35:騎士団長の得意技
ゼルが頼んだのはダブルのエスプレッソだった。クレマたっぷりの漆黒の液体をさらっと飲み干して、一息をつく。その表情は恍惚感に満ちていて、ああ、お気に召したのかな、とニコは思った。コーヒーを飲みに来た、というのはあながち嘘じゃなかったのかもしれない。
「ごちそうさま」
先程の、何か企んでそうな笑顔とは違う、素直な笑顔のように感じた。
「俺さー、これ好きなんだよね。気持ちがシャキッとするというか」
「好きなんですね、コーヒー」
ゼルは頷く。
「また来てもいいかな?」
そしてちょっと意味深に、呟く。
「コーヒーを飲みに?」
「うん。そして君に会いに」
うーん……口説かれている……。自意識過剰ではあるまい。なんでだ。なんで騎士団長様がわざわざ昨日会ったばかりのモブキャラを口説きに来るんだ?あとさっきから思わせぶりなセリフ、もっと明け透けなセリフも目白押しだが、常套句なんだろう、慣れっぷりが清々しいけれど不快極まりない。悪い奴じゃないんだけどなぁ。見境ないのがなぁ。
「不定休なので、いらした時に開店してないかもしれませんが、それでもよろしければ」
なので、慇懃無礼な態度をとっておいた。また今日みたいに接されるのならばもう来ないでほしいが、一応お客様にそうも言えない。
「あははは!ほんとう、手厳しいなぁニコは。俺、外面の良さには自信あるんだけどなぁ。こんなに取り付く島がないのも久々だよ」
外面いい自覚があるのか。余計タチが悪い。食えない騎士団長様である。
「僕の相手をするのは時間の無駄だと思いますよ」
庶民だし、モブキャラだし、そもそもリスロマンティックだし。完全に「攻略対象外」キャラだ。想いに応えようがない。
助言のつもりだったのだが、ゼルはさわやかに微笑んだ。外面いいほうの笑顔だ。
「無駄かどうかは俺が決めるよ。じゃあまたね、ニコ」
そう言って、ゼルはカウンターにお代を置くと、ひらひらと手を振りながら退店して行った。
やれやれ。ひとりきりになった店内で、どっと疲労感に襲われるニコだった。
終始、ゼルのペース。
でも、最大限応戦した。つもりだ。
はぁぁぁぁ……と深い深いため息をついていると、お代と一緒に何かが置かれていることに気づいた。
「…………アイツめ!」
指輪だ。
ショーンクラウド王国の紋章入りの金の指輪。精巧な作りのそれは、王国騎士団長が直々に国王から授かる大変貴重なもので……、って。
「そんな貴重品をナンパに利用してんじゃねぇよ色ボケ騎士団長が!!」
慌ててニコも店から飛び出したが、後の祭り。ゼルの姿は既に消えていた。
「どうしてくれよう……」
ここまでが奴の常套手段だとしたら、甚だ呆れ返る。
この国でただ一人しか持ちえない代物が、何故か今、この手元にある。
とんでもない置き土産に、ニコは頭を抱えた。




