044.灰色の世界
今日もアンの紅茶を飲みに、お客様がやってきた。
「いらっしゃいませ。あ、メイジーさん!いつもありがとうございます。お好きなお席へどうぞ!」
メイジーとは、常連になってくれている白髪の女性のことだ。アンは、いつも通りにテラスの席へ案内した。
メイジーは、正確には髪だけではなく身体の全てが白い。瞳の色はグレーだった。不思議なことに、歳を取っているようには見えないのだが...。真っ白な彼女はとても美しかった。
「ありがとうございます。いつもの紅茶をお願いします。フフッ!今日も白タヌちゃんは可愛いわね。私と同じ真っ白だから、なんだか嬉しいの。」
メイジーはとても物腰柔らかな人だ。アンは何度か接客するうちに、世間話をしたりするようになっていた。白タヌキのこともいつも可愛がってくれており、白タヌキもメイジーにはとても懐いていた。
「メイジーさん、今日はとてもフレッシュなオレンジが手に入ったんです!よろしければ、いつもの紅茶にそれでアレンジしてみてもいいですか?」
アンはこの日、瑞々しいオレンジの味わいを楽しんでもらいたくて、張り切っていた。
「まぁ!私、オレンジが大好きなんです。元気が出るカラーですもの。」
メイジーは嬉しそうに了承してくれた。アンはニッコリと頷くと、紅茶を準備しにパン屋の方へ向かった。
その時。
たまたまお使いでパンを買いに来た子ども達と、ぶつかりそうになった。
「おっととと...!ごめんね〜!」
「あ!ごめんなさい。」
子どもは素直に謝ってきた。余所見していたことを謝るのだから、いい子そうだ。
だが、
その後メイジーを見つけた子ども達は、純粋すぎる言葉を発してしまう。
「うわっ!何だろうあの人、真っ白!すっ...げえ!」
「白すぎて気味悪い〜!お前、話しかけて来いよ!」
「嫌だよ怖いもん!!」
子ども達がそんなやりとりを始めてしまい、アンはメイジーに聞こえてしまったらと慌てて止めに入った。
「コラ!自分が言われて嫌なこと、されて嫌なことは人にしない!あんなに美しい色なのだから。」
アンは目線を子どもたちの高さに合わせると、小さな声で少しお説教をした。
「「「あ!...すみませんでした...。」」」
結構素直に聞くあたり、やはり物珍しさでハシャいでしまったのだろう。根はいい子達だ。
アンは紅茶をいれると、メイジーの座るテラスへと戻った。
...先ほどの子供たちの会話が聞こえてしまったのだろう。メイジーの表情は暗く、俯いたまま謝ってきた。
「ごめんなさいね...ここはなんだか落ち着くから、よく来てしまうの。私と同じで真っ白なお店。ここなら世間では浮いてしまう私も、周りに溶け込める気がするんです...。そんなの幻想だったわね。」
メイジーは眉を下げて、悲しげに笑った。
「そんな...!私も...」
咄嗟にアンは、私も珍しい髪・瞳だと共感を伝えようとした。だが、自分とメイジーでは見られ方が全然違うはずだと思った。軽々しく安っぽい共感の言葉を口にするのはやめた。
「...どうぞ。紅茶を飲みながら、ごゆっくりお過ごし下さい。私はメイジーさんの白が大好きですから。」
アンは、オレンジをカップの淵に飾った紅茶を、メイジーにそっと出した。
メイジーは、しばらく紅茶を飲むこともなく、ただただ見ていた。だが、次第にポロポロと泣き始めてしまう。それはまるで、絶望の淵に立たされたような泣き方だった。
「どうしたんですか!?」
アンはメイジーの背を摩りながら小声で聞いた。
すると、メイジーは声を震わせて言ったのだ。
「あぁ...ついに私の大好きな色も取られてしまったのね...!!!」
と。
アンは状況が掴めなかったが、ただならぬ雰囲気を察し、慌ててハンカチを差し出した。そして、あまりに悲しそうな表情に、つい首を突っ込んでしまった。決して好奇心ではない、純粋な心配からである。
「あの...何があったんですか?」
メイジーはハンカチを受け取り、震えながら答えた。
「私は...私は、生まれた時から真っ白だったわけではないんです...!!つい最近までは、本当に本当に平凡な見た目、普通の人生だったんです。
それが、どうしたわけか三ヶ月前から徐々に私から色が失われていきました。」
アンは本当にそんなことがあるのだろうかと、驚き、何も言えずにただ話を聞く。
「...三ヶ月前、はじめは私の髪が真っ白になりました。それから徐々に手足、口、瞳...全身から色が失われていったんです。お医者様も原因は分からないって。でも...そこまでならまだ耐えられました...!!」
メイジーはワンピースの裾を両手でギュッと掴むと、またポロポロと涙を零した。
「...1ヶ月前からは、自分が見える色が減っていったんです。はじめは、青。次に緑、それから赤...それでも大好きなオレンジ色が残っていたから、まだ見える色にすがっていられたんです...!」
