082.沈む
...
アンはひた走った。街中だけでも落雷と突風、大雨の被害が大きかった。前世のような排水構想はない街では、濁流が流れるところもあった。
前世ほど道路が綺麗に整備されていないため、足が泥に取られ何度も滑って転んだ。それでもアンは泥を払うこともなく走り続けた。
「プウ!お願い...!!今すぐノワールとチャプに助けてもらえないかしら!?」
「アンのお願いなら、チャプは了承するはずだよ〜」
プウはつむじ風を一つ手招くと、それを下級層の街に向けて飛ばした。
20分ほど街を駆け抜け、落雷による火事や突風で飛んできた物に当たり怪我をした人々に大勢出会った。その度に一緒に来てくれた白タヌキが、魔法を吹きかけてくれた。
フウ達自身もはじめは魔法で建物の簡易的な修繕をしていたが、これらは土魔法の領域らしく一時凌ぎの修復しかできなかった。
そもそも落雷でフウ達にかなりの魔力を持っていかれていたアンは、既に額から大粒の汗が流れていた。緊急度の低い修繕は後に回すしかなかった。
王都中に雨を降らせる程の魔力も残っていない。
アンは一度脚を止めた。息を切らし、両膝に手を当てて立っているのもやっとだ。この世界にHP/MP回復のポーションなど存在しない。ただただ、疲労や魔力は回復を待つしかできない。
だが、次の瞬間、目の前で崩落しかける外壁の下に子供がいるのが目に入った。
(あ、間に合わない....)
と、アンは頭に浮かんだのに、必死にその子に向かって手を伸ばしていた。
「きゃああああ!?」
子どもは外壁の崩落に気付き、その場で頭を庇ってしゃがみ込む。
そこに、アンが走り込み、瓦礫と子供の間に入り込んだ。
ズガシャアアアアン...!!!
と土埃を立てて、外壁が崩れ落ちた。
間に合わなかった。
魔法がなければ。
アンは、子どもごと瓦礫の下にいた。
だが、魔力を使い風が外壁を持ち上げ、アン達から離れたところにガラガラと落ちていく。またそれなりの魔力を消耗したのを感じた。
「お、お姉ちゃん、ありがとう...!」
鼻を垂らして泣きながら子供がお礼を言った。
(ギリギリだった...!)
アン自身、膨大な魔力量を持つが故に、自身の限界値など分からなかった。仮に、今のも魔力の限界だったとしても、アンが子どもを庇いさえすればプロテクションで子どもは助けられると思ったのだ。
自分が痛みにさえ耐えれば、助けられる。
アンは頭だけ撫でると、そのまままた走り出そうとした。
だが、その時男性の怒鳴り声で名前を呼ばれた。
「アン!!!」
目の前から何頭か馬が駆けてくるのが見えた。そのうちの一頭から、ヒラリと身軽に飛び降りる男が見えた。
金色の、髪。
「ケイン!お前たちはそのまま向かえ!」
「団長...さん?」
アンは目の前から駆け寄ってくるグレイソンに怒鳴られているにも関わらず、なぜだかホッとした。
「何をしている!?君から連絡が来た時は、心臓が止まる思いだったぞ!その上今も子どもを庇っただろう!君はお人好しにも程があるぞ!」
グレイソンはアンの両肩を支えると、心配そうに眉を寄せながらも、震えるほどに怒っているようだった。
グレイソンは見慣れたプラチナの髪が、子どもを抱えて瓦礫の下敷きになる瞬間、息が止まった。すぐに魔法で瓦礫が止まった瞬間、心臓がバクバクと恐怖に波打ったのを感じた。
「それより急がなきゃ...火を止めなきゃいけないんです!風の精霊達が、西の森に大きな火事が起きてるって言ってるんです!」
「先程の落雷の被害か。分かった。ならば...私も付き合おう。アン、失礼する!」
アンは呼吸を整えるために、膝に手をついて下を向いていた。
が、次の瞬間地面がジェットコースターのような勢いで離れ、天を仰いでいた。
「きゃあっ!?」
アンは素の悲鳴をあげてしまった。
地面が離れたのではない、アンが地面から離されたのだ。お姫様抱っこの体勢で軽々と持ち上げられ、そのまま馬の背に横座りに乗せられた。
アンが呆然としていると、馬の背の後ろにグレイソンも飛び乗り、アンの前には白タヌキが位置取った。
「無事で良かった...。一刻を争う!謝罪は後でしっかりさせてもらう。全速力で駆ける。掴まれ。それと舌を噛まぬよう喋らぬよう!」
グレイソンはそう言うと、自身の膝の間にアンを乗せてグッと引き寄せると、馬を最速で走らせた。二度とひとりであんな危険な目に合わせてたまるか、とグレイソンは心に決めたのだった。
経験のない高さと速さに、アンはまた小さく悲鳴をあげてグレイソンにしがみついた。心臓が跳ねつつも、居心地の良さも感じていた。
...
「...間もなくだっ!既に森の入り口まで火が迫っている。」
動物や魔物が火の手を流れて横を走り去って行く。
アンにもそれは見えており、先程からフウ達が雨雲を作って少しずつ消化をしていた。
だが、アンの魔力残量に対して火の勢いは大きすぎた。
メキメキと大きな音を立てて木が折れ、崩れ落ちる。
このままでは焼石に水状態だ。
「アン...!ダメだ、これでは私達も巻き込まれる。」
グレイソンは馬の速度を緩めると、苦々しく森を見つめて言った。馬も嘶き、これ以上前には進んでくれない。
「でも!!!これは私のせいです!このままでは西の森付近の家々まで焼けてしまいます!せめて魔力が尽きるまでは...!フウ・プウ・ブウ、燃焼・呼吸に必要な酸素だけを抜くか二酸化炭素で満たす事はできる!?」
「酸素とかって何〜?」
「でも〜燃焼に必要なものは知ってる〜」
「でも〜アンの魔力量じゃ少しずつなの〜」
「酸素...?にさ...?なんだそれは?」
グレイソンはキョトンとした。
科学が発展途上のこの国では、元素に関する知識は無い。フウ達に燃焼系の元素で伝わったのが奇跡だ。
「「「いっくよ〜」」」
最も手前の25mプール程の森林火災が止まった。酸素を全て抜いたのだろう。
魔法を使う程にアンの手足からは力が抜けていく。頭が重くなるのを感じた。
魔力切れでカクッカクッと船を漕ぎ出すアンに、グレイソンは必死に呼び掛けるが、アン自身も意識が朦朧としてきているのが分かった。
まるでコポコポと静かに水の底に沈むように、音もその他の感覚も深く閉ざされていく。グレイソンがアンを呼ぶ声がだんだんと遠くなる。
さらにその5倍程の森林火災を止めた時、アンの頭がガクッと後ろに落ちるようにして力尽きた。まるで、物のようにピクリとも動く事のないアンをグッと抱き寄せ、グレイソンは青褪めながら何度も呼びかける。
そこに
グレイソンの声をかき消すほどの大粒の雨が落ちてきた。
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