084.グレイソンの自宅
...
アンが目覚めたのは白タヌキの予想通りのタイミングだった。
(私、火は、街は、一体...?王宮に行かなきゃ...?)
アンが起きたと自覚した時、まだ水に揺蕩うような、靄に包まれたような感覚で目が開かなかった。頭は起きたのに、身体がまだ寝ているのだろう。
ようやく無理矢理目を開くと蝋燭の光が入り、指先の感覚が戻ってきた。
喉がヒリヒリとするほどに口の渇きが襲う。
それから、やっと音が戻ってきたところで、霧が晴れたように意識がハッキリとしてきた。
「...っ!?」
口を動かしても声が上手く出ず、エホッと小さく咽せた。
無理矢理起き上がると、目の前にスッと差し出された水を飲んだ。
勢いよく水を飲みきり、プハァッと息を吐く。
水を差し出してくれた人物を見ると、グレイソンだった。
グレイソンは、酷く憔悴したような面持ちでこちらを覗き込んでいた。
「団長さん!すみません何時間経ちましたか...?」
まだ掠れる声で、寝顔を見られたであろう事を気恥ずかしく思いながらもアンは尋ねた。
「3日だ。」
「みっ...3日??」
アンは目を丸くした。確かに、喉の渇きはやけに酷いと思った。身体が栄養を欲し、血糖値の極端な低下で手がカタカタとした。
「まずは、食事をするといい。すぐに侍女に持って来させよう。」
グレイソンはアンの頭を撫で、侍女に目で合図した。
「すみません...お言葉に甘えさせて下さい。」
アンは申し訳ないながらに、糖分不足の頭では状況理解も難しいと思い、従うことにした。
ふと、自分の腕を見ると、見覚えのないレース袖があった。
アンは慌てて寝具の中を覗くと、純白のシルクの貴族用ネグリジェを着ているのだと気付く。そして、あまりの恥ずかしさに布団をガバッと自分の口元まで引き上げた。
「も、もしかして...み、見ましたか?」
アンは恥ずかしさに涙目になって、上目遣いでグレイソンを見てくる。ほんのり耳まで赤く染まっている。
その意図に気付いたグレイソンの方が、アンよりも更に顔を赤くして否定した。
「違うぞ!違うからな!!!私の侍女が変えたのだぞ!私ではないぞ!!!...着替えも用意させよう!私は一度部屋から出る。
...ゆっくりでいい!火事は水の精霊様が止めて下さった。説明は食事の後でも遅くはない。」
グレイソンは慌てて侍女に着替えを命じると、足早に部屋から出て行った。
グレイソンは部屋から出ると、扉の前でしゃがみ込んで両手で顔を覆った。
たしかに、着替えさせたのは侍女なのだが、雨の中アンを運んだのは自分なのだ。
...
3日前、西の森を出た後も雨は続いた。アンと自分を縄で括り馬から落ちないようにはしていたが、密着しているが故に、アンが否応なしに冷えていくのが分かった。
泥だらけ、かつ、ずぶ濡れ状態でピクリとも動かない。アンの着ていた白いシャツは濡れて張り付き、体温を急激に奪っていった。
自分の服を代わりに着せてあげられたらよかったのだが、自分も下着まで全て濡れている。自分が風魔法を使えれば...と思いつつも、白タヌキをアンにぎゅむっとしがみつかせて何とか温め続けた。
白タヌキはアンのために文句は言わないまでも、何とも間抜けな格好にグレイソンを睨んだ。
グレイソンはそのまま一目散に屋敷に向かい、屋敷に着くと、アンを抱えて客室に運んだ。
その後も侍女が慌ただしく湯と着替えの準備をする中、心配しすぎて頭の回っていないグレイソンは横でアンの冷え切った手を摩り続けた。
が、筆頭侍女に苦言を呈されたのだった。
「ご主人様...その、女性はそのような姿を見られるのは、控えて頂きたいと思うものですよ。どうぞ着替えていらして下さい。」
と。
ふと我に帰ったグレイソンは、どういう意味かと、顔を上げてアンの姿を見てしまった。
冷え切った手。
泥だらけの髪。
泥だらけのスカート。
ずぶ濡れで...
透けた白のシャツ。
その胸元からウエスト、腰...
と、目が離せず何故かゆっくりと見てしまった。
ずぶ濡れの格好では、体のラインが丸分かりである。
特に、その腰回りの細さに一瞬見惚れてしまった。グレイソンは自分でも
(わたしは胸派より腰派なのか!?)