アンは、自分が出したオレンジを使った紅茶を見た。メイジーには今、この瑞々しいオレンジの色が見えていないのだ。メイジーがいるのは、灰色の世界だ。
「見えないことについて、何かお医者様は...」
アンは、ダメ元で聞いてみた。
「匙を投げられました。そんな病気など聞いたことがないと。」
メイジーはサッと首を横に振った。
そして、メイジーは長話を聞かせて申し訳ない、とだけ言った。
その時。
温厚なはずの白タヌキが、急にメイジーめがけて飛びかかった。戯れているのとは違い、本気で首元に噛み付こうとしたのが見えたので、アンは慌てて白タヌキを引っ掴む。
「ちょっ...!?どうしたの!?...っ!メイジーさん申し訳ありません!!!」
バタバタと捕まっても暴れ回る白タヌキをアンは押さえ込もうとする。
「きゃっ...!?」
メイジーは驚いて呆然としているが、怪我はないようだ。
すると、精霊達が
「「「アン!だめ!」」」
と、3匹声を揃えて叫ぶ。
「え?」
「「「今すぐ離して!!!」」」
これまで精霊達がゆる〜く喋っているところしか聞いた事がない。アンはわけが分からなかったが、緊迫した雰囲気に呑まれ、手の内で暴れる白タヌキをパッ!と床に放った。
白タヌキは、床に音もなく着地すると、そのまま反転した。そして、メイジーの背中に向かって飛び上がると、肩の少し上の部分を噛み切った。
「キャッ...!!?」
メイジーは悲鳴を上げた。
白タヌキは床に着地すると、噛み切ったものをペッと床に吐き出し、爪で2つに切り裂いた。
「「これは...?」」
アンとメイジーは、白タヌキが床に吐き出したものに顔を近づけ、まじまじと観察した。
「なんだかトカゲみたいな...変に真っ黒な感じ...」
「そいつ、知ってる〜!」
「厄介なやつ〜!」
「人にはなかなか寄生しないんだけどね〜」
3匹はどうやら知っているらしい。
人前で精霊たちと話すわけにはいかないが、説明をしてほしくて、アンはチラッと3匹に目線を送った。
「えへん、教えてあげよ〜う!」
「そいつはね〜カラーロブトカゲだね〜」
「生まれた時は自分自身に色を持っていないから、奪うの〜」
「「「そして色を戻す方法はね〜...食べる〜!!」」」
「食べっっっ...!?」
アンは驚き声に出してしまった。
メイジーが不思議な顔をしながら、アンを見る。どう見ても説明を求めている顔だ。
「食べられたものは〜」
「食べかえす〜」
「1匹まるまる食べればいい〜」
3匹はやはり食べろと言う。
「えぇ........」
お腹を壊しそうなこの真っ黒黒なトカゲのようなものを見て、アンはどうしようか悩む。
「アンさん、これは何なのですか?」
メイジーは訝しげな顔でトカゲを見ている。
「うーん...」
アンも詳しいわけではないので、どう説明したらいいものか困る。だが、メイジーのことはできるなら助けてあげたい。
元々色のあった世界が灰色になるというのは、それだけと言えばそれだけの事なのだが、色々と不便である。何より自分だけが彩りのない世界に住むのはどれほど辛いかを想像した。
世界はとても鮮やかなのだ。メイジーにもまたそれを見せてあげたい。
魔法使いである事もバレるかもしれない。リスクもあるが、やはりアンは助けることを優先した。
ひとまずカラーロブトカゲを全て拾い、瓶に入れた。お手柄な白タヌキを撫でてやる。後で奮発して美味しいお肉を食べさせてあげよう。
「白タヌキは匂いに敏感だから〜」
「ちょうど全ての色を奪い切って出てきたところを〜」
「ガブ〜ッ!」
ひとまず、きちんと精霊達から話を聞く必要があるようだ。
一度アンはメイジーに身体を向ける。
「メイジーさん、あなたの世界を壊した犯人がこの瓶の中のモノなのだと思います。ただ、私も今は詳しく分かっていません。詳しい者に色々聞いてみるので、明日また...」
「アン〜それはね〜」
「今日中に食べないと〜」
「色が逃げ出しちゃうよ〜」
3匹がナイスタイミングで助言してくれる。
「あ、明日じゃなかった!!!今日!!!今夜なんてどうでしょう!?いや、今夜しか私ダメなんですぅうう!ぜひウチで会いましょう!」
アンはしどろもどろに誤魔化して約束を取り付けようとする。これ、必死すぎて、引かれないだろうかとアンは考える。
「...これが、犯人...??原因が分かるならば、何時だってどこだって行きます!どうか、教えてください!色が戻らなくても、せめて何故なのかは知りたいんです!」
メイジーは必死にアンの手を取ってお願いする。メイジーの手は細かに震えていた。
アンは微笑み、
「取り戻しましょう、メイジーさんの世界は色鮮やかです。」
と言った。