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居酒屋

散々だった音合わせの帰り、駅前のスーパーで志村に出会った苑子は、彼から食事に誘われたのだった。

私たちは、駅前の商店街の一角にある居酒屋に入った。

志村が居酒屋の前に立ち、「ここにしよう」と言った時は、食事に誘っておいて居酒屋とは何事かと思ったが、志村の「どうせ酒入れないと何も話さねえんだろ」で意図を理解し、頷いた。志村は案外、私のことをちゃんとわかっているなと思う。

居酒屋の中は、大勢の学生で賑わいを見せていた。入店し、志村が二本指を立てると、店員が奥の座敷に案内してくれる。着くと私たちは、靴を脱ぎ、座敷に座った。

ささくれ立った入った畳と壁にこびりついた油染みが、居酒屋の年季を物語っているようだった。

「何飲む?」

「志村は?」

「俺は、適当に生でいいかなと思ってた」

「じゃあ、私も生でいいや」

「了解」

そんな会話の後、志村は店員を呼び止めた。騒がしい店内でも彼の声はよく通り、すぐに店員が来る。志村はその店員に「生二つください」と言って、二本指を立てた。店員はそれをメモし、厨房へ戻って行く。

「そういえば、新歓もここだったな」

志村がフードメニューを眺めながら、そう言葉を投げた。私に話しかけたというよりは、自分の記憶を自分で確認するような調子だった。

「新歓ね、懐かしい」

「もう、一年以上経ってるのか。確か、あの時初めて苑子会ったんだよな?」

「そう。お手洗い行った時にすれ違って、好きな音楽の話してさ」

「そうだったか? あんまり覚えてねえや。なんか、記憶曖昧だわ」

「あの時の志村はだいぶ酔ってたからね。だって私、志村の第一印象「酒豪」だったもん」

「おいおい、そりゃ心外だな」

「だって、未成年だからって他の一年生が多少なりとも酒を渋ってたのに、一人だけ構わず滝のように飲んでたから、そりゃ酒豪だなって思うよ」

「滝のようにって、大げさだな」

「マジ、そう言いたくなるくらい飲んでたって」

私がそう指摘すると、志村は少しだけ不満気に首を傾げ、フードメニューを私の前に持ってきた。

「それはそうと、苑子何食べたい?」

「志村は?」

「お前、飲み物もそうだったけど、なんでも俺に合わせようとするなって」

「だって、実際なんでも良いし」

「俺もなんでも良いから、とりあえずなんか言ってくれ」

「じゃあ、この白菜漬けで」

「随分さっぱりいくな」

「そう。さっぱりいきたい気分なの」

「さっぱりいきたい気分、か。まあ、諸々飲んで流そうや」

生ビール二つが届いてから、志村は適当に食べ物を注文した。その内容はおおよそ彼の好きな揚げものばかりだったが、私の言った白菜漬けは最初に注文してくれて、それが少しだけ嬉しかった。



居酒屋に入ってから、一時間は経っただろうか。自分の腹時計はたいして信用していないが、それくらいは経っている気がする。店は私たちが入った時よりも客が増え、一層の賑わいを見せていた。

そんな店内で、私たちはというと、お互い少しずつ酒が回り、お腹もそろそろいっぱいになってきていた。

私は卓上の料理に興味を示さずにカシス・オレンジを飲み、志村も四杯目のビールは堪忍して、柄にもなく日本酒を飲み始めていた。御猪口に注ぎ、ぐいっと流し込んでいる。飲むたびに少し顔を歪めるのが面白い。

「女の前だからって、大人ぶって日本酒頼んだの?」

「何言ってんだよ。俺ら、そんな関係じゃねえだろ」

ふわついてきた頭で志村をからかったが、彼は表情を変えなかった。そして無表情のまま、少し赤らんだ顔で皿に残っていた枝豆を食べ、殻入れに投げる。今日は珍しく酔わないな、と思っていると、彼はふいに私を見た。

「さっきも聞いたけどさ、今日の音合わせはどうだったんだよ?」

正面に座る志村は、机に肘を置き、少し身を乗り出しては、そう問いかけた。その口調には少しばかり棘があり、私はどきりとする。それに容赦せず、志村はじっと私を見ていた。

「それは......」

私は答えを探す。回答に迷った。

正直になるべきか、ならないべきか。私はその二択を決め損ね、もじもじと机に落ちた水滴を眺める。答えは、なかなか出すことができなかった。

自分が情けなくなる。さっき部屋で流した涙は、一体なんだったのだろうか。いつもそうだ。私は決断を迫られたとき、答えを出すべきとき、いつも優柔不断になる。自分の気持ちに素直になれず、他人に気を使うふりをして、結局は自分に嘘をついているだけ。いつもそうだ。私は、いつも。

「わかった、もういいよ」

私が答えられずにいると、志村はため息をついた。それから、私の頭に軽く手を置く。志村の優しい手の感触が、じわりと体に広がっていく感覚があった。

「ごめん、気遣わせちゃって」

「いいよ、別に。謝ることじゃねえって」

静かにそう言うと、志村は私の頭から手を放した。その手で御猪口に日本酒を注ぎ、くいっと、一口で飲み干す。私はその志村の一連の仕草を目で追う。何故だか彼から、目が離せなかった。

「じゃあ、もし答えられるなら、これだけ答えてくれるか?」

志村が視線をやる。そうして私たちは、目が合う。

「何?」

「苑子は、俺らとバンドやりたいっていう気持ちはあるか?」

そう言った志村の口調が、いつになく優しかった。その声が、さらりと違和なく私の耳に届く。彼と会って一年半。幾度となく聞いてきた彼の声で、ここまで優しげなものはなかった。胸が軽くなっていくのを感じる。素直な気持ちが、胸をすっと滑っていく感覚があった。

志村の目を見る。これまで幾度となく見てきた少しつった大きな目と長いまつ毛が、優しげに私を見つめ返している。

今なら、言えそうな気がした。

「志村」

「何?」

「私、志村たちと音楽やりたい」

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