怪しい。
そんな奴が、今になって俺を名指しで呼び出す?
「——————王子、大丈夫ですか?」
心配そうにこちらを覗き込む柔らかな新緑の瞳に、思考が引き戻される。
「……ああ。ありがとう、シルヴィア」
——兎にも角にも、ノア・レグナヴィアという人間にとって、偉大なる国王陛下というのはロクデナシのクソ親父だ。
何の取り柄もない能無しに何の用かは知らないが、どうせ碌な事ではないだろう。
「着替えてすぐに向かう。シルヴィアも部屋の前まで付いてきてくれ」
「承知いたしました」
身を翻し、聞くまでもない返答を背に受けながらクローゼットを開く。王子という身分の割には些か小さな収納からシルヴィアと同じ青い礼服を取り出し、既に着ていた白いシャツの上から袖を通す。ズボンに関しては今穿いているものを脱ぐ必要があるが、シルヴィアが相手なら問題はないだろうと考え流れるように穿きかえる。後ろの方で息を呑む音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
最後に靴を履き替え、備え付けの姿見でおかしいところがないか確かめる。平均より僅かに高い身長と頼りがいがあるようでない半端な体格、自分で言うことでもないが、意外にも顔の造形は王族のイメージを損なわないレベルには整っている。
中でも気に入っているのが母親譲りの黒と灰の間にある髪と、同じく黒灰色をした瞳だ。
しかし残念なことに、同じ髪色の尊敬する兄以外の兄弟姉妹のほとんどからは何故か忌々しそうな視線が向けられている。最初は誇りを踏みにじられたように感じたし、劣等感など持ち合わせていなかった俺は当然の如く抗議した。だが彼ら彼女らは揃って申し訳なさそうな顔をして、懺悔するように謝るのだ。難しいことは分からなくとも、自分がきょうだいたちとは違うということだけは理解できた。
そこから紆余曲折あり、何の才能もないことが判明した俺は「他とは違うってマイナス方向かよ」と不貞腐れ、優秀な人間とばかり関わってきたこともあってかものの見事にひねくれた。無論、そんな今でも母親と兄のことは尊敬しているし、この美しいとは言い難い色の髪も誇りに思っている。
そんなこんなで身だしなみのチェックを終えて、鏡の前に立つ自分をもう一度見る。社交の場には一切出てこなかったためマナーなどは全くと言っていいほど学んでこなかったが、まあ及第点はあるだろう。仮に駄目でも相手はあの父親なのだから、俺にとってはどうでもいいことだ。
「————よし。行こうか、シルヴィア。慌ただしくて悪いな……それと、ありがとう。プレゼントは後で開けさせて貰うから」
「いえ、そんな! 私の方こそご迷惑をお掛けしてばかりで……申し訳ございません」
全くもってその通りだな、とは流石に言えなかったので、適当に誤魔化して部屋を出る。
国の脛を齧っている分際で言うのもなんだが、俺の私室は立地が良いとは言い難い。真下からは騎士団の叫び声やギンギンとうるさい金属音が引っ切り無しに聞こえてくるし、上下の階に移動しようにも端も端に位置しているせいで階段が遠い上にトイレに行くのにも歩いて三分掛かる。つまり、長ったらしい移動の間は使用人たちからの視線を受け続けなければならないということだ。
物珍しそうにこちらを見る侍女や騎士たちの視線が鬱陶しい。ひそひそと何を話しているのか知らないが、いくら能無しでも王子相手にその態度は普通に不敬だろう。師事している宮廷魔術師に至ってはこちらを見た瞬間に指を差して笑い始めている。王族の権限を使って即刻田舎へ帰らせてやろうか……などと思ったら殺気を浴びせられた。やっぱり権力を振りかざすとか良くないよね、うん。
そんなこんなで歩き続けて、漸く辿り着いた玉座の間。ギラギラと眩しい扉のそばに控える騎士はこちらに気付くと、姿勢を正して敬礼した。騎士の鑑だ、褒賞を与えるべきだろう。
「中で陛下がお待ちです」
鈍色の兜の向こうから、負けず劣らずの硬い声が響く。
「分かった。シルヴィアは待っててくれ」
「はい。どうかご無事で」
「怖くなるからやめろ。……行ってくる」
神妙な顔で告げるシルヴィアに戦々恐々としながらも、甲冑二人がガチャガチャ鳴らして開けた大きな扉を潜り抜ける。
真っ赤な絨毯の上を歩き、数段高い最奥で玉座にもたれかかる実父を視界に収める。“いかにも”な服装を纏った壮年の男は金色のひじ掛けに腕を乗せ、壁に掛けられた竜の剥製を背に感情の窺えない昏い瞳でこちらを見下ろしていた。
一歩二歩と距離を縮める。絨毯の両脇に立つ近衛たちは微動だにしない。
三歩、四歩。国王の傍に立つ宰相が、口だけを動かした。
……五歩。膝をつき、頭を垂れる。
少しして、低く重い声が耳朶を震わせた。
「面を上げろ」
ざわめく胸と湧き上がる複雑な感情を抑え込み、努めて無表情で顔を上げる。近づけば何か変わるかと思ったが、こちらを見つめる瞳はどこまでも無機質で、眉間に皺を寄せた不機嫌そうな表情は石化の呪いでも掛けられているかのように動かない。
……うろ覚えだが、形だけでも挨拶はした方がいいだろうか。
そんな考えを見透かしたように、再び国王が口を開く。
「ノア・レグナヴィア」
名を呼ばれた。それだけのことで、抑えていた何かが零れそうになる。
歯を食いしばり、続く言葉を待ち構える。
いよいよ追放されるか、それとも危険な任でも与えられて合法的に葬られるか。腹の底で煮えたぎる悪感情が、どの道ろくな話でもないと吐き捨てる。
「二年前に出奔した第二王子、アーク・レグナヴィアを見つけ出し、連れ戻せ」
我が父、レグナヴィア王国七十六代目国王は、顔色を変えることなくそう言った。
……え、兄さん家出だったの?
お読みいただきありがとうございます。
稚拙な文章ですが、ご評価・ご感想をいただけると幸いです。