とバカな考えが頭に浮かんだ事を恥じた。
「〜〜〜っ!!!!?」
途端に精霊達のものであろう殺気を感じ、グレイソンは勢いよくアンから背中を向けると、耳まで真っ赤にして猛ダッシュで部屋から退散した。
...
という、情けない出来事を思い出してグレイソンは自分の頬をピシャリと叩いた。
「私はなんて愚かな...!!!
でも...細かったなぁ...。」
グレイソンもやはり男であった。扉の向こうでアンが着替えているであろう事を考えてしまい、悶々とするのである。
...
アンは着替えさせようとしてくる侍女達に遠慮するも、用意してもらった服が貴族用で1人では着られない事が分かった。観念して着替えをお願いし、記憶を整理した。
それでも西の森の入り口で記憶はプッツリと途切れている事を思い出しただけだった。
ハッと思い出したように、精霊達を探すも見当たらない。
窓の外の天候が荒れていない事だけ確認すると、考えても仕方がないと思い、ひとまずは用意してもらった食事を口にした。3日ぶりの食事という事で、柔らかく薄味のものを用意してくれていた。
食事が終わると、ハーブティーまで出てきた。温かな食事とハーブティーが、じわじわと食道を、身体全体を温めていく。
そこに、コンコンとノックの音が響いた。
「アン、食事と水分は取れたか?」
タイミングを見計らってグレイソンが戻って来た。
「はい。何から何までありがとうございました。
あの...早速ですみませんが、あの後のことを教えていただけないでしょうか?それと、今更ながら此処はどこなのでしょう。」
食事にばかり気を取られ、此処がどこかも聞きそびれていた事に少し恥ずかしそうに尋ねた。
グレイソンは、いつもの余裕の笑みではなく真剣な表情だった。
「まず、此処は私の屋敷だ。元々私は王家の血筋だからね。このような所に住んでいる。」
アンは驚いて目を丸くした。危うくティーカップを斜めにしすぎてハーブティーが溢れるところだった。グレイソンが手を伸ばしてカップを水平に戻す。
そのグレイソンの髪がキラリと光ると、アンはやはり自分がボンヤリした人間なのだと思い知った。
王家の血筋だけがブロンドの髪だという事は知っていた。なのに、グレイソンも例外なくそうだとは何故思い至らなかったのか...。
そうか、だから初めて会った時に、髪の色の事に触れて警戒されたのかと気付く。更にはそんな人にあんな庶民的な天津飯など食べさせていたのだと思うと、アンは逆に笑えてきてしまった。
「フッ...!フフッ!」
急に笑い出すアンに、グレイソンは少年のような顔でキョトンと首を傾げた。
「すみません、王家の方だと思い至らなかった自分にガッカリしたのと同時に、天津飯など出してしまった事に逆になんだか面白くなってしまって...!」
アンはクスクスと笑った。
その様子に、やっとグレイソンもいつもの穏やかな微笑みをアンに向けた。
「君という人は...。あれは最高の食事だったけどね。
ともかく、あの日君は魔力切れを起こしたのだろう。白タヌキが教えてくれた。魔力切れで火事に巻き込まれたら、それこそ精霊達が怒り狂うだろう。まったく。あの後嵐のような雨が降り、王都中の火はすぐに消えた。
店での事はウィルから聞いた。セヴァーン子爵夫人はその他の罪と共に適切に裁かれている。その他の罪が重すぎるから、君は気に病む事はない。」
「そう...でしたか...。」
雨はノワールとチャプが降らせてくれたのだろうと予想した。子爵夫人の罪状が気になったが、怖くて聞く事は出来なかった。
「セヴァーン子爵夫人の刑罰は...君は知る必要はない。もちろん魔法使いが減刑を願えば、法ですら覆せてしまうだろう。だが、それは適切に法に則るべきものだ。
その他民から税を毟り取り、その上に成り立つ貴族などもとより断じて許されないものだ。」
グレイソンはアンに詳しい刑罰を伝えなかったが、実体はアンの想像よりもはるかに厳しく、惨たらしいものだった。己が虐げてきた民達に、苛虐の鞭に打たれ続けるようなものだった。
「あの、ちなみに白タヌキちゃんはいますか?精霊達がいなくて...。」
「ん?あぁ、白タヌキならばほら、下だ。あそこで寝転んでいる。」
グレイソンは窓から下を指さした。
その近くにフウ達も揃っていたため、アンは安堵した。
そのまま窓から白タヌキ達を眺めていると、
グレイソンの腕が、アンを優しく抱き締めた。
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