010.買い取りと全力拒否
男は空腹がすっかり満たされた。
クッキーは袋に入っているように見えた量よりも、倍くらいあったような気分である。ともあれ、あまりの空腹にそれどころではなかった。
「幸せといえば〜?」
「減らないお菓子〜」
「無くなりそうと思ったとこからさらに2倍量まではなくならな〜い」
「「「やだ、贅沢ね〜!」」」
なんて精霊達がゆるいショートコントをしている間、アンも自分の持っているクッキーが減らないことに気付いた。男に魔法使い(見習い)であることが早速バレるのではとヒヤヒヤだった。
(悪い人じゃなさそうだし、バレても大丈夫だろうけど、おばあちゃん達にも自分からは魔法使いだと名乗らないように言われてるしなあ〜。)
アンは早速その不便さを感じながら、パクっとクッキーを頬張った。
「...ところで。」
男が声をかけると、アンは「ヒャイっ!?」っと変な声で返事をしてしまう。あまりに間抜けだ。
「なんだかぼんやりとしていたようだけれど、急に話しかけてすまなかった。」
男はプッと笑う。
そして続けて、
「改めて礼を言わせてほしい、私は王国第1騎士団団長のグレイソンだ。助けてくれて感謝申し上げる。」
男は姿勢を正して名乗った。
「団長...!!?あ、私はアンです。18歳の誕生日なので、村を出て王都に向かうところでした。」
アンは、王国第1騎士団団長のような名乗ることはないので、ひとまずそんな自己紹介をしてしまった。
男はその自己紹介にこそ驚いた。
「何ということを!私は女性の18歳の誕生日の出鼻を挫くような真似をしてしまったのか...!!ますます申し訳ない...。」
イタズラを叱られた犬のようなしょんぼり感が愛らしく、アンは思わずクスクスと笑ってしまった。
「あいつ犬だ」
「わんわん」
「駄犬〜」
精霊達はなんだか小バカにしている。
「そんな、気にするようなことじゃないと思います。ただの助け合いです。王国騎士の皆様には、国中助けて頂いているのですから、当たり前のことです。」
「アンはこれを本心から言っているね〜」
「人間的打算がないね〜」
「ただただ人が良いよね〜」
精霊達はボソボソと呟きあっている。
「王都に帰ればお礼ができるものの、怪我をしている上に、荷物は殆ど馬に括られているのだから情けない...。」
グレイソンはますます犬のごとくしょんぼりしている。見たところ30歳程の屈強な美男子がこんなにしょんぼりとしているのだから、アンにとってはおかしくて仕方がない。
(なんか可愛い...!)
と、もはやアンは肩を震わせてこらえていた。
「でも、どうしてあんな森のど真ん中にいらっしゃったんですか?魔物の討伐でしょうか?」
「ああ、そう強くはないが幻覚系の魔物が多数出たのでな。魔法使いの護衛ということで、第1騎師団が出ることになったんだ。」
王国には第1騎師団〜第5騎師団まで存在する。それから、第6飛竜部隊。それぞれ500人近い隊員を抱えている。
その精鋭とも言えるのが第1騎師団なのだが、目の前にいるのはどうやらその団長らしい。命をかける騎士なのだ。年齢など関係なく完全実力主義である。
だからこそ、落馬などするようなことがあるのだろうか...。とアンは違和感を覚えた。
「その魔物はとても強かった、ということでしょうか?この辺りも危険なのですか?それと団長さんがいらっしゃらなくて、部隊の方々は大丈夫なのでしょうか?」
アンは心配になり、早口で質問をしていった。
「あぁ、心配はいらない。幻覚系の魔物自体はやはり強くはなく、魔法使い1人いてもらえれば問題なかったんだ。だが、帰りに小型のレッドドラゴンが襲ってきて...死人を出すのを恐れ私一人で対峙したんだ。
倒したと思ったんだが、倒し切れていなくてなー、馬に乗ろうとしたところを空にかっさらわれたよ...。あ、最終的には倒したから、村は心配いらないぞ。
ただなー、いやー、これ久しぶりの始末書もんだなー。やだなー。私の判断ミスだもんなー。しこたま怒られるんだろうなー...」
と、グレイソンはボソボソ言いながらため息をついた。アンは顔が引き攣っている。
「それがざっくり落馬というのもおマヌケだね〜」
「竜の悪あがきって言葉もあるのにね〜」
「竜の最後のあがきはすごいのよ〜」
3匹はドラゴンの最後を見たことがあるようだ。よもや、倒したのが彼らという事はアンは知る由もない。
アンでもさすがに小型といえどドラゴンを一人で倒せるなど聞いたことがない。驚きすぎて、固まってしまった。
「.......あ!て、てことは怪我って相当なものなんじゃ!さっきご自分で包帯グルグルにされてましたけど、ポーションは持っていらっしゃったんですか?」
アンは青い顔になって聞く。
「持ってはいたが戦闘中に割るわけにいかないので......馬の...荷物に...全部積んでた。」
ちょっと言い訳っぽいことを言いながら、グレイソンは恥ずかしそうにゴニョゴニョ答えた。先ほどから左腕は全く動かしていない。そういうことなのだろう。
「はぁ...なぜそれを先に言わないのですか。やせ我慢されているのではないですか?」
と、話しながらアンは祖母が持たせてくれた別の紅茶を入れ始めた。ポーションは魔法使いが作るものだ。この国に魔法使いなど殆どいないのだから、高すぎて買えるわけがない。
「団長さん、傷を見せてください。」
アンは珍しくふわっとした雰囲気ではなく、キリッと正座の姿勢でグレイソンに向き合った。
「未婚の女性にこんな傷口は見せられ...!?」
言い終わる前にアンは腕を押さえて包帯を外した。
「いっ.........!!!!!!?」
痛みが走ったのだろう、グレイソンが悶絶している。美しい顔が苦痛に歪む。
「団長さん...なんなんですかこの怪我...!!
肘の骨が...見えてるじゃないですか...!足をくじいただけじゃなく、むしろ絶対にどこか折れてますよね!?あ!そんな叱られた子犬のような顔してもダメです!!!」
あまりの怪我にアンの顔は真っ青だ。頬をぷくっと膨らませて怒っている。
まだ大人になりきっていない女性に叱られてはたまらない、とグレイソンは苦々しい表情となった。
アンはグレイソンの怪我を見て、祖母にもらった魔法の紅茶では効果が足りないことを予感する。
「少し準備しますね。」
と言ってアンはグレイソンに背中を向ける。その間もグレイソンは左腕の痛みにヒーヒー言っている。
(フウ・プウ・ブウ...おばあちゃんのこの紅茶に更に効果付与はできる?グレイソンさんの腕と足の傷を大まかに治せるくらいの...。)
小声でアンは相談する。
「簡単〜」
「ラクショ〜」
「じゃあいくよ〜」
「「「ソレェ〜」」」
アンの手の中にあるティーバッグがワサワサと軽く動いてすぐに止まる。アンは少し走ったくらいの疲れを感じた。
(ありがとう!!!大好きよ!)
アンは精霊たちにウィンクをする。
「わぁ〜!うれしい〜」
「アンが喜んだ〜!」
「もっと効果付けたらもっと喜ぶ?」
「「「ソレェ〜!」」」
アンはあっと声が出て、手を出した。が、止める間もなく精霊達は動いてしまった。
(ま、まあ治癒系なら問題はないわね...)
と、アンは精霊達に向けて出した手を引っ込めつつ無理やり自分を納得させて、紅茶の準備を始める。
その様子を不思議そうにグレイソンが眺めつつ、何かピンときたようで質問をする。
「あの...自分からこんな事を聞くのもなんだけど、まさかポーションを用意してくれている?だとしたらそんな貴重なものを使ってもらうわけには...」
「違います!ポーションなんて高すぎてうちみたいな庶民の家じゃ買えませんから。」
アンは期待させてしまったことに苦笑いする。
「これは、祖母がくれた紅茶なんです。王都でも有名らしいんですけど...。ひとまず、王都につくまではこれでマシになるはずです。どうぞ召し上がってください。」
「そうなのか...何か準備をしているから、まさかと思ってしまったよ。ポーションではないならば、ありがたく頂くよ。」
グレイソンは早とちりに少し照れつつも、怪我をしていない右腕で紅茶を受け取る。香りを嗅ぐと、先程より更に自分にしっくりくる香ばしい匂いに、思わずため息をついた。グレイソンは目を瞑って紅茶をすする。
(レッドドラゴンだっていうから、一番大事に飲むように言われてる紅茶にしたのだけど...ちゃんと効くかしら?)
目を瞑っていたグレイソンは、ハッと目を見開いた。その様子にびっくりしたアンは、何か合わなかったかと焦って紅茶を受け取る。
「これは...!!!!?」
「あ、あのごめんなさい、勝手な事をして!合わなかったでしょうか!?」
グレイソンは何も言わずに立ち上がり、手足を動かす。
「痛みを感じない...体が軽くなったようだ...」
グレイソンは不思議な出来事にまじまじと自分の手足を観察する。
「きっと、紅茶では痛みが薄れただけで完治はしないでしょうから、まだジッとしていてください!」
アンはいきなり動いたグレイソンに驚き、静止する。
「...っ!そうだよな、痛み止めだったか。治ったような気になってしまった。ともかく、ありがとう。これで王都までの間仮眠が取れそうだ。礼を言う。だが、きっと王都で有名なポートマンの紅茶くらい、高価な紅茶なのだろう。金なら上着に入っているので、きちんと買い取らせて欲しい!」
「いえ!そんなことより、この先の道は比較的安全だそうなので、昼のうちにどうぞしっかりと仮眠を取ってください。」
「そんなわけにはいかん!必ず払う!!」
「おばあちゃんの紅茶は私も茶葉作りから手伝ってるものだから、いくらか分からないんです。だから、絶対受け取れません!ともかく休んでください!!!」
そんな不毛なやり取りをひたすらに続けた。
「治った気になったとか言ってる〜!」
「駄犬のくせに〜!」
「私たちの魔法をなめてるわね〜!」
精霊達からは謎のブーイングが出ているが、高額を提示されたアンはそれどころではない。
結局はグレイソンが根負けした。アンは意外にも、そういうところは頑固なのだ。
そして、グレイソンは余程疲れていたのだろう、すぐにウトウトと仮眠を取り始めた。金色のサラリとした髪が、今は血に濡れて固まっていた。
「本当に神様みたいに綺麗な人ね...。」
顔にかかるその髪を、アンはそっと払ってやった。