047.卑怯
アンは家に着くと、サッとエプロンをつけてキッチンに立った。
「送っていただきありがとうございました。今日の夕飯はー...。」
アンは家にある食材を一通り見て、レシピを決めた。
「この間はオムライスでしたもんね...?ちょっと捻って、天津飯にしましょう!」
「テンシンハン?」
グレイソンは首を傾げる。また、聞いたことのない料理だ。
「ふふっ!食べてみてのお楽しみです!」
アンはそう言うと、卵を取り出した。
前回のオムライスというものと似たようなものかと、グレイソンの期待は高まった。
だが、香りがどうも前回と異なる。グレイソンは白タヌキを引き寄せて、もふもふを堪能しながら待った。
すると、アンはいつの間に用意していたのか、つまみを出してくれた。豆をニンニクで炒ったものだが、ピリリと唐辛子が効いて箸が進む。
ここに酒が欲しいところだが...と思っていると、アンが冷えたグラスと酒瓶を持ってきた。
「アンは酒を飲むのか!?」
グレイソンは驚きを隠せず、尋ねた。アンが1人晩酌をしているところは想像がつかなかった。
「あ、いえ、18歳になったばかりで飲んだことはまだないんです。これは、紅茶のお礼にと貰ったものなんです。なので、良かったら一緒に飲んでもらえませんか?」
グレイソンは酒瓶をアンから受け取り、そのラベルを見た。
「ちょっと待て...エディロワ地方の最高級品...!?」
グレイソンは持ってる手が震えた。
「どんなお酒なんですか?おじいちゃんのお気に入りで、よく飲んでるのを見たことはあるんですが。」
アンはボンヤリとしたいつもの調子でグレイソンに尋ねた。
「アン...これは150,000コロンはする代物だぞ!とはいえ、そもそも市場に出回らないから金があれば買えるというものでもないが...。何をしたら、こんな幻の品をくれるんだ!むしろ誰だこんなものを贈答用に寄越すのは!?というかそれをよく飲んでるじいさんって...どう考えてもおかしい!...アン、また何か騙されてるんじゃないのか!?」
グレイソンはあまりの驚きにほぼ一息に言い切った。
「150,000コロンって...高すぎます!1ヶ月暮らせます!!というかまた騙されてるは余計です!」
アンは驚きやらツッコミやらで忙しいな!と思った。
「まったく、誰が何故こんな物を...」
グレイソンはひとまず酒瓶を両手でテーブルに置き、ラベルをまじまじと見ながら言った。
「それは、本当にただのオーダーメイドの紅茶のお礼なんです。くださったのは、カドガンさんという方です。」
それを聞いて、グレイソンは完全に固まった。
(カドガンさんってまさか、あの気難しい冷徹カドガン伯爵なわけはないよな...)
グレイソンも、以前ウィルが思ったことと同じ事を考えていた。アンは爵位の事などいまいちピンときていないところがある。
「アン、その人はまさか...」
グレイソンが聞こうとしたが、その言葉の続きはアンの「出来ましたよ。」という声と目の前に置かれた天津飯によって遮られた。
ひとまず、グレイソンは酒の話題は横に置き、目の前の熱々のテンシンハンなるものに集中することにした。
「どうぞ、召し上がってください。」
アンはフカフカの卵の上に、何か金色がかった透明なスープをかけた。
「む?それはなんだ?」
グレイソンが興味深そうにスープを見ている。
「この餡を絡むと最高に美味しいんです!まあ、説明するより食べてみてください!」
「うむ...いただくよ。」
グレイソンはスプーンで少しつついてみた。前回と同じような卵のふわとろ感。だが、バターの香りではなかった。それに、トロッとした金色の透明なスープがかかっている。
ひと口食べると、グレイソンは固まった。
「お口に合いませんでしたか...!?」
アンは慌てる。
「違う...美味しすぎるよ...。これ、もう最高...。この間のオムライスと同じふわとろの卵...でも違う旨味、食べた事のない味だ。それにこのスープのようなもの?餡?が最高すぎるんだ。アン、ふわとろにこの餡は卑怯だ...。」
グレイソンはそれだけ言うと、後は無言で頬張り続けた。そんなグレイソンを見てホッとしたアンは、白タヌキ用に冷ました天津飯を盛った皿を床に置いてあげた。
それから、アンは躊躇いなく酒瓶の栓をキュポンッと抜いた。
グレイソンはその音に、顔をハッと上げた。
「アン!ちょっと待て。さっきの話を聞いていたか!?それは150,000コロンもする、滅多に手に入らない酒だぞ!?」
「はい。聞きました。だから開けたんです。」
アンはそれが何か?と平然とした顔でグラスを用意しながら返事をする。
「いやいやいや!国王だって滅多に飲めないんだぞ!?」
「ええ、だからこそ、今日はチャンスなんです。飾っていても意味がないですし。まだ知り合いも少なく、当面は誰かとお酒を飲める機会もないんです。私のはじめてのお酒デビューに付き合ってください。」
アンはニヤリともう開けてしまった酒瓶を、チャプンチャプンと振って見せる。
ぐぬぬっ...とグレイソンは誘惑に勝てずに負けを認めた。
「アン、それは卑怯だ。もうダメだと言われても飲ませてもらう!!こうなったら俺にとっても一生に一度のチャンスだ!
...お願いします!」
グレイソンは頭を下げながら、グラスをアンの方へと差し出した。
アンはグレイソンと自分のグラスに少しずつ酒を注いだ。
「わぁ...やっぱりとても綺麗な色ですね。おじいちゃんがよく飲んでいたのは見ていたけれど。」
「ああ、美しいな...。」
2人はしばし飲まずに、そのグラスに入ったピンクダイヤモンドのような美しい色味の液体を見つめた。
「「乾杯。」」
ガラスを掲げ、2人は同時にそっと口に含む。
「「...!!!」」
2人とも美味しさに声が出ない。美味しすぎるものの前では、言葉など無意味ということがまさにその光景にピッタリな言葉だった。
そして、何も言わずに2人はグラス2杯ずつ飲み干した。
「アン...私はどれ程君にお礼をすれば、恩を返せるというのか益々わからなくなってきたよ...。」
「もう、何も言えません...。こんなに美味しい飲み物があるだなんて!カドガンさんに感謝ですね。」
アンは少し顔を赤くして、うっとりとボトルを見た。
2人はしばらく、余韻に浸っていた。