「今」
いよいよ、始まるのだ。
「メンバー紹介します」
心臓の鼓動が、早くなっていく。
「ベース、山田直樹」
山田が、ブイン、と一つ音を鳴らし、お辞儀をする。
「ギターボーカル、後藤苑子」
自分で言い、その後、ストロークをする。レスポール・ジュニアが、特有の柔らかく上品な音で、吠える。
「ドラムス、タカシ・イヂチ!」
私の声と共に、伊地知がドラムソロを始める。一六分でスネアを勢いよく叩き、抜けの良い音が響き渡る。そしてその音にタムも混ざりだすと、テンポがだんだんと遅くなる。そして、伊地知が大きく振りかぶったところで、私はレスポール・ジュニアに再度手を当て、大きく右手を振り、ストロークをする。レスポール・ジュニアがまた、吠える。それと同時に、殺気立ったシンバルと、荒々しいベースが、聴こえてくる。拍手が聞こえる。胸の底から、言いようもない興奮が湧き上がってくるのを感じた。そしてまた湧き上がる拍手を聞きながら、私は一つ、唇を舐めた。乾いた唇が、潤っていく。
伊地知が、スティックをカチカチと鳴らす音がした。いよいよだ。私が衝動的に書き上げた曲が、いよいよ始まるのだ。私はマイクスタンドに向かって声を出す。胸がオーバーヒートでも起こしたように、激しく脈を打つ。「一曲目、『秋の日候、今』!」
「ワントゥースリーフォー!」
伊地知の掛け声で、私はレスポール・ジュニアのネックを強く握った。指に当たる弦の感覚が心地良い。その感覚を忘れぬうちに右手を振り、イントロのフレーズを刻む。なるべく爽やかに、それでいて静かな興奮を含ませるように。そう心がけながら書き上げたフレーズが、リハーサルルームに響く。
ネックを持つ左手が、意識せずとも自然と滑っていく。それが心地良かった。スポーツ選手で言えば、ゾーンに入ったような感じだろうか。自分が鳴らしているはずの音が、さも別のうまいギタリストによる音なのではないかとすら錯覚するほど、私の耳に届くレスポール・ジュニアの音は、美しく感じられた。
イントロが終わる。私は、スタンドマイクに口を近づけた。
重く沈んだ曇天
秋の日 残像
熱多く ビニール傘
灰色の空 相合 忘れ得ぬあの姿
喉を下げるようなイメージで、Aメロの低音域を歌う。曲が静かになるフレーズだから、胸の高鳴りを気持ち抑えつつ、しかし、しっかりと感情を込めながら、Aメロを歌いきった。
重く沈んだ曇天
今日の日 影響
レスポール コミック本
窓辺 空には橙 忘れ得ぬこの誓い
Aメロを歌い終え、再度スタンドマイクから距離を置く。ネックを握る左手が、自分の想像を超え、上手く動いてくれる。これまで大事に指を作ってきた甲斐があったのかもしれない。私の刻んだ想いが、アンプとコイルを介して、増幅していった。
ふと、「私らが愛してたギタリスト」のことを思い出す。
スタジオでギターを弾いていたあの姿を、赤と白のギターが上下に揺れる輪郭を、輝いていたあの目を、私はふと思い出す。
しかし目を閉じると、頭の中にあった彼の姿は消えてしまった。その儚さが悲しくて、胸が一瞬、ちくりと痛む。志村はもう、いない。その思いを胸に、曲がサビに入る。
例えば 今 この時死んだとする
私は私を肯定できるだろうか
例えば 今 あの人が来たとする
彼は私を笑ってくれるだろうか
きっとそうであってほしいと
今はそう思うんだ
サビのロングトーンが、マイクに乗ってリハーサルルームに響き渡った。その声が、はっきりと私の耳にも届く。喉につっかえていた思いが、塊として発散されていくような感覚だった。
喉を力ませ、高音を捻りあげる。胸に沸き立っていた興奮が、一抹の儚さを伴って、発散されていく。
サビを歌い上げると私は、スタンドマイクから少し離れた。曲が間奏に入るのだ。私は、間奏頭のGコードを抑える。まだ指ができていなかった中三の春休み、背伸びをして弾こうと奮闘して指を何度も攣らせたこのコードを、あえて間奏頭に持ってきてみた。自分の成長を実感したかったのだ。過去の自分に打ち勝つという意志を込めて、私はこのコードを間奏頭に持ってきたのだ。
Gコードが、アンプから鳴る。 か弱い小指が、一弦三フレッドをしっかりと抑えてくれる。心配はしていなかったがGコードは、思いのほかあっけなく鳴り響いた。私は、着実に成長できている。そんなささやかな喜びを、私は人知れず感じた。
次いで、山田のベースソロを響き渡る。彼のベースはその真面目な性格に似合わず荒く「ガチャガチャ」した音で、私はそんな彼の音が好きだった。
ベースソロの後、伊地知のシンバルを合図に、今度は私のギターソロに入る。このギターソロは、なるべく「志村の好きな音」を多く入れた。彼の好きそうなコードやフレーズをふんだんに盛り込み、あくまで「No photos」の音になるよう心がけた。
左手の指が、スムーズに曲がってくれる。それに呼応して、レスポール・ジュニア特有の上品な音が、響き渡る。その音が他の楽器と一体になって、「音」が「曲」となる。これが、バンドなのだ。自分の音を、誰かの音が補完してくれる。そして誰かの音を、自分の音が補完する。そうしてメンバーと一つの「曲」を作り上げる。それが、バンドなのだ。
私はそんな一体感を、心底ありがたく思った。他のメンバーのおかげで、私は今、気持ち良くギターが弾けている。そんな感謝を胸に、私は間奏のギターソロを弾ききった。
普段は走り気味になってしまうことも多かったが、今回は完璧に弾くことができた。今日は、本当によく指が動いてくれている。
私は、スタンドマイクに口を近づけた。
「今を生きろ」と彼は言った
揺れるテレキャスター その輪郭
穏やかな秋の甘い缶コーヒー
走り書きで袋小路抜けて
思い出してみよう
拝啓 私らが愛してたギタリスト
静かなアレンジにしたBメロを歌い、自分の声が際立って響いたのを聴いて、自分が思いのほか落ち着いて演奏できていることに気がついた。心臓の鼓動はやはり痛いくらいだが、その鼓動がそのまま、良い方向に転んでいる。高揚感を、力に変えることができているのだ。この勢いのまま、ラスサビを歌い切りたいと思った。
この、高揚と平静が同居する不思議な感覚が続けば、私は今以上に良い演奏ができる気がした。
私は、大きく息を吸う。いよいよ、曲がラスサビに入る。
例えば 今 この時死んだとする
私は私を肯定できるだろうか
例えば 今 あの人が来たとする
彼は私を笑ってくれるだろうか
きっとそうであってほしいと
今はそう思うんだ
ラスサビを歌いきり、曲がアウトロに入る。我ながら、なんとも率直な歌詞を書いてしまったとは思ったが、その方が、かえって良いのかもしれない。私は「No photos」のメンバーなのだ。「写真を撮って」、後から歌詞を考察されるような音楽は、性に合っていないだろう。
私はそんなことを考えながら、イントロと同じアウトロのフレーズを弾く。後ろで軽快に鳴り響く、伊地知の八分が気持ち良い。さながら地響きのようなバスドラと抜けの良いスネアが、着実に曲の根幹を作ってくれている。これでこそ、志村が惚れ込んだドラマーだ。
メインリフが三回目に入り、曲がいよいよ終わりに近づく。私のストロークはなぜか、いつもより安定していて、まるで自分が弾いていないような感覚だった。指がスムーズに、動かしているというよりは、勝手に動いているような感覚。アンプから漏れる、レスポール・ジュニアの嘶きが、この上なく心地良い。この感覚がずっと続いてくれ、と思う。このバンドの一体感と、人生最高のギターサウンドに、私はいつまでも酔いしれていたいと思った。
一曲目が、終わる。最後に一つ、大きくストロークをする。ギュイン、と大きくアンプが音を発散する。私はその音の余韻を噛み締めながら、ふうと息を吐いた。
リハーサルルームに、拍手が鳴る。その最中、私は誰かの言った「良いじゃねえか」の声を聞いた。聞き覚えのある声だった。ただ、一瞬聞こえただけだったから、誰の声かは判別できなかった。
伊地知の声だろうか。私はそう思い、振り向くが、彼は訝しげな表情で、私を見つめるだけだった。
私は、リハーサルルームの客の方を向く。まだ、ライブは半分終わっただけだ。私は曲の余韻を確かめながら、マイクに口を近づける。
「皆さん、今日は我々の文化祭ライブにお越しいただき、ありがとうございます。ステージからではありますが、お礼の言葉とさせていただきます」
息を切らしながらそう話すと、拍手が起こった。そして、私がその拍手に少し安心していると、「固いよ! 苑子さん!」と声が聞こえた。それに私が驚き、リハーサルルームに小さな笑いが起きる。見れば、ドアに寄りかかる喜多が、無邪気な笑みを浮かべていた。
私は一つ咳払いをし、再度マイクに口を近づける。確かに、会場の空気に合わない固い挨拶をしてしまったかもしれない。頰が熱い。私はひそかに反省した。
「指摘があったので、固い話はもう終わりにして、もう次の曲いっちゃいます。次が最後なんで、聴いてってもらえたらなと思います」
私は一度、後ろを振り向いた。すると山田と伊地知も、ゆっくりと頷いてくれる。私もそれにうなずき返し、客の方に向き直る。自分でも、自然と笑顔がこぼれるのがわかった。自分には信頼できる仲間がいる。そのことを、再認識できたのだ。
「じゃあ、曲の前にちょっとだけクサいこと言わせてください」
私はマイクを握りながら、一瞬俯く。ふいに、涙がこぼれ落ちそうになったのだ。鼻がつんと痛む。またこの感覚だ。
私は唇を噛み締め、客の方に再度向き直る。
「人生は、かけがえのない「今」の集積です。そして、そんな「今」の集積がいつ終わるかは、私たちにはわかりません」
そこまで言って、私はまた俯いてしまった。志村の顔が脳裏に浮かんだのだ。それで、私の鼻の奥はつんと痛んだ。私は天を仰いで一つ鼻をすすり、客の方を見る。
「だから皆さん、「今」を全力で生きてください。写真を撮って、後から見ようだなんて、そんな打算はしないでください」
私はそこまで言って、胸に手を当てた。そうして、自分の言葉を反芻して、自分に言い聞かせる。「今」を、全力で生きるんだ。
「というわけで、聴いてください」
そう言うと、胸の内に、ざっと興奮の波が押し寄せてきた。理性のねじが、一本外れるような感覚がする。私はぎゅっとマイクを握りしめ、思い切り叫ぶ。
「っていうか、黙って聴きやがれ! 『No photos』!」
私が叫んだのを合図に、伊地知が「ワントゥースリーフォー」と掛け声を発する。私はそれを聴きながら、先ほどまでとは異なる種類の感情を抱いていた。
誰かのために良い音を出したい。
私は、そう思っていた。将充さん、伊地知や山田、そして、志村。私は、私に影響を与えてくれた様々な人のおかげで、今ここに立つことができている。だからこそ、そういう人たちの気持ちに応えるためにギターを弾く。そういう思いが、胸に去来していた。
曲が始まる。私たちの一カ月半の思いが、今ここで放たれるのだ。
レスポール・ジュニアのネックに、手を当てる。そうして、志村があの日私に見せてくれたように、弦を振るわせ、ストロークをする。それに、伊地知の八分と、山田の荒々しいダウンピッキングのベースが乗っかってくる。そのリズムに狂いはなく、私は安心してコードを刻むことができた。
志村の作ったリフは、改めて弾いてみると意外に洗練されているな、と感じられた。爽やかだが、奥に仄かな悲しみと憂いを感じさせるのだ。
私は、マイクスタンドに口を近づける。曲が、Aメロに入る。
今日は明日昨日になって
明日は明後日昨日になる
時計の針はカチコチ目まぐるしく回り
賽は降られ続ける
今日は明日にはなくなって
明日は明後日にはなくなる
時計の針はコチカチ戻りはしない
僕は今何ができる
何度も歌ったAメロを歌い、私はまた、じわりと視界が潤んでいくのを感じた。最後に志村と話したあの帰路を、ふいに思い出したのだ。あの時の彼は、迫り来る将来への焦燥感を語っていた。就職すれば忙しくて、今ほどじっくり音楽に取り組めないだろうという憂いを、私に語っていたのだ。あの時の志村は、彼にしては珍しく、未来を見て話をしていた。そのことが、今になって切なく感じられた。
現実は存外甘くないぜ
焦燥感 将来 タバコ吸って
しみったれた朝四時に
日が昇るのを見た
志村がいつこの歌の歌詞を書いたのかは、わからない。でもなんとなく、「しみったれた朝四時」がいつのことを指しているのかは、わかるような気がした。
おそらく、私が志村からの誘いをやんわり断った、あの朝四時を指しているのだろう。私はそう思う共に、志村に対して申し訳なく感じた。私が正直になれないばかりに、彼はあの朝を、歌詞に起こしてしまうくらい、悲しくさせてしまったのだ。
私はそれを心の中で詫びて、ネックを持つ力を強める。曲がサビに入る。志村が伝えたかった思いを全部代弁してやろう、と意気込み、愁いを消し去るように、視線の先にいた将充さんをきっと見つめた。
今日は今日の光があるから
写真には写らない光があるから
シャッター切る間もないぜ
一秒後過去になるセツナ
サビを歌い切ると、額から汗が滲んでいくのがわかった。
ネックを抑える左手も、少しだけ疲労がたまっているような気がしなくもないし、あえてキー上げをしているため、サビは高音が続き、喉もしんどいといえばしんどい。
しかし今は、そんな感覚すらも心地よく感じられた。
声を張り上げ、弦を震わせ、それを他の音を合わせる。そこへさらに志村の思いが乗っかり、少ないながらも、目の前の客に届く。その一連が、私の胸に興奮をもたらす。
曲が、長い間奏に入る。私は志村がそうしたようにスタンドマイクから離れ、ギターソロを弾く。
体に覚え込ませたコードを、ひたすらに進行させる。彼の考えるコードはやはり比較的単純で、ここに音楽のプロがいれば、駄曲だと酷評をするかもしれない。
でも、それで良いだろう、と思う。うるせえ、とも思う。音楽はそうではないだろう、と言いたくなる。
志村の奏でたただただ泥臭いだけのロックは、誰かの胸を打つことができる。誰かのしみったれた人生を、ほんの少しだけでも変えることができる。そして弾いている当人が、こんなに幸せになれる。音楽は、それで良いはずなのだ。理屈ではなく本能。それが、音楽の本質ではないのか。
レスポール・ジュニアが、嘶く。アンプから放たれたその響きが、私の耳に鮮烈に届く。その音だけが、まるでフィルターでも通したかのように、聴こえてくる。あの時の志村も、こんな感覚だったのだろうか。今となってはそれもわからない。悲しいが、それが現実で、私はそういう「今」を生きているのだ。
ギターソロも後半になってくると、手が疲れてきた。でも、その感覚すらも、今は苦に思わなかった。
私は歯をくいしばる。汗が頰から首筋に垂れる。左腕の筋肉が、悲鳴を上げている。それでもアンプからは、自分が出したい音が、ちゃんと出てくれている。
スタンドマイクに近づく。長い間奏が終わった。曲が、再度Bメロに入る。
現実は存外甘くないぜ
焦燥感 将来 タバコ吸って
しみったれた朝四時に
日が昇るのを見た
曲のアレンジが静かになるBメロの頭をファルセットで歌うと、その声が震えて涙声になってしまい、自分でも驚く。ラスサビに向けて、気持ちが高まっていたからかもしれない。私は間奏の間に唇を噛み、涙をぐっと堪えた。
曲がラスサビに入る。これを歌い切れば、私の文化祭ライブが、私たちの一ヶ月半の集大成が、終わるのだ。
私は、大きく息を吸う。そうして張り上げ、その声を、スタンドマイクに叩きつけた。
今日は今日の光があるから
写真には写らない光はあるから
Shut up いつかの自分
今を生き抜く覚悟はできてるぜ
歌い切り、マイクスタンドから離れる際に少し頭を振ると、汗か涙かわからないが、雫が一つ、落ちるのがわかった。それに構わず、私はアウトロのリフを弾く。弾いていたかった。
この時間が終われば、私にはきっと、しみったれた日常がやって来るのだと思う。そしてやがて、「存外甘くない現実」が、牙をむいて襲いかかってくるのだろう。そんなことは、とうにわかっているのだ。
だから、だから今だけは、胸の底から湧き立つ衝動に従順でありたかった。現実の厳しさに打ちひしがれるのも、焦燥を感じるのも、いつだってできる。でも、今いる客の前でギターを弾くのは、今しかできないことなのだ。
今は、今だけは、私にギターを弾かせてくれ。後でいくらでも向き合ってやろう。だから現実、その仰々しい一面を、どうか潜めていてくれ。私は、ステージを薄く照らす赤いライトを浴びながら、そう叫びたかった。
左手も、右手も、疲労を感じる。でも今だけは、絶対にその手を止めたくはなかった。手がちぎれても、今後ギターが弾けなくなったとしも、今ここで演奏をやめたくはない。志村の思いを乗せ、それをリハーサルルームの客に届けられる「今」は、もう二度と来ないのだから。
曲が、最後のフレーズに入った。この一ヶ月、何度も弾いてきたこのフレーズを、疲労した左手が辿ってくれる。
アンプから、レスポール・ジュニアの咆哮が響く。曲が、いよいよ終わる。終わってしまう。
私の演奏は、天国の志村に届いたのだろうか。それはわからない。それでも、この場にいる人たちには届けられたはずだ。志村の思い、生き様を。そしてこの一ヶ月半の、私なりの答えを。
最後のフレーズを弾き終え、一つ、大きくストロークをする。ギュイン、と心地の良いギターサウンドが響く。
ノイズが、リハーサルルームに静かに染み渡っていく。
曲が、私たちの演奏が、終わった。
余韻が残り、リハーサルルームが静まり返る最中、私は天を仰いだ。赤いライトが、眩しく目に入る。私を照らしていたライトが、こんなにも眩しかったとは知らなかった。その光に目を細め、一つ息を吐く。すると伊地知と山田が私の両隣に来て、お辞儀をした。私もそれに倣い、お辞儀をする。雫が一滴、落ちる。拍手が聞こえてきたのは、その時だった。
私はその拍手を聞きながら、顔を上げた。客の姿が見える。口を震わせながら拍手をする将充さんに、満面の笑みを浮かべる喜多。そして視線奥、入口付近に立つ葵と麗は、涙を浮かべながら拍手をしてくれていた。
私はその様子を見て、鼻の奥がつんと痛むのを感じる。自分たちの音楽に拍手が起こっているという単純な嬉しさと、志村の思いを曲りなりにも発信できた安堵感が混じり合い、涙腺がもろくなってしまったのだ。視界が潤んでいくのを感じる。すると、左隣にいた山田がスタンドマイクまで行き、「ありがとうございました!」と大きな声を出した。それから私たちは、演奏スペースの裏にある荷物置きへ、歩いて行った。
荷物置きに着き、とりあえずと座り込むと、「ありがとうな」と声が聞こえた、ような気がした。聞き覚えのある声だ。少しは鼻にかかったその声は、いやに愛おしく、私の耳に届く。視界の潤みは取れない。私は頷き、静かに落涙した。
「苑子、ありがとうな」
今度は隣にいた伊地知が、はっきりとそう言うのが聞こえた